アクアマリン

 

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涼しげな色、アクアマリン。
aqua(水)  marine(海) と名前でもわかるように、美しい海の色。
東京育ちの私は幼いころより「きれいな海」を見たことがなく、
トルコを旅行中に初めて見た地中海の美しさに
宝石のアクアマリンと同じ色だ!!と、いたく感動したのを覚ええています。

◆写真左:ブラジル産の原石
少し緑かかった色をしていて、トップとボトムで色の濃さが違います。

◆写真中央:ネパール産原石
当店で販売しているアクアマリン。ネパールでは少量ではありますが、産出しています。

◆写真右:ブラジル産タンブル
含有物があって透明度はありませんが、この手のアクアマリンも好きです。
こうやって見ると、産地や鉱山・含有物の有無で同じアクアマリンでも表情が随分違うことがわかります。

実はブラジル産のアクアマリンの原石を入手したときに、
「こんなに濃いブルーのアクアマリンはないだろう!」と自負していたのですが、
数年後にネパール産アクアマリンに遭遇してしまい唖然。

ネパールでこのアクアマリンをじっと見つめて石読みをしていたとき、
”過去の経験から学ぶことは大切なことだが、囚われすぎてはいけない”
という言葉が浮かんできました。
この時期、私は旅していても「なんだか面白くないなぁ」と思い始めていた時期でした。
旅の経験を積めば積むほど面白みがなくなってきたのです。
確かに「見るものすべてが珍しい」という時期はとっくに過ぎていました。
けれどそれ以上に「このシチューエーションの後はこうなる」といったように
経験から物事の顛末を予測するようになっていました。
その予測が、悪いものだとしたら―――まだなにも始まっていないのに―――
はじめから避けて通るようになってしまったのですね。
そしてインターネットが普及した恩恵でなんでもインターネットで調べることができる、
すなわち旅先で「わからないことは人に聞く」というコミュニケーションを取ることも希薄になっていた時期でもありました。

経験に囚われすぎて恐れが蓄積されてきた私。
コミュニケーションを取ることを忘れていた私。
(ちなみにアクアマリンはクリスタルヒーリングでは喉のチャクラ・コミュニケーションを司るチャクラに適した石なのです。)

必要なときに必要な石が目の前に現れる
アクアマリンはそんなことを私にそっと教えてくれた石なのです。

バラナシの犬

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1月・2月は犬の出産ラッシュです。
もちろん野良犬かあさんだってがんばって子供たちを育てます。
誰かがボロ布で犬小屋を作ってくれました。

日本のペットのように犬を溺愛することはありませんが、
野良犬だからって保健所に通報する人もいません。
そこに存在するものを排除することなく受け入れ、共存しています。
そんなインドが私は好きです。

毎朝、白人の旅人がドックフードを持って犬たちに配り歩いていました。
わざわざ自分の国からドッグフードを持参したのでしょうか?
もちろん、この家族も毎朝美味しい朝食の恩恵を受けていました。

バター茶の思い出

チベットと言えば「バター茶」
ミルクティにバターが入っていて、塩味もあるよ、のバター茶。
チャイをこよなく愛する私ですがチャイ+バターはちょっと、、、な私。

なにを思ったか今日、バター茶を作ってみた。
突然思い出すバター茶の思い出、、、、、、、
その昔、インドのチベット圏の町で10日ほど入院してまして。
そこの病院では入院患者さんの食事は家族が食事を持ってきたり、共同炊事場で家族が作ったり。
お昼や夕方になると炊事場は大混雑で、カレーの香りがプーンと漂ってきます。
日中は暖かいお庭で患者さんはじめ、
家族や病院関係者やその他なんだかわからない地元民たちとひなたごっこ。
外国人の私が入院しているのが珍しいのか「なんで入院してるんだ?」「病名は?」などなど質問の嵐。
しまいには看護婦さんがひとりのチベット人のおじさんを私のところまで連れきて、
「この人、あんたと同じ下痢よ!!」と紹介までしてくれた。
ああ、地元の人間でも赤痢に罹るのね、ちょっと安心。
なんだか入院しているというより、インドの長屋に紛れ込んで生活しているような感じでした。

日本なら法定伝染病の赤痢。隔離されちゃう病気。
「ああ、雨季には多いんだよ、赤痢。子供は死んでしまうことが多いけどね、君は大人だから大丈夫。ノープロブレム。」と言ってくれたドクターは180センチを超えるであろうでっかいイギリス人。
子供は死んじゃうのですか?あなたに比べるとワタシ、コドモノタイケイナンデスケド。。。。。
ドクターが死なないって言っているんだからきっと死なない。
随分インド色に染まっているドクターだけど、死なないってさ!!

そんな病院の同部屋にチベット人のおじいちゃんが入院してました。
そのおじいちゃんのところには、
1日2回ほど若いチベット僧侶が食事をんできていて、ポットにはバター茶。

家族もいない、食事を世話してくれる人もいない入院中の異邦人(私のこと)を哀れに思ったのか、
毎回お世話係のチベット僧に「彼女にもお茶をあげなさい」と
言って、そのバター茶をくれるのです。
が、白目はまっ黄色・微熱・暴力的な吐き気と戦っている私にとってバター茶は天敵。
ヤクの乳で作るバターは独特の匂い。匂いが嗅ぐだけで降参。
その頃はまだ私もノーが言えない日本人でしたので、
涙が出るほど気持ちはありがたかったのですが、
涙が出るほど辛かった、、、、、
最後にはそのお坊さんが来る時間帯になると寝たふりしてしまう私。
失礼な私。だったらノーと言えばいいのに、人の好意にノーが言えない私。

ちなみに同部屋には陣痛の始まったインド人女性もいまして
とにかく辛そうにうなっている。
私も結構辛い病状だったけど、彼女も難産なのかとても辛そう。
夜中に泣き叫んでいる彼女の手を握り締めて
「大丈夫だからね、がんばってね!!」と日本語で語りかけていた私。

晴れて10日ぶりに退院した私。
一気に10キロほど痩せてしまい、しばらく移動は不可能。
帰国するにもデリーまで13時間もバスに揺られるほど体力のない私。
とにかく安静第一ということでしばらくその街に留まっていた。
留まっていてもなにもすることがなくて退屈。
散歩のついでに診察に行って病室を覗いたら、おじいさんは早速バター茶を振舞ってくれた。
陣痛で苦しんでいた女性の傍らにはかわいらしい男の子の赤ちゃんが!!
奥さんの陣痛中はオロオロしていた旦那さんはもうニコニコ。

そんな遠い昔を思い出しながらバター茶で一服。