ネパールへの義援金

ブログの更新が遅くなり、申し訳ありません。

先日、売り上げの一部をラプラックを救う会に寄付させていただきましたことを

ご報告いたします。

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ネパール天空の村ラプラックを救う会Face Bookページ

ネパール地震の、震源地ゴルカ地方に近いラプラック。

震源地近く、そして山岳地帯ゆえ救助がとても遅れた地域でもあります。

写真家の石川梵氏が立ち上げた会です。

Face Bookのアカウントをお持ちでない方は、

石川梵氏のブログ そろそろ本気をだすかなをどうぞ。

どうしても、政府の援助が届かない・届きにくい地域というのがある、

私たちも2011年の震災時、それを痛感したわけだけど

ネパールという日本のような近代的なシステムがない国では

私たちが想像するよりはるかに「行き届かない」ことが多々あります。

震災3日後にネパール入りし、その「行き届かない」地域に支援をしている

ラプラックを救う会。しばし、小額ながら、

売り上げの一部を寄付していきたいと思っています。

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混迷深まるこの地球上に助けを求める人々がたくさんいる。

足元を見れば、日本にだって援助の手を差し伸べなければいけない人が

たくさんいる。足元を見たとき、まず自分の近くから

支援を始めるべきではないか?そう思うこともある。

ただ。

ネパールに出会わなければ、ヒマラヤクリスタルに出会わなければ、

多分、今の自分はいなかったと思う。

こんな風にネットショップを立ち上げることもなければ、恐らくブログだって

やっていなかったと思う。

趣味にしてはお金を掛けすぎたクリスタルコレクターが、今でもこうやって

石と共に生きて行けるのも、ネパールとの出会いがあったから。

そしてクリスタルをめぐって、様々なネパール人をはじめ良き出会いに

恵まれてきた。これ、私がこの生涯を通して恩があるならば、

それはネパールとインドという国の存在。救われてきたと言ってもいいかも。

お互いイマイチ仲がよくないってのが、辛いところなのだけど。

今までの恩返しは、今生でちゃんと全うしていこうと思います。

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エナジーと繋がる

遠い昔のインドの旅の途中で知り合った、ある人。
移動中のバスの中、眠りに着く前、いつもいつもある一冊の本を読んでいた。

世界中を周り、様々な宗教に触れ、自分の内面を旅して学んできたこの人。
大地と、宇宙と、しっかり繋がっているこの人。

「なんでまだ本を読むの?もう、知識はいっぱい詰め込んでいるし、
自分の中に深く入って行くこともできている。もう、本なんて読む必要がないんじゃないかな?」
それとなく聞いてみる。

「そう、何度も何度もこの本を、暗記するくらいに読んだよ。
だから、新しい知識が欲しくて読んでいるわけではないんだ。わかるかな?
この作品を読んで、この作者のエナジー、思想というエナジーと繋がるために読み返しているんだ。」

それは美しい小説を何度読んでも感動する、っていうのと同じかな?

「う~ん、似ているけど、ちょっと違うかな。」

本の登場人物になりきってしまうこと?

「例えば、敬虔なクリスチャンはいつも聖書を読んでいるよね。
聖書を通して神と繋がるために、”繋がるから”読んでいるんだ。わかる?
ムスリムにとってのコーランだってそうだよね?人にはそれぞれ何かに繋がることができる”聖なる書”があるんじゃないかな。」

、、、、ごめんなさい、ますますわかりません、、、、、、

随分昔に交わした会話。
今、やっとその人が言っていたことが、わかる。

いくつかの本を読んでいると、、、、本の中で本人が直接私に語りかけてくれているような気配を感じる。
ある瞬間、背後にすっと、なにかの気配を感じる。
飛び出す絵本のように、本を開いて読んでいるとその出来事のエナジーが私に向かってくるような感覚。
それは励ましだったり、戒めであったりするのだけれど。

本は知識を得るだけのものではない。
しっかりと、作者の言わんとしている思いに繋がり
自分自身の中で再認識すること。
そんな読書のしかたを発見すると、やっぱり書物ってすごいな、
文字が読めるって便利なことだな。

持ち運んで、好きなときにそのエナジーと繋がることのできる魔法のツール。

新しい本の読み方を学んだ私でした。

翡翠(ヒスイ)

個人のコレクションも水晶だけなんですか?」と、たまに聞かれることがある。
ヒマラヤ水晶に惚れ込んでこうやってお店をオープンさせた店主ですが
水晶以外にも好きな石はあります。
今となってはどこに国に行こうと展示会に行こうと仕事優先!!どうしても
水晶ばかりを見てしまう私ですが、、、、、、

水晶のほかに好きな石は?と聞かれればそれは「翡翠(ヒスイ)」
東洋のエメラルドと言われる翡翠。

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これを身に着けて街を歩くと中国語で話し掛けられる確率、高いです。
本場中国でもこのドーナッツ型のペンダントトップはとてもポピュラーで、
小さな子供も身に着けていたりする。
翡翠の印

その昔、中国に行ったときに入手したもの。
ちっともかわいくない獅子が気に入って。
名前を篆刻(てんこく)してもらったので今でも手紙を書いたりしたときに使っています。
本当は凹の篆刻をしてもらいたかったのですが、
「石が硬いので(翡翠だから)無理」と言われてしまった。

翡翠(ジェイド)には2種類あって、硬玉(ジェイダイド) 軟玉(ネフライト)
中国人がこよなく愛するのは硬玉、本翡翠のほう。
「愛人にはダイアモンドを、本妻には本翡翠」と言われるほど中国ではダイアモンドの上をいく翡翠。

アジア方面に行くと「これ、○○ジェイドだよ」とお店の人が口にする。
正直、この「○○ジェイド」って言い方聞き飽きた!!というくらい耳にする。
私が今まで聞いた「○○ジェイド」で多かったのは次の3つ。

インド翡翠(ジェイド)・・・・アベンチュリン
マイカ・ジェイド・・・・・・・マイカ=雲母、ジェイド=翡翠、、、、すなわちアベンチュリン
チベタン・ジェイド・・・・・・緑色のメノウ(緑色のプラスティックでも平気で言ったりする、、、)

知り合いの中国の方は言う:
「本当に質の良い翡翠が欲しいなら、多少高くとも日本のちゃんとしたお店で買いなさい。安全だから」
ミャンマーのおっちゃんも言う:
「本気で翡翠が欲しいなら、まず見る目を養え。買うのはそれからだ」

、、、、そのくらい翡翠はナチュラルなものと加工処理済のものを識別するのが難しいらしい。
「見る目を養え」と言うけれど最高級の翡翠を見比べることのできる場所と言えば
台湾・故宮博物館しかないような気がします。私。

以前、なにかの番組でインタビューを受けている宋美齢(蒋介石の妻)を見たことある。
お歳を召しても美しい、、、、でもそれだけではない。
彼女の身に着けているバングル・指輪・ネックレスに目が釘付け。
一瞬、「エメラルド?」と思ってしまったほどの鮮やかなグリーン。
しかし独特な蜂蜜をたらしたような照りはまぎれもなく翡翠。
「これが”ろうかん”の翡翠か、、、」本当に美しい翡翠だった。

翡翠の似合うおばあちゃんになりたい、、、、これ私の理想。

*ろうかん:青々とした美しい竹を意味し最上質のジェイダイトを指す。

旅立ち

夕方、帰宅するとはがきが一枚届いていた。
10年前、旅の中で知り合った友達からの結婚の知らせだった。
彼女は旅を終えてからずっと日本で何かと戦っていたような気がする。
「戦っていた」と言うと語弊があるかもしれない。
自分自身の中で「人生の流れ」が動き出すのを待っていた、といったほうがいいかもしれない。
「新しい世界の旅になりそうです」はがきはそんな言葉で結ばれていた。
私達は生まれたときから人生を旅している。
外国に飛び出すだけが旅ではないのだな。

「何かが流れ始める」という感覚が人生の節目に感じることがある。
「胸騒ぎ」の感覚と似ている。
しかし決して不愉快な感覚ではない。
行くべきところに、たどり着くべきところに向かっているといった安心感を伴う感覚だ。
おそらく友達もそんな感覚の中にいるのだろう。

そんな友達にお祝いメールを送ろうとメールボックスを開いたら
もうひとりの旅友達のお父様がが他界されたという知らせを受け取った。
数ヶ月に及ぶ闘病生活の末だった。
旅立ってしまったのか。そんなに急ぐことはなかったのに、、、と思いつつも
旅立ちは自分自身で決めるものだ。きっと「その瞬間」を自ら選ばれたのだろう。
人生の中での新しい旅立ちと、
人生を終えたという旅立ち。
同日に知らせを受け取った私は少し混乱している。

世界最大級のクリスタル

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2006年にオーストリアに行ったときに出会ったクリスタル
友達に「世界一大きなクリスタルを展示しているお店があるんだ」と言われ、
連れていってもらったクリスタルショップの敷地内に鎮座していた。
説明書によると、2001年にブラジルで採掘され、重さは4トン、高さは2メートルほど。
立派なツイン・クリスタル。

まさかここまで大きいとは思わなかった私はしばし唖然。

「なんでも来い!!」という腹の据わった感じのするクリスタルだけど、
これだけ立派なクリスタルなんだからただの「看板娘」にしておくのはもったいない気もする。
、、、、、というのは私の個人的な意見であって、余計なお世話かもしれないけれど。

アジアの街角でご老人が玄関先の椅子に座り、通り過ぎる人をぼーと眺めている
、、、、、よく見かける風景だけど、このクリスタルもそんな感じで
お店に来る人を眺めているのかもしれない。

カルマパ17世との謁見

2004年の冬、インドのサルナートのチベット寺で
カルマパ17世の謁見というチャンスに恵まれた。
カルマパとはチベット仏教4大宗派のひとつカギュ派の高僧、活仏。
1999年の年の瀬、当時14歳だったこの高僧はチベットを出国し
翌2000年にインドに亡命した。
当時、世界中にこのニュースは発信されたので記憶にある方も多いかと思います。
私も良く覚えている。
配信されたあどけない少年の写真を見て
この少年がダライラマ14世と並ぶ“活仏”なのか、、、、と驚いた覚えがあります。

この時、滞在していたバラナシのレストランでたまたま同席した方が、
今日、カルマパ17世に謁見してきたと言う。
来週の水曜日が外国人の謁見の日だとのこと。
ダライラマ14世は何度も来日されているし、この先謁見の機会に恵まれることもあるだろう。
しかし、カルマパ17世との謁見はこの機会を逃すと次がないような気がした。
来週の水曜日。ちょうど私の誕生日でもある。
よし、行ってみよう。

サルナート。
バラナシからバスで1時間くらいの距離にある。
ブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開いた仏陀が、初めて説法を説いた場所。
チベット寺、日本寺など、世界中の仏教国(日本も仏教国かな?)のお寺がある。
チベット寺にて謁見が行われるという。
が、午前中に行われていたチベット僧のための説法会が長引いたため、
外国人用の謁見がキャンセルされてしまった。
しかたがない。外国人に会うためにサルナートに滞在されているわけではないのだから。
それに、その日に謁見のために訪れていた外国人は私を含めたったの5人。
5人で謁見なんかしたら、こっちが緊張する。
その他大勢のなかで、遠くから拝見したい。私としては。

さて、どうしよう。次の謁見は来週になると言う。来週にはネパールで友人と待ち合わせだ。
しばらくお寺で写真を取ったりしていると
受付係りの僧侶がやってきて、午後からネパールからのチベット人団体との謁見があるという。
後ろのほうで座っているのならば、その団体と一緒に謁見してもいいよ、
ただし英語の通訳は付かないが、とのこと。
ご好意をありがたく頂戴することにする。
一旦お昼ご飯を食べに行き、戻ってくると、ネパール人団体さんが庭に集合している。
5人のお坊さんを筆頭に50人くらいの老若男女の団体だ。
その団体の後ろについて本堂に入る。

カルマパ17世との謁見 2

待つこと15分、法螺貝の音と共にカルマパ17世が登場する。
今では立派な青年だ。チベット人には珍しく、身長は180cmはあるであろう長身だ。
私は今までこんな眼をした人に会ったことがない。

頭の切れる人、人の上に立つ人、人に命令することに慣れている人、
それぞれ独特な眼をしているが、そのどれにも当てはまらない。
その独特の雰囲気、貫禄、気迫、、、発しているエネルギーとも言えばいいのだろうか?
まるっきり次元が違うのである。
とても18歳の一青年ではない。
いったい、この人は何者なのだろう?、、、それが私最初の印象だ。
見かけだけで言えばはまったくのチベット人青年だ。しかし、眼が違う。
発しているエネルギーの次元が違う。
この人だったら、眼で人を殺すこともできるかもしれない。
これが活仏の眼なのだろうか?
以前、友人がダライラマ14世に謁見をした時の感想は、“眼が怖かった”だった。
なんとなく、その意味がわかるような気がする。
あえて言うなら仏像や、仏教画に出てくる仏陀の眼そのものなのだ。
生身の人間が、仏教画の仏陀の眼をしていたら、
やっぱり“怖い”と思うのが正直なところかもしれない。

説法はたんたんと続いている。
チベット語での説法で、通訳はいないので、何を言っているのかはまったくわからない。
途中、団体さんから笑いが起こるところを見ると、ユーモアを交えての説法なのだろう。

私はただこの一時間の間、活仏の声を聞き、眼を見て
頭の中ではずっと同じ言葉が繰り返されているだけだ。
こんな眼をしている人に会ったことはない。
この人は何者なのだろう?
これが活仏なのだろうか?、、、、、、と。

約一時間後、説法が終わり全員が列を作り始める。
活仏から一人づつ、赤い紐が手渡されるのだ。
圧倒されまくった私は、そんな、とんでもない、お会いできただけで充分です、
の気持ちだったが、みんなと一緒に列に並ぶ。

いよいよ私の番がやってきた。緊張は最高潮である。そして頭は真っ白である。
ほとんど何も覚えていない。
Thank you くらいは言ったような気はする。
一つだけ覚えているのは、紐を受け取った瞬間、左手が痙攣したように震え出して
実際には右手、片手だけで受け取ってしまったこと。
大変失礼なことをしたと後々後悔した。

これが私の2004年の誕生日の出来事。
そして私は翌日のヨガ教室の瞑想中、素敵なビジョンを見た。

カルマパ17世との謁見 その後

砂曼荼羅のビジョン・誕生日プレゼント

謁見を終え、バラナシに戻りその晩は疲れたのがぐっすりと眠りに就いた。

翌朝、いつものようにヨガ教室に行く。
一通りのハタヨガ最後はいつものように仰向けになり、瞑想をする。
眠ってはいない、しかし起きてもいない。
ちょうどその中間に漂っているいつもの気持ちのよい意識の中にいた。
普段はなにも考えずにただその空間に漂っているのだが、
その時、私ははっきりとしたビジョンを見た。

手に白い砂を持ち、太陽の形をした砂曼荼羅を描いていた。
握り締めた砂の感触、手から砂が落ちていく感覚がとてもリアルだ。
太陽の中心の円を白い砂で塗りつぶし、
周りの三角形も塗り始める。
はみ出さないように、慎重に、集中して砂を落とす。
三つ目の三角形を塗りつぶしている最中に、瞑想の終わりの合図を聞く。
おしい、できれば全部塗りつぶしたかった。

瞑想の後、ヨガの先生に今見たばかりのビジョンの話をする。
すると先生は、それはチャクラを意味しているのではないか?と言う。
二つ目のチャクラを塗りつぶした意味は第二チャクラが既に開いて、
これから第三のチャクラを開こうとしているのではないか?と。

、、、、、と言われても“チャクラが開いた”実感はまったくない。変化もなし。
今現在もそうである。
けれど、砂曼荼羅を描くというビジョンは私の中でとてもリアルで、
そしてとても意味あることに思えた。。
あのビジョンは本当の意味はなんだったのだろうか?
実感はできない“チャクラの開き”だったのだろうか?
いつかその意味を知りたいと思う。

まぁ、とりあえず“カルマパ17世からのお誕生日プレゼント”と言うことにしておこう。
しかし、もう一度、あの夢を見ないかな?

終わり

持ち主の処へ旅するクリスタル 2

僕はこのクリスタルが一番好きだ」
旅先で石自慢をしていた時のこと。
友人の旅仲間が一つのクリスタルを手にして言った。
そのクリスタルには「第三の目」と名前を付けていた。
現れたビジョンは、佛眼。
女性の親指くらいの大きさで、
正面には取って貼り付けたようなくっきりとしたレコードキーパーが一つ浮かんでいた。
決して華やかで目立つクリスタルではなかった。
玄人受けするというか、どちらかと言えば地味めの大人しい存在だった。
スピリチュアルな人ではあったがクリスタルには興味がなかったその人。
なかなか渋い選択だ。

数日間3人で過ごし、友人の旅仲間は帰国した。
私と友人はフィリピンの島へ。
いつも山岳地帯ばかり旅する私にとって久々の海だった。
その島で久々に泳ぎ、ドイツビールを飲み(フィリピンの島にドイツレストラン!)
リゾートライフを満喫していた。

ある日、友人の旅友達が選んだクリスタルの話になった。
なかなか渋い選択で、私が驚いたこと。
初めてクリスタルを選ぶ時はもっと絵に描いたような
「クリスタルらしいクリスタル」を選ぶ人が多いんだな、と言うこと。
そんな他愛のない話をしていた時、ある思いが過ぎった。
「ひょっとして、あのクリスタルは彼のものではなかったのか?」と。
友人にそのことを話してみると、
「自分もそう思っていた。だけどそのクリスタルはあなたの物だし、、、」

彼がそのクリスタルを手にしたあの時、なぜそのクリスタルを手放し、
本当の持ち主である彼に渡すことができなかったのか?
たしかに私は一瞬迷った。しかし、だ。
もし、そのクリスタルが私自身で購入し、手元にやってきたものだったのなら
なんの躊躇いもなく彼に手渡すことができた。
しかしそれは数年ぶりに再会した友人から「再会の記念に」と贈られたものだったのだ。

今までに随分のクリスタルが私の元にやってきた。
そして私の元から離れていった。
みんな、「行くべき場所」へ巣立っていったのだ。

帰国後、私は手紙を添えて彼の元にそのクリスタルを送った。
しばらくしてイースターのチョコレートと共に返事がきた。
彼はそのクリスタルにTrinity(三位一体)と名づけたこと。
一緒に瞑想をしていること。

Trinity、かつての「第三の目」はネパールで私と出会い、
フィリピンで本当の持ち主を私に伝え
ヨーロッパの本当の持ち主の場所に、今は居る。
私自身、随分と旅をしてきたが、クリスタルも旅をする。
本当の持ち主の処へ。