ひたすら編む、ある日のこと。

騒がしい世間に背を向けて日々、コツコツと作業をする日々。

毎朝、窓を開けると地域猫がやってくる。

「おはよう」猫に挨拶をして、これが1日で最初で最後の会話だったりする。

新緑も美しく、鮮やかなドレスをまとったように美しい花々。

ウグイスもさえずる。

「幸せだな」 

今までの生活と比べると、非日常なのかもしれないけど、こんな生活も1年。

孤独かもしれないけど、穏やかな日々を過ごしてきたと思う。人生の休日。

それでも心の奥底の片隅で、思う。

「何処か、知らない・遠い場所に行きたい」と。

随分と幸せな日々を送っているのに、「遠い場所に行きたい」

そろそろ「私の外」に目を向けないといけないタイミングかもしれない。

もしくは「更なる人生の休日」を渇望しているのかもしれない。

どっちみち、今の状況ではここにとどまることしかできないのに。

指先をコツコツと動かす。

石に向かい合い、同時に自分と向かい合う。

幸せを感じつつ、それでも不安が全くないわけではない。

不幸にはいつでもなれる。

テーブルに不安なこと、手にできないものをいっぱい並べるだけでいい。

幸せは、その一瞬一瞬を噛み締める連続なのかもしれない。

噛み締める幸せが今、ここになるなら、自分は幸せでいよう。不幸はいつでも

新商品のご案内。ピアス

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久しぶりにピアスを作成しました。

春なので、明るい色合いのコードで編もうと思っていたのですが

ポイントのオパールビーズ、淡い色合いに合わせると遊色効果が半減してしまうため

季節の色合いとは異なる濃いめのコードを合わせてみました。

遊色効果と言えば、私も大好きなホワイトラブラドライト。

オパール素材を使うのは初めてですが、ラブラドライトより強い遊色が現れます。

ホワイトラブラドライトで、この大きさのビーズだと遊色はほぼ現れない。

オパール、すごいな。

今回の作品は”初めて”ばかり

遠い昔、何処かの国の壁画を撮影した一枚の写真。その写真が久々に出てきて

「あ、このデザインでピアスを作りたい」と閃き試行錯誤の末、形にしました。

その幾何学模様にできるだけ忠実に。デザイン画を起こして作成することがなかったため、

とても新鮮な作業工程でした。

今回は極細のコードを使用しています。0.5ミリ。コードの材質もさることながら太さが

違ってくると指捌きも変わってきます。この細さに慣れるのに少々時間がかかりましたが

小さな(そして緻密な)デザインを編むには極細コードは最適です。

そして、今回初めてゴールドフィルドというピアス金具とビーズを使ってみました。

メッキと比べると金の厚みがあり剥がれにくいのが特徴で、金色メタルとは全く異なる

輝きです。このパーツはアメリカからの輸入品で届くのに1ヶ月。

「パーツ待ち」をしていたため、予定より大幅に制作が遅れてしまいました。

新しいことを始めるのは「今まで」とは異なるアプローチが必要になること、

今回のピアス作成で学びました。

これからの季節、そして夏に向けて大活躍してくれるピアスです。

IKEAのプラントボールを食してみた

気がつくとベジタリアン歴が15年ほどになっていて、最近ベジタリアン食品が色々なところで見かけるようになったので嬉しくなっちゃって試食を試してみる、というブログのカテゴリーです。

今回はなぜか頑張っているIKEAのベジタリアンフード

IKEAは「プラントベース食材」という表現をしている。初めて知った言葉。「ベジタリアン食材」より確かに範囲が広まっていいかもね。

冷凍食材で熱が入っているので、温めるだけでもいいのかも。エンドウ豆が主成分だそう。「お肉と変わらない美味しさ」、、、とIKEAの店内放送でも流れていた。そんな訳ないだろう。今まで様々な「ベジタリアンミートボール」を試してみたが、「食べない方がマシ」なレベルだった。肉っぽくないからではなく、不味い。なので今回も騙されてみよう、くらいの感じで購入してみたが、期待を裏切る味だった!!

今回はCHAYAマクロビのホワイトシチューに投入してみた(手抜き夕ご飯)。

なに?これ、美味しい!肉としてどうか?と言われると既に肉の味を忘れてしまっているので判断できないけど、美味しい。ファラフェル(ひよこ豆のコロッケ)とは異なる味。多分、肉に近い食感。ソイミートボールと違ってあの独特な大豆臭さもなし。今まで食べてきた(そして後悔してきた)ベジタリアンミートボールはなんだったのか?という美味しさ。家具屋さんのベジタリアンミートボールが歴代第一位!

少し味が濃いめ。まぁこれは私自身が加齢の影響でうす口の味を好むようになってきたからだろう。若者だったらこれくらいの濃いめの味は全く問題ないのではないかな。

通販では取り扱いしていないのが残念。でも月に一度、まとめ買いするために遥々IKEAまで行ってもいいかも。願わくば普通のスーパーの冷凍食品売り場にも置いて欲しい。

ちなみにこれを購入した日にフードコートのベジドック(80円)も試してみた。メインのドックは「インドのベジタリアンバーガー」からマサラを抜いたような味でした。

これからもIKEAでベジタリアン食材が増えるのなら、近くに引っ越してもいいかもしれない。100円玉握りしめて80円のベジドックを気軽に食べに行ける店が近所にあるって幸せなことだよ、ベジタリアンにとって。

10年目の春

今でも、いや、時が経つにつれて当時の映像を見ることができない。10年以上テレビのない生活をしていて本当によかったと、この季節になると思う。インターネットも余計な記事を見ないでここ1週間を過ごしてきた。

あの日の朝のこと、鮮明に覚えている。写真の仏陀像に朝日が差し込んで信じられないくらいに美しいお顔をしていて、うっとり眺めていたことを。いつもと表情が違うんだよな、美しいな、、、その半日後に、大地が揺れた。「神も仏もないじゃないか!」本気でそう思った。朝、あんなに美しい表情をしていたのに。どうしてなんだ?と。1週間、2週間と緊張の続く日々を過ごしていたと思う。桜が咲き始めた。こんなに悲惨な状況なのに、なんで桜は美しく咲くことができるんだろう。美しいから、余計に悲しかった。

記憶は10年経つと色々と曖昧になってくる。10年前のあのときの記憶。鮮明に、昨日のことのように思い出せるのは、朝日が差した美しい仏陀の表情だ。そして悲しいくらいに美しい桜。

毎年、この日になるとこの仏陀像に向かってつぶやく。

「死ぬまで、生き続けよう」 と。

ルドラクシャの紐を作り直す

あまりにもボロボロになったルドラクシャのコードを新調する。毎朝起きて、マントラを唱え、瞑想し、そしてこのルドラクシャを首に掛ける。それが私の日課。今風に言えばモーニング・ルーティーン。たかが木の実、と思う人はそう思うだろうな。でも私にとっては来るべきして手元にやってきた一粒のルドラクシャ。ペンダント仕様にしているけれど服の外には出さず、(人に見せるものではないので)お守りのようにまさに「肌身離さず」身につけている大事な木の実。久しぶりにコードを作り直したので、このルドラクシャの思い出話を書いてみようと思う。

シヴァの涙、と訳される金剛菩提樹の実、ルドラクシャ。溝の数によって対応する神様(もちろん、インドの神様)が異なり、インド占星術で「あなたに対応する」溝の数のルドラクシャを調べてもらうことができる。このルドラクシャが私の元になってきたのは8年前のネパール。

インド・ネパール行きのちょっと前にインド占星術の鑑定を受けた。そこで対応する宝石とルドラクシャを教えてもらった。私の生年月日から導き出されたルドラクシャはとてもレアなもので、本の中でしか見たことがない。(インド・ネパールでは数珠としてルドラクシャは当たり前のように売っている。そしてサドゥや信仰深い人々も身につけている)

「それって見つけるの難しいですよね、現地でも」

「う〜ん、そうですね、、、でもこのルドラクシャ、と星では出てきるんですよね、、、」鑑定師の方もそう言う。

現地で一生懸命探しても見つからないだろうな(そしてぼったくられるだろうな)、もし機会があったら入手しよう。そんな感じで「絶対に手に入れてやる!」という意気込みはほぼゼロだった。

インドに滞在し、その後、ネパールへ。十数年付き合いのあるネパール人宅を訪れたときのこと。何気なくこのルドラクシャの話をした。現地でも見つけるの難しいよね、、、ってな感じで。(ルドラクシャはネパール産が高品質と言われている)

その場でどこかに電話を掛ける知人。「友達が探してくれるって。自分もレアなルドラクシャを欲しいと思っていたところだったからちょうどいい機会だ。明日、またうちに来て。」本当に見つかるの??電話一本で!

翌日、知人宅を訪れるとそこに私が探していてルドラクシャがあった。私は知らなかったのだけど、このネパール知人は、ルドラクシャのコレクターでめずらしいルドラクシャをたくさん持っていた。「身につけるのは、月曜日だよ、シヴァ(インドの神様)の日だ」

さりげない会話の翌日に、探していたルドラクシャが手に入るなんて。なんだかキツネにつままれてたような気持ちだった。次の月曜日が待ち遠しいなぁ、、、、

ルドラクシャを身につけるその日はなかなかやってこなかった。

数日後、私はインドで引いていいた風邪を悪化させてしまい、血痰を吐くほどの肺炎になり2週間も入院生活を送る羽目に。「肺炎ってこうやって急変し、そして死んじゃうんだな、、、」酸素マスクを付け、点滴やモニターに繋がれて横たわる病室でそんなことを思ったのを今でも覚えている。

今思えば、これって命懸けのルドラクシャによる浄化だったのかも。

退院し、ホテルで休養をしていたが、とても月曜日を待ってルドラクシャを身につける元気なんて、なかった。と、いうかそんな「ルドラクシャの日」のことも忘れていた。なくしちゃいけないので、パスポートとともにマネーベルトの中に入れておく。

ある日の午後、旅人友達から電話がくる。「夜に食事会をするから、来ない?お醤油とお味噌が手に入ったから、”なんちゃって日本食”も作るよ」日本食もどきが食べられるなんて、嬉しい限りだ。病後は、NO!マサラ!だ。胃に染み渡る醤油。味噌味の料理を堪能し、久々に旅友達との会話(それも日本語!)。楽しいひとときを過ごす。

ふと、窓の外に目をやると、美しいお月さま。

「今日は満月だね、月が綺麗だ」 友達がつぶやく。そして気づく。今日は月曜日。

満月の月曜日にルドラクシャ。マネーベルトからルドラクシャを取り出し、そっと首に掛ける。満月が、綺麗だな。

翌日から私の心肺機能は格段に良くなる。3歩歩いて息切れしていたのに、ホテルの2階の部屋から1階に一人で降りれるようになった。全ては絶妙なタイミング。ルドラクシャマジックだ。

レシピの話。

今まで、作品のレシピというものを持っていなく、作ったこともなかった。フリーハンドで思いのまま編み込む。「なんとなく」完成図は頭の中にあるんだけれど、あくまでも「なんとなく」の、全体のフォルムのみを決めて編み始める。

最近「同じデザインのものを」とリクエストされることが増え、そして今、ピアスを作っている最中。ピアスというのは当たり前だけどペアなもの。1個作って完成!というわけにいかず、複雑なコードの編み方だと「ペアを完成させるため」どうしてもレシピを作っておかなければ、、、ということになった。要するに、一個仕上げると編み方を忘れてしまうからなんだけど。

編む → 次の行程に入る前にメモを取る → 編む → 次の行程に、、、、

全くもって時間のかかる作業。不具合が出てくると、解いて作り直す。ノートも消して書き直す。写真のピアス、レシピを作るだけで3日もかかってしまった。私にしか解読できないレシピだけど。

マクラメを編んだことのない人には全くどのような作りになっているのか?全くわからないと思う。(作ったことのある人なら大変さ、わかるよね)このピアスは最初は2本のコードから始まって、コードを足して、足して、合計で10本のコードが必要となる。この10本のコードを向きを変え、編み方を変え、合体させ一つの作品が出来上がる。

一つのレシピが完成すると、それに沿って、大体10個くらいの試作を作ることにしている。全体のバランスはもちろん、一つ一つのパーツ部分を確認して納得ができるものに仕上げるため。そして一番大事なのが、強度。コードが解けないか、変形しないか?要するに壊れやすくないか?をチェックする。すぐに壊れてしまうものなんて、誰も欲しくない。どんなに美しく作り上げたとしても。形が変形しやすい箇所を見つけると、レシピを改良しながら強度を上げていく。1個に掛かる時間は、このピアスの場合だと1時間ほど。マクラメは編んでおしまいではなく、焼き止めという作品を完成させる作業が必要。ウニョウニョと伸びた10本のコードの処置。私は新しい作品を作り始めるとき、まず最初に「最後の焼き止め(コードの処理)が可能な作品か?」を考えてから始める。焼き止めができて、初めて作品となる。これがうまくできないとただの「編み方のサンプルその1」になってしまうから。

今年に入ってから、このレシピ作りを続けている。「いつか、やならきゃなぁ」とずっと思っていて手をつけていなかった作業だ。

「いつか、やらなきゃ」は、どうしても「なかったことにしよう」になりがちな私。この悪習慣を変えるためにーーーーー生活全般もそうなんだけどーーーーー「なかったことにしょうリスト」を作り上げ(膨大なのよ!)それを一つ一つクリアしていく作業が去年の春から続いています。なんのために?と言われるとわからないのだけど。多分、これからの生き方、人生のため。些細な「なかったことにしよう」も無意識から意識に持ってきてひたすらコツコツとクリアしている最中です。

猫を保護してもらう、話。

「家猫になる気、満々」で、家猫ガッツと友達が呼んでいたので保護の当日、急遽「ガッツ」と命名

昨年の秋口に排水管の金具が首から抜けず、金具首輪をしていた野良猫をレスキューするために(参照:猫のこと。)猫の捕獲をお手伝いさせていただいていた。その野良猫たちの中で、一際、人懐っこい猫がいた。餌で釣って捕獲器に誘導するのだけど、あっという間にスリスリしてくるようになり、家の中にも入り込むようになった。もちろん、抱っこもさせてくれる。寒い日の朝、窓を開けると、餌を求めるわけではなく一目散に部屋に上がり込み、ホットカーペットの上から一歩たりとも動かない。ちゃおチュールで誘き寄せても動かない。じっと程よい距離を保ちながら、私のパソコン仕事や制作過程をじっと見つめている、猫。

「ごめんよ、ウチでは動物が飼えないんだよ」そう言いながら抱っこして外に放つ。心が痛かった。凍えるほど寒い冬の夜、一晩だけでも家の中で暖を取らせてあげたい、何度も思った。でも私に出来ることは、捕獲し、去勢し、地域猫として見守ってあげることしかできなかった。

先日、動物保護団体の方からこの猫を保護猫として預かることができる、というお話があった。私は即座にOKする。家猫になって安全な場所で生活できるのなら、この子にとってそれが一番幸せなことだろう。威嚇もしないし、人懐っこい。幸せな家猫になれるはず。

保護の数日前に蚤取りの薬をドロップし、保護の前日一晩だけ身柄を確保する。翌日、病院で血液検査とワクチンを打ち、保護家に連れていく、、、という計画。猫トイレも貸して頂き、確保の準備は万全。おい、猫よ、家猫になれるんだぞ。その日の夕方、いつものように窓を開け、いつものように猫は家に入り込む。そっと窓を閉める。確保。

一筋縄ではいかなかった。数時間、部屋の中で大人しくしていたが夜中過ぎ、大運動会が始まった。「外に出してくれ!」と。窓を一枚隔てた外には、「いつもの」居場所があり、仲間たちがいる。ふと気づく。あの、窓を閉めた瞬間、私はこの子の人生を変え、仲間と引き離してしまったことを。たった一枚のガラス窓で。その鳴き声が切なかった。いつもの「餌ちょうだい」の声ではなかった。一時間間隔の大運動会。その度に抱き上げ、添い寝し、言い聞かせる。

「お前は幸せな家猫になるんだよ、絶対に大丈夫だから」

私自身、「できる限り」自由な生き方を選択して生きていきた。自分の意思で住む場所を移動し、行きたいところに行き、生活様式を確立してきた。社会的には全くゼロに等しい地位で、ロクな死に方しないだろうな、とわかっているけど。人生、野良猫。「できる限りの自由」が私の人生での最重要課題だ。そして今も「更なる自由」を求めてもがいている。自分自身の姿が重なった「今までのように自由でいたい」ともがいている猫と。この子はこの先、自分の意思で外に出て、風の匂いを嗅ぎ、太陽の光の眩しさに目を細める、そんな自由で当たり前のこと、が不可能になるんだ、と。それを思うと大鳴きする猫の傍で、私も大泣き。「勝手に”私の幸せ”を決めるな」かつて大人に向かって叫んでいた自分が、ここにいるような気がした。「あなたの為なのよ」その言葉がいかにタチが悪いか、わかっていたはずなのに。窓を開け「いつもの生活」に戻してしまおうか。一晩中、何度も何度も考え思いとどまった。今までの生活がこの子にとっていいのではないか?野良は野良の一生で良いのではないか?牛も猿も猫もそして人間さえも野良的生活が日常に存在する国に通いすぎたせいかもしれない。

翌日、私も恐らく猫も睡眠不足。猫はハンガーストライキを起こしてベッドの下から出てこない。夕方になって、猫を迎えに行く、という連絡がくる。ちゃおチュールで猫を誘き出し、最後の抱擁。「幸せになるんだよ」と。暴れる猫を無理やりキャリーの中へ。嗚呼、こんなことして、この子に嫌われるだろうな、私。嫌われても構わない。そして全て忘れてほしい。私のこと、意味わからず軟禁されたことも、仲間のことも、この猫村のことも。全て忘れて、幸せな家猫になってください。

「安全で敵もない、ご飯もたっぷりもらえる環境の中で、飼い主に思いっきり甘えられるようになるんだから」と友達に慰められる。お手伝いをさせていただいている猫ボランティアの方にも「仲間から引き離すのは本当に辛いけど、新しい家に引き取られ、幸せに暮らしているって報告を受けると保護してよかった、って思えるから」と言われる。そう、元々私がホットカーペットの上から離れなかったこの子を無理やり外に放っていたんだ、寒い屋外に。このほうがいかに残酷だったか。

「何が幸せなんだろう」猫を通じて考えさせられた数日間。きっと、生き方次第のような気がする。何を選択して、どう生きるか。ただ、猫にはその選択権はない。その選択ができるのは、人間の特権なのかもしれない。だからこそ、選択を与えられなかったこの猫には幸せになってほしい。

生きとし生けるもの、幸せになる権利がある

私も幸せでいることを選択した。「幸せになる」のではなく、「幸せでいる」ことを。

この本、面白かったよ

久しぶりに最近読んだ本のご紹介。

旅好きにとってはどこにもいくことができないこの時期、せめて気持ち的に旅を、インドを感じたくて最近読んだインド系の本のご紹介です。注:リンクはamazon に飛びます。

☆ 日本がアジアを目覚めさせた 

プロビール・ビカシュ・シャーカー (著)

著書は現在のバングラディッシュ出身。今では国が違うけれどバングラデッシュは元々、インドの一部でイギリス植民地時代の首都はコルカタ。このコルカタを中心としたバングラディッシュを含む地域がベンガル地方。このベンガル地方に焦点を当てて、イギリス直民地時代からインド独立、バングラディッシュ独立までの歴史を日本との関係を軸に書かれた本です。この本には東京裁判で判事を務めたパール判事(この方もベンガル出身)についても書かれています。第二次世界大戦と東京裁判については私たちが学んだ、または刷り込まれた認識とは随分違う見方で書かれている。詳しくは本書で。ただ一つ、パール判事は「日本の味方」ではなく、「勝者が敗者を裁く」こと自体に疑問を投げかけたと言うこと。これだけはちゃんと認識していないと、思想が変な方向に向かっていくので要注意。読み応えのある本です。

☆  ナチュロパシー マハトマガンディーの自然治療  松本恭 (著)

インドにある自然治療センターに滞在した著者の本。私もいつか機会があったらこのアシュラムに滞在して治療を受けたい。日本にも湯治という文化があるけれど、インドのこのようなアシュラムは施術はもちろんのこと、食事療法もあり日々の生活全般を通して治療をしていく。なので滞在型。(日々の食事がインド食でもオッケー!という人でないと辛いかな。)もちろん、外国人向けのリゾート系アシュラムもインドにはあるのだけど、「ガチな治療」を受けたい私は、いつの日にか!と思ってる。読み進めていると、いかに自分が不自然な生活様式を送っているかを認識。

Hare Krishna!  

こちらはアマゾンプライムで見つけたドキュメンタリー映画。1965年、一人の僧侶スワミス・ラブパード(この方もベンガル出身)が後ろ盾もお金もなく70歳の時にニューヨークに単身で渡り布教活動を始めるドキュメンタリー映画。今では世界中に彼の立ち上げたISKCON(クリシュナ意識国際協会)がある。20年以上も昔、渋谷の交差点の近くで、ISKCONの信者たちがマントラを唱えながら歌い、踊っていたのを何度か見かけたことがある。悪意も偏見もなく、どう見ても「奇妙」だった。「インドの宗教なんだな」それしか感想はなかった。そののち、インドのある村で一人の信者の方と出会った。特に入信を進めるわけでもなく、「お寺の前でサンキールタン(楽器を鳴らしながらマントラを唱えること)しているから、気が向いたらおいで」ってな感じで私も暇だったので、参加していた。お寺の敷地内、太陽で温まった大理石の床の上に座りヒマラヤ山脈を見ながらマントラを唱える。私はとても幸せな気分だった。正確に言えば、喜びのようなものが湧き上がってくる感覚。これがマントラの威力なんだな、と実感した。今でも時々、ふとマントラが口に出ることがある。瞬時に私をあのヒマラヤの村に運んでくれる。このドキュメンタリー映画を見て、あのインドの村で声をかけてくれた人はアメリカ人で年代的にもスワミが存命の頃で、彼が「私の師匠に出会ってその目を見た時、この人は”本物だ”と確信した」と言っていたのは、スワミご本人のことで直接、教えを学んだ人だったんだな、と今更ながら理解する。

さて、最近購入する書物は可能な限り電子書籍を購入している。これ以上、本を増やしたくない、というのがその理由。便利な世の中になったな、と思う反面、友達とかに「この本、貸してあげる」ということができなくなった。あと、これは感覚なだけだと思うけど、紙の本の方が頭に入ってきやすい気がする。「大事に」なりそうな本は、紙の本で、それ以外は、電子書籍を購入。本当は全部、紙の本を購入して必要となくなった時、必要な人に渡す、、、、そうしていきたいのが本音なのだけど。

ベジタリアン食材

ソイミートを使ったコンビニ飯やインスタントラーメンが色々出ているので試してみました。ノン・ベジの友達と一緒に試食会。

まずはIKEAで販売しているインスタントカップラーメン。IKEAは家具以外に食品も扱っているんだ。ただし通販では買えない。実店舗で購入。ベジタリアンも食べられるインスタントラーメン。健康的なのか不健康なのかわからないけど、私は健康のためにベジタリアンなわけではないので、こんなのがあって嬉しい。カレー味なのだか、辛いのが苦手な私には、ちょっと辛いほど辛い!ここまで辛さに気合いを入れなくてもいいのに。辛いのが大好きな人にはおすすめです。麺がイマイチ。ノンベジ友達の感想は「海外の日清カップヌードルよりはマシ」とのこと。コクがなく物足りない模様。日本のカップヌードルに慣れていると、海外モノは「なんで?」と言うほど不味い。それよりはマシ、だそう。

続いては無印良品のミートボール。無印良品も販売しているんだ!ソイミート。

うっすら下味がついているので、トマトソースと煮込んでトマトミートボールでもいいかも。今回は、カレーと煮込んで見た。今まで半端なく不味いソイミートボールに当たってきた。この無印のミートボールが一番美味しい。ただし原材料に粉末卵白が入っているのでベーガン仕様ではない。友達の感想は「子供の頃に食べたイシイのミートボールの味がする」とのこと。ハンバーグバージョンも販売してました。

ファミリーマートの「大豆ミートと野菜のあんかけどん」

どうしたのだろう?コンビニまでソイミート。ファミリーマートで大豆ミート使用のお弁当が販売されている。詳しくはここ

我が家から徒歩圏内に唯一あるコンビニはファミリーマート。何度足を運んでも大豆ミートシリーズに出会うことはできなくて、隣町のファミリーマートで購入。とても幸せな気分で帰宅して、念のためにプレート底に記載してある原材料を確認してみると、チキンエキス。なんで?隣町まで行って、チキンエキス入りの大豆ミート、、、、、外国人のベジタリアンが「日本の食べ物、何が入っているかわからないから怖い」と言っていたのを思い出す。日本語読めないから原材料が確認できないし。申し訳ないけど、これはノンベジの友達に食べてもらうことに。「、、、、本物の肉が食べたくなる、、、、」とのこと。そうか、そうなのか、、、、、、。しつこいようだけど、なぜチキンエキスを入れるのだろう?しばらくして、理解する。

別にベジタリアンのために商品開発してないし!  これに尽きるのかも。

環境問題やヘルシー嗜好の風潮に乗っての商品であって、マイノリティーのベジタリアンのために商品開発するはずないよね。私、勘違いしてました、横柄でした、ごめんなさい。

さて、ソイミート。結局肉が食べたいんでしょ!ベジタリアンでも!と言われることが多々ある。人によってソイミートを食す理由がそれぞれだろうけど、私がソイミートを料理する理由は、肉が食べたいと言うより肉食の名残りで「噛みごたえ」のあるものがたべたい、から。美味しい食事というのは味や香りや適切な温度ももちろん大事だけど、歯応え、噛みごたえと言うのも大事な要素。それをソイミートに求めている。

これに懲りずに、ソイミート商品に出会ったらご紹介を続けていきます。

立春

朝起きたらどこからともなく甘いほのかな香りがする。

昨日までなんでもなかったグリーンネックレスが開花していた。

暦の上では「春」と言うけど、植物たちはにはそんなこと、通用するはずもない。

でも、ちゃんと春のやってきたこの日に開花する。「暦の上」ではなく植物はちゃんと「春」がわかっているんだろうな。自然界ってすごい。人間も自然界の一部のはずなんだけど、人間より植物や動物の方が賢いような気がする。

今年に入ってから、より一層外出を控えひたすら自宅で作業の日々。先月、何人の人と会話をしただろう?と振り返ると定期的通院している病院以外は本当に数人としか会話をしていないような気がする。「引きこもり生活万歳!」な私だけど、流石に1年近くこの状態が続くと飽きてくる。スマートフォンがあれば気軽に友達と画面を通して会話ができる時代だけど、実際に顔を合わせてコミュニケーションを取ると言うのは本当に大切なことなんだな、と痛感する。そろそろ、どこかに行きたい。でも状況がそれを許さない。

「風の時代がやって来る」と色々なところで言われているけれど、正直私はあまり信じていない。同じところにじっとしていられない私にとって「変化の時代」は大歓迎なんだけど、大きな変化にはある種の「痛み」のようなものが伴うこと、経験上知っている。本当に大きな変化の時代の幕開けなら、ある種の覚悟が必要な気がする。

「覚悟はできている?」信じていないと言いつつ、日々、自分に問いかける。

仕事上の仕入れや材料の調達は主に海外から輸入・取り寄せになるのだけど、荷物が本当に届かない。相手からも税関をいつ通過できるかわからない、という返事が来たり、通常1週間もあれば届くものが到着が1ヶ月後の予定と回答が来たり。コロナの影響、人間の行き来だけでなく、物の行き来にも影響が出ているんだな、、、、

今まで通りにコトが進まないこと、たくさん。目の前にあること、今、できることをひたすらコツコツと進めていくしかない。

立春にあたって。 変化が来ようとどうなろうと。自分の小さな世界だけは平穏を維持していこう。この小さな世界だけが、私自身がコントロールできるのだから。