5年前のこと

もう、5年も経ってしまったのか、という気持ちと
まだ、5年しか経っていないのか、という気持ちが混在する3月11日。

あれから何が変わって、何が変わらなく、どっちに向かっているのか?
(それは、自分自身のことも含めて)ふと考える。

戦争以外で、あれだけの多くの命が瞬時に奪われることなんて、あるのだろうか?
自然の脅威、、、なのだけど、あの日はその脅威と共に原発という脅威にも襲われた。
刻一刻と変化していく状況。それも決して状況は良い方向には向かわない。
私の生まれ育った母国は、どうなってしまうのだろう?
次の瞬間にも、本当にどうなってしまうのだろう?
人生において、初めて、そんなことを考えた。

数週間が過ぎて、私は、自分の立ち位置がわからなくなった。
「死ぬその瞬間まで、生きていかなければならない」
それは、わかる。
仕事もして、石を売って、アクセサリーを作って、日々生活していく。
それも、わかる。

でも、私は、「今、何処にいるのだろう??」
今生においての、自分の立ち位置が、本当にわからなくなった。

後々、周囲の人と話をすると、「自分の立ち位置」がわからなくなった、と
言った人が、結構な数、いた。
その過程で、生活を、生活環境を変えた人も、たくさんいた。

混乱していた、、、と言い切ってしまうには、何かが足りない。
もっと、私の根底にある何かが、揺らいだ。大地が揺れたように。

半年以上が過ぎたころ、ふと「友達に会いたい」と痛切に感じた。
「友達という名の、ただの知り合い」でなく、友達。
それも、この悲しみや脅威に遭遇していない、
日本という国に直接関係のない、友達。
痛みの共有ではなく、第三者的に、この惨事を知っている「外側の友達」と会って話がしたくなった。

「インドに行く」そのことも、考えた。
多分、あの大地は私を大いに癒してくれ、前進するためのヒントを与えてくれるだろう。
(今までの人生で、実際この国には随分救われてきた)
さりげなく、インド行きのチケットを探しているときに、
秋のドイツで、ミネラルショーが開かれ、かつての旅友達がミュンヘンにやってくると言う。
一度、海外の展示会にも行ってみたい、と思っていた私。
そして、夏ごろにヨーロッパの友人と郵送やメールでやり取りをしていたのに、
その一連のやり取りががどうもすれ違いなどでうまくいかなくなっていて、
それだったら、直接会って用事を済ますほうが早い。

「ドイツに行こう」

地震のない、もちろん余震のない、ドイツへ。そして、友達に会おう。

結果的にドイツ滞在中、私は周囲の人々に、そしてヨーロッパ特有の持つ落ち着きに
随分癒された。そしてなかなかきつい説教も受け、泣き、自分を見つめた。
インド以外の国で、そんなことが起こるなんて、意外だった。

「ドイツに行こう」そう思った私は、「正解」だった。
私が、人生の節目に立ったとき、私が死ぬ夢を必ず見る人がいる。
とてもリアルに私が死ぬ夢。死臭まで臭ってくる夢。
もちろん、夢を見ている本人は私がそんな節目に立っていることは、毎回、知らない。
数日続けて私が死ぬ夢を見るので、私本人に、毎回、報告してくれる。
案の定、ドイツから帰国した後、その友達から
いつもの「私が死んだ夢を見た」報告を受ける。
そう、やっぱりね。ドイツで、再生した、私。

生きていればこそ、そんな再生を繰り返すことができる。
あの日、一瞬にして、自分でもわからないうちになくなってしまった人々には、
それができない。
私は、死ぬその瞬間まで、生きていく。
5年前のあの日から、その言葉が私の中で深く刻まれた。

あれから5年。
住む場所を変え、人間関係が変化し、そしてなぜか偏頭痛がなくなった。
心休まる場所を、日本で見つけた。
振り返ってみると、大きな変化だったと思う。

あれから5年。
改めて、死ぬその瞬間まで生きていこうと、心に誓う。
失われた人々のためにも。
癒されぬ痛みを抱えながらも生きていく人のためにも。

魂の救済を
Om Namah Shivaya
◆以下、2011年ドイツの旅記事
旅の始まり・成田空港
ミュンヘン 1 到着
ミュンヘン 2 石の祭典
ミュンヘン 3 旧友との再会
ミュンヘン 4 石の祭典と石友達
ミュンヘン 5 道に迷う。まっすぐ進め
ミュンヘン 6 現地で美味しかったもの
ミュンヘン 7 あれこれ
ミュンヘン 8 アンマのダルシャン、そしてベルリンへ
ベルリン 1  ベルリン天使の詩
ベルリン 2 街を歩く

旅の始まり・成田空港

2011/11/05 17:30:09

厳しかった夏の、夏バテ。

そして秋の台風と雨による爆発的偏頭痛。

体調が回復しないまま、ドイツ行き。

大丈夫か?自分。今までで一番不安な旅の始まり。

12時間のフライトなので、絶対に通路側の席を確保したい私は、

きっかり2時間前にチェックイン。

こんなに早く空港についたこと、なかったので、暇を持てあましどうしても足は喫煙室へ。

「ああ、12時間ニコチン抜きか、、、」プハーッと一服していたら

煙る部屋には、私と白人のおじさんふたりきり。それも仲良く隣。

眼が合ってしまったので、なんか話しかけないと場が持たないなってことで、

「これからお国に帰るんですか?」と、どーでもいい話を振ってみる。

広島に仕事と観光を兼ねて1週間。これからミュンヘンに帰るドイツ人。

あらあら、同じフライトですね。
「原爆ドームに行ってきたよ。世界的に有名だからね。」

うん、私も行ったことがある。修学旅行で。

「ああ、まったく酷いものだよ。ヒロシマ滞在中、毎日通ったよ、原爆ドーム。

日本とドイツは先の戦争で一緒に戦ったよね。

もしかしたら、僕達の身に同じことが起こったかもしれないんだ。

ほら、ドイツは○×◆がいたからね」

この○×◆が聞き取れない。多分、今思えばdictator(独裁者)と言ったのだと思う。

何度か聞き返して、おじさんはためらいがちに、「ヒットラー」と言った。

そうか、名前さえも口に出すことをためらうものなのか。
「本当に、僕達の身に起きてもおかしくないことだったんだ」

会話中、何度も何度も心の底からこのセリフを言う。

多分、白人の国には投下しなかったと思うよ。

ドイツ周辺には陸続きで米国の同盟国があるし、

どんな影響が長期間あるかわからないような、とんでもない爆弾、

ドイツに落とすわけがない。たとえあと1年、戦争が長引いても。

アジア・島国日本、、、、だから落としたんだよ。モルモット。

、、、、そんなこと、おじさんに言ってもちっとも慰めにならない。

彼は、本当に自分の身に置き換えて、あのドームを見てきたんだ。

その気持ちが痛いほど伝わってくる。
突然、ある老婦人のことを思い出す。

23,4歳のころ、仕事で知り合った一人暮らしの老婦人。

彼女は私に広島での原爆体験を、ある日突然語り始めた。

亡くなったご主人にも、子供たちにも、自分が被爆者であることを知らせていないそうだ。

私にとって、初めて経験者から聞く戦争話だった。

家族に聞いたことがなかったのか?と思う人もいるかもしれない。

両親は終戦時小学校1年生。両祖父は年齢制限のためか徴兵を免れている。

父方は、当時本家の横浜にはおらず、疎開していたため、東京大空襲を経験していない。

とにかく、食べ物がなくて辛かったこと。お米がなくてサツマイモばかり食べていたこと。

そして母がサツマイモの煮物を食卓に出すと、

「そんなもの、見たくない!」とよく怒っていた。

母方は群馬の山奥の農家だったので、戦争と言われても、よくわからなかったらしい。

ただ、疎開者に比べればまだまだ食料事情はよかったらしい。

東京大空襲のときは、夜になっても数日間、東の空が明るかったそうだ。
23,4歳ばかりの小娘にとって、老婦人が語る体験は衝撃的だった。

このとき初めて「ホワイト・アウト」というものを経験した。

頭が本当に真っ白になっちゃうのである。悲惨だな、、、、とか思う前に

突然頭が真っ白になって、なにがなんだかわからなくなっちゃうのである。

今だったら、多分、「大変でしたね、、、」とか会話の途中で言葉を

かけることができるのかもしれない。一緒になって泣けるかもしれない。

でも、当時の私は恐らく相槌さえも打っていなかったと思う。ホワイトアウト。

老婦人が淡々と感情抜きにして語るその言葉は、本当にリアルだった。
数ヵ月後、老婦人は亡くなった。

「最後に、誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない」当時はそう考えていた。
このドイツ人との会話中、忘れていた老婦人のことを思い出し、

そして彼女は私に―――ーこれからの世界を生きる若者に、人生の最後に

肉親にさえも語れなかった「大事なこと」を託したんだ、と言うことに気づく。

なぜ、彼女は私を選んだんだろう。

それを思うと突然胸を締め付けられるように痛む。泣けてきそうだ。

「ノー・モア・ヒロシマ」

「ya,thats right(その通り)」

そして、ノー・モア・フクシマ、だ。

「たくさんの学生さんたちが見学していたよ。

でも、あれは日本人だけでなく世界中の人が訪れるべき場所だ」

私は泣けてきそうなほど、あの老婦人を思い出し、

ドイツ人おじさんは、自分たちの身に起こったかもしれないこととして

広島滞在を振り返る。
成田空港・喫煙室。

なんでこんなところで、知らない人と心震わせているんだ????

旅は、既に始まっている。

ミュンヘン 1 到着

2011/11/08 00:13:24

今回の仕入れの旅、体調不良もあってか直前になってもテンション上がらず。
ビールとソーセージと黒パンの国でベジタリアンは何を食べればいいのだ?
そしてヨーロッパなもんで、今回初めて宿を日本から予約した。
旅友達が、「多分、ミュンヘン中心地で一番安い宿だよ。
ま、普通の人にはあまり勧めないけど、インド体験者ならまったく問題なし」と、
勧めてくれたホテル。
予約してクレジット払いしたのはいいけどそのホテルは何処の書き込みを見ても
「ヨーロッパ旅行で最悪の宿」
「隣はセックスショップ。環境が悪い」、、、散々な書き込みだった。

出発直前、旅友に会って旅テンションをあげてもらおうと思ったのだけど、
ヨーロッパにあまり興味のない旅友は、

「ま、インド人の石屋だっていっぱい出展しているはずだし、
きっとその人たちが助けてくれるよ、ヨーロッパでインドコネクション」

う~ん、やっぱりイマイチテンション上がらず。

12時間のフライトの後、ミュンヘン到着。
秋の終りの、澄んだ空気が気持ちいい。
時間は夜の8時前だけど、時差があるので、日本時間では夜中の12時過ぎ。
結構な疲労感で取り合えず外のベンチで一服して
さて、中央駅までどうやって行くのかな?とバックからガイドブックを取り出そうとしたら。

ガイドブック、忘れてきちゃったことに気づく。

「一度、来たことのある街だから」
「一度しか来たことのない街だから」

さぁ、どっちを選ぶ?自分。

子供じゃないんだから、大丈夫。自分。まだ時間は夜8時だ。
ホテルの場所は大体把握してある。

取り合えず駅のホームに行って、券売機で切符を買うことに。
タッチパネルで駅名を入力すれば、切符が買えるようだ。
行き先は、ミュンヘン中央駅(セントラル・ステーション)。
一生懸命 c/e/n/t/r/a/l、、と入力しても、「該当なし」と出てしまう。
何度目かのトライで、やっと気づく。centralは英語だ。ここはドイツ。
ドイツ語でセントラルステーションって何て言うんだ??嗚呼、ガイドブック。

「may I help you ?」

振り向くと、

あ、インド人。

ミュンヘン中央駅まで行きたいと伝えると、親切丁寧にタッチパネルを操作してくれる。

「はい、ここにお金を入れて。はい、チケットが出てきたら、隣の機械でパンチングして。
おっと、お釣りが出てくるからね、忘れずに取って。
この電車だから、40分くらいで到着だよ。」

インドの駅だったらmay I help you ?なんていわれても
「いいえ、全然困っていません」って言うところだけど、
ここはヨーロッパ。本当に素敵。

ヨーロッパでインドコネクション。友達の予言は初めの一歩で的中。
悪評しか聞こえなかった、ミュンヘンのホテル。
これから約1週間、ここが私の基地

7階の最上階。ベランダ付き。朝食込みで44ユーロ。
フロントの人たちもとてもフレンドリー。
大通りの裏側の部屋なので、とっても静か。(うるさくても何処ででも眠れるのだが)
小躍りしてしまいそうなくらい、申し分なしだ。
確かにソファーは染みだらけだったけど、ケツの穴から病気が感染するわけではないし。

ちなみにこのホテルの隣は本当にセックスショップだった。
私はいつもホテルに戻ってくると、このセックスショップのドアを開いちゃう。
バスタブはなし。シャワーだけ。
ヨーロッパのホテルや一般家庭って、この透明のシャワーボックスが多い。
私は落ち着かない。

10年ほど前、上司だった建築士が自宅を新築したのだが、
シャワーブースが、こんな風な、透明だった。
「なんか、ラブホテルみたいですよね」と大変失礼なことを申し上げた。
今考えれば「ヨーロピアンな」シャワーブースだった訳だ。
ベランダからの風景。

これでも朝7時。ヨーロッパの冬の朝は遅い。
一般家庭の生活が垣間見れる。ヒッチコックの「裏窓」のようなシチュエーション。
確かに、通りにはストリップ劇場やセックスショップがいくつもある。
でもひな壇があるわけでも、お姉さんが呼び込みしているわけでもない。
私はてっきり、川崎・堀の内を想像していた。
真夜中に歩いても、まったく危険は感じなかった。
どうやら一種のアラブ人街、、、のよう。アラブ系の人がいっぱい。
水タバコの置いてあるカフェもある。

ドイツ人の友達は、「なんでそんな場所に宿泊しているの?」と言っていた。
外国人は平気で近寄るけど、地元の人間は足を踏み入れない場所って、
世界各国どこにでもある訳よ。

 

ミュンヘン 2 石の祭典

2011/11/08 18:34:22

一度は現地仕入れではなく、ミネラルショーに仕入れに行ってみたいな、
と、思っていた私。

石好きの人はご存知かもしれないけど、
ツーストン・デンバー・ミュンヘン・フランスこれが世界的に大きなミネラルショー。
一番大きいのがツーストンのショーなのだけど
車が運転できない私。(交通の便悪し)
今生では、アメリカ大陸、行かなくていいかも、、、、のココロもありアメリカは却下。

で、ミュンヘン。

ミュンヘン中心地から電車で30分で会場に到着できるし
この街はドイツの中でも治安のよろしい街だそうで。

ショーでの仕入れをしたことがない私は
インド仕入れ・ショー仕入れの両方を知っている知人に話しを聞いて
「たくさんの種類の石が見られるから行ってみたほうがいいよ」とアドバスを頂き、
うん、やっぱり一度は行ってみよう!と決行。
想像以上に大きな会場。
パブリック・デイは2日間で、その前日は業者の日(入場料がちと高い)。
3日間では短すぎるな、、、と感じた。
私も朝から夕方まで、会場で石三昧だったけど、
多分、全部のホールは回れなかったのではないか?と思う。
犬の入場オッケー
「特別なブース」にはハイクオリティーな鉱物のお店。
それは、ハイクオリティーを超えて博物館級の鉱物たち。
ヨーロッパ貴族のリビングに鎮座してそうな石たち。
パキスタンのアクアマリン。
なぜか値段がついてなかったので、客寄せ石だったのかも。

さて、この日を境に、脳内分泌物が放出されてしまい
一日数時間しか眠れない。ご飯もほとんど食べれない。そして発熱。
体には大変よろしくないのだが、気分は最高潮。
アドレナリンの作用って凄い。

、、、、ヤク中って、こんな感じか???
会場内にはちょっとした食事もできて、
お決まりのようにビール、みんなして飲んでいる。午前中から。
出展者さえも、自分のブースにビール持ち込んで飲みながら商売。

ドイツにおいてビールはアルコールのうちに入らない。

2度目のドイツで心底それを理解した。まさしく文化の違いだ。
仕入れたものの一部がこれ

形のきれいなウルグアイ産アメジスト。
大きいのもは瞑想用にぴったり。
小さいのはサードアイに置ける大きさをチョイス。
試しに私もサードアイに置いたり、手に取って瞑想してみたのだけれど、
原石の形通りに、放射状にエネルギーが拡散されて、気持ちいい。
新たなゲートを開いてくれるような、そんな石。
ルースもたくさん仕入れて、現在製作中です。
◆ いつか行ってみたい人のための、情報 ◆

ほぼ全ての店でクレジットカードは使えない。ユーロキャッシュのみ。
会場内にはATM機があるけれど、長蛇の列です。
「レシートを下さい」と言うと、インボイスを発行してくれるのだけど、
インボイス発行になると、私達ユーロ圏外の人間は、
19%のVATタックスが掛かることを忘れずに。

チケットは当日会場でも購入可。
時前にHPにて購入も出来る。
業者の日はちと入場料高し。
1デイチケット・イブニングチケット(少し安い)・2デイズチケットもある。

交通の便がよく、中央駅から乗り換えなし。終点の駅です。

ミュンヘン3 ・旧友との再会

2011/11/09 01:11:08

かれこれ10年ほど前、バングラディッシュのホテルで出会ったアンジェラ。
その後、インドで再会、日本でも再会。
いい意味でも悪い意味でも旅のアレコレを教えてくれた(そしてふたりして実践した)
私にとっては「旅の師匠」のような存在。
5年ほど日本に住んでいたはずなのに、日本語が壊滅的に話せない。

「読むのはできるんだけどね、会話はちょっと、、、、」

それって違うんじゃないか?話せても読めないってのが、普通だぞ。

スーパーハイテンションで、マシンガントークな彼女。
第六感を通り越して、この人、千力眼持ってんじゃない??なんだけど
本人曰く「なに?それ??ふん。持ってないわよ、そんなもの」と
至ってそれについては無関心。

若かりし頃は随分ぶっ飛んでいたけど、今では2児の母。
この子供たちが大きくなったら
「あんた達のママはね、若い頃○×◆△で、、、、、」と
昔の悪行(私も随分迷惑被った・でも楽しかった)を暴露してやろう、、、
と密かにたくらんでいる、私。

親類以外でわたしのことを「アヤちゃん」と呼んでくれる稀有な存在。
(40過ぎて”ちゃん”付けはイタイのだけど)

時折「気配を感じられません。元気ですか?」と連絡をくれるのは、この人。

今回、アンマのダルシャンのためにミュンヘン入りした。
きっと、誰かのためになる、彼女のマシンガン・トークをどうぞ。(一部だけなんだけど)
「アヤちゃん、久しぶり。あら、随分やせちゃったのね。あらあら、
眼が違う世界に逝っちゃってるわよ。日本、大変だったね。
私もずーと、テレビで見ていた。本当に、酷いことになっちゃったね。
石の買い付けは順調?ちょっと、アヤちゃん、大丈夫?ねぇ、ここに居る?」

あなたの目の前にいますわよ。はるばる日本から。ミュンヘンに。

「うん、そうなっちゃうのも無理はない。それはわかる。でもね。
ひとついいことを教えてあげる。色々な不安が付きまとうのはわかるけど、
それでも一番大事なことは、”今、ここに存在する”ことなのよ。
瞑想しているとき、色々なマインドがやってきて、過ぎ去ることはわかるよね。でもね、人間って、普通にご飯を食べたり、歩いていたりしているときでも
色々なマインドがやってくるものなの。そしてそのマインドはやって来ないかもしれない未来を妄想してしまうものなのよ。それが進んでしまうと
巨大な妄想王国を自分自身で作り出してしまうのよ。そして現実との境界線がわからないくなる。それって、とても危険なことなのよ。
ねぇ、今から試して欲しい。日常生活の中でマインドがやってきてそこから未来の妄想が浮んできたら、その場でstop it !って自分自身に言い聞かせるの。”トマレ”でも”No”でもいい。妄想拡大を停止させるの。
楽しい未来ならどんどん想像してもいい。
でも独りよがりの想像はだめ。それは妄想よ。その違い、わかるよね?アヤちゃんなら。
何度も何度も、マインドがやってきたら、その度に叫ぶの。stop it!っね。
そうすると”今・ここに”いることができるから。
明日からの石探しだって、きっと素敵なものにめぐり合えるはず。
日本がこんなことになっちゃって、先行き不安なのはよくわかる。
先々のこと、考えちゃうのもよくわかる。だけどね、こんなときだからこそ
試してみて欲しいの。stop it !って。ちょうど今は旅行中。
ドイツには地震もないし、日本の生活もここにはない。だから是非試してみて。」

ありがとう、アンジェラ。試してみるよ。

「タローちゃん(私の愛犬:親バカのごとくタローの写真を彼女に送っていた時期があった)
死んじゃったのね、、、、うん、でも本当にみんなに愛されていた犬だったね。
とてもピュアな魂だった。随分辛かったでしょうね。
でもね、アヤちゃん。タローが死んじゃったこと、教えてくれる前に
ママが亡くなっちゃこと、知らせるほうが先でしょ!順番が逆よ!!」

そうだったけ?タローのこと、先に伝えたんだっけか??

「アヤちゃんの母性本能がそうさせたのかもね。でもやっぱり順序は逆。
あらあら、もうこんな時間。私これからダルシャンなのよ。一緒に行く?
あ、そう。最終日に行くのね。わかった。それじゃまた明日会おうね。」

さよならの挨拶に、握手をしてハグをする。
彼女の、生き生きとしたエネルギーがその手から伝わってくる。
浸透圧のように。高いところから、低いところへ。
この人、本当に”持っている”。

「ねぇ、アヤちゃん。私はアンジェラよ。(イタリア語で”天使”の女性名詞)
あなたのアンジェラよ。だから色々とあなたに語りかけるの。
まっすぐ自分の道を歩いてほしいの。うるさいな、と思うかもしれないけど、
嗚呼、これは止めることが出来ないのよ!!それじゃまた明日ね。チャオ」

今回の再会に当たって旦那様から
「日本も色々大変だったんだから、一方的に喋り続けないで、
たまには聞き役に回ってあげたらどうだ?」と言われて来たらしい。

、、、、そんなの不可能だ。何年も夫婦やってたら、そんなことわかるだろう??
彼女と別れたあと、アドバイスに従い、stop it を試してみる。
驚いたことに私は、一日に何十回もstop itを言わなければならないことに気づく。
我ながら唖然とする。
stop it、stop it、stop it、stop it、、、、、、、、
これを繰り返していると、自分の中に新しい空間が存在することに気づく。
その空間をじっくり観察してみると、、、、それは”今”という存在だった。
心も軽い。
試しにstop itと命令せずにそのまま妄想へと流してみると、
心が重い。それは今までの自分だった。

さすがアンジェラ

今、日本に戻って日常生活の中でもstop itは続けている。
ドイツに居たときより、さらに多くのstop itを叫ばなければならない私。
でもそこにはなんとも言えない居心地のよさが生まれている。

それでも「新しい空間」の中に何も入っていないことに不安を覚えることもある。
自分がいかに不安と妄想で自分自身を満たしていたのか。
「次」を考えないことに「これでいいのか?」と
感じてしまう自分は相当重症だったんだと思う。

ありがとう、アンジェラ。

 

ミュンヘン 4 石の祭典と石友達

2011/11/12 00:58:22

「ミュンヘン入りしたら、連絡を。
会場で会おう。×○◆という業者のブースにきて。友達だから。」

ミュンヘンショーで友達と再会。
インドの瞑想合宿で知り合ったB。石友達。

「瞑想するんだから言葉がわからなくてなんとかなるだろう、、、」と
甘いことを考えてその瞑想会に参加した私は、
ティーチングにまったく付いていけず(英語力の問題)チンプンカンプンだった。
そんな私に夕方からの自習時間に、ばかにでもわかるように
懇切丁寧にティーティング内容を教えてくれたのが、B。
いつも、「散歩しよう。」と声を掛けてくれて、その日の復習をした。

随分連絡を途絶えていたのだけど、偶然日本の友達が留学時代にこのBと
同級生だったことがわかり、今回ミュンヘンで再会することに。

さて、言われた通り、とある業者のブースに行って
「Bは居ますか?」と声を掛けると、携帯電話で呼び出してくれる。
”業者さんを紹介してあげる”って話だったのに、
手始めに業者さんを含めて、ビールを飲むことから始まる。(まだ、10時なのに)

この日、Bと一緒に広大なホールの中でピンポイントに、お勧め業者さんを回る。
とりあえずお勧め業者さんを回って明日、ゆっくり回ればいい。

ある程度石を選んで、ちょっと疲れてきたな~ってころに
「今日はこのくらいにしたら?散歩しよう。ミュンヘンは綺麗な街だよ」

散歩。この人とは、散歩しながら話すのが一番だ。
「歩きながら考えるのが楽しい。アイディアも浮んでくるし」
まるで昔の文豪のようだな。

随分会っていなかったけど、インドの続きだ。散歩。

「英語が上手になったね。そして歯並びも綺麗になった」

4年間、歯科矯正をしたんだよ。
このBは、「ミスター・歯並び」。ものすごい綺麗な歯並びをしている。
ヨーロッパでもティーンエイジャーになると歯科矯正は一般的。
でもこのBは矯正をしないで、まったくの天然の歯並び。もちろん虫歯もなし。
親知らずも、ちゃんと綺麗に生えているそうだ。
ミュンヘンも市内の観光地は人がいっぱいだけど、ちょっと外れると
人通りは少なく、秋の日常の中の街を散策できる。

「、、、、観光は、興味ないよね? 歩こう」

歩きながら考える人なので、口数は少ない。
でも、その少ない会話の中でとても大事なことを伝えてくれる。
会話の始まりは「、、、、、」がつくように、
日本語で言えば、主語がないように、突然言葉を口にする。

でも、今ではわかる。
並んで歩いていると、お互いのコードは繋がっていて
そのコードを通して会話していることを。
そんな会話の途中に、「言葉としての」会話が始まる。
で、「突然に」会話が始まるように感じただけ。

「大変だったね、日本。、、、、、この話しても大丈夫かな?」

うん、大丈夫。こっちでも散々報道されていたでしょ?
でも、私のパンドラ・ボックスのアイテムがひとつ増えたよ。

パンドラ・ボックス。

当時「悲しみのパンドラ・ボックス」という話を、随分した。

人間、辛いこと・悲しいことを処理できないと悲しみのパンドラ・ボックスに
そっとしまって、ココロの隅に置いてしまう。
置いているはずなんだけど、結局、そのパンドラ・ボックスを抱えながら
人って生きて行く。でも、「パンドラ」だから、いつか突然その蓋が開いちゃう。
(フラッシュ・バックもその一種かな?)
ボックスに閉まって「なかったことにしよう」ではなくて、
その中身に向き合う時(余裕)がきたら、真正面から向き合って解決しないとね、、、、、
おもちゃ箱ひっくり返したような国・インド(国自体がパンドラ・ボックス)で、
そんな話をしていた。

当時私は、パンドラ・ボックスなんて、持っていなかった。
辛いこと・悲しいことがあると、わめいて、つばかけて、打ちのめして(つもりだった)
ついでに人様に迷惑かけて、その屍をあとに残して、テクテク歩いている、、、、
でもその死臭が臭くて臭くてたまらない、、、、って感じだった。
、、、、若かったのである。バカだったのである。
今ではちゃんと、ボックスを持っている。
でも、いつも半開き。きっちり蓋をすることがなぜかできない。

「、、、、あまりストイックになりすぎるのもよくない。自分を追い詰めるよ」

「、、、、一度、抱えているものを、手放してみてもいいと思う。
リセットするように。怖いかもしれないけど、大丈夫、ちゃんと”自分の道”に立っているから。心配することはないよ」

そうかな?自分の道に立っているのかな?

「、、、、求めすぎると、それは執着になってしまうから。
執着しているうちは、絶対に”それ”を手にすることはできないよ」

、、、後日、他の知人からも同じような話を聞くことになる、私。
当時の話で盛り上がる。
出会ったとき、Bは初インドで、相当ビビリながらインド旅をしていたこと。
(そんな風には、見えなかったな)
男の自分でもビビッていたのに、幼そうな東洋人の女
(当時私は30歳前後。アジア人は若く見える、が定説)が、
一人こんな所まで旅していて、驚いたこと。
更に、ろくに英語も話せないし「なんなんだ?こいつは?」と思っていたこと。

若かったのである。バカだったのである。
今より「怖いこと」が少なかったのである。
喋れなくても、なんとかなるもんね~と、お気楽に考えていたのである。

「確かに、恐れを知らないっていうのは、強みだよね。」

バカとも言うが。、、、、確かに強い。
「、、、、、特別な土地だな。あの国は。いつかもう一度行ってみたいと思う」

数時間、散歩して話をして、なんとなく知っている場所に到着。

「一人で帰れる?ホテルまで送っていこうか?」

ここまで来れば、だいたいわかるから大丈夫。

「ここで再会できるとは、思わなかった。嬉しいよ。」

私だって、再会できるとは思っていなかった。

「Kによろしく伝えて。彼女にも随分会っていない」

Kとは、Bの同級生で私の知人でもある。
うん、伝えるよ、彼女にも感謝しなくちゃね、この再会に。

「また来年、ミュンヘン・ショーに来る?」

、、、、、来年の今頃、私は何をしているかな?
今は、それを想像するのは難しい。
でも、多分、戻ってくると思う。
今こうやって、再び訪れたように。

ミュンヘン 5 道に迷う。まっすぐ進め

2011/11/13 00:12:49

大丈夫、ひとりで帰れるから。

Bと別れたあとに、テクテク歩いていたら、
帰れないじゃん、私。
完全にホテルまでの方向感覚を消失した。
歩けど歩けど、段々と住宅街に迷い込む。

この河の、こっち側が中心地なのか、向こう岸なのか、わからなくなる。
何度も、橋を渡って、ウロウロ

「迷ったら、親切そうな地元民に聞け。」これ、鉄則。

信号待ちをしている、地元民ぽいおじさんに声を掛ける。
中央駅方面に行きたいんですけど、、、、

「この道をまっすぐ進んで。
そしたら、ゲートが見えてくるから、そのゲートをぐぐる。必ずくぐるんだ。
ゲートの向こうは、いくつもの道に別れているから、
そこで、また人に聞いたほうがいい。多分歩いて30分くらいだよ。」

ありがとう、おじさん。

「いいか、真っ直ぐ進め。右や左には絶対に曲がるな。ひたすら真っ直ぐだ。
必ず、ゲートをくぐれ。そして人に聞くんだ」

このおじさん、なぜか段々エキサイトしてきて大声で

「真っ直ぐ進め。右や左に絶対に曲がるな!」

この言葉を3度も繰り返す。

1度目は、シンプルかつ的確なアドバイスありがとう、、、、だった。

2度目は、おじさん、なぜ熱くなる??思わず噴出しそうになった。道を曲がったら、谷底か?

3度目は、なんだか、私の人生の道のこと、言っているんじゃないか?と思えてきた。

真っ直ぐ進め。右や左に絶対に曲がるな。
必ず、ゲートをくぐれっ!そして分かれ道で人に聞くんだっ!
アンジェラは私に、「真っ直ぐ自分の道を進んでほしい」と言った。
Bは私に、「自分の道にいるのだから、大丈夫」と言った。

しかし、私は今、何処にいるのかが、まったくわからない。
自分の道にいるのは、わかる。(多分、わかっていると思う)
でもその「立ち位置」がわからなくなっている。

でも、取り合えず。

真っ直ぐで、いいらしい。間違った場所には、いないらしい。

青い目のおじさんは、間違った場所に居ない。真っ直ぐ進め。
友達のアドバスの、最終確認をしてくれたような。
ここ、ヨーロッパ、だよね。
こんな気づきを与えてくれる土地なのか?

ミュンヘン 6 現地で美味しかったもの

2011/11/14 12:22:31

美味しい水と、美味しい乳製品があれば、文句は言いません、ベジタリアン。

さて、ドイツはイマイチ、食事がいけてないと言われているけれど。
そりゃ、イタリアだフランスだ、と比べちゃったら、、、、ね。
でも、何処の国でも言えるのは、家庭料理が一番美味しいってこと。
以前、ドイツを訪れた時はまだ私はベジタリアンではなくて、
色々なレストランで食事をした。
味付けが濃い、、、と言うより、塩味がきつく感じた。
恐らくビールを飲みながら―――流し込みながらのほうが正しいかも―――
食事をするので、塩味がきついのかも。
でも、家庭料理はそんなではなかったような気がする。

で、今回はベジタリアンになってドイツに来ちゃった訳だ。
不安もあったけど、楽しみにしていたのが、これ。

ラズベリーと、オリーブ。私の大好物

ラズベリーは大粒サイズ、多分300グラムくらいで4ユーロ(450円くらい)
小粒で半分くらいの量だったら、2ユーロくらい。
オリーブは、一番安い(ミックス)100gで1.5ユーロ(170円くらい)
市場で気軽に買える。安い!美味しい!

ヨーグルト(コクがあって美味しいのよ)に贅沢にラズベリーをぶち込む。
黒パンとバターとオリーブ。そしてコーヒーがあれば
はるばるヨーロッパまで来た甲斐があるってものよ。(ハードル低すぎ?)
ザワークラフトが追加されれば、もう死んでいいよ、私。

ちなみにドイツのスターバックスにはショートサイズはなし。トールから。
カフェラテ・トールサイズで3ユーロなり。
外出して夜遅くなると、芯まで冷えそうな10月下旬。
中央駅のスタバによって、トールサイズのカフェラテを飲みながら
ホテルに戻るのが習慣となっていた。
それくらい、寒いのに、ドイツ人は野外でビールを飲んでいるのだが。

そう、中央駅内にはちょっとした軽食屋とか売店が遅くまで営業しているので、
「あ、水買うの忘れた!」なんていう場合は、中央駅へ。
で、ベジタリアン。

想像していた以上に、ベジタリアン・ビーガン苦労がなかった、ミュンヘン。
これは帰国後に知ったのだけど、ミュンヘン空港内のレストランには
必ずベジタリアン向けの料理があるそうで。

で、何度か友達と普通のレストランで食事をしたのだが、
「彼女(私のことだ)、ベジタリアンなんだけど、なんかある?」と
お店の人に言えば、メニューにはないんだろうけど、
サラダにパンにザワークラフトに野菜マリネに、、、そんなプレートが
ちゃんと出てくる。
でも、今回の旅で一番感動したのは、max pettというビーガンレストラン。
ビーガンとは、肉魚卵乳製品そして蜂蜜などの
動物性由来のものを一切摂取しない人びと。
(私はベジタリアン。乳製品は食べる。)
ホテルの一番近くにあるそっち系のレストランだったのだけど、
これが超・ホームラン級の美味しいレストランだった。

ビーガンでない人でも、是非ミュンヘンに行ったのなら、食べて欲しい。
乳製品を使わずに、ここまで料理にコクを出せるなんて!!

Max Pett
ドイツ語のHPなんだけど。
Pettenkoferstr. 8
80336 München

フォーマルなレストランではないので、ディナーにひとりで行っても、大丈夫。
”おひとりさま”ができる人の場合ね。

食べることに夢中で、写真を撮り忘れてしまったけど、
ビーガン風ラビオリ・豆乳ソース仕立てが12ユーロだったかな?

お昼に「小腹が空いた人のために、、、」の
クラブサンドが9ユーロくらい
ピタパン・サラダ・スモーク豆腐のセットが7ユーロくらい。
こんなに食べられないって!!って量だったけど。

英語のメニューもあります。
季節のメニューはドイツ語しかなかったけど、
懇切丁寧に、英語で説明してれた。

結局、ミュンヘン滞在中一日1食はこのレストランを利用した。

ひつこくもう1度言うが

ビーガンでない人も、是非トライして欲しい。このレストラン。

お店の行き方
センドリンガートアSendlinger Tor駅下車。(Uバーンです)
地上に出ると、放射状に道が伸びているので、Pettenkoferstrっていう通りを探す。
(探しにくいかもしれないが、地図見て、とにかくこの通りを探す)
この道の両側にいくつもホテルが並んでいる。
5分くらい歩くと、右側にお店が見えてきます。

夜、一人で歩いていても、まったく問題はなし。
中央駅からなら歩いて20分くらいかな。
中央駅から観光名所の新市庁舎に行くより近いかも。

美味しいよー。
日曜日は、休みだって言っていた。

ミュンヘン 7 あれこれ

2011/11/16 16:53:55

ちっとも役立たなそうな、決して決して観光に役立ちそうにない、
ミュンヘン滞在のメモ書きです
エコバックを持ち歩こう

パン屋に入っても、食料品店に入っても
プラスティックバック(コンビニ袋)をくれるところは少ない。
スーパーなら、レジ前に30セントくらいでレジ袋が販売されている。

「ちょっとパン買ってからホテルに戻ろう。あ、水も買わなきゃ」なんて場合、
パンは紙袋に直接入れて、はい、と渡される。
1リットルミネラルウォーターもそのまま、はい、と渡される。

エコバック、必要だったな、と痛感したドイツ。
ま、一度スーパーでレジ袋を購入してしまえば、それを使い回せばいいのだけど。
(そうしてる地元民、結構見かけた)
電車の中で、なぜ眠らないのだ?

ミネラルショーは9時開場なので私は数日間、通勤アワーの電車に乗って移動、
帰宅アワーの電車に乗ってホテルに戻る生活をしていたのだが、
なぜか、電車の中で眠る人がいない。
まったくいなかったわけではない。1週間の間、3人ほど
居眠りコイいる人(でも1分ほどの時間)を目撃した。
、、、もちろん、長距離列車は別なんだけど。

電車に乗る・座る・寝る

これって、もう自動的な行動だと思っていたのだけど。

ドイツ人の友達に聞いてみた。
なぜ、電車の中で眠らないの?体力温存しようよ。
それとも治安的に居眠りはできないものなのか?

友達曰く
「西洋では、公共の場では必ず外に対して目を開く(意識を向ける、、、の意味)。
だから、電車の中では眠らない。
アジアはそうじゃないよね。公共の場でも自分の世界に入る(居眠りする、の意味)
これ、西洋と東洋の大きな違いだと思う。」

なるほど。確かに置き引き多発のインドでさえも電車の中で眠るよな。
タイも、中国も。

私にとっては、電車の中で座っても目を閉じることができないのは、苦行だった。
だって、座わりゃ、自動的に眠くなるってもんだ。

あるとき、電車に乗って席は空いていたのだけど、座ると寝ちゃうから
私は立っているよ、、、と言ったら
友達は笑いながら「目閉じてもいいよ、見ててあげるから」と言ってくれたが。

さて、ミュンヘン、ベルリンの通勤電車は楽勝。
「通勤ラッシュ」なんてものはなかった。(私が使用した路線だけ?)
この街、70パーセントの人が自宅で自営業しているんではないか?と思えるほど。
、、、、というか、日本の首都圏通勤ラッシュが異常なんだろうけど。
ミュンヘンのホテル、レストランは禁煙

前回のミュンヘンでは飲み屋でたばこを吸った覚えがあったのだが。

「なんだかさ、モデル都市になっちゃって頑張っちゃってるよ、ミュンヘン」
と、友達が言っていた通り

ホテル内・レストラン・飲み屋さえも、店内禁煙。
私はベランダつきのホテルの部屋だったので、
「ベランダではいいよ、でも絶対室内では吸わないで」と従業員に言われた。
星の付くホテルは喫煙室でもあるのかもしれないけど、
安宿は玄関前に灰皿があって、スモーカーはそこで吸っていた。

で、飲み屋。

暖かい室内で酒を飲んで、夜間は5度を下回る野外に出て
タバコを吸うなんて、絶対に体に悪いと思う。
ま、それ以前にタバコが体に悪いのだが。
止めろって話だ。

禁煙ブームなんだろうけど、なぜか歩きタバコはオッケー。
でも、灰皿なんてそこらじゅうに置いてあるわけではく、
みんな、道に吸殻ポンッ。
色づく落ち葉に混じって、街の中吸殻多数。

、、、なんか違わないか?ルール作りの順番が違うのでは?と思うのだけど。
ビールは酒ではないかもしれんが、酔っ払いは路上で潰れている

よく凍死しないよな、、、と思うのだけど、酔いつぶれている人も、多々。
朝の通勤時間に路上で夢の中にいる人も。
一晩ここで明かしたのか?いや、凍死するよな、、、、

ひとりの若いお兄さんが朝っぱらから路上で潰れていた。
どうやら立ちションの前後に夢の世界に入ったらしく、
チ○コ露出したまま熟睡。
さすがにおまわりさんがやってきて、連れ去ったけど。

辛いことでもあったのか、泥酔して千鳥足で大声で天に向かって叫んでいる人も。
「○×◆△~~~!」
友達に、アノヒト、何叫んでいるの?と聞いたら
「下品な言葉。とても訳す(私のためにって、意味)ことはできない」
「マ○コとか、そんな言葉?」と訊ねると
「レディーはそんな言葉口にしてはいけません!」と叱られる。
恐らく、その手の言葉だ。叫んでいたのは。
それか「やらせろ!ジェニファー!」とか。
なんだかよくわからない人も、やっぱりいる

道を歩いていても、なんなんだ?こいつ??って人に
結構な確率で遭遇した私。
服の着方もなんだかヘンだし。目もいっちゃってるし。
電車の中で、その人の隣の席が空いていても、誰も座ろうとしない、、、、
そんな感じの人。
本能が、「そこに座ってはいけない」と教えてくれるような、空席の隣席に座る人。

とある広場でそんな人をウォッチングしてたら、目が合ってしまった。
一直線に私のところにやってきて、ドイツ語で何かを言う。
すまん、ドイツ語はわからんぞ。
すると、叫ぶような大声で(英語)
「タバコを一本くれないかっ?セニョリ~~~~タッ!」

、、、、なにがセニョリータだよ。

お前にくれてやるタバコはない。

でも、みんなこっち見てるから、早く何処かへ行ってくれ。
早く行ってよ、、、、、、、タバコあげるから。
どこの国でも、観光より、マン・ウォッチングが断然楽しい私

いわゆる「ドイツ」のイメージから程遠い人も見かけたのだけど。
どんな国にでもおかしいヤツはいる、、と改めて思う。
おかしいヤツがいたほうが、世の中ってやっぱり面白い
今回ドイツで学んだのは、これに尽きる。
、、、、、身近には居て欲しくないのだけど。

結局ミュンヘンで観光らしき観光はなし、の私。
メルヘン街道なんだよね、有名な観光は。
渡印10年後にタージ・マハールを拝んだごとく、
きっとメルヘン街道のお城も10年後くらいには行くだろう。(いや、行かないな)

ルートヴィヒ2世

この人も相当おかしい人だったのだと思う。
おかしな自分の世界にはまりすぎて、お城いっぱい建てちゃって、
バイエルン王国、経済破綻に追い込むし。ホモだし。
昔、ビスコンティ監督の作品でこの王様の映画があったな。(内容忘れた)

おかしな王様を映画化しようとしたビスコンティ、
やっぱり目の付け所が違うな、と思う。

ミュンヘン 8 アンマのダルシャン、そしてベルリンへ

2011/11/17 16:49:58

友達から、ホテルの部屋に電話が掛かってくる。

「石の仕入れは順調?いつ帰国するんだっけ?明日からの予定は?ベルリンに来ない?」

ベルリンって、遠いの?どこだっけ??

パタパタパタパタ(キーボードを叩く音)

「明日朝の列車。午後お昼過ぎにベルリン着。この列車、どう?」

え~と、これからチケット買いに行く時間がないんだよ、予定がある。

パタパタパタパタ(キーボードを叩く音)

「今、インターネットで列車のチケットを予約したから。
そっちのホテルに今からファックスで送る。5分くらいしたらフロントで受け取って。
それじゃ、明日、ベルリンで。」

ほんの10分ほどの会話で翌日からベルリン行きが決まった。
既に眠れず・食べれず、でもテンションは上がりっぱなしの私は
本当だったら、お断りするべき招待だ。体がもたない。
でも、なんだか、はい・はい、、、と何も考えず(アドレナリン作用だ)ご招待を受ける。

どうにかなるだろう、、、なんて、軽く考えていたのだけど、
ベルリン到着翌朝、朝食の最中、ゲロを吐く、、、、、
という、とっても失礼なことをしてしまうほど、やっぱり体は疲れていた。
他人様が・作ってくれた・朝食を食べて・ゲロを吐く
最低だな、私。
明日のことは、明日、考えよう。
とりあえず、これからアンマのダルシャンだ。

ミュンヘンで、アンマのダルシャン。

今回のドイツ行きが決まって、なんとなくネットを見ていたら、
私のドイツ滞在中に、アンマがドイツにやってくることを知る。
遠くの街でなければ、参加したいな、、、と思っていたら、
開催地は、ミュンヘン。
これ、絶対に行くしかないでしょう。

マサラ香らない、このヨーロッパで、インドに繋がるってのも妙だけど。
最終日の夜の部、デヴィ・バーバのときに予定をあわせてきた。

電車を乗りつぎ、会場近くの駅に到着。
日の入りの早いヨーロッパの冬。住宅街のこの街は既に暗く、
霧も立ち込めている。そして街灯も暗い。

地図を見ながら(ガイドブックは忘れたが、会場地図だけは持ってきていた)
トボトボと歩いていたら、霧の中からひとりの女の人がやってきて
「~~~は、何処ですか?」と私に尋ねる。

びっくりしちゃうほど、綺麗な女の人だ。幻を見てるのか?私。
でも、彼女は間違っている。数日前にドイツに来た東洋人に、
こんな住宅地で道を聞くなんて。

「~~~~は、どこですか?」~~~が、聞き取れないのだけど
聞き取れても、私はおのぼりさんだ。

、、、、ひょっとすると。

「アンマのダルシャン?」

「YES!!]

なんだ、この人もアンマのダルシャンに行くのか。道はこっちだよ。

霧の中から現れた美女は、チェコからアンマのダルシャンのためにやってきていた。
「アンマは25年前から、毎年チェコに来てくれているの。日本では有名?」

他の国での規模がわからないから、よくわからないけど、まぁまぁって感じかな。

「いつからアンマを知っているの?」

インド好きだから、名前だけは昔から知っていた。
でもケララのアシュラムにはまだ行ったことはないんだ。
北インド、山のほうばかりに行っている。

「私は、アンマのアシュラムにしか行ったことがない。北インドなんて、とても無理」

そうだね、ココロの静寂を保つのなら、それが一番だ。
毎日が戦いだからね、北インドは。
そんなイロイロな話をしながら、会場到着。

「友達が待っているの。お話できて楽しかったわ」 私も。

オンナの私がドキドキしちゃうほど、綺麗な人。
私がオトコだったら、「一緒にチャイでも、、、、」と声を掛けただろう。
イタリア・オトコだったら、「連絡先教えて」って粘っただろう。

ダルシャン会場、でかい。

トークン配布の1時間前に到着したはずなのに、
もうたくさんの人が会場入りしている。何時間前から来ているんだ?この人たち。
周りはドイツ語しか聞こえない。こんなに有名なのか、ドイツでは。
まぁ、ミュンヘンは南に位置していて、スイス・オーストリアもすぐそこ。
恐らく周辺国からも集まっているんだろうな、ドイツ語圏だし。

さて、日本のダルシャンしか知らない私はまったくシステムがわからず。
とりあえずセーバの人に
「英語、話せますか?初めてでシステムがわからない」と声を掛けてみる。

「まず、クロークにコートと荷物を預けて。靴も脱いでね。
でも、お財布は必ず携帯してね。空いているシートに座って待っていて。
時間になると、トークンが配布されるから。」

この数日間、街で・駅で・ホテルで、人にモノを尋ねると、
的確で、シンプルで、ちゃんと順序を追った答えが返ってくる。
そして、「ついでに」とさらに先のことも予想し、プラスαを教えてくれる。
これって、多分ドイツの国民性なんだと思う。
毎年、5月の終りにアンマは日本にやって来る。
今年は震災の関係で8月に。
延期になっても、それでも、こんな状況でも、来日してくれた。
8月のアンマのダルシャンで、アンマは怒っているような、
難しいことを考えているような、そんな表情をしていた。
今まで見たことのない表情だった。

ああ、本当に私達の国は、大変なことが起こっちゃったんだな、再認識した。

そして今年2度目のダルシャンは、ヨーロッパ。

配布されたトークンは果てしなく、後ろの番号だった。
アンマの最終日のダルシャンは日本であっても終わるのが午前3時頃。
こりゃ、日の出前に順番は回ってこないぞ。

さて、集まっている人びとは、インドでお会いできるような、人びと多数。
国が違っても、こんな風にシンパシーを感じる人、たくさんいるんだな。

さて、アンマ登場。会場の空気が変わる。
当たり前だけど、通訳はドイツ語。字幕はイタリア語かスペイン語だった。
、、、なので、私には内容は理解できず。

それでも。

こうやって、縁遠い大陸にひとりやって来て、
たまたま予定があったとは言い、この姿を拝めるのはありがたい。
日本のときとは違い、悲しそうなお顔、してないし。

さて、このままダルシャンを受けるべきか?
明日の朝、長距離移動が控えている。
待つのは何時間でも待てる。
体力も、、、、自信はないけど、頑張ればなんとかなる。

問題は明日の列車に、間に合うか?である。

「ベルリン、特に興味ないでしょ?」

「用事はメールと郵便発送で間に合う訳だし。現地入りしなくてもなんとかる」

此処まで来て、ダルシャン受けなくてどうする?自分。
それでも。

やっぱり、ベルリンへ行く。

バカだな、自分。此処まで、こんな傍までやってきて。
わかっているはずなのに、逆行するがごとく、
すぐそこに恩寵というものがあるのに、背中を向けるがごとく。

「確かに、恐れを知らないっていうのは、強みだよね。」

先日、石友達Bが言った言葉。

イヤ、恐れは知っている。バカなだけなのである。
恩寵がすぐそこにあるのに。

デヴィ・バーバの美しいお姿に手を合わせ、
ごめんなさい。それでも私は自分で決めてしまいました、、、、
本道ではないのかも、右に曲がって谷底に落ちるかもしれないが。
「この次は」の「次」は来ないかもしれないが。

終電ギリギリの電車で市内に戻る。
スタバでコーヒーを買って、ホテルへ。

「Ms.ホンダ、日付が変わって、午前3時から時間が変わるから気をつけて」

フロントの人がなにやら訳のわからぬことを説明してくる。
「午前3時からになったら、時計を一時間戻して」

夏時間が終わって、午前3時から冬時間が始まるのである。

冬将軍到来。どおりで寒いはずだ。

時差の関係で、日本と比べると8時間「得しちゃってる」ヨーロッパ滞在だか、
さらに1時間得しちゃうのである。

言ってくれてありがとう。
知らなかったら、明日「列車が来ない!」と駅で1時間半べそかくとこだった。

明日、移動。

ベルリンで見てみたいのは、これ。これだけだ。
Der Himmel uber Berlin

天使ダミエル
あなたは今も、そこにいるのか?