犬のいない生活2009/11/27 17:52:27

我が家の老犬がこの世を去り、(当たり前だけど)犬のいない生活が始まりました。

14年前、うろうろ世界を旅して1年後に帰国したら、
実家にぬいぐるみのような仔犬が家族に愛想を振りまき私より立派な「家族の一員」になっていた。

数年前から痴呆が始まり徐々に、徐々に進行していった。
いつまでたっても子供っぽいしぐさが抜けない、5キロも満たない小型犬。
それが「痴呆症」だなんて、理屈ではわかっていても「納得」できなかった。

とにかく私の母がひとり息子を育てるかのように可愛がり、愛情を掛けていたタロウ。

昨年末、母が病に倒れ、余命宣告されたとき母は言った言葉は
「タロウより、私が先に逝っちゃうわけ?」だった。

母がこの世を去り、今度は老犬の介護が始まった。
本当に、、、、誰もが、そして母本人も、タロウを看取るのは母だと思っていたのに、
タロウの介護と看取りは、私に引き継がれた。

人間の介護と同様に犬の介護も大変な仕事。
この先、何年この生活が続くのだろうか?時が経つにつれて外出さえもままならなくなってきた。

体調のいいときはお散歩に出て介護用のハーネスを付けてヨタヨタと歩いていたタロウ。

亡くなる一週間ほど前からは、お散歩に出ても必ず一軒の家のドアの前で
しゃがみ込んで動かない。まっすぐドアに顔を向けて、人が出てくるのを待っている。
仔犬のころから、ずっと可愛がってくれてたご近所さんのドアの前に。
今から思うと、タロウ本人もわかっていたのかな。
最後の挨拶をしていたのかもしれない。

わかりきったことだけど、介護生活はいつかは終わる。
この先、何年も続くことではないことも、徐々に衰弱していくその身体をみていて、わかっていたはず。

それでも、「そのとき」がやってきた時は、頭が真っ白になった。
数日間の記憶がいまいち、思い出せない。
頭にくるほど臭かった(そして、卑怯な)「すかしっぺ」のにおいさえも今となっては愛おしい。
手間隙掛かった食事や投薬さえも「もうすることはない」と思うと寂しい。
「明日から、私はなにをしたらいいのだろう??」
老犬に対してなにもすることがなくなってしまって、腑抜けな私。

すべてが終わってしまってからわかる、愛情を掛けることのできる、命が傍らにいてくれたことの有難さ。

ひとつの時代が終わってしまったのだな、、、と感じる今日この頃。

次に、動物と生活をするのはいつになるのだろう?
しっかりと地に足を着け、本当の意味での我が家、「帰る場所」を手に入れたときかな。
、、、、と、言いつつ、来年1月から数ヶ月ほどインド・ネパールに向かいます。
もちろん、ステキなクリスタルたちとの出会いを楽しみにしているのですが、
個人的な「新しい時代」に突入した今、どうしても行きたかった聖地巡礼に
1ヶ月ほど時間を頂こうかと思っています。

投稿者:

tigressyogi

1969年冬・東京に生まれる 世界放浪中にクリスタルの美しさに心を奪われ クリスタルショップ Tigress Yogi を立ち上げる 筋金入りの偏頭痛持ちだか、日本を離れるとなぜか頭痛は消える 米国クリスタルアカデミーIntermediateコース終了 出没地:インド、ネパールその他山岳地帯

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