山での出来事~ダージリン・シッキム 2~

「チケット売り場はあっち。一緒に行ってあげるよ。」
旅先で知り合う旅人同士は国籍を超えて助け合あうこともしばしば。
「ついでに隣同士の席にしてもらおうよ、話しながらダージリンまでいけるしさ。」
う~ん、英語がいまいちな私。久々に使うさび付いた私の英語で大丈夫だろうか?
でも、この人、大変オープン・ハートな波動を持っている人。
私の英語でも許してもらえそうな感じだ。
「日本人なの?先月まで日本で禅の修行をしていたんだ。ほら、この帽子はシンジュクのタカシマヤで買ったやつ」
ヨーロッパ出身のこのヤクさん。ここ数年インドをベースとしてずーっと旅を続けている。
インドでヨガを習い、タイのお寺で修行し、そして日本へ。
ああ、若かりしころ、私もそんな旅をしていたな。
どうやら大変スピリチュアルな人のようである。真っ直ぐ人の眼を見て話す。
この人の眼、どこかで見たことのあるような気がする。
でも絶対に初対面のはず。誰か友達に似ているのかな?思い出せなくてちょっとイライラする私。

数時間してやっとダージリンに到着する。長い一日だった、、、、、、
既に日も暮れていることだし、今日は適当な部屋をシェアして明日からそれぞれの宿を見つけることにしよう、と話がまとまる。
それにしてもダージリン!!素敵な街だ。
山肌に張り付くように家々が建ち、坂道の多いこの街。
朝になればカンチェンジュンガ(ネパール・インド国境にある山)も見渡せるよ、と宿の人は言う。
そして、なによりも楽しみにしていたチベット料理も満喫できる。
ああ、今私は山の中にいる!!幸せな気分で眠りにつく。

翌朝早く、丘の上にビューポイントをあると聞いて登ってみる。
カンチェンジュンガと初対面。美しいクリスタルとアクアマリンを産出するこの山。
クリスタル好きの私にとって「聖なる山」である。
さぁ、今日はもう少し安い宿を探して落ち着かないと、、、、と思いながら
丘を下っていると、古ぼけた大きな建物が見えてきた。どうやら宿らしい。
ちょっと部屋を見てみることにする。
お客がまったくと言っていいほどいないこの宿。
ドミトリーでたったの40ルピー(110円)暖炉つき。
宿代の高いダージリンとしては破格な値段。
ドミトリーと言ってもお客はちっともいないのでこの広いドミトリーを占領できる。それも暖炉つき。
ヤクさんと「この宿に移ろう!!」と即決。
けどヤクさん、私と同室でいいの?プライベートな部屋が欲しくない?大丈夫?と聞いてみると。
「普段は人と部屋をシェアすることはないけど、まぁ、大丈夫。ひとりになりたくなったらそう言うから」
人の気持ちを察しあうことなく自分の言いたいことはハッキリと言う。
この「察しあい」をしなくていいというのが西洋人と付き合っていて楽なところ。
「でも自分は毎日瞑想をする。その邪魔さえしなければ問題ないよ」そう言ってもらえるとこっちは本当に楽。

早速新たな宿に移り、街に出て食料を買い込みダージリンティを入手して昨晩に続き
美味しいチベット料理を食べる。
日も暮れて寒くなると手に入れた蒔きを暖炉にくべる。
薪のパチパチ跳ね音だけのする山の中の宿。穏やかな静寂。
こんな時を過ごしたくて私はインドにまた戻ってくたのだな、、、、
横ではヤクさんが蓮華座を組んで瞑想している。
違う次元に入り込んでいる同室者なので今、現実の世界にいるのは私ひとり。
「ちょっとここで横になってごらん」と現実の世界に戻ってきたヤクさんが私の頭に両手を置く。
なんだかヒーリングを受けているようだな、、、、
そして昔見た「白い手」の夢を思い出す。
真っ暗な空間の中でひとりたたずむ私の頭上に下りてきた。大きな真っ白に輝く神々しい手。
どうしてもその手に摑まりたくてもがくけど、その手に触れることができない。
暗黒の世界から引っ張り出してくれそうなその手。でも結局その手には触れることもできなかった。
、、、、なんだか現実の世界であの白い手が戻ってきてくれたんだな、この山の中で。

しばらくすると数年前に死んだ父のことを思い出す。
現実社会にうまく適応できなくてお酒に逃げてしまった父。
決して「良き父」ではなかった。
それでも彼が死んだとき、私にとってはこの世で唯一の父親であり肉親だったので悲しかった。
少しばかりの涙も出た。でもどこかで死んでくれてホッとしている自分もいた。
彼の死後、ほとんど思い出すことは無かったのに今、私の心の中に父がいる。
そして、やっとわかった。
彼は現実社会で生き抜くことが下手な魂の持ち主であったこと。
生活の糧を得る父として、夫としての役割に耐えられなくなり階段を踏み外すごとくお酒に溺れていったこと。
私がフラフラと旅をしてる時期、賛成もしなけば反対もしなかった。
ただ一言「俺が今の時代に生まれていたなら、きっと同じようなことしてただろうな」
要するに私と父はとても似たもの同士だった。現実社会不適合なところも含めて。
父がとても愛おしく思えてきた。
そんな感情を持ったのは生まれて初めてのことだった。
そして生前もっと父を助けることが、本当はできたのではないか?と思った。
きっとできたはず。でも私は手を差し伸べなかった。
魂が抜け落ちていくその過程を冷ややかな気持ちでただ傍観していただけだった。

歳を重ねたせいか「自分のために泣く」といったことができなくなっていた私だったけど
この時はさすがに涙を止めることができなかった。
知らない人の前で泣くなんてちょっとはずかしかったし
大体、人前で泣くなんて「若さの特権」だと思っていた。
喉と胸が締め付けられるような痛みとともに涙が溢れ出した。
半べそをかきながら、ヤクさんにさっきまで自分の中に起こったことをぼそぼそと話す。
ただ慈悲深いまなざしで、私の下手な英語をうん、うんと言いながら聞いてくれた。
こうやって人の話をただ聞いてくれる人って、とってもありがたいな、と思った。

<続く>

投稿者:

tigressyogi

1969年冬・東京に生まれる 世界放浪中にクリスタルの美しさに心を奪われ クリスタルショップ Tigress Yogi を立ち上げる 筋金入りの偏頭痛持ちだか、日本を離れるとなぜか頭痛は消える 米国クリスタルアカデミーIntermediateコース終了 出没地:インド、ネパールその他山岳地帯

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