遠い昔のインドの旅の途中で知り合った、ある人。
移動中のバスの中、眠りに着く前、いつもいつもある一冊の本を読んでいた。
世界中を周り、様々な宗教に触れ、自分の内面を旅して学んできたこの人。
大地と、宇宙と、しっかり繋がっているこの人。
「なんでまだ本を読むの?もう、知識はいっぱい詰め込んでいるし、
自分の中に深く入って行くこともできている。もう、本なんて読む必要がないんじゃないかな?」
それとなく聞いてみる。
「そう、何度も何度もこの本を、暗記するくらいに読んだよ。
だから、新しい知識が欲しくて読んでいるわけではないんだ。わかるかな?
この作品を読んで、この作者のエナジー、思想というエナジーと繋がるために読み返しているんだ。」
それは美しい小説を何度読んでも感動する、っていうのと同じかな?
「う~ん、似ているけど、ちょっと違うかな。」
本の登場人物になりきってしまうこと?
「例えば、敬虔なクリスチャンはいつも聖書を読んでいるよね。
聖書を通して神と繋がるために、”繋がるから”読んでいるんだ。わかる?
ムスリムにとってのコーランだってそうだよね?人にはそれぞれ何かに繋がることができる”聖なる書”があるんじゃないかな。」
、、、、ごめんなさい、ますますわかりません、、、、、、
随分昔に交わした会話。
今、やっとその人が言っていたことが、わかる。
いくつかの本を読んでいると、、、、本の中で本人が直接私に語りかけてくれているような気配を感じる。
ある瞬間、背後にすっと、なにかの気配を感じる。
飛び出す絵本のように、本を開いて読んでいるとその出来事のエナジーが私に向かってくるような感覚。
それは励ましだったり、戒めであったりするのだけれど。
本は知識を得るだけのものではない。
しっかりと、作者の言わんとしている思いに繋がり
自分自身の中で再認識すること。
そんな読書のしかたを発見すると、やっぱり書物ってすごいな、
文字が読めるって便利なことだな。
持ち運んで、好きなときにそのエナジーと繋がることのできる魔法のツール。
新しい本の読み方を学んだ私でした。