2001年のクンブメーラ

2000年の冬、私はネパールにいた。
20世紀最後の年、ミレニアムがやって来る!と浮き足立っている中で
とってもさえない1年を過ごしていた私。
何ヶ月も続く体調不良、「人生の人事異動」の辞令が降りたごとく環境の変化。
その変化にすっかり付いていけなくなった私がそこにいた。
「秋には今の仕事、辞めようと思う」とポツリと言った私に友達は
「人生リセットだね。久々に旅に出ない?インド・ネパール」と道祖神のごとく私に囁いた。
悪魔の囁き?それとも道祖神?と思いながらも
2000年の冬、もう戻るまいと誓ったはずの旅人に逆戻りし、
美しいヒマラヤを眺めチャイを飲みながら
1週間の予定が2週間、気が付くとクリスマス・ハッピーニューイヤーと
次に行くはずのインドのことも「インドは1000年経っても逃げないし、、、、」
毎日が先延ばしの日々。

そんなある日、ホテルのロビーでテレビを見ていると
なんだかものすごい数のインド人が沐浴している映像が流れていた。
これ、なに?と一緒にテレビを見ていたホテルのインド人従業員に聞くと
「クンブメーラだよ、祭りが始まったんだ。ネパールの後にバラナシに行くんだよね?
祭りのあるアラハバードはバラナシから近いよ、行ってみるといい」
ふ~ん、お祭りか。行ってみたいな、、、、、
しかし私の「行ってみたいな」で、行ってみたためしがない。
タジ・マハールだってエローラの遺跡だってゴアだって「行ってみたい」けどまだ行ったことがない。
「タジ・マハールはテレビなんかでいっぱい見たし、、、」なんて自分自身に言い訳して。
「クンブメーラ、行ってみたいな」と思いつつ、恐らくタジ・マハールと同じく行かないだろうな、私。

年が明け、やっと重い腰を上げてインド・バラナシへと向かう。
母なるガンジス河と初めてのご対面。
「しばらく何処にも行かなくてもいいかも、、、」
そこそこ快適なゲストハウスとすっかりはまった美味しい南インド料理レストラン。
「快適な宿」と「美味しい食べ物」が存在する場所を離れるのは困難なこと。
そんなある日、とあるレストランで知り合った日本人旅行者たちに
「みんなでクンブメーラに行くんだけど、一緒に行かないか?」とのお誘いが。
クンブメーラ?そうそう、ネパールでテレビに映し出されたあのお祭りだ。
すっかり忘れていた!!誘ってもらったのも何かの縁。ちょっと行ってみるか、、、
と軽いノリで一緒に連れて行ってもらうことにした。

夜中にバスでバラナシを出発して約3時間。
訳のわからぬあぜ道で降ろされ、ここから会場まで歩くという。
既に道にはクンブメーラに向かう人で溢れている。道順なんて聞く必要なし。
1時間ほど歩き、会場である河川敷に到着。
河川敷と言っても日本のそれとは規模が違う。
遠く地平線でも見えてしまうのではないかと思えるその河川敷にも
人・人・人。到着したときはまだ夜明け前でそこらじゅうに人が寝ている。
さすがのインドも夜明け前は寒い。
ウシの糞(燃料)売りから糞を買い、焚き火を起こし夜明けを待つ。
夜明け前、もそもそと人々が起きだし火を起こし朝ごはんの準備が始まる。
そう、遠くから巡礼に訪れている、宿を取る余裕のない人々は家財道具と共にこの川原にやってきて
野宿をしているのである。チャパティを焼き始め、水(恐らく河の水)を汲んできてチャイを沸かす人々。
話掛けても英語は通じない。巡礼者はともかくポリスも英語が通じない。
本当にローカルなお祭りのようだ。

夜が明ける。

私もサンガン(ガンジス河とヤムナ河の合流地点)に向かう。
どこまで歩いても人波は途切れることはない。
正直言うと、ちょっと怖い。
これだけの人の中で自分が彷徨っていると、
このままどこまでも歩き続けて消えてしまうのではないか?という感覚に襲われる。
そしてこれだけの群集の目的はただ一つの沐浴。
それに向けられているエネルギーの強さがちょっと怖い。
サンガンまでたどり着く間に私の心の中で、
大きなガラスの塊が粉々に砕けてそれが四方八方に無限に飛び散るビジョンが付きまとう。
どのくらい歩いただろうか?やっとサンガンにたどり着く。
が、すでにイモ洗い状態。
気をつけないといけないのが、毎回このお祭りで何十人、時には3桁の人が圧死してしまうのである。
ひとりが蹴躓いて雪崩式に、、、、というパターン。
まだインドで死ぬわけにはいかないので水辺の近くで持参したクリスタルを沐浴させ、
河の水を容器に詰め頭にチョロッと水を掛けて沐浴終了。
とても物思いにふけって精神統一している余裕はない。
元々列を作って順番を待つ、というのが苦手な国民性のこの国。
河に入っていってもどんどん後ろから押される。危険きわまりないのである。

帰りの時間まではまだ余裕がある。
ひたすら広大な中州の中を彷徨い歩く。
どこを見回しても外国人の姿は見えない。
誰も私に話しかけてくる人はいない——インドではとても珍しいこと———–
恐らく、英語を話せる人がいないということなのだろう。
途中、サドゥ(ヒンドゥの行者)のパレードに遭遇する。
オレンジの袈裟を身にまとったサドゥもいるが、全身灰を塗りつけたふんどし姿のサドゥ、
そして一切布を身にまとっていない全裸のサドゥも。
陰部もオープンにしてしまえば”陰”部ではない、、、ってことだろうか。
最初はちょっと目のやり場に困ったが、だんだんとそれがとっても自然な姿に思えてしまうから不思議だ。

あまり遅くなると帰りが大変なので、ということで午後早く、会場を後にする。
最後に大きな鉄橋の上にのぼり会場を見渡してみることにする。
どこまでも続く河川敷。その河川敷はすべて人で埋め尽くされている。
一生分のインド人に出会った、、、と思った。
「狂ってるよな、、、、」傍らにいた友人が言う。
決してきれいな水とはいえないこの河に、沐浴をするためにこれけの人が集まってくる。
群集を整備しようとしているポリスは「ここを通るんじゃない!」と怒鳴りながら
棍棒でガンガンと人を殴っている。
そこらじゅうで人が野宿をしているし、橋のたもとに行くと排出物の山。
人ごみの中で押されてつまずいて、脱げてしまったサンダルが積み重なって山になっている。
そして裸体のサドゥ。。。。。こんな環境に身を置くために遠くからやってくるのか?
沐浴するために?
確かに狂っているかもしれない。
でもはるばる極東の地から大枚はたいて飛行機に乗ってやってくる異教徒の私達のほうがよっぽど狂ってるかもしれない。

寒さと疲れ、熱狂的な祭りのパワーに負けて、疲労がピークに達する。
バススタンドでバラナシ行きのバスを待っている間、
早く自分のベットに潜り込んで静かな環境の中で眠りたい、、、と思う。
が、バスはやってこない。
「ここ・バラナシ・バス・待つ・O.K?」と周りのインド人に聞いても
「そうだ、ここだ」という割りには2時間経ってもバスは来ない。
インド人の「YES」はたまに信用できないことがある。
なんだか「バスは来るであろう、あなたたちが望むのなら」という感じのYESだ。
すっかり日が暮れ、夜がやってくる。
外にバスがきているぞ、と近くのインド人が教えてくれる。
道に出てみると確かにバラナシ行きのバスだが、既に超満員。定数オーバーの人員が乗り込んでいる。
「ひょっとして、今晩はここで野宿か?」と腹を括ったとき、
ひとりのババに声を掛けられる。
自分もこれからバラナシに帰りたいのだが、みんなで車をチャーターしないか?とのこと。
私達7人とバラナシに帰りそびれたヨーロッパ人2人・ババとその奥さんで車をチャーターする。
バススタンドで待つこと4時間以上。やっとバラナシに戻れる!!
出発!!と同時に車内でババがウィルカム・ガンジャをまわし始める。
ガンガンまわし始める。陽気なババだ。

真夜中のバラナシに無事生還。
ごちゃごちゃ騒がしい街だと思っていたが、
祭りから戻った身には天国のように穏やかな場所に思える。
やっと安全な場所に戻ってこれた、、、、、
部屋に着くなり、倒れこむように眠りに付く。
「祭りのあと」に続く

投稿者:

tigressyogi

1969年冬・東京に生まれる 世界放浪中にクリスタルの美しさに心を奪われ クリスタルショップ Tigress Yogi を立ち上げる 筋金入りの偏頭痛持ちだか、日本を離れるとなぜか頭痛は消える 米国クリスタルアカデミーIntermediateコース終了 出没地:インド、ネパールその他山岳地帯

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