美しきクンツァイト

 

K

私自身のプライベートコレクションの中に存在していなかった石でありまして、
手に取るのは初めてなのです。
もちろん、お店で手にしてみたり、友達のコレクションを見せてもらったりする機会は
今までたくさんありましたが、
「キレイな石だね、以上終了」という感じで入手するに至らなかった石。
クンツァイトについて知っていることといえば、

1、ハートチャクラに有効な石
2、断面から見るほうが色が濃い
3、太陽光線で退色のしやすい石

、、、、、、たったこれだけ。
これではいくらなんでもサイトではご紹介できない!!
本やネットでこの石についての情報を調べてみないと、、、、と思ったのですが、
私にとってはまったく未知の石。
一切の情報をインプットせずに白紙のままこの石とコミュニケーションを取って
自分が感じるままの言葉で紹介するのもいいのでは?

そんなわけでしてこの石から受け取った感覚を言葉に変換してのご紹介です。
ショップのほうには来年早々にアップする予定です。
只今、個々の石をぐぐっと読んでいる最中です。
あくまでも私が感じ取ったクンツァイト、ということで、、、、、

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ローズクォーツほど甘くなく、ラベンダーアメジストほど高貴でもない、
ちょうどその中間点に位置する色合い。
実際手に取ってみるととてもハイオクターブなエナジーを発しています。
カルサイト・カヤナイト・セレナイトと似たエナジー。
ハイオクターブな石は肉体に光を差し込ませる・そして繋げる役目だけれど
クンツァイトはその光をいったん吸収し、膨張させる石。
そして肉体に働き掛けるというより、肉体の周りを取り囲んでいる
その人が発しているエナジー(オーラと言ってもいいかも)に作用しそうです。
この石を手にして太陽の光をすくい取るように当ててみると、、、、
光のシェルターにすっぽりと覆われた感覚になります。
とても安全で、穏やかな光のシェルター。

ハートチャクラの石、と数少ない情報を元に直接ハートチャクラの上に置いてみても、
体内にあるチャクラで感じるのではなく、
チャクラから上空5センチくらいのところで、なにかもそもそと変化が感じられます。

仕事場に置いてみると明らかに部屋の空気が違う。
クリスタル置き場となっているお部屋が幾分柔らかな雰囲気に。
新入社員が入ってきて職場の空気がちょっと変化したような感じ。
男性だけの職場に女性社員配属されてきた!あの感じ。
未知の石をお部屋に置くと、いままでとの違いがはっきりとわかります。

ついでに、、、、
この未知の石であるクンツァイトを仕入れた帰り道の電車の中での出来事。
とても懐かしい「なにかが」私の肩に触れた気がした。
このエナジーはなんなんだろう?意識を自分の肩に向けてみると、
昔の親友、知人たち―――――それも今は亡き親友、知人の懐かしい姿が脳裏に浮かんだ。
フラッシュバックのように遠い昔の出来事が断片的に私の心で蘇った。
特別印象に残った出来事ではない、日常のささやかな出来事。
思い出にも残らないであろうことが私の奥深くから目を覚ました。
消しゴムを忘れた私に隣の席だったその子がそっと自分の消しゴムを差し出してくれたこと。
重い給食バケツを運ぶのを手伝ってくれたこと。
ヘビーなランニングのあとへたり込んでお互い目を合わせて笑ったこと。
ご飯を食べに行って「美味しいね、美味しいね」と「美味しくて幸せ!」を分かち合ったこと。。。。。。。。
今は亡き人達が差し出してくれてたちょっとしたやさしさや気遣い、
分かち合った楽しい思い出。それは大きな意味での「愛」だったのだな、と気づく。
どうしようもなく泣きたい気分になった。
昼間の山手線の車内、いい歳したオンナがいきなり一人泣きするわけにはいかない。
ぐっとコートに顔を埋めて寝た振り。涙止まらず寝た振り。

愛は求めるものでも、探すものでもなく「気づく」ものなのかも。
いつだってささいな出来事の中に愛は存在する、私の周りに。
ちゃんと気づくことができれば、人生って寂しいものにならない気がした。

 

会いたいな、、、、今、彼らが生前の肉体を身にまとい、私の目の前に現れてくれたなら、、、、
切実に、亡き友に会いたい、と思った。
その反面、今こうやって私の心の中に彼らは生き続けている、
そして彼らが与えてくれた愛を、私はしっかりと感じることができる。
目に見えることが重要ではないんだ。
まるで彼らが目の前にいるかのように私はしっかりと心の眼で彼らを「見て」いるのだから。
すっと肩の力が抜けた気がした。

愛の石、クンツァイト。
亡き友の愛・クンツァイトの教え

アクアマリン

 

aquamarine2

涼しげな色、アクアマリン。
aqua(水)  marine(海) と名前でもわかるように、美しい海の色。
東京育ちの私は幼いころより「きれいな海」を見たことがなく、
トルコを旅行中に初めて見た地中海の美しさに
宝石のアクアマリンと同じ色だ!!と、いたく感動したのを覚ええています。

◆写真左:ブラジル産の原石
少し緑かかった色をしていて、トップとボトムで色の濃さが違います。

◆写真中央:ネパール産原石
当店で販売しているアクアマリン。ネパールでは少量ではありますが、産出しています。

◆写真右:ブラジル産タンブル
含有物があって透明度はありませんが、この手のアクアマリンも好きです。
こうやって見ると、産地や鉱山・含有物の有無で同じアクアマリンでも表情が随分違うことがわかります。

実はブラジル産のアクアマリンの原石を入手したときに、
「こんなに濃いブルーのアクアマリンはないだろう!」と自負していたのですが、
数年後にネパール産アクアマリンに遭遇してしまい唖然。

ネパールでこのアクアマリンをじっと見つめて石読みをしていたとき、
”過去の経験から学ぶことは大切なことだが、囚われすぎてはいけない”
という言葉が浮かんできました。
この時期、私は旅していても「なんだか面白くないなぁ」と思い始めていた時期でした。
旅の経験を積めば積むほど面白みがなくなってきたのです。
確かに「見るものすべてが珍しい」という時期はとっくに過ぎていました。
けれどそれ以上に「このシチューエーションの後はこうなる」といったように
経験から物事の顛末を予測するようになっていました。
その予測が、悪いものだとしたら―――まだなにも始まっていないのに―――
はじめから避けて通るようになってしまったのですね。
そしてインターネットが普及した恩恵でなんでもインターネットで調べることができる、
すなわち旅先で「わからないことは人に聞く」というコミュニケーションを取ることも希薄になっていた時期でもありました。

経験に囚われすぎて恐れが蓄積されてきた私。
コミュニケーションを取ることを忘れていた私。
(ちなみにアクアマリンはクリスタルヒーリングでは喉のチャクラ・コミュニケーションを司るチャクラに適した石なのです。)

必要なときに必要な石が目の前に現れる
アクアマリンはそんなことを私にそっと教えてくれた石なのです。