怒涛のインド・マナリ行き 最終章 2008/07/19 00:16:29

2時間で、バスは大きなバスターミナルに到着。でもここはマナリではない。
ドライバーはここで降りて、あっちのバスに乗れ、という。

またバスの乗り換えですか???私たち、「マナリ」までのチケット買ったよね????

チベット人お姉さんもドライバーに抗議。

でも、「このバスはここでお終い。あっちのバスに乗れ」

ここ、何処なのよ?バスステーションのサインボードを見る。
そして忘れていたヒンディ語がここでも読めてしまう。
「クッル」って書いてある。

そう、クルに到着、、、、でもマナリまで3,4時間の街、、、、、

「あっちのバスに乗れ」と言われたバスに乗り込む。

チベット人お姉さんが運転手になにやら説明。
「さっきのバス内で、マナリまでの通しのチケットを買った。」と言っている模様。

その間に、私のところにチケット売りのおじさんがやってくる。
「何処まで行くの?」と。

すかさずお姉さんが叫ぶ
「チケットは通しで買ったんだから、お金は払わなくていいよの!」

きっと私ひとりなら、「さっきのバスの運転手に騙されたな」と勝手に納得して、
このバスのチケット代も払っていたと思う。
、、、、払って、、、と言っても、もう1枚たりともチケットを買うお金はないんだけどね。

クルは以前、来たことのある街。
3時間でマナリに到着することも知っている。
自分が、今何処にいて、あとどのくらい時間が掛るのか、、、、
それをわかっているって、こんなにも安心するものなのね、、、、、

バスに揺られて3時間。時刻は夕方5時。
マナリにとうとう到着する。所要時間22時間なり。予定が12時間のところ、22時間なり、、、、、、、

バスを降りると、私の女神であるお姉さんが
「で、あたなこの後、どこに行くの?」と聞いてくる。
私のために、オートリキシャの交渉までしてくれる。

でも、まずは両替、、、、である。
街の中心地で両替してから、バシスト(というのが私の最終目的地)に行くから、、、、と言うと、
お姉さんは更に、リキシャマンと交渉をする。

交渉成立。

「まず、街の中心地まで行ってくれるって。そこでリキシャマン、1時間待ってくれるって。
両替だけでなく、お腹も空いているでしょ?
ご飯食べて買い物して1時間後、バシストまで行ってくれるって。
70ルピー(200円弱)、、、少し高いけど、いいかな?この値段で」

チベットの女神は、最後の最後まで親切だ。

本当の本当に、チベットに自由を!!!

「いろいろ、たくさん、ありがとう。あなたのお陰でマナリまでたどり着くことができました。」感謝を述べる私。

「大変だったよね、私だってこんな目にあったの初めてよ、ハハハ。ところで、あなた、日本人?」

「YES」と答える私に、女神はニッコリ微笑む。

「have a nice trip !!」

困難な目にあうと、必ず待ち受けていたように
手を差しのばしてくれる人が現れるのが、インドの七不思議のひとつ。

捨てる神あれば、拾う神あり。

22時間の、トラブル尽くしの旅路。拾ってくれた神様はチベット人。
===================== 余談 ===============================
今年(注:2008年)に入ってからのチベットの惨劇で心を痛め、
「チベットに、自由を!」と、心底思い、ちっとも行動派ではなかった私が
デモに参加したり、聖火リレーのときに捕まったチベット青年に手紙を出したりと行動した理由は、
「チベットという国」への憧れや、ダライラマ法王を崇拝しているから、、、、、
それが根本的な理由ではなかった。

確かにダライラマ法王は私の中で尊敬に値する人物。
、、、、でも、、、正直言って「そこまで」チベット仏教を崇拝しているわけではない。

私の心を揺り動かしたもの、、、、
それは旅先で、困ったときに、手を差し伸べてくれた何人かのチベット人の、親切心、やさしさ、、、、
言い換えれば、愛 が私の中にずっと住み続けていたから。

遠い昔に、与えてくれた愛。
その人たちが命を懸けて、叫ぶ「祖国に自由を」という言葉。
、、、、私だって一緒に叫びたくなる。

今回の旅でも、チベット人に救われた私。

R0015102

マナリのチベット人街にあるお寺で、ありがとう、と手を合わせる。
そして「チベットで、チベット人が自由に暮らせますように。」と祈る。

怒涛のインド・マナリ行き 5 2008/07/18 00:09:56

数時間後、バスは小さな町の、バスステーションに到着。
ここでマナリ行きのバスに乗り換えるという。

でも、なかなかマナリ行きのバスは来ない。。。。。

バスのフロントに、大きく行き先が表示されているのだけど、英語でなくヒンディー語。
もう、私を拾ってくれたお姉さんだけがたより。

30分経過。

お姉さんが「あのバスが、マナリまで行ってくれることになった。
あのバスに乗って!!荷物は車内に持込むこと!!」
再び荷物を背負って猛ダッシュ。

時刻は既に9時。、、、もう時間なんてどうでもいい。
バスが、私を、マナリにまで運んでくれるのなら。

、、、でも、、、バスに乗り込んで30分経過してもバスは発車しない。
正確に言うと、一度動いて、バスステーションの出口で止まったまま。

なんとなく、このバス、マナリにいかないかも、、、、という気持ちになる。

「サモサをお一つ、いかが?」
隣りの席に坐ったカルカッタのお姉さんが私にサモサを勧めてくれる。
このお姉さんは、バスチケットの半券を失くした私に、
「同じバスに乗っていたのだから、払い戻ししてあげてよ!」と援護射撃をしてくれた人。
払い戻しにしても、このあとのタクシーとの交渉にも、だんなさんでなくて、
彼女が交渉する。、、、多分、だんなさんは英語を話せない人なのかも。

そういえば、朝からチャイ以外なにも口にしていない。
、、、ありがたくサモサを頂く。

そしてカルカッタのお姉さんと、チベット人のお姉さんの会話。

カルカッタ:「ねぇ、マナリまであとどのくらい掛るの?」
チベット: 「多分、このバスが直接マナリに行ってくれればあと6時間」
カルカッタ:「まぁ、、、、、」

この会話、同じインド人同士なのに英語。よって私にも理解できる。
カルカッタ出身のお姉さんのファーストランゲージはベンガル語。
チベット人お姉さんのファーストランゲージは、チベット語、
だけど北インド出身なので、ヒンディー語も同じくらいに操る。

ファーストランゲージが違うもの同士、、、のインド人の共通ランゲージは英語なのです、、、、、

順調に行ってあと、6時間か、、、、、おやつの時間に間に合うわけね。

でも私の内なる声は囁く「このバス、マナリまで行かないよ」と。

15分経過。車内も「なんとなく、おかしいぞ」という雰囲気が漂い始める。

一度車外に出たカルカッタのお姉さんが、バスに戻ってくる。

カルカッタ:「このバス、出発しないみたい。で、タクシーの運転手を二人捕まえて交渉したの。
ひとり400ルピーでマナリまで行ってくれるって、、、」
チベット:「400ルピー、、、、それは高すぎるわよ、、、、」
私:    「そうだ、そうだ、高すぎる!!」

実はこの時の私の所持金は、払い戻しをしてもらったお金を合わせても300ルピー。
昨日の朝、デリーに着いてからまだ両替をしていなかったのである。
空港からバスターミナルまでのタクシー代とナイトバスの代金は、
前回の旅で残ったルピーで支払った。残りは100ルピー。

どうせ、「夜出発して起きたらマナリ」なのでマナリで両替すればいい。
長距離移動中は、殆んどご飯を食べない私。車酔いするから。

全財産、300ルピー。このバスの中で一番所持金の少ないのはきっと、私。

困ったな、300ルピーしかないよ。タクシーは使えない。
、、、アメリカン・エキスプレスのトラベラーズチェックならあるよ、
あと、日本円も。クレジットカードなんて、海外で100万円まで使えるんだから、、、、、

ところで、カルカッタのお姉さん、なぜ「2台のタクシー」と交渉してきたか?
カルカッタのお姉さん、だんなさん、チベット人のお姉さんとその家族そして私。
あわせて8人なのである。
、、、、みんなで、マナリまで行こうよ、友よ!の親切心で交渉してくれたのです。

チベット人のお姉さんは決断した。

「このバスは、もう無理。■×△まで行って、そこからマナリ行きのバスに乗ろう!」
(私の読みだと、急にマナリ行きになったこのバスに対して、地元のタクシードライバーが、
俺たちの食いブチ横取りするな!と抗議したんだと思う。
バスドライバーの周りに地元のインド人が集って、ギャーギャー騒いていたもん。)

土地勘のある、このお姉さんに異議申し立てをする者はいない。

ちょうどタイミングよく■×△行きのバスが来た。(らしい)

「あのバスに乗るの!!荷物は車内に持込んで!」

乗客、大移動。猛ダッシュ。

先頭を切るチベット人お姉さん。
この人の特技は、目的のバスに乗り込み・座席を確保すること。
で、必ず二席、確保する。
なぜか?  私たちバス難民の中に足の不自由のチベット人のおばあさんがいる。
(お姉さんの家族ではない。)
このおばあさん、娘さんと思われる女性の肩を借りてやっと歩けるほど。
このおばあさんのために、お姉さんは毎回、バスを乗り換えるごとに席を取ってあげるのである。
で、余裕があると私に「あなた、あそこの席が空いている!」と教えてくれる。
たまにお姉さんから離れた席を確保している私に
「ちゃんと乗れた(坐れた)かしら?」と必ず車内で私を探してくれる。
眼が合うと、ニッコリ。

本当にいい人なのである。ああ、チベットに自由を。

、、、、このバスで、席を確保できなかったのは私だけ、、、とろい。

しょうがないので、荷物で埋る、通路に座り込む。
正面にいるインド人のおばさんと眼があう。
おばさんが後ろに向かって、なにかを叫ぶ「■×◎=-#ジャパニ!!。」
ジャパニ(日本人)それだけは聞き取れた私。
次ぎに私に向かって何かを叫ぶ。
「$$&△■!!」、、、、ヒンディ語、わかりません、、、私。
3度、おばさんは叫ぶ。乗客みんな私をじーと見つめる。
、、、私の荷物の上に坐るな!って怒っているのかな、、、、、、、
だって、しょうがないでしょう、、、、
4度めの叫びの後、どこからか英語が聞こえてきた。

「後ろの席、空いているから坐りな、って言ってるよ、この人。」
小さな、男の子の声。

怒っているように見えたこのおばさん、最後列に向かって
「この日本人が坐れないでいるから、坐らせてやってよ」と叫んでいたのです。
で、最高列に坐っていたふたりの子供を抱えたお母さんが、
子供ひとりを自分の膝の上に、もうひとりを前列に坐っていた女性に預けて
(いいよ、あなたの子供、私が膝の上に乗せてあげる、、、、全く他人の女性)
私のために一人分の席を作ってくれたのです、、、、、
ありがとう、ありがとう、と言いながら、席に坐らせてもらう私。

数時間後、知らないバスステーション着。で、次のバスを見つける。

「これが最後のバスだからね」とチベット人お姉さんに励まされる。

「マナリまで!!」と言ってチケットを買う。100ルピー。
既に私の所持金はローカルバスを乗り継いだために、100ルピーを切った。
只今の時刻、お昼。あと3時間で目的地に到着する、、、、はずだよね。

R0015083チベット風餃子、モモ

なぜバスは動かない?

ヒマラヤ眺めながら、温泉入って、

こーゆーの食べてまったりしたいんだよ!私。

 

 

 

怒涛のインド・マナリ行き 4 2008/07/17 11:41:19

、、、、さぁ、これからが本番。怒涛のインド・マナリ行き。

来るかどうか判らないローカルバスをひたすら待つ、それしか手段のない、
取り残された、元乗客。

チャイを飲んだり、その辺をぶらついたり、「今頃、目的地に着いている時刻だよな、、、、」
諦めの悪い私はそんなことを考えながら時間を過ごす。

チャイを飲んで、元乗客の場所に戻ると、
「拾う神」であるチベット人のお姉さんが「あなた、バス代返してもらった?」と聞いてくる。

なんでも、バスは途中で止まってしまったわけなので、200ルピーだけ、
ドライバーが、その場にいた元乗客にお金を返しているらしい。

「早く運転手のところに行って!!200ルピーだよ、200ルピーを返してもらうんだよ!!」

あ、白人のお兄さんたちにも教えてあげよう、、、、、
探してみたけど、姿が見えず。ヒッチハイクに成功した模様。

一度、手元を離れたお金、そんなもの、このインドで戻ってくるのでしょうか??

でも、バスの入り口で本当に運転手が払い戻しをしている!!

「はい、チケットの半券見せて」

ソンナモノ、トックニ、ナクシチャッタワヨ、ワタシ。

チケット、、、、本当によく失くす私。
飛行場で、搭乗券だってなくしたことあるし、
免税店でパスポートを置き忘れたことだってある私。

「半券ないと、払い戻しはできないよ」、、、はい、なにも言い返すことはできません。

そんなとき、後ろから援護射撃の声が。

「この人、同じバスに乗っていた。私の前の席だったからよーく覚えている!!
だから払い戻ししてあげてよ。」

声の主は、カルカッタからダンナさんとやってきたインド人のお姉さん。
(もしかしたら、新婚旅行だったかも)

このお姉さんの援護射撃のお陰で、半券失くした私も、200ルピー受け取ることができた。

「200ルピー、返してもらった?」戻ってきた私に、チベット人のお姉さんが確認。

「うん、ちゃんと返してもらえました」私のその言葉にお姉さんはニッコリ。

やっと一台のローカルバスがやってきた。

「このバスに乗って!!荷物は車内に持込むこと!、、、屋根の上に乗せらちゃうの、ローカルバスだと。雨も降っているし、荷物が落っこちることもあるから」
チベット人お姉さんの合図で、荷物を背負ってバスに向けて猛ダッシュ。

、、、やっと移動ができる、、、時刻は朝の6時。
目的地到着時間に、やっと移動開始。

怒涛のインド・マナリ行き 2 2008/07/15 08:43:53

バスターミナル到着。

巨大なバスターミナルでびっくり。

インドは鉄道が発達している国だけど、レールの引けない山岳地帯などは長距離バスで移動する。

荷物預かり所で、とにかく思いザックを預け(25円ほど)、トイレで顔を洗う。、、、、
ネパールと較べると暑い。38度くらい?汗ダラダラ。

本日最初のご飯を食べることにする。
広い構内にはたくさんの定食屋さんがあって、客引きが
「ターリー、ターリー!!」と叫んでいる。(ターリーはインドの定食。勿論カレー)
そのうちの1軒に入る、、、、入るといっても一軒一軒建物になっているわけではない。
良く言えばフードコート。ハエがぶんぶん飛び回って、野良犬がおこぼれを物色しているフードコート。

「アメリカン・ブレックファーストをお願い。タマゴはサニーサイドで」
、、、、、そんなのは存在しない。
メニューはターリーとサモサとチャイとジュースのみ。
、、、、本当に、インド市民のバスターミナル。
メニューは全てヒンディー語。

前日までお腹を壊していた私は、カレーなんて食べたくない。
でも、カレーしかないので、ターリーを注文、、、、するしかない。

本日初めてのお食事。、、、、、辛い!!
ネパール料理は比較的マイルドな味なので、余計に辛く感じる。
ああ、インドに来たんだな、と実感する。
余りの辛さにむせていると、隣りのチベット人のおじさんが大笑い。

「ハハハ、辛いか?ハハハハ。」

「今朝、ネパールから着いたばかりなんです。デリーのカレー、辛いです。」

「そうか、オレも今朝カトマンドゥから着いたばかりだ」

なんだ、同じフライトだったのか、このおじさん、、、と思っていたら、
なんとおじさんはバスでデリーまで来たそう。
所要時間、スムーズにいって35時間。バス代3200円。
35時間のバスの旅、、、、、、それも夕方街についてそれぞれ宿を取って
翌朝、集合して再出発、、、、とかではなくて、
35時間ノンストップのバスの旅なんだそうである。

今晩のナイトバスに乗って、ふるさとのダラムサラまで帰るそうである。

「ダラムサラまでって、、、13時間くらい掛るよね?まだバスに乗るの????」

「ハハハ、バスに乗らないと帰れないからね、乗るよ、ハハハハ」

チベット人の魅力はとにかく大人でも、子供のように無邪気に笑うところ。
大声で、くったくなく、笑う。

35時間もバスになんて乗るなんて、カトマンドゥからデリーまで、
陸路という選択枝があるなんて、想像もしなかった私。

110ドル(約12000円)で1時間20分のフライト(でも3時間遅れた)だった私。

3倍以上お金払っても私は楽な道を選ぶよ!!

、、、、でも結局私もこの後、22時間もバスに揺られることになる、、、、

お腹も満たしたことだし、とにかくマナリ行きのバス停留所を探す。

ひとつだけ、タクシーのオヤジは正しいことを言った。

バスターミナルには、英語表示はない。 you are right。

表示は全てヒンディ語。アルファベット一切なし。

不思議なことに必要に迫られると、大昔に忘れたヒンディー語が読めるようになっちゃうのである。

「マ・ナ・リ、、、ここだ!!」

バスチケットを下さいと言うと、チケットは2階のチケット売り場で。
出発は夜6時、、、とのこと。(英語は通じる)

二階に上ると、チケット売り場。広い構内に、人がいっぱい寝ている。
地べたに。ハエのぶんぶん飛び交う、地べたで。

ここでもヒンディ語の「マナリ」の文字を見つけブースに直行。
、、、、でも今はお昼休み。2時になったらおいで、とのこと。
ちなみにバスはエアコンつきで600ルピー。(1600円)所要時間12時間。
夜の6時に出発して、寝ていれば翌朝には目的地に着く。
2時まで時間があるので、私もまわりのインド人に見習って、地べたに横になる。しばし仮眠。

、、、、眠れない。ハエが私の鼻の穴やまぶたに、止まる、止まる。
ハエは水分を求めて、人の粘膜(鼻の穴、眼)に集る。
ちなみに蚊に刺された所がジュクジュクしているとそこにも止まる。
「どこででも眠れる」ことが自慢の私だったけど、さすがに無理。

周りのインド人を見てみると、鼻の穴からハエが出入りしていても寝ている。
、、、、私、まだまだ修行が足りないな、、、、、と痛感。

それでも結局眠いので寝てしまう。
暫らくすると、「マダム、チケットはもう買いましたか?」という声で眼が覚める。
旅行代理店の名刺を持ったインド人が立っていた。

「絶対信用するな、デリーの旅行代理店」なんだけど、なんとなく話を聞いてみる。
(、、、、これが大失敗の元であることは、翌朝早朝知ることとなる)

プライベートバスでマナリまでいかないか?という営業だった。
エアコンつきでガバメントバスより50ルピー安い550ルピー。
なんとスリーパーバス、、、、なんだそうである。
右半分は座席、左半分は寝台になっているバス、、、があるらしい。
ゆっくり横になって、翌朝起きたら目的地、、、なんて最高である。
この「スリーパー」に心を動かされ、旅行代理店でバスのチケットを買ってしまった私。
、、、、今ならわかるやっぱりデリーの旅行代理店なんて、信じちゃいけない。

でも、寝台という言葉に、ついつい乗ってしまった私だったのよ、、、、

 

R0015065

 

バスターミナルでの一杯のチャイ。

怒涛のインド・マナリ行き 3 2008/07/17 09:08:56

「インドの1時間遅れは、日本の5分遅れ。インドの1時間遅れは、、、、」

マントラのようにこの言葉は唱える私。
6時出発のはずのバスはまだこない。
西日のジリジリ当たる、道路の片隅でナイトバスを待つ私と多数のインド人。
時刻は7時を過ぎている。

決して辛抱強いとは言えない国民性のインドだけど、
「予定通りに進まない物事についてはひたすら待つしかない」
このことに関してはとても寛容で辛抱強い。

誰も文句は言わない。西日にジリジリ焼かれながら。

昔はいつ来るか判らないバスや列車を待って、夜を明かしたもんだよ、
プラットホームで、バスターミナルの地べたで。
知っている?地べたって、太陽の熱をいっぱい溜め込んでいるから直接寝っころがっても暖かいんだよ。
もちろん夜明け前は寒くなって眼が覚めてしまう。
そうすると、近くで焚き火を起こしているインド人が「焚き火にあたれて」って手招きしてくれるんだ。
こんなハプニングも、旅のいい思い出だな、、、、、、、
、、、、そんなことを思っていられたのも20代までの話。

私はすでに30代後半。

金は払っているんだ。バス、とっととこんかい!オラ!!!!

予定時刻1時間半を過ぎて、バス到着。

チケットを見せて乗り込むと、はい、あなたはこの席、、、と言われる。

席じゃないでしょ、スリーパーでしょ?私がお金を払ったのは!!

「マダム、あなたの払ったの550ルピーは座席の値段。スリーパーではない」

、、、、一本取られました、旅行代理店に。

チケットを購入するとき、念のため「スリーパーバスだよね?」と確認した私。

答えは「YES」。

でも、スリーパーつきバスのチケットだけど、あなたにスリーパーを確保したなんて、一言も言ってませんよ。僕たち。

、、、、ただちに、旅行代理店に怒鳴り込んでもそう言われるのがオチ。

ま、ガバメントバスより気持ち安いし、このバスに乗っていれば目的地まで運んでくれるんだし、
いいか、、、、騙されたけど、ボラれた訳ではないし、、、、、、
でもエアコンつきって言ったのに、エアコンちっとも効いてないけど。

そう、野宿するよりはマシ。バスが来て、乗れたし、席はあるのだから。

これから12時間の旅。さすがに朝からの移動で疲れた私は、爆睡。

、、、、真夜中の12時ころ、眼を覚ますとバスが止まっている。
「休憩時間なの?」と他の乗客に聞くと「道が渋滞しているらしい」とのこと。
ふ~ん、そうなんだ。再び眠りに就く。

明け方、もう一度眼を覚ます。、、、バスは「渋滞に巻きもまれた」場所から動いていない。

なんだかおかしいぞ。
ものすごい、田舎道でバスは停まったまま。
道沿いには、数軒のチャイ屋と、警察の詰め所。
とりあえずバスは動きそうにないので、青空トイレをしに外に出て
朝一番のチャイを飲む。
30分ほど外でフラフラしてからバスに戻る。

暫らくすると、知らないインド人がバスに乗り込んできてなにやら叫ぶ。
乗客が一斉に動き出す。荷物を持って、、、、、、、

ナニガオコッタノデショウカ???

ひとりのチベット人のおねぇさんを捕まえて、なにが起こったの?と聞いてみる。

「私たちの乗っているこのバス、バス会社は払うべき税金を払っていなくて、警察の検問で止められたの、
真夜中に。さっき男性が叫んでいたのは、
このバスは、これ以上先には進まないからみんな降りろって言っていたの」

バスは動かない。あとはそれぞれ頑張って自力で目的地に行ってください、健闘を祈る。

、、、、、こんな感じでしょうか????冗談じゃないよ!!!!!

乗客みんな、諦めてバスを降りる。バスの車体に書かれている電話番号をメモる人もいる。
そう、後でチケット代を返してもらうために。

、、、、で、私、どうすればいいわけよ。だいたい、ここ、どこなの???

目的地は標高2000メートルの場所。
でも現在地の景色は、、、、まだまだ山が低い。
夜中の12時から止まっていたということは、半分の距離を走ったかどうか、、、、ってところ。
、、、、、雨も降っています、、、、、、、、

このバスで、外国人乗客は私の他に白人のお兄さんふたり。
彼らは早速、トラックを止めてヒッチハイクの交渉をしている。
他の乗客インド人たちは一斉に携帯電話を使いだす。
目的地が近い人、知り合いが近くにいる人は、助けを求めているよう。
、、、、1時間もすると、乗用車が迎えにきて、「よう、よう、大変だったな」ってな感じで、
1組、2組と消えていく、、、、、

私、こんな場所に知り合いなんていません、携帯も持っていません、
ガイドブックだって持っていません。。。。

うーん、どうすればいいのかな?私。

すると先ほど、バスが止まった理由を教えてくれたチベット人のお姉さんが
「あなた、何処まで行くの?」と声を掛けてきた。
なんと、お姉さんたち家族もマナリに帰る途中だったらしい。

「じゃぁ、一緒についてきなさいよ!」

捨てる神あれば拾う神あり。

今回の神様はチベット人。

お姉さんの話によると、とりあえずここでローカルバスが通るのを待つ。
そして◎×*という街まで行って、そこからマナリ行きのバスに乗る、、、ということ。

◎×*までは歩いていけないの?と聞くと、余りにも遠すぎるとのこと。

ローカルバスを待ちましょう。
そして、このお姉さんについていきましょう。
それしか選択枝は残されていません。異邦人の私には。

R0015071
路頭に迷う乗客

「夜、出発して、朝になったら目的地に到着している、、、、、」
ヒンドゥの神様を信じるがごとく、ダライラマを信じるがごとく、
ブッダを、キリストを信じるがごとく、、、、、、、、
そう信じていた、路頭に迷う、元乗客たち。
撮影している私も路頭に迷う乗客のひとり。

怒涛のインド・マナリ行き 2008/07/14 11:12:33

あんなに辛かった水下痢・熱も正味2日間苦しんで、すっかりと治る。
あの苦しみが嘘のよう、、、、、

そんな訳で、10日間ほどインドに行くことにする。
朝一番のフライトでデリーに入り、そのままバスターミナルに直行して、
ナイトバスに乗り、翌日早朝にはインド側からヒマラヤを眺める、、、、
そんな予定でした。

そんな、予定でした、、、、、、

今回のインド行き、最初からつまづいた。
まず、カトマンドゥの空港で、飛行機が遅れ3時間も小さな、小さな、
とても一国の首都の空港とは思えない空港で、3時間待機する。
フライト時間はたったの1時間20分なのに、3時間待たされる。

なんとかお昼にニューデリーの空港に到着。
空港内のツーリストインフォメーションで、北部地域行きのバスターミナルの場所を確認する。

、、、ここまではよかったけど、乗ったタクシーが曲者だった。

インドを旅する人の間では有名な話なんだけど、
インドの最大の関門(洗礼)はこのデリーの空港。
正確に言うと、デリー空港から目的地(だいたいは安宿街)までのタクシー。
、、、、目的地までまっすぐ行かないタクシー。
なんだかわけのわからぬ旅行代理店に連れ込まれ、
「お前の泊ろうとしているホテルは閉鎖中」と言って他のホテルに宿泊させようとする。
もしくは、高額なツアーを組む羽目になる、、、、
この被害、10年以上前からちっとも減らない。

「そんなの、振り切ってしまえばいい、、、」そう思う人もいるかも知れない。
でもこのアクシデントが起こるのは日没後が多い。
デリー空港は24時間フライトがあるし、だいたい安いチケットは真夜中の到着。
真夜中に、土地勘のない外国人が旅行代理店に連れ込まれ、
イヤイヤ高額ツアーを組んでしまったりするのです。

お金だけ失うならまだまし。
数年前には真夜中のデリー空港の裏の空き地で、到着したばかりのヨーロッパ人女性が
タクシーの中で殺されちゃった、、、、洒落にならない事件が起こった。
それも、流しのタクシーでなくて、プリペイドタクシー――――
タクシーのナンバーと、乗客の名前とパスポートナンバーをちゃんと控えてから前払いで、
均一料金で目的地まで行ってくれる安全なはずのタクシーで起こってしまった事件。

「デリー空港には魔物が住んでいる」、、、、本当にそう思う。

そんな魔物に遭遇したくないために、夕方到着便でも構わなかった私は
わざわぜ早朝便でニューデリーに到着した。

幸運なことに今まで4回ほどニューデリー空港から入国しているけど
この魔物に遭遇したことはない私。

でも今回初めて「まっすぐ目的地に行ってくれないタクシー」に遭遇。

タクシーのドライバーがやたらと私の目的地のバスターミナルは良くない、を連発する。
インド人用のバスターミナルなので英語表示がないから
外国人である私は目的のバスのチケットを探すのに苦労する、
ガバメントバスは良くない、ツーリスト用のバスではないから良くない、、、などなど。

「あなたの話はよーくわかりました。でも目的地に行ってください。」
あとは、無言。おやじの話に相槌も打たず。

、、、でもタクシーは目的地に行かない。
細い路地を入って、なんだか知らない建物の前に到着。
ここは、◎■~=観光局。ここでバスのチケットが買えるから値段を聞いてこいと言う。

、、、無言。そして絶対にタクシーを降りない私。

「どうした?ツーリストバスはここから出発する。チケットもここで買えるから」

、、、、無言でオヤジをじっと見つめる。無表情で。

車中で見詰め合うふたり。
オヤジの眼が「あれ?おかしいな、、、」という表情に変わった瞬間、

「バスターミナル、プリーズ。」と、
少し強気の口調で一言。この間も絶対眼をそらさない。

「、、、、ティケ、、、(O.K)」 オヤジは諦めたらしく、タクシーは動き出す。

大体、朝から何も食べていない私はすこぶる機嫌が悪い。
ここで怒鳴り散らしてオヤジとケンカするエネルギーが勿体無い。
でも、もう一言、オヤジがプッシュしたら完全に切れていた私。(理由:お腹が空いているから)
「ガバメントバスは良くない、、、、」
「チケットを探すの困難、、、、」

100歩譲って、一人ぼっちの旅行者への親切心、、、、そんなものは今のところ、どうでもいい。

それよりインド国民、いや、デリー市民として
「魔物が住まうデリー空港」「デリーの人間の言うことは嘘ばっかり」
、、、、そんな汚名を返上する努力をしろ。
旅人への親切心はその後だ。
、、、、なんとか寄り道したけど、無事バスターミナルに到着。

でも怒涛のインドはこれから。

雨のカトマンドゥ 2008/06/17 19:22:34

こんにちは。ただいまネパールの首都、カトマンドウに居ます。
時刻は午後の7時30分です。
久々のネパールですが、知り合いに再会したり
いろいろクリスタルを見たりで、なかなか充実した毎日です。

たまたま入ったクリスタル屋さん(今まで知らなかったお店です)で、
「こういうものを探しているんだよね、、、、」と言ってみたら、
「店にはあまり置いていないけど、家にならいっぱいある、今から家に来い!」とのこと。

で、早速お店を閉めて、バイクの後ろに乗っけてもらって
そのクリスタル屋さんの家までゴー。

お店からだいたい5キロの道のりの間、
そう言えば小さい頃から「知らない人について行っては行けません!」と
親によく言われていたな、、、、そんなことを思い出す。
小さいころからずーと言われていたのに、
いい歳になって、それも外国で、知らない人について行っちゃっている自分。
大丈夫なのか???

でも知らない人について行って大正解。
本当にいっぱいのクリスタルを見せてくれたし、
箱売りではなくて、好きなものだけ選んで買うことができました。

ネパール人の最大の美徳は、人と人の間に距離がないこと。
そして、1度「オトモダチ」になると、どこまでも親切なこと。

日本での私だったら、絶対初対面の人を家になんて招かない。
それもついさっき会ったばかりの人を。
でも、ネパール人はなぜかそれをしちゃうんですよね。。。。。

そう言えば古くからの知り合いのクリスタル屋さんでも
知り合って数日後に「もっといっぱいクリスタルを見せてあげるから」と
言って、家まで付いていっちゃったんだよな。
翌日には夕ご飯まで招待された。

ネパールで、クリスタルを通して出会う人にはなぜかハズレがない。
それどころか、どこか、深くでつながりがある、、、と感じることが多々あります。
不思議な出会いに、導かれる場所。ネパール。
明日から、インドに行ってきます。

ネパールの洗礼・下痢 2008/07/13 11:17:47

ここで私がネパールの首都・カトマンドゥでの常宿のご紹介。

タメルという、外国人旅行者の集る特別地区(?)にあるホテルに毎回宿泊。
最初にネパールを訪れたときに泊まったホテルの従業員ふたり(ネパール人)が
独立して始めたホテル。
ホテルの隣りは、銀行で両替をするのにとても便利。
(街の両替屋さんよりレートもいいし、バンクレシートも発行してくれるし)

特に仕入れの場合は10万円単位で両替するので、銀行を出て10秒でホテルに戻れるのは
安全面においてもとてもいい環境。

銀行の隣りはインターネットカフェ。ホテルから15秒。
ホテルの斜向かいは、ミネラルウォーターやタバコを売っている雑貨屋さん。
ホテルの立地条件も本当に中心部にあり、取引先へ行ったり、また
取引先の人が訪ねてくるのにとても便利です。

小さなホテルだけど、レストランもあります。
疲れて帰ってきて、外のレストランに行く元気がないとき、
病気をして、とても外食なんてできそうにないとき、
レストランがホテル内にあるって本当にありがたいことです。

そう、病気をして外食なんてできそうにないとき
ほぼ仕入れが完了して気が抜けたのか、その晩から激しい水下痢と発熱。
お腹がしぶってイタイ、、、ピーーーなのではなく、
トイレに腰掛けたら、自動的にシャーーーー、、、キバル必要なし。
水を飲んだら、5秒後にシャーーーー、、、なのです。

まいったね、、、到着して間もないし、食べ物にはとても気をつけていたはず。
バナナラッシーだってまだ我慢して、チャイしか飲んでいない。
何がこんなに激しい下痢を誘発したんだろう、、、、、

とにかく、水を飲めば飲むほど、出口から出ていく体内水分。
こんな時は、サトウキビジュース、、、、ジュース屋までたどり着く元気なし。
そうだ、あれだ。アジアのどこの薬局でも売っているパウダー。
水に溶かして飲む、ポカリスエットみたいなの。
抗生剤は日本から持ってきているので、それを服用。
でも脱水症状に陥らないためには体内の電解質バランスを整えないといけない。
あのパウダー、なんていう名前だっけ?オーラルなんとかだったはず、、、、
とりあえず朝だし、フロントまで降りよう。
薬を飲むのに、お腹の中になにか入れておかないと。
それに「日本人女性旅行者A、この日まで生存確認」って証拠にもなる。

4階の部屋から、階段で降りるのが辛い、、、、
ここまで弱っちゃうのか?たった一晩で。

「グッドモーニング、元気?」
ホテルのオーナーのひとりを発見。
「昨日から下痢と熱がひどくて、、、こあたりに薬局ってあったっけ?」
「5分くらいのところにあるよ。それより、大丈夫か?」
「ちっとも大丈夫ではありません、、、、、」

彼曰く
「アヤは忙しく動きすぎ。仕事できたのはわかるけど、
たった4日前に、日本を出て、バンコクに一泊してここまで来たんでしょ?
カラダは疲れているのに、ほとんとホテルの部屋にいないじゃないか。
僕たちと殆んどお喋りしていないし」

、、、確かにそうかも。
思っている以上にカラダは疲れているのかも。
それなのに、日本と同じペースで気候の違う国で走り回っていた私はバカかも。

「ま、とりあえず朝食を食べて。それから従業員をひとり、薬局まで案内させるからさ。」

、、、、ありがたい申し出ありがとう。

食欲はないけど、とりあえずヨーグルトを食べる。

食べ物を食べるって、こんなに体力を使うものなのね、、、、
たった茶碗1杯のヨーグルトを食べただけで、ドカンと疲れがでる。

フロント脇の傍でしばし、休憩、、、、

「具合、悪そうね。薬局行くんでしょ?薬を買いに?」
フロントの女性が声を掛けてくる。

「イヤ、薬は日本から持ってきた。ほら、なんだっけ?水で溶かして飲むパウダー。
下痢の時に飲むの、、、、、」

「ああ、◎×■&のこと?それだったら、今買いに行かすから待ってて!」

本当にありがたい、、、、、1袋8ルピー(約12円)

それが、これ

R0015054
文字の読めない人(私もネワーリー語が読めないので、そのうちの一人)のために、
イラスト付きの説明も。

1、まずよく手を洗います。
2、コップ5杯分の水を鍋に入れます。
3、その中に1袋のパウダーを投入。
4、幼児にはスプーンで飲ませる。
5、乳児には、、、、なんだ?おっぱい飲ませているイラストなんだけど、、、
お母さんが最初に飲んで、母乳経由で摂取か?違うよね。

早速、水に溶かして一杯飲む。
しょっぱ甘い、健康だったら絶対飲みたくない味。
でも、飲み干してみるとカラダにじんわり水分が吸収されるのがよくわかる。
5秒でトイレ直行、、、、ってことはない。
干からびていたカラダにエネルギーが戻ってきました、、、と言う感じ。

ネパール旅行中にお腹をくだしたら、絶対これ、です。
もちろん、日本からポカリスエット持参もナイス アイディア。
(味はポカリスエットのほうが断然美味しいし)

一杯飲み干して、ベッドで休息。

「トゥルルルルル、、、、」部屋の電話が鳴る。

「ハロー、、、、、」
「体調悪いって聞いたんだけど、大丈夫?」

もうひとりの、ホテルのオーナーからの電話。

「この時期は急に暑くなったり冷えたり、するからネパール人でも体調を崩しやすいんだ。
それに衛生面でも、、、、ほら、日本と全然違うでしょ?
ところで、インド行きのフライト、どうする?明日のフライトなら席を取れるけど、、、、、」

そうだ、仕入れもひと段落したので10日間、インドに行こうと思って
チケットを頼んでいたんだ!!

「明日は、とてもじゃないけど無理。3日後のフライトにして、、、、」

、、、、本当に3日後に治っているのか?この下痢と発熱。

ネパールでの仕入れ 3 2008/07/10 15:15:37

翌日、暴動もなく約束していたお店に行ってクリスタルを見せてもらう。

籠に、箱にいっぱい詰め込まれたクリスタルを選別、、、、
、、、それでも選んだクリスタルはたいした数にはならなかった。

「家においで。もっとたくさんのクリスタルを見せてあげるから。
今からお店を閉めて、ウチに行こう!!」

本当に「もっとたくさんの」クリスタルがあるなら、やっぱり見せてもらいたい。
うん、それじゃ、お言葉に甘えて見せてもらおう。

お兄さんはお店の鍵を閉めてバイクを持ってきた。
あれ?家までは徒歩圏内じゃないの????

「家はここから5キロくらいの場所。さぁ、後ろに乗って!!」

いざ、出発。

タメル(という、外国人観光客の集る地域)を抜けて、どんどんローカル色の強い地域に入っていく。
今まで、まったく足を踏み入れたことのない地域です、、、、

「知らない人に付いて行ってはいけません」

子供のころから親に何度も何度も言われた言葉。そしてちゃんと言いつけを守ってきた私。

私、今、知らない人のバイクの後ろに乗って、知らない人の家に行こうとしているんだけど、、、、
いい歳をして、外国で。

う~ん、大丈夫なんだろうか?私。

15分後に到着した場所は、絶対一人ではたどり着くこのはできない一般ネパール人の住宅街。

「さぁ、さぁ、2階に行って早速クリスタルを見せてあげる」

お姫様が降りてくるような階段を上り、一室に通される。
ダブルベッドだけがポツンとある、棚に少しだけクリスタルのあるお部屋。

、、、、この部屋、ベッドだけしかないんですけど、、、、、
、、、、ドアは開けたままにしておいてほしいなぁ、、、、、

こんな部屋に通されてどうするの?と素朴な疑問が浮ぶ。

「さぁ、さぁ、ゆっくりクリスタルを見てね」と、ベッドカバーをどけてみると、、、、

R0015040

本当にクリスタル出現

、、、思わず、「oh! crystal bed !!!」 と叫んでしまった私。
すごい、、、、実はこの部屋だけでなく、隣りの部屋もクリスタルで埋め尽くされていた。

「ねぇ、あなた、この家にあなたのプライベートなお部屋はあるの?」思わず聞いてしまう。
、、、、愚問です。なんたってお屋敷ですから。お部屋はたくさんあります。
これだけの量のクリスタルを持っている商人は普通、卸売りといって
アソート(いろんな質のクリスタル混ぜこぜで1つ1つ選ぶことはできない)で、1キロいくら、、、
それも10キロ以上、、、、そういう売り方をする。(もちろん、1キロ当たりの値段は安くなる)

でも、今回は「好きな石を選んで構わない、最低重量制限なし」という
弱小クリスタル屋である私にはとてもありがたいお言葉を頂く。
そして値段も良心的。

選べ、、、と言ってもこの膨大なクリスタルからチョイスするのは相当な時間が掛りそう
(結局4時間掛った)
隣りの部屋に行ったりきたり、お兄さんにも手伝ってもらってクリスタルの選択を始める。
もちろん、私の心に響く石を、、、、、
今回、小さな、質の良いクリスタルを選んでペンダントトップをオーダーしようと思っていた。
昨日まで、他のクリスタル屋さんで「小さくて、質のよい」ものを探していたけど
なかなか数が揃わなくて困っていた。
が、ここにはいっぱいある。

4時間経過してやっとクリスタルの選別終了。
軽く梱包をして、再びバイクでお店に戻り、梱包を再び解いて目方を量り、
支払いをして、再び、今度は厳重に梱包、、、、我、よく働く。です。

さすがに4時間集中してのクリスタル選びは、疲れる。
でもそれに付き合ってくれたお兄さんには本当に感謝。
普通に卸売りをすれば、こんなに時間を掛けずに商売成立するはずなのに。

私を拾ってくれた神様、本当にありがとう。
たまには「知らない人」に付いていくのもいいかも。

このあと他の店で小さなクリスタルのペンダントトップ加工のオーダーをして、
ついでにジェムストーンを選んで指輪やペンダントトップをオーダーする。

これで今回の仕入れはほぼ終了ってところです。

この日はホテルに戻り、シャワーも浴びず、夕食も取らず、ベッドに倒れこむ。
なんとか予定通りに仕入れが終了して気が抜けたのか、
翌朝から激しい水下痢と発熱に襲われる。

きついぞ、この症状。

でも仕入れが終了してからの発病でよかった、、、と安心する私。

ネパールでの仕入れ 2 2008/07/09 18:54:54

さて、次なる仕入れ先に向おう。

次ぎの仕入れ先はきれいな石もジャンクな石も、混ぜこぜ・宝探しをするように
石をチョイスする(しなければならない)お店。

普通、外国人用にキレイな、グレードの高い石を店主が前もって選別して見せてくれる、、、、
このパターンなんだけど、このお店はそんなプロセス一切なし。
、、、でも時々石コロに混ざって素晴らしい石を発見できる、、、
クリスタル・ハンター冥利につきるお店。

そしてここの店主はネパール人に珍しく、口数の少ない人。
「どこの出身だ」「ネパールは何度目だ?」とかの質問をされたことない。
かと言って、無愛想なわけではない。真剣に石を選んでいる私の傍で
ニコニコしながら「好きなのがあったら持っていってね、、」てな感じで、
ひたすらじーっと、選別作業を眺めている。
交わす会話は
「クリスタル、ある?」「YES」
「これ、いくら?」「◎◎△ルピー」
「ありがとう」、、、、、、こんなもの。
このお店と取引のあるインド人に「とにかく安いから」と連れていってもらったのが最初の来店だけど、
名前すら尋ねられたことがない。

ここで1時間ほどクリスタル選び。
私:「これ、いくら?」
店主:「◎◎△ルピー」
「名刺を渡すね、HPも持っているからさ、、、、」

あ、お兄さん、喋った!!「YES」と「◎◎△ルピー」以外に初めて喋った!
、、、、長年通い詰めるとこんなこともあるのか。
さてさて、まだまだ資金的に余裕があるので次のお店へ、、、、

なんと、つぶれていた、、、そのお店、、、、、
ちゃんと事前にアポイントメントを取らなかった私が悪い。

気を取り直して次ぎのお店、、、、、なぜかシャッターが閉まっている。
2日続けて、午前・午後と訪ねてもシャッターは閉まっている。
とうとう3日目に隣りのお店の人に「このクリスタル屋さん、お休みなの?」と聞いてみる。
「ああ、なんだかよく知らんけど、ずっとシャッターは閉まっているなぁ」

!!!!これにはちょっと困った。
本当に事前にアポイントメントを取るべきだった。
お店が移転したなら新しいお店の住所を教えてもらえるはずだし、
お店を閉めて自宅で卸だけやってます、、、ってパターンだってありうる。
最悪なことに、つぶれたお店も、シャッター閉まりっぱなしのお店も、
店主からもらった名刺を日本に置いてきてしまった。

う~ん、困った、仕入れ予定の半分くらいしか石を集めていない。
どうしよう、、、これでは「仕入れ」にならない、、、、、、

確か、遠い昔に、1度だけ行ったことのあるお店を思い出した。

そこはクリスタル専門店ではないけれど、ショーウィンドウに少しだけ
クリスタルが置いてあって、ふらっと入ったお店。
でも、心に響くクリスタルがなくて、「他にクリスタルある?」と聞いたら
「家に在庫がある。持ってくるから明日またおいで」と言われたお店。
、、、でも翌日からカトマンドゥでバイオレンス・ストライキ----新聞にはそう書いてあったけど
私の視点で見れば、単なる暴動、、、が起きて、結局行かなかったお店。
よし、あのお店に行ってみよう!あまり期待はできないけど、、、、、

「ハロー、クリスタルはあるかな?」
陽気なお兄さんが色々とクリスタルを見せてくれる。
でも正味1時間で選んだクリスタルは数えるほど。

「明日、家から持って来るから明日おいで。でもそれより家に来い。
そうすればたくさんのクリスタルを見せてあげるから、、、、」

いくらなんでも知らない人の家にいきなり行くのはなにかと問題。
その問いかけはさらりとスルーして、明日、再来店すると約束する。
、、、、今回は暴動なんて起こりませんように、、、、、、

捨てる神あれば救う神あり

結局ここのお兄さんが私にとっての「ネパールでの救う神」となってくれた。

 

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野良犬だけど、番犬

近所のいろんなお店でエサを恵んでもらっているけど、
定位置はいつも、このお店の入り口。
一度、お店に早く着すぎてシャッターが開いていなかったので
一緒にお店の人が出社するのを待つことに。