カルマパ17世との謁見

2004年の冬、インドのサルナートのチベット寺で
カルマパ17世の謁見というチャンスに恵まれた。
カルマパとはチベット仏教4大宗派のひとつカギュ派の高僧、活仏。
1999年の年の瀬、当時14歳だったこの高僧はチベットを出国し
翌2000年にインドに亡命した。
当時、世界中にこのニュースは発信されたので記憶にある方も多いかと思います。
私も良く覚えている。
配信されたあどけない少年の写真を見て
この少年がダライラマ14世と並ぶ“活仏”なのか、、、、と驚いた覚えがあります。

この時、滞在していたバラナシのレストランでたまたま同席した方が、
今日、カルマパ17世に謁見してきたと言う。
来週の水曜日が外国人の謁見の日だとのこと。
ダライラマ14世は何度も来日されているし、この先謁見の機会に恵まれることもあるだろう。
しかし、カルマパ17世との謁見はこの機会を逃すと次がないような気がした。
来週の水曜日。ちょうど私の誕生日でもある。
よし、行ってみよう。

サルナート。
バラナシからバスで1時間くらいの距離にある。
ブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開いた仏陀が、初めて説法を説いた場所。
チベット寺、日本寺など、世界中の仏教国(日本も仏教国かな?)のお寺がある。
チベット寺にて謁見が行われるという。
が、午前中に行われていたチベット僧のための説法会が長引いたため、
外国人用の謁見がキャンセルされてしまった。
しかたがない。外国人に会うためにサルナートに滞在されているわけではないのだから。
それに、その日に謁見のために訪れていた外国人は私を含めたったの5人。
5人で謁見なんかしたら、こっちが緊張する。
その他大勢のなかで、遠くから拝見したい。私としては。

さて、どうしよう。次の謁見は来週になると言う。来週にはネパールで友人と待ち合わせだ。
しばらくお寺で写真を取ったりしていると
受付係りの僧侶がやってきて、午後からネパールからのチベット人団体との謁見があるという。
後ろのほうで座っているのならば、その団体と一緒に謁見してもいいよ、
ただし英語の通訳は付かないが、とのこと。
ご好意をありがたく頂戴することにする。
一旦お昼ご飯を食べに行き、戻ってくると、ネパール人団体さんが庭に集合している。
5人のお坊さんを筆頭に50人くらいの老若男女の団体だ。
その団体の後ろについて本堂に入る。

カルマパ17世との謁見 2

待つこと15分、法螺貝の音と共にカルマパ17世が登場する。
今では立派な青年だ。チベット人には珍しく、身長は180cmはあるであろう長身だ。
私は今までこんな眼をした人に会ったことがない。

頭の切れる人、人の上に立つ人、人に命令することに慣れている人、
それぞれ独特な眼をしているが、そのどれにも当てはまらない。
その独特の雰囲気、貫禄、気迫、、、発しているエネルギーとも言えばいいのだろうか?
まるっきり次元が違うのである。
とても18歳の一青年ではない。
いったい、この人は何者なのだろう?、、、それが私最初の印象だ。
見かけだけで言えばはまったくのチベット人青年だ。しかし、眼が違う。
発しているエネルギーの次元が違う。
この人だったら、眼で人を殺すこともできるかもしれない。
これが活仏の眼なのだろうか?
以前、友人がダライラマ14世に謁見をした時の感想は、“眼が怖かった”だった。
なんとなく、その意味がわかるような気がする。
あえて言うなら仏像や、仏教画に出てくる仏陀の眼そのものなのだ。
生身の人間が、仏教画の仏陀の眼をしていたら、
やっぱり“怖い”と思うのが正直なところかもしれない。

説法はたんたんと続いている。
チベット語での説法で、通訳はいないので、何を言っているのかはまったくわからない。
途中、団体さんから笑いが起こるところを見ると、ユーモアを交えての説法なのだろう。

私はただこの一時間の間、活仏の声を聞き、眼を見て
頭の中ではずっと同じ言葉が繰り返されているだけだ。
こんな眼をしている人に会ったことはない。
この人は何者なのだろう?
これが活仏なのだろうか?、、、、、、と。

約一時間後、説法が終わり全員が列を作り始める。
活仏から一人づつ、赤い紐が手渡されるのだ。
圧倒されまくった私は、そんな、とんでもない、お会いできただけで充分です、
の気持ちだったが、みんなと一緒に列に並ぶ。

いよいよ私の番がやってきた。緊張は最高潮である。そして頭は真っ白である。
ほとんど何も覚えていない。
Thank you くらいは言ったような気はする。
一つだけ覚えているのは、紐を受け取った瞬間、左手が痙攣したように震え出して
実際には右手、片手だけで受け取ってしまったこと。
大変失礼なことをしたと後々後悔した。

これが私の2004年の誕生日の出来事。
そして私は翌日のヨガ教室の瞑想中、素敵なビジョンを見た。

カルマパ17世との謁見 その後

砂曼荼羅のビジョン・誕生日プレゼント

謁見を終え、バラナシに戻りその晩は疲れたのがぐっすりと眠りに就いた。

翌朝、いつものようにヨガ教室に行く。
一通りのハタヨガ最後はいつものように仰向けになり、瞑想をする。
眠ってはいない、しかし起きてもいない。
ちょうどその中間に漂っているいつもの気持ちのよい意識の中にいた。
普段はなにも考えずにただその空間に漂っているのだが、
その時、私ははっきりとしたビジョンを見た。

手に白い砂を持ち、太陽の形をした砂曼荼羅を描いていた。
握り締めた砂の感触、手から砂が落ちていく感覚がとてもリアルだ。
太陽の中心の円を白い砂で塗りつぶし、
周りの三角形も塗り始める。
はみ出さないように、慎重に、集中して砂を落とす。
三つ目の三角形を塗りつぶしている最中に、瞑想の終わりの合図を聞く。
おしい、できれば全部塗りつぶしたかった。

瞑想の後、ヨガの先生に今見たばかりのビジョンの話をする。
すると先生は、それはチャクラを意味しているのではないか?と言う。
二つ目のチャクラを塗りつぶした意味は第二チャクラが既に開いて、
これから第三のチャクラを開こうとしているのではないか?と。

、、、、、と言われても“チャクラが開いた”実感はまったくない。変化もなし。
今現在もそうである。
けれど、砂曼荼羅を描くというビジョンは私の中でとてもリアルで、
そしてとても意味あることに思えた。。
あのビジョンは本当の意味はなんだったのだろうか?
実感はできない“チャクラの開き”だったのだろうか?
いつかその意味を知りたいと思う。

まぁ、とりあえず“カルマパ17世からのお誕生日プレゼント”と言うことにしておこう。
しかし、もう一度、あの夢を見ないかな?

終わり

持ち主の処へ旅するクリスタル 2

僕はこのクリスタルが一番好きだ」
旅先で石自慢をしていた時のこと。
友人の旅仲間が一つのクリスタルを手にして言った。
そのクリスタルには「第三の目」と名前を付けていた。
現れたビジョンは、佛眼。
女性の親指くらいの大きさで、
正面には取って貼り付けたようなくっきりとしたレコードキーパーが一つ浮かんでいた。
決して華やかで目立つクリスタルではなかった。
玄人受けするというか、どちらかと言えば地味めの大人しい存在だった。
スピリチュアルな人ではあったがクリスタルには興味がなかったその人。
なかなか渋い選択だ。

数日間3人で過ごし、友人の旅仲間は帰国した。
私と友人はフィリピンの島へ。
いつも山岳地帯ばかり旅する私にとって久々の海だった。
その島で久々に泳ぎ、ドイツビールを飲み(フィリピンの島にドイツレストラン!)
リゾートライフを満喫していた。

ある日、友人の旅友達が選んだクリスタルの話になった。
なかなか渋い選択で、私が驚いたこと。
初めてクリスタルを選ぶ時はもっと絵に描いたような
「クリスタルらしいクリスタル」を選ぶ人が多いんだな、と言うこと。
そんな他愛のない話をしていた時、ある思いが過ぎった。
「ひょっとして、あのクリスタルは彼のものではなかったのか?」と。
友人にそのことを話してみると、
「自分もそう思っていた。だけどそのクリスタルはあなたの物だし、、、」

彼がそのクリスタルを手にしたあの時、なぜそのクリスタルを手放し、
本当の持ち主である彼に渡すことができなかったのか?
たしかに私は一瞬迷った。しかし、だ。
もし、そのクリスタルが私自身で購入し、手元にやってきたものだったのなら
なんの躊躇いもなく彼に手渡すことができた。
しかしそれは数年ぶりに再会した友人から「再会の記念に」と贈られたものだったのだ。

今までに随分のクリスタルが私の元にやってきた。
そして私の元から離れていった。
みんな、「行くべき場所」へ巣立っていったのだ。

帰国後、私は手紙を添えて彼の元にそのクリスタルを送った。
しばらくしてイースターのチョコレートと共に返事がきた。
彼はそのクリスタルにTrinity(三位一体)と名づけたこと。
一緒に瞑想をしていること。

Trinity、かつての「第三の目」はネパールで私と出会い、
フィリピンで本当の持ち主を私に伝え
ヨーロッパの本当の持ち主の場所に、今は居る。
私自身、随分と旅をしてきたが、クリスタルも旅をする。
本当の持ち主の処へ。

持ち主の処へ旅するクリスタル

ある年のネパール滞在中の時のこと。
インドを旅している友人から
「自分のための、クリスタルを探してくれないか?」とメールがきた。
問題ない。今日からクリスタル探しを始めたところだ。
なんのために使いたいのか?どんな形のものが欲しいのか?
聞く必要はなかった。
メールを読んだ瞬間、すでに彼のためのクリスタルが映像として私の中に入ってきていた。
その形、大きさ、輝き、そして手にしたときの感触。
当たり前のことだが首都カトマンドゥにはクリスタルを扱うお店はたくさんある。
どんなものでも人のために探すのはなにかと迷うものだが、迷う必要はまったくない。
私の中に入ってきたイメージの「そのクリスタル」を見つけ出せばいいだけのこと。

しかし、私が滞在していた時期が悪すぎた。
2001年あたりからネパールは政治的問題で不安定な時代に入っていた。
前国王の射殺事件、そしてマオリスト(毛沢東主義者)の台頭。
3日に一度の割合でストライキが起こり街中の店は閉まる。
デモも頻繁に行われていた。

地方から首都に通じる幹線道路もマオリストの勢力下にあるため、
交通も断続的にマヒをしている。
数日おきに手当たり次第クリスタル屋を覗き、
「新しいクリスタルは入ってきたか?」と聞いてもよい返事は返ってこなかった。
「道が封鎖されていてクリスタルが山から下りてこないんだ」と店主達は口をそろえる。

困ったな。自分のためのクリスタルはすでにいくつも手に入れた。
しかし、友人のためのクリスタルだけがどうしても見つからない。
すでに一ヶ月が過ぎようとしていた。

日ごとに増す寒さ、街中に漂うなんとも張り詰めた緊張感。
そんな状況の中に一ヶ月もいると、やはり堪える。
そこで気分転換も兼ねて、ポカラという街へと脱出した。
マチャプチャレ(という山)が街のどこからでも眺めることができる。
居心地の良い宿を見つけ、日々ヨガと瞑想、散歩を楽しんだ。
毎朝ホテルの屋上で山々と向かい合いクリスタルと瞑想。
いい感じだ。
しかし、だ。あとどのくらいネパールへいるべきか?
友人のための石は見つけ出すことができるのか?今回は諦めるべきか?
ネパールの後、インドに戻るか?それともバンコク経由で日本帰国か、、、、
なかなか答えが出ずにいた。

10日も過ぎようとしていたある日の朝、
「今日の瞑想用のクリスタル」を選び、いつものように瞑想に入る。
その日選んだクリスタルを瞑想に使うのは初めてだった。
そのクリスタルのことを私は「双子の石」と名づけていた。

私の東京の部屋、祭壇に「私の中心の石」と名づけた一つのクリスタルがある。
もちろんネパール産だ。
その石は私の分身、私を映し出す鏡でもある。
(あつかましいが、大変美しいクリスタルである)
もしかしたら、こうありたい、という私の理想の存在かもしれない。

今回出会った「双子の石」は、「私の中心の石」の片割れだった。
陰と陽、月と太陽、、、上手く説明できないが、ペアーの石たち。
「双子の石」はネパール到着の翌日に出会った。
「私の中心の石」の片割れだ、日本に連れて帰ってあげよう、
そして、ふたり並べて祭壇に座らせてあげよう、数少ない帰国後の楽しみだった。

しかし、その日「双子の石」との瞑想中に受け取った言葉は意外なものだった。
「双子の石はあなたのものではない。あなたが探している友人のための石だ」
そんなはずはない。彼の石のビジョンはとっくに受け取っている。
似ても似つかないものだ。違う。
しかし、受け取ったその言葉は絶対的なものだった。

瞑想を終え、部屋に戻る間に既にこれから自分のすべきことは分かっていた。
ネパールを離れよう、今回の用事は済んだ。
しかし、どうやってこの石を旅先の友人に渡したらよいのだろう?
インドに戻るか、バンコクに戻るか?
その前にカトマンドゥに戻らなければならない。
カトマンドゥの常宿に戻ることを伝える必要があった。
インターネットカフェでメールを開くと、
一ヶ月以上音信不通になっていた「新たな石の持ち主」である友人からのメールがきていた。
これからバンコクに戻る、と。

一週間後、私はクリスタルを携え友人とバンコクで再会した。
彼にとってはそれが初めてのクリスタルだった。
少し石についてのレクチャーが必要かと思っていたが、
まったくその必要はなかった。
彼はあっという間にかつて私の「双子の石」とコミュニケーションを取りはじめた。
とても親密に、完璧に。

クリスタルはちゃんと自分の持ち主をわかっているのだ。

クリスタルとの出会い

初めて手にしたクリスタル」を覚えている、そんなクリスタル好きな人は多いと思います。
もちろん、私自身も覚えています。
1991年に出版された「クリスタル・ビギニング」という本。
どういういきさつかは忘れてしまったのですが、
今となっては思い出せない知人からプレゼントされ、
確か初版本にはブラジル産のシングルポイントのクリスタルが付属されていた、、、、
そのクリスタルが生まれて初めて手にしたクリスタルでした。
しかし、クリスタルを見ても美しいとも思わなかったし、なにも感じることもなかった。
もちろん、本の内容も「本当に、こんなことってあり?」という印象を受けただけ。
その当時私にとっては「まだ早すぎる」出会いだったのかもしれません。

私にとっての本当の「クリスタルとの出会い」についてお話したいと思います。

時は流れて6年後の1997年6月。
私はインド山岳地帯のある村にいた。
インドに向かう前の生活といえば、
自活し、働きながら夜間の美術学校に通う生活だった。
少々、その生活に疲れてきたころ、
昔から行きたかったインドに行こう、と思い立ち
仕事の契約更新をせず、休学をし、インド行きのチケットを手にいれた。
、、、、、早い話が現状の生活から逃げ出したかった。

インドに入国して10日。様々な出来事が起こった。
「出会うべき人」に出会い「行くべき場所」に行った。
まるで既に計画済みのプランをひたすら実行しているような不思議な流れの中にいた。
あんなに楽しかったはずの絵を描くことがいつの間にか苦痛になっていたことに気づいた。
日々それなりに充実していた生活が実はとても苦痛だったことに気づいた。
「以前の生活には戻りたくない」と思っている自分がいた。
逃げ出した挙句にすべてを捨ててしまいたくなった。
その一方で、そんなことは果たして可能か?周囲に相当な迷惑をかけるに違いない。
今すぐに帰国したほうがいい、まだ元の生活に戻るのに間に合う、、、、とも考えていた。
インドの山奥で悶々としていた。
どんなに日本から遠く離れても、結局「日本の生活」は悩みという形を取って
どこまでも私を追いかけてくる、逃げることなんてできないのだ。やれやれ。

そんなある日、頭がすっかり飽和状態になった私は
麓の河まで歩いて降りてみることにした。
ニジマスも釣れるほどの綺麗な河。気分転換にちょうどいいじゃなか、と。

雨期が例年に比べると遅かったその年、天気もいいし、
ぶらぶらするには絶好の日和だった。
山道を下っていると、前方から3人のチベット人の女の子達が登ってきた。
上は6歳、下は3歳くらいの女の子達。
とてもかわいかったので写真を撮らせて、と頼んでみた。
カメラを向けると、はにかんではいたけどとても嬉しそう。
その後、珍しそうにカメラをいじりまわす子供たち。もっと撮って、と言う。

突然一人の女の子が私にクリスタルを差し出した。
大人の小指ほどのクリスタル。
下の河で見つけてきたものだと言う。山から流れ着いてきたものだろう。

インドではよくあることだけれど、写真を撮ると「送ってね」とよく言われる。
タチが悪いのになると「写真撮ったんだからお金くれよ」になる。
この女の子はどちらでもなかった。
私にそのクリスタルをくれると言う。
よっぽど撮ってもらったことが嬉しかったようだ。
写真を撮って相手から何かをもらうなんて初めてだった。
なによりもその子の気持ちが嬉しかった。
とても大事なものを受け取ったような気がした。クリスタルに形を変えたなにかを。

その日から貰ったクリスタルを肌身離さず持ち歩いた。
夜になるとそのクリスタルを見つめながらその日一日の出来事を思い出す。
「大丈夫、最後には全て上手くいくから」
「なにも心配しなくてもいいのだから」
どこからともなく聞こえてくるその言葉に耳を傾け安堵し、毎晩深い眠りについた。
結局、その年に私は帰国をしなかった。
当初の予定をはるかに超える長い旅になった。

旅を始めて半年後、ある国に入国した時のこと。
ホテルにチェックインし、荷物をほどいていると
突然、「この旅は、ここで終わり」という言葉が聞こえた。
無意識にいつものポケットにしまってあるクリスタルに手をやろうとすると、
そこにあるはずのクリスタルがない。
いつも同じ服しか着ないので、そこにあるべきなのに、ない。
洗濯だって自分でする。失くすはずがない。
一緒に旅をしてきたクリスタルが姿を消した。
日本に戻ろう、旅は終わったのだ。