ミュンヘン3 ・旧友との再会

2011/11/09 01:11:08

かれこれ10年ほど前、バングラディッシュのホテルで出会ったアンジェラ。
その後、インドで再会、日本でも再会。
いい意味でも悪い意味でも旅のアレコレを教えてくれた(そしてふたりして実践した)
私にとっては「旅の師匠」のような存在。
5年ほど日本に住んでいたはずなのに、日本語が壊滅的に話せない。

「読むのはできるんだけどね、会話はちょっと、、、、」

それって違うんじゃないか?話せても読めないってのが、普通だぞ。

スーパーハイテンションで、マシンガントークな彼女。
第六感を通り越して、この人、千力眼持ってんじゃない??なんだけど
本人曰く「なに?それ??ふん。持ってないわよ、そんなもの」と
至ってそれについては無関心。

若かりし頃は随分ぶっ飛んでいたけど、今では2児の母。
この子供たちが大きくなったら
「あんた達のママはね、若い頃○×◆△で、、、、、」と
昔の悪行(私も随分迷惑被った・でも楽しかった)を暴露してやろう、、、
と密かにたくらんでいる、私。

親類以外でわたしのことを「アヤちゃん」と呼んでくれる稀有な存在。
(40過ぎて”ちゃん”付けはイタイのだけど)

時折「気配を感じられません。元気ですか?」と連絡をくれるのは、この人。

今回、アンマのダルシャンのためにミュンヘン入りした。
きっと、誰かのためになる、彼女のマシンガン・トークをどうぞ。(一部だけなんだけど)
「アヤちゃん、久しぶり。あら、随分やせちゃったのね。あらあら、
眼が違う世界に逝っちゃってるわよ。日本、大変だったね。
私もずーと、テレビで見ていた。本当に、酷いことになっちゃったね。
石の買い付けは順調?ちょっと、アヤちゃん、大丈夫?ねぇ、ここに居る?」

あなたの目の前にいますわよ。はるばる日本から。ミュンヘンに。

「うん、そうなっちゃうのも無理はない。それはわかる。でもね。
ひとついいことを教えてあげる。色々な不安が付きまとうのはわかるけど、
それでも一番大事なことは、”今、ここに存在する”ことなのよ。
瞑想しているとき、色々なマインドがやってきて、過ぎ去ることはわかるよね。でもね、人間って、普通にご飯を食べたり、歩いていたりしているときでも
色々なマインドがやってくるものなの。そしてそのマインドはやって来ないかもしれない未来を妄想してしまうものなのよ。それが進んでしまうと
巨大な妄想王国を自分自身で作り出してしまうのよ。そして現実との境界線がわからないくなる。それって、とても危険なことなのよ。
ねぇ、今から試して欲しい。日常生活の中でマインドがやってきてそこから未来の妄想が浮んできたら、その場でstop it !って自分自身に言い聞かせるの。”トマレ”でも”No”でもいい。妄想拡大を停止させるの。
楽しい未来ならどんどん想像してもいい。
でも独りよがりの想像はだめ。それは妄想よ。その違い、わかるよね?アヤちゃんなら。
何度も何度も、マインドがやってきたら、その度に叫ぶの。stop it!っね。
そうすると”今・ここに”いることができるから。
明日からの石探しだって、きっと素敵なものにめぐり合えるはず。
日本がこんなことになっちゃって、先行き不安なのはよくわかる。
先々のこと、考えちゃうのもよくわかる。だけどね、こんなときだからこそ
試してみて欲しいの。stop it !って。ちょうど今は旅行中。
ドイツには地震もないし、日本の生活もここにはない。だから是非試してみて。」

ありがとう、アンジェラ。試してみるよ。

「タローちゃん(私の愛犬:親バカのごとくタローの写真を彼女に送っていた時期があった)
死んじゃったのね、、、、うん、でも本当にみんなに愛されていた犬だったね。
とてもピュアな魂だった。随分辛かったでしょうね。
でもね、アヤちゃん。タローが死んじゃったこと、教えてくれる前に
ママが亡くなっちゃこと、知らせるほうが先でしょ!順番が逆よ!!」

そうだったけ?タローのこと、先に伝えたんだっけか??

「アヤちゃんの母性本能がそうさせたのかもね。でもやっぱり順序は逆。
あらあら、もうこんな時間。私これからダルシャンなのよ。一緒に行く?
あ、そう。最終日に行くのね。わかった。それじゃまた明日会おうね。」

さよならの挨拶に、握手をしてハグをする。
彼女の、生き生きとしたエネルギーがその手から伝わってくる。
浸透圧のように。高いところから、低いところへ。
この人、本当に”持っている”。

「ねぇ、アヤちゃん。私はアンジェラよ。(イタリア語で”天使”の女性名詞)
あなたのアンジェラよ。だから色々とあなたに語りかけるの。
まっすぐ自分の道を歩いてほしいの。うるさいな、と思うかもしれないけど、
嗚呼、これは止めることが出来ないのよ!!それじゃまた明日ね。チャオ」

今回の再会に当たって旦那様から
「日本も色々大変だったんだから、一方的に喋り続けないで、
たまには聞き役に回ってあげたらどうだ?」と言われて来たらしい。

、、、、そんなの不可能だ。何年も夫婦やってたら、そんなことわかるだろう??
彼女と別れたあと、アドバイスに従い、stop it を試してみる。
驚いたことに私は、一日に何十回もstop itを言わなければならないことに気づく。
我ながら唖然とする。
stop it、stop it、stop it、stop it、、、、、、、、
これを繰り返していると、自分の中に新しい空間が存在することに気づく。
その空間をじっくり観察してみると、、、、それは”今”という存在だった。
心も軽い。
試しにstop itと命令せずにそのまま妄想へと流してみると、
心が重い。それは今までの自分だった。

さすがアンジェラ

今、日本に戻って日常生活の中でもstop itは続けている。
ドイツに居たときより、さらに多くのstop itを叫ばなければならない私。
でもそこにはなんとも言えない居心地のよさが生まれている。

それでも「新しい空間」の中に何も入っていないことに不安を覚えることもある。
自分がいかに不安と妄想で自分自身を満たしていたのか。
「次」を考えないことに「これでいいのか?」と
感じてしまう自分は相当重症だったんだと思う。

ありがとう、アンジェラ。

 

ミュンヘン 4 石の祭典と石友達

2011/11/12 00:58:22

「ミュンヘン入りしたら、連絡を。
会場で会おう。×○◆という業者のブースにきて。友達だから。」

ミュンヘンショーで友達と再会。
インドの瞑想合宿で知り合ったB。石友達。

「瞑想するんだから言葉がわからなくてなんとかなるだろう、、、」と
甘いことを考えてその瞑想会に参加した私は、
ティーチングにまったく付いていけず(英語力の問題)チンプンカンプンだった。
そんな私に夕方からの自習時間に、ばかにでもわかるように
懇切丁寧にティーティング内容を教えてくれたのが、B。
いつも、「散歩しよう。」と声を掛けてくれて、その日の復習をした。

随分連絡を途絶えていたのだけど、偶然日本の友達が留学時代にこのBと
同級生だったことがわかり、今回ミュンヘンで再会することに。

さて、言われた通り、とある業者のブースに行って
「Bは居ますか?」と声を掛けると、携帯電話で呼び出してくれる。
”業者さんを紹介してあげる”って話だったのに、
手始めに業者さんを含めて、ビールを飲むことから始まる。(まだ、10時なのに)

この日、Bと一緒に広大なホールの中でピンポイントに、お勧め業者さんを回る。
とりあえずお勧め業者さんを回って明日、ゆっくり回ればいい。

ある程度石を選んで、ちょっと疲れてきたな~ってころに
「今日はこのくらいにしたら?散歩しよう。ミュンヘンは綺麗な街だよ」

散歩。この人とは、散歩しながら話すのが一番だ。
「歩きながら考えるのが楽しい。アイディアも浮んでくるし」
まるで昔の文豪のようだな。

随分会っていなかったけど、インドの続きだ。散歩。

「英語が上手になったね。そして歯並びも綺麗になった」

4年間、歯科矯正をしたんだよ。
このBは、「ミスター・歯並び」。ものすごい綺麗な歯並びをしている。
ヨーロッパでもティーンエイジャーになると歯科矯正は一般的。
でもこのBは矯正をしないで、まったくの天然の歯並び。もちろん虫歯もなし。
親知らずも、ちゃんと綺麗に生えているそうだ。
ミュンヘンも市内の観光地は人がいっぱいだけど、ちょっと外れると
人通りは少なく、秋の日常の中の街を散策できる。

「、、、、観光は、興味ないよね? 歩こう」

歩きながら考える人なので、口数は少ない。
でも、その少ない会話の中でとても大事なことを伝えてくれる。
会話の始まりは「、、、、、」がつくように、
日本語で言えば、主語がないように、突然言葉を口にする。

でも、今ではわかる。
並んで歩いていると、お互いのコードは繋がっていて
そのコードを通して会話していることを。
そんな会話の途中に、「言葉としての」会話が始まる。
で、「突然に」会話が始まるように感じただけ。

「大変だったね、日本。、、、、、この話しても大丈夫かな?」

うん、大丈夫。こっちでも散々報道されていたでしょ?
でも、私のパンドラ・ボックスのアイテムがひとつ増えたよ。

パンドラ・ボックス。

当時「悲しみのパンドラ・ボックス」という話を、随分した。

人間、辛いこと・悲しいことを処理できないと悲しみのパンドラ・ボックスに
そっとしまって、ココロの隅に置いてしまう。
置いているはずなんだけど、結局、そのパンドラ・ボックスを抱えながら
人って生きて行く。でも、「パンドラ」だから、いつか突然その蓋が開いちゃう。
(フラッシュ・バックもその一種かな?)
ボックスに閉まって「なかったことにしよう」ではなくて、
その中身に向き合う時(余裕)がきたら、真正面から向き合って解決しないとね、、、、、
おもちゃ箱ひっくり返したような国・インド(国自体がパンドラ・ボックス)で、
そんな話をしていた。

当時私は、パンドラ・ボックスなんて、持っていなかった。
辛いこと・悲しいことがあると、わめいて、つばかけて、打ちのめして(つもりだった)
ついでに人様に迷惑かけて、その屍をあとに残して、テクテク歩いている、、、、
でもその死臭が臭くて臭くてたまらない、、、、って感じだった。
、、、、若かったのである。バカだったのである。
今ではちゃんと、ボックスを持っている。
でも、いつも半開き。きっちり蓋をすることがなぜかできない。

「、、、、あまりストイックになりすぎるのもよくない。自分を追い詰めるよ」

「、、、、一度、抱えているものを、手放してみてもいいと思う。
リセットするように。怖いかもしれないけど、大丈夫、ちゃんと”自分の道”に立っているから。心配することはないよ」

そうかな?自分の道に立っているのかな?

「、、、、求めすぎると、それは執着になってしまうから。
執着しているうちは、絶対に”それ”を手にすることはできないよ」

、、、後日、他の知人からも同じような話を聞くことになる、私。
当時の話で盛り上がる。
出会ったとき、Bは初インドで、相当ビビリながらインド旅をしていたこと。
(そんな風には、見えなかったな)
男の自分でもビビッていたのに、幼そうな東洋人の女
(当時私は30歳前後。アジア人は若く見える、が定説)が、
一人こんな所まで旅していて、驚いたこと。
更に、ろくに英語も話せないし「なんなんだ?こいつは?」と思っていたこと。

若かったのである。バカだったのである。
今より「怖いこと」が少なかったのである。
喋れなくても、なんとかなるもんね~と、お気楽に考えていたのである。

「確かに、恐れを知らないっていうのは、強みだよね。」

バカとも言うが。、、、、確かに強い。
「、、、、、特別な土地だな。あの国は。いつかもう一度行ってみたいと思う」

数時間、散歩して話をして、なんとなく知っている場所に到着。

「一人で帰れる?ホテルまで送っていこうか?」

ここまで来れば、だいたいわかるから大丈夫。

「ここで再会できるとは、思わなかった。嬉しいよ。」

私だって、再会できるとは思っていなかった。

「Kによろしく伝えて。彼女にも随分会っていない」

Kとは、Bの同級生で私の知人でもある。
うん、伝えるよ、彼女にも感謝しなくちゃね、この再会に。

「また来年、ミュンヘン・ショーに来る?」

、、、、、来年の今頃、私は何をしているかな?
今は、それを想像するのは難しい。
でも、多分、戻ってくると思う。
今こうやって、再び訪れたように。

ミュンヘン 5 道に迷う。まっすぐ進め

2011/11/13 00:12:49

大丈夫、ひとりで帰れるから。

Bと別れたあとに、テクテク歩いていたら、
帰れないじゃん、私。
完全にホテルまでの方向感覚を消失した。
歩けど歩けど、段々と住宅街に迷い込む。

この河の、こっち側が中心地なのか、向こう岸なのか、わからなくなる。
何度も、橋を渡って、ウロウロ

「迷ったら、親切そうな地元民に聞け。」これ、鉄則。

信号待ちをしている、地元民ぽいおじさんに声を掛ける。
中央駅方面に行きたいんですけど、、、、

「この道をまっすぐ進んで。
そしたら、ゲートが見えてくるから、そのゲートをぐぐる。必ずくぐるんだ。
ゲートの向こうは、いくつもの道に別れているから、
そこで、また人に聞いたほうがいい。多分歩いて30分くらいだよ。」

ありがとう、おじさん。

「いいか、真っ直ぐ進め。右や左には絶対に曲がるな。ひたすら真っ直ぐだ。
必ず、ゲートをくぐれ。そして人に聞くんだ」

このおじさん、なぜか段々エキサイトしてきて大声で

「真っ直ぐ進め。右や左に絶対に曲がるな!」

この言葉を3度も繰り返す。

1度目は、シンプルかつ的確なアドバイスありがとう、、、、だった。

2度目は、おじさん、なぜ熱くなる??思わず噴出しそうになった。道を曲がったら、谷底か?

3度目は、なんだか、私の人生の道のこと、言っているんじゃないか?と思えてきた。

真っ直ぐ進め。右や左に絶対に曲がるな。
必ず、ゲートをくぐれっ!そして分かれ道で人に聞くんだっ!
アンジェラは私に、「真っ直ぐ自分の道を進んでほしい」と言った。
Bは私に、「自分の道にいるのだから、大丈夫」と言った。

しかし、私は今、何処にいるのかが、まったくわからない。
自分の道にいるのは、わかる。(多分、わかっていると思う)
でもその「立ち位置」がわからなくなっている。

でも、取り合えず。

真っ直ぐで、いいらしい。間違った場所には、いないらしい。

青い目のおじさんは、間違った場所に居ない。真っ直ぐ進め。
友達のアドバスの、最終確認をしてくれたような。
ここ、ヨーロッパ、だよね。
こんな気づきを与えてくれる土地なのか?

ミュンヘン 6 現地で美味しかったもの

2011/11/14 12:22:31

美味しい水と、美味しい乳製品があれば、文句は言いません、ベジタリアン。

さて、ドイツはイマイチ、食事がいけてないと言われているけれど。
そりゃ、イタリアだフランスだ、と比べちゃったら、、、、ね。
でも、何処の国でも言えるのは、家庭料理が一番美味しいってこと。
以前、ドイツを訪れた時はまだ私はベジタリアンではなくて、
色々なレストランで食事をした。
味付けが濃い、、、と言うより、塩味がきつく感じた。
恐らくビールを飲みながら―――流し込みながらのほうが正しいかも―――
食事をするので、塩味がきついのかも。
でも、家庭料理はそんなではなかったような気がする。

で、今回はベジタリアンになってドイツに来ちゃった訳だ。
不安もあったけど、楽しみにしていたのが、これ。

ラズベリーと、オリーブ。私の大好物

ラズベリーは大粒サイズ、多分300グラムくらいで4ユーロ(450円くらい)
小粒で半分くらいの量だったら、2ユーロくらい。
オリーブは、一番安い(ミックス)100gで1.5ユーロ(170円くらい)
市場で気軽に買える。安い!美味しい!

ヨーグルト(コクがあって美味しいのよ)に贅沢にラズベリーをぶち込む。
黒パンとバターとオリーブ。そしてコーヒーがあれば
はるばるヨーロッパまで来た甲斐があるってものよ。(ハードル低すぎ?)
ザワークラフトが追加されれば、もう死んでいいよ、私。

ちなみにドイツのスターバックスにはショートサイズはなし。トールから。
カフェラテ・トールサイズで3ユーロなり。
外出して夜遅くなると、芯まで冷えそうな10月下旬。
中央駅のスタバによって、トールサイズのカフェラテを飲みながら
ホテルに戻るのが習慣となっていた。
それくらい、寒いのに、ドイツ人は野外でビールを飲んでいるのだが。

そう、中央駅内にはちょっとした軽食屋とか売店が遅くまで営業しているので、
「あ、水買うの忘れた!」なんていう場合は、中央駅へ。
で、ベジタリアン。

想像していた以上に、ベジタリアン・ビーガン苦労がなかった、ミュンヘン。
これは帰国後に知ったのだけど、ミュンヘン空港内のレストランには
必ずベジタリアン向けの料理があるそうで。

で、何度か友達と普通のレストランで食事をしたのだが、
「彼女(私のことだ)、ベジタリアンなんだけど、なんかある?」と
お店の人に言えば、メニューにはないんだろうけど、
サラダにパンにザワークラフトに野菜マリネに、、、そんなプレートが
ちゃんと出てくる。
でも、今回の旅で一番感動したのは、max pettというビーガンレストラン。
ビーガンとは、肉魚卵乳製品そして蜂蜜などの
動物性由来のものを一切摂取しない人びと。
(私はベジタリアン。乳製品は食べる。)
ホテルの一番近くにあるそっち系のレストランだったのだけど、
これが超・ホームラン級の美味しいレストランだった。

ビーガンでない人でも、是非ミュンヘンに行ったのなら、食べて欲しい。
乳製品を使わずに、ここまで料理にコクを出せるなんて!!

Max Pett
ドイツ語のHPなんだけど。
Pettenkoferstr. 8
80336 München

フォーマルなレストランではないので、ディナーにひとりで行っても、大丈夫。
”おひとりさま”ができる人の場合ね。

食べることに夢中で、写真を撮り忘れてしまったけど、
ビーガン風ラビオリ・豆乳ソース仕立てが12ユーロだったかな?

お昼に「小腹が空いた人のために、、、」の
クラブサンドが9ユーロくらい
ピタパン・サラダ・スモーク豆腐のセットが7ユーロくらい。
こんなに食べられないって!!って量だったけど。

英語のメニューもあります。
季節のメニューはドイツ語しかなかったけど、
懇切丁寧に、英語で説明してれた。

結局、ミュンヘン滞在中一日1食はこのレストランを利用した。

ひつこくもう1度言うが

ビーガンでない人も、是非トライして欲しい。このレストラン。

お店の行き方
センドリンガートアSendlinger Tor駅下車。(Uバーンです)
地上に出ると、放射状に道が伸びているので、Pettenkoferstrっていう通りを探す。
(探しにくいかもしれないが、地図見て、とにかくこの通りを探す)
この道の両側にいくつもホテルが並んでいる。
5分くらい歩くと、右側にお店が見えてきます。

夜、一人で歩いていても、まったく問題はなし。
中央駅からなら歩いて20分くらいかな。
中央駅から観光名所の新市庁舎に行くより近いかも。

美味しいよー。
日曜日は、休みだって言っていた。

ミュンヘン 7 あれこれ

2011/11/16 16:53:55

ちっとも役立たなそうな、決して決して観光に役立ちそうにない、
ミュンヘン滞在のメモ書きです
エコバックを持ち歩こう

パン屋に入っても、食料品店に入っても
プラスティックバック(コンビニ袋)をくれるところは少ない。
スーパーなら、レジ前に30セントくらいでレジ袋が販売されている。

「ちょっとパン買ってからホテルに戻ろう。あ、水も買わなきゃ」なんて場合、
パンは紙袋に直接入れて、はい、と渡される。
1リットルミネラルウォーターもそのまま、はい、と渡される。

エコバック、必要だったな、と痛感したドイツ。
ま、一度スーパーでレジ袋を購入してしまえば、それを使い回せばいいのだけど。
(そうしてる地元民、結構見かけた)
電車の中で、なぜ眠らないのだ?

ミネラルショーは9時開場なので私は数日間、通勤アワーの電車に乗って移動、
帰宅アワーの電車に乗ってホテルに戻る生活をしていたのだが、
なぜか、電車の中で眠る人がいない。
まったくいなかったわけではない。1週間の間、3人ほど
居眠りコイいる人(でも1分ほどの時間)を目撃した。
、、、もちろん、長距離列車は別なんだけど。

電車に乗る・座る・寝る

これって、もう自動的な行動だと思っていたのだけど。

ドイツ人の友達に聞いてみた。
なぜ、電車の中で眠らないの?体力温存しようよ。
それとも治安的に居眠りはできないものなのか?

友達曰く
「西洋では、公共の場では必ず外に対して目を開く(意識を向ける、、、の意味)。
だから、電車の中では眠らない。
アジアはそうじゃないよね。公共の場でも自分の世界に入る(居眠りする、の意味)
これ、西洋と東洋の大きな違いだと思う。」

なるほど。確かに置き引き多発のインドでさえも電車の中で眠るよな。
タイも、中国も。

私にとっては、電車の中で座っても目を閉じることができないのは、苦行だった。
だって、座わりゃ、自動的に眠くなるってもんだ。

あるとき、電車に乗って席は空いていたのだけど、座ると寝ちゃうから
私は立っているよ、、、と言ったら
友達は笑いながら「目閉じてもいいよ、見ててあげるから」と言ってくれたが。

さて、ミュンヘン、ベルリンの通勤電車は楽勝。
「通勤ラッシュ」なんてものはなかった。(私が使用した路線だけ?)
この街、70パーセントの人が自宅で自営業しているんではないか?と思えるほど。
、、、、というか、日本の首都圏通勤ラッシュが異常なんだろうけど。
ミュンヘンのホテル、レストランは禁煙

前回のミュンヘンでは飲み屋でたばこを吸った覚えがあったのだが。

「なんだかさ、モデル都市になっちゃって頑張っちゃってるよ、ミュンヘン」
と、友達が言っていた通り

ホテル内・レストラン・飲み屋さえも、店内禁煙。
私はベランダつきのホテルの部屋だったので、
「ベランダではいいよ、でも絶対室内では吸わないで」と従業員に言われた。
星の付くホテルは喫煙室でもあるのかもしれないけど、
安宿は玄関前に灰皿があって、スモーカーはそこで吸っていた。

で、飲み屋。

暖かい室内で酒を飲んで、夜間は5度を下回る野外に出て
タバコを吸うなんて、絶対に体に悪いと思う。
ま、それ以前にタバコが体に悪いのだが。
止めろって話だ。

禁煙ブームなんだろうけど、なぜか歩きタバコはオッケー。
でも、灰皿なんてそこらじゅうに置いてあるわけではく、
みんな、道に吸殻ポンッ。
色づく落ち葉に混じって、街の中吸殻多数。

、、、なんか違わないか?ルール作りの順番が違うのでは?と思うのだけど。
ビールは酒ではないかもしれんが、酔っ払いは路上で潰れている

よく凍死しないよな、、、と思うのだけど、酔いつぶれている人も、多々。
朝の通勤時間に路上で夢の中にいる人も。
一晩ここで明かしたのか?いや、凍死するよな、、、、

ひとりの若いお兄さんが朝っぱらから路上で潰れていた。
どうやら立ちションの前後に夢の世界に入ったらしく、
チ○コ露出したまま熟睡。
さすがにおまわりさんがやってきて、連れ去ったけど。

辛いことでもあったのか、泥酔して千鳥足で大声で天に向かって叫んでいる人も。
「○×◆△~~~!」
友達に、アノヒト、何叫んでいるの?と聞いたら
「下品な言葉。とても訳す(私のためにって、意味)ことはできない」
「マ○コとか、そんな言葉?」と訊ねると
「レディーはそんな言葉口にしてはいけません!」と叱られる。
恐らく、その手の言葉だ。叫んでいたのは。
それか「やらせろ!ジェニファー!」とか。
なんだかよくわからない人も、やっぱりいる

道を歩いていても、なんなんだ?こいつ??って人に
結構な確率で遭遇した私。
服の着方もなんだかヘンだし。目もいっちゃってるし。
電車の中で、その人の隣の席が空いていても、誰も座ろうとしない、、、、
そんな感じの人。
本能が、「そこに座ってはいけない」と教えてくれるような、空席の隣席に座る人。

とある広場でそんな人をウォッチングしてたら、目が合ってしまった。
一直線に私のところにやってきて、ドイツ語で何かを言う。
すまん、ドイツ語はわからんぞ。
すると、叫ぶような大声で(英語)
「タバコを一本くれないかっ?セニョリ~~~~タッ!」

、、、、なにがセニョリータだよ。

お前にくれてやるタバコはない。

でも、みんなこっち見てるから、早く何処かへ行ってくれ。
早く行ってよ、、、、、、、タバコあげるから。
どこの国でも、観光より、マン・ウォッチングが断然楽しい私

いわゆる「ドイツ」のイメージから程遠い人も見かけたのだけど。
どんな国にでもおかしいヤツはいる、、と改めて思う。
おかしいヤツがいたほうが、世の中ってやっぱり面白い
今回ドイツで学んだのは、これに尽きる。
、、、、、身近には居て欲しくないのだけど。

結局ミュンヘンで観光らしき観光はなし、の私。
メルヘン街道なんだよね、有名な観光は。
渡印10年後にタージ・マハールを拝んだごとく、
きっとメルヘン街道のお城も10年後くらいには行くだろう。(いや、行かないな)

ルートヴィヒ2世

この人も相当おかしい人だったのだと思う。
おかしな自分の世界にはまりすぎて、お城いっぱい建てちゃって、
バイエルン王国、経済破綻に追い込むし。ホモだし。
昔、ビスコンティ監督の作品でこの王様の映画があったな。(内容忘れた)

おかしな王様を映画化しようとしたビスコンティ、
やっぱり目の付け所が違うな、と思う。

ミュンヘン 8 アンマのダルシャン、そしてベルリンへ

2011/11/17 16:49:58

友達から、ホテルの部屋に電話が掛かってくる。

「石の仕入れは順調?いつ帰国するんだっけ?明日からの予定は?ベルリンに来ない?」

ベルリンって、遠いの?どこだっけ??

パタパタパタパタ(キーボードを叩く音)

「明日朝の列車。午後お昼過ぎにベルリン着。この列車、どう?」

え~と、これからチケット買いに行く時間がないんだよ、予定がある。

パタパタパタパタ(キーボードを叩く音)

「今、インターネットで列車のチケットを予約したから。
そっちのホテルに今からファックスで送る。5分くらいしたらフロントで受け取って。
それじゃ、明日、ベルリンで。」

ほんの10分ほどの会話で翌日からベルリン行きが決まった。
既に眠れず・食べれず、でもテンションは上がりっぱなしの私は
本当だったら、お断りするべき招待だ。体がもたない。
でも、なんだか、はい・はい、、、と何も考えず(アドレナリン作用だ)ご招待を受ける。

どうにかなるだろう、、、なんて、軽く考えていたのだけど、
ベルリン到着翌朝、朝食の最中、ゲロを吐く、、、、、
という、とっても失礼なことをしてしまうほど、やっぱり体は疲れていた。
他人様が・作ってくれた・朝食を食べて・ゲロを吐く
最低だな、私。
明日のことは、明日、考えよう。
とりあえず、これからアンマのダルシャンだ。

ミュンヘンで、アンマのダルシャン。

今回のドイツ行きが決まって、なんとなくネットを見ていたら、
私のドイツ滞在中に、アンマがドイツにやってくることを知る。
遠くの街でなければ、参加したいな、、、と思っていたら、
開催地は、ミュンヘン。
これ、絶対に行くしかないでしょう。

マサラ香らない、このヨーロッパで、インドに繋がるってのも妙だけど。
最終日の夜の部、デヴィ・バーバのときに予定をあわせてきた。

電車を乗りつぎ、会場近くの駅に到着。
日の入りの早いヨーロッパの冬。住宅街のこの街は既に暗く、
霧も立ち込めている。そして街灯も暗い。

地図を見ながら(ガイドブックは忘れたが、会場地図だけは持ってきていた)
トボトボと歩いていたら、霧の中からひとりの女の人がやってきて
「~~~は、何処ですか?」と私に尋ねる。

びっくりしちゃうほど、綺麗な女の人だ。幻を見てるのか?私。
でも、彼女は間違っている。数日前にドイツに来た東洋人に、
こんな住宅地で道を聞くなんて。

「~~~~は、どこですか?」~~~が、聞き取れないのだけど
聞き取れても、私はおのぼりさんだ。

、、、、ひょっとすると。

「アンマのダルシャン?」

「YES!!]

なんだ、この人もアンマのダルシャンに行くのか。道はこっちだよ。

霧の中から現れた美女は、チェコからアンマのダルシャンのためにやってきていた。
「アンマは25年前から、毎年チェコに来てくれているの。日本では有名?」

他の国での規模がわからないから、よくわからないけど、まぁまぁって感じかな。

「いつからアンマを知っているの?」

インド好きだから、名前だけは昔から知っていた。
でもケララのアシュラムにはまだ行ったことはないんだ。
北インド、山のほうばかりに行っている。

「私は、アンマのアシュラムにしか行ったことがない。北インドなんて、とても無理」

そうだね、ココロの静寂を保つのなら、それが一番だ。
毎日が戦いだからね、北インドは。
そんなイロイロな話をしながら、会場到着。

「友達が待っているの。お話できて楽しかったわ」 私も。

オンナの私がドキドキしちゃうほど、綺麗な人。
私がオトコだったら、「一緒にチャイでも、、、、」と声を掛けただろう。
イタリア・オトコだったら、「連絡先教えて」って粘っただろう。

ダルシャン会場、でかい。

トークン配布の1時間前に到着したはずなのに、
もうたくさんの人が会場入りしている。何時間前から来ているんだ?この人たち。
周りはドイツ語しか聞こえない。こんなに有名なのか、ドイツでは。
まぁ、ミュンヘンは南に位置していて、スイス・オーストリアもすぐそこ。
恐らく周辺国からも集まっているんだろうな、ドイツ語圏だし。

さて、日本のダルシャンしか知らない私はまったくシステムがわからず。
とりあえずセーバの人に
「英語、話せますか?初めてでシステムがわからない」と声を掛けてみる。

「まず、クロークにコートと荷物を預けて。靴も脱いでね。
でも、お財布は必ず携帯してね。空いているシートに座って待っていて。
時間になると、トークンが配布されるから。」

この数日間、街で・駅で・ホテルで、人にモノを尋ねると、
的確で、シンプルで、ちゃんと順序を追った答えが返ってくる。
そして、「ついでに」とさらに先のことも予想し、プラスαを教えてくれる。
これって、多分ドイツの国民性なんだと思う。
毎年、5月の終りにアンマは日本にやって来る。
今年は震災の関係で8月に。
延期になっても、それでも、こんな状況でも、来日してくれた。
8月のアンマのダルシャンで、アンマは怒っているような、
難しいことを考えているような、そんな表情をしていた。
今まで見たことのない表情だった。

ああ、本当に私達の国は、大変なことが起こっちゃったんだな、再認識した。

そして今年2度目のダルシャンは、ヨーロッパ。

配布されたトークンは果てしなく、後ろの番号だった。
アンマの最終日のダルシャンは日本であっても終わるのが午前3時頃。
こりゃ、日の出前に順番は回ってこないぞ。

さて、集まっている人びとは、インドでお会いできるような、人びと多数。
国が違っても、こんな風にシンパシーを感じる人、たくさんいるんだな。

さて、アンマ登場。会場の空気が変わる。
当たり前だけど、通訳はドイツ語。字幕はイタリア語かスペイン語だった。
、、、なので、私には内容は理解できず。

それでも。

こうやって、縁遠い大陸にひとりやって来て、
たまたま予定があったとは言い、この姿を拝めるのはありがたい。
日本のときとは違い、悲しそうなお顔、してないし。

さて、このままダルシャンを受けるべきか?
明日の朝、長距離移動が控えている。
待つのは何時間でも待てる。
体力も、、、、自信はないけど、頑張ればなんとかなる。

問題は明日の列車に、間に合うか?である。

「ベルリン、特に興味ないでしょ?」

「用事はメールと郵便発送で間に合う訳だし。現地入りしなくてもなんとかる」

此処まで来て、ダルシャン受けなくてどうする?自分。
それでも。

やっぱり、ベルリンへ行く。

バカだな、自分。此処まで、こんな傍までやってきて。
わかっているはずなのに、逆行するがごとく、
すぐそこに恩寵というものがあるのに、背中を向けるがごとく。

「確かに、恐れを知らないっていうのは、強みだよね。」

先日、石友達Bが言った言葉。

イヤ、恐れは知っている。バカなだけなのである。
恩寵がすぐそこにあるのに。

デヴィ・バーバの美しいお姿に手を合わせ、
ごめんなさい。それでも私は自分で決めてしまいました、、、、
本道ではないのかも、右に曲がって谷底に落ちるかもしれないが。
「この次は」の「次」は来ないかもしれないが。

終電ギリギリの電車で市内に戻る。
スタバでコーヒーを買って、ホテルへ。

「Ms.ホンダ、日付が変わって、午前3時から時間が変わるから気をつけて」

フロントの人がなにやら訳のわからぬことを説明してくる。
「午前3時からになったら、時計を一時間戻して」

夏時間が終わって、午前3時から冬時間が始まるのである。

冬将軍到来。どおりで寒いはずだ。

時差の関係で、日本と比べると8時間「得しちゃってる」ヨーロッパ滞在だか、
さらに1時間得しちゃうのである。

言ってくれてありがとう。
知らなかったら、明日「列車が来ない!」と駅で1時間半べそかくとこだった。

明日、移動。

ベルリンで見てみたいのは、これ。これだけだ。
Der Himmel uber Berlin

天使ダミエル
あなたは今も、そこにいるのか?

ベルリン  2 街を歩く

2011/11/22 20:46:43

ベルリンに来た目的は、友達に会って・石を渡して・石を受け取る、、、という
至ってシンプル、5分もあれば済んでしまうので、
中一日は、友達にベルリン観光に連れていってもらう。

間違ってもベルリンっ子に
「この街、モノ悲しくって、なんだか辛いわ」なんて、言わない。

観光するよ、ここでは。―――何処行ったのかわからなくなってるけど

「天使の詩」の塔を見たらもう他に興味がないのだけど。
まぁ、広い街である。
恐らく私一人だったら、例の塔を見て、あとは地元のスーパーに行って
何処かベンチに座って「ヘンな人ウォッチング」して終了していると思う。
広すぎて、なにがなんだかわからないよ。

日本に戻ってガイドブックを開いてみたけど、
いったい自分が何処に行ったのかよくわからず。
ただガイドブックにも載っているけどベルリン観光は
100番バスに乗れば市内観光名所を廻れて(逆方向は200番バス)
ついでに2階建てバスなので、まさに観光気分。
UバーンかSバーンの一日乗車券を買っちゃえば、このバスにも乗り放題らしい。
「さて、お昼ご飯でも食べようか?」

友達のレストランを決める基準は、
「自分の好きなビールが置いてあるか、否」である。さすがドイツ。
で、何軒かのレストランを覗き、お目当てのビールが置いてあるレストランに決定。

私は黒パンとサラダとハーブディーを注文。
けど、既にバターとかサラダドレッシングの油の匂いが受け付けない。重症だ。

友達はこんなの、昼間っから食べていた。

、、、すごいよな。ランチなのに。

ここはベルリンなんだけど、
この料理はミュンヘンとかオーストリアの風土料理なんだって。
この数時間後に、友達はチャイニーズヌードルも食べたんだけど。
インドで一緒だったときは、この友達とタイマン張るがごとく
私もがっちりターリーとか、食べていたのだけど。、、、、今は無理。
どこかの広場・バイオリンの音

「ここが僕の一番好きな場所」と友達が連れてきてくれた広場。
この日は祭日で、観光客もいっぱいだ。
ぼんやりと、広場にたたずむ。
女性が一人、バイオリンを弾いている。
演奏の良し悪しは私にはよくわからないのだけど、
なんだかこの街に、ぴったりの音色だ。モノ悲しいのである。
それでも、なんだか私のココロにそっと寄り添うかのような音色だ。

雲が途切れて、太陽の日差しが差し込む。
ドイツに来て初めての日差しだ。(ずっと曇りだったのよ)
暖かい日差しと、バイオリンの音色。実に美しい。でも、モノ悲しい。

、、、、結局、ミュンヘンでは友達と石とそしてアンマが居て
私はハッピーだったのである。

3つが集まって、その中に聖域が生まれる。

それがミュンヘンという街だった。

ここベルリンは、友達がいて、石はあるが、「あとひとつ」が足りない。
それが私をモノ悲しくさせることに気づく。街のせいではない。きっと。

世界のクロサワ

街の中心地を歩いていると、こんな看板を発見。


ベルリンで、黒澤映画特集をやっていた

吹き替えなし、ドイツ語字幕ってことで、私でも楽しめるぞ。
ドイツで黒澤映画ってのも、いいんじゃない?

が、しかし。次の上映は夜の8時から。
明日早朝ミュンヘンに戻るし、ちょっと時間的にきつくて、諦める。

「クロサワって、有名なの?」と友達。
ドイツの巨匠ヴィム・ヴェンダースを知らないのなら、無理はない。

生前は国内より、外国での評価のほうが高かった。(国内評価が低すぎた、と私は思う)
そして著名なハリウッド映画監督に大きな影響を与えた映画監督なんだよ。
恐らく、彼を超える日本映画監督は、いない。そしてこれからも出てこないかも。
もし彼がイタリアに生まれていたら、
間違いなく国葬で彼の死を惜しんだだろう。フェリーニのように。

、、、、これまたフェリーニを知らない友達に力説しても無駄なんだけど。
おっと、これを見るのを忘れていた
ベルリンの壁、、、の一部

真ん中の、色の違うタイルの直線。
この延長線上に、ず~と壁があったそうで。
今では立派な街の中心地だ。

はて。ドイツ統一は東の人びとを幸せにしたのかな?
西の、そして外資の企業が安い労働力を求めて進出したわけだけど、
言い方変えればそれは「搾取」とも言う。

それでも。

壁越えたくらいで、狙撃されるより
自分の意思と責任で、何処に行っても撃たれることのない
今のほうが、よっぽどマシだよね。

自由より尊いものはない。

でもその自由って、「自らを由とする」―――(福沢諭吉だっけ?)
自分自身から、自由になることだと思う。

ベルリンの壁の前でそんなこと、ぼーっと考える。

ベルリン 1  ベルリン天使の詩

2011/11/18 09:14:53

前日にベルリン行きが決まって、
ベルリンが何処にあるのかがイマイチよく把握できていない私。
で、ついでに距離感もわかっていない。
ファックスで送られてきたチケットは、文字が不鮮明でよく見えない。
なんとなく、そんなに遠くない都市だろう、、、と脳内地図では勝手に判断していた。
(フランクフルトくらいの距離だと思っていた)
なので、乗車時間6時間になっていてびっくり。

ひょっとして、「ベルリンにおいで」でなくて
「ベルジム(ベルギー)においで」だったのでは、、、、と不安がよぎる。

列車の中で、もうアドレス帳を取り出して友達の住所を確認する元気もなく
ベルリンでもベルギーでも、友達が迎えにきてくれているはず。
もし、ベルギーなら、ワッフル食べてこよう。
取りあえず長距離列車だ、寝よう、、、、
ベルリン到着。
暖かい、、、、
北に6時間列車は進んだはずだけど、ミュンヘンよりよっぽど暖かい。

ドイツの首都。ベルリン。ミュンヘンの2倍以上の大都市らしい。

暖かいのだけど。

なぜかこの街はモノ悲しい空気が流れている。
結局、滞在2日間、この「モノ悲しさ」は私について回る。
ちょっと油断すると、なんだか泣けてきちゃいそうな。
なので、ある意味、「がんばれ、自分」をエールを送り続けた。

ここは首都。歴史と文化の中心地なのである。
でも、経済的にはイケていないそうである。

モノ悲しさは、たぶん、この映画の影響だ
ベルリン・天使の詩
ヴィム・ヴェンダース作品で私の愛する映画。
予断だが、当時は「ヴェム」・ヴェンダースと表記されていた気がする。
今から20年ほど前、当時働いていた銀座で仕事帰りにこの映画を見た。
「映画の世界に引き込まれる」という体験を初めてした映画。

映画館を出て、思わず和光の時計台を見上げた私。
もちろん、そこには天使ダミエルなんていない。
広がっていたのは、ビルに囲まれた四角い空だった。

「私は、一生、この四角い空の下で生きていくのかな?」

当時、どうしようもなく嫌いな学校をやっと卒業して自活して働いていた。
生活は特別苦しいわけでも、もちろんリッチな生活でもない。
それでも、自分で働いて金を稼いで生活できることが嬉しかった。
もう、興味のない勉強をしなくてもいい。
もしこの先、なにか学びたいことがあれば、本を読んで
その分野に精通している人を探して、教えを乞えばいい。
仕事もそれなりに楽しかった。
自分の稼ぎを、自分でコントロールして自由に使えることが嬉しかった。

それなのに、なぜか。

「私は、一生、この四角い空の下で生きていくのかな?」

それは、軽い絶望感だった。
すっかりその映画の世界にはまり込んでしまった私の脳内には

「天使ダミエルは、あそこにいる」

、、、、という、いかれポンチな絶対的確信が打ち立てられた。

、、、、、いるはずないじゃん。

そんなの、わかりきったことなんだけど現実的に。
それでも。
絶対いる。信じるとかでなくて、いる、、、のである。
(典型的いかれポンチ発想のベクトルだ)

この映画の終りに
「全てのかつての天使、特に安二郎、フランソワ、アンドレイに捧ぐ」
、、、というテロップが流れる。
安二郎とは、我らが小津安二郎のこと。
天使嫌いな私なんだけど、
誰がなんと言おうと「ヴィム・ヴェンダース」なんである。
天使ダミエルがたたずむその塔は、昔の戦争の勝利記念塔だそうです。
「つい最近、塗装し直してピカピカなんだよ」とのこと。

今が見ごろ、である。

想像していたより、大きな塔だ。
写真がどれも薄暗いが、ドイツ滞在中、ずっとこんな曇りの天気だった。
「ベルリン天使の詩」のイメージに近い薄暗い写真。
敢えて修正せず、載せてみた。
女神像の下、金ぴかの柵が見えるけど、そこまで登ることができる。
「さて、上まで登れるよ。行ってみようか」

せっかくここまできたのなら。
しかしエレベーターなんてなく、螺旋階段をひたすら登ることになる。
入場料3ユーロなり。

既に体力限界な私にとっては、この登りは致命傷だった、、、、
羽の生えてる天使ダミエルが羨ましい。
人間って、なにかと不便だ。
うっ、、、誰かエチケット袋を持っていないか?

顔面蒼白でやっとたどり着いた展望台から、ベルリンの街が一望できる。
この景色を眺めていたのか、天使ダミエル。
銀座であの映画を見た若かりしころ。
まさか自分が、この景色を見ることになるとは思わなかった。
いや、数日前までベルリンに来るとは思っていなかったのだが。

人生って不思議だ。

傍らにいる友達の声も遠くに聞こえる。

こんな景色が広がっていたのか。

しばし映画の世界に浸りこむ私。

ベルリン 3  ベルリンからミュンヘンへ。そして帰国

2011/11/23 11:23:34

「また会えて、うれしかったよ」

ドイツに来て、何度も何度もこのセリフ言ってるな、私。

2泊3日のベルリン滞在。
街を観光し、夜の森を散歩し、そんな森の中のビアガーデンでビールを飲み。

なんと言っても、天使ダミエルが見ていたその風景を見ることができた。

「新しい道を進んで」

ベルリンの友達も、「私の道」についてアドバイスをくれる。

今回ドイツで再会したのは、インドの旅の中で出会った人たち。
当時は「良い人に出会えて楽しかったな」と思っていた。
もちろん、今でもそう思っているのだけど。

「私と、出会ってくれて、ありがとう」

今では、そんな言葉も添えたいと思う。

正直、昔出会った旅の記憶は、果てしなく太古の出来事のように思える。
まるで前世の記憶、だ。今の私にとっては。

みんな、取り巻く状況や、立場は変わってしまったけど
太ったり・禿げたり・しわも増えたりしたけれど
コアな部分(魂、とも言えるかもしれない)は変わっていない。
それが何よりも嬉しかった。
列車に揺られる6時間。
久々に私のパンドラ・ボックスの中を覗いてみる。
ああ、本当に色々なことがあったな。
確かに辛かったけどその辛さが私を成長させてくれたことを実感する。
そう思えた瞬間、パンドラ・ボックスに詰め込んだアイテムたちは、
箱を飛び出して、遠くの空へ消えていく。

車窓の景色が段々と、ミュンヘンっぽくなってくると、
私の中のモノ悲しさと、それをコントロールする緊張感も消えていく。

「ああ、ミュンヘンに戻って来れた」心底ホッとする。

ホテルに戻ると(部屋はそのままキープしていた)フロントスタッフが

「おお!Ms.ホンダ!戻ったか!!ベルリンは楽しかったかい?」

、、、、なんだか、大歓迎を受ける。まるで我が家に戻ったようだ。
(この手の歓迎は、ドイツ人であっても、さすがにインド系ドイツ人だ。)
シャワーを浴びて少し休もう、、、と思っていたところに友達から電話。

「今、市場にいるのだけど、出てこれる?」

はーい、今から行きます。
「ベルリンは楽しかった?」

友達がそう言って、握手をしたところで突然、体中の力が抜けたように
その場でヘナヘナと座り込んでしまう私。

完全なる・電池切れ、だ。
「どうしちゃったの?大丈夫?、、、、取りあえずビールを飲もう」
「時差ぼけが、きつい」
「それじゃ、ビールを飲んで」

「ちょっと疲れたからホテルに戻る」
「ビールを飲めば疲れは取れるよ」

「風邪気味だから、外で飲むのはよそう」
「ビールを飲めば、風邪は治るよ」
この滞在中、私が何かを言えば返ってくるのは「ビールを飲んで」。

トリンケン・ズィー・ビーア(ビールを飲んで)

私が今回、覚えるつもりがなくても、覚えた唯一のドイツ語だ。

「文化の違い」とは、便利な言葉だ。

眠れず、食べられず、電池切れの私には、もう「ビールを飲んで」は通じない。断じて。
(でも結局、ヨロヨロ立ち上がって、ビールを飲んじゃうんだけど)
そんなにビールばかり飲んでいるから、デブになるし、禿げるんだ!
(禿げは関係ないのだけど。まぁ、単なる八つ当たりだ)
明日の帰国便の予約は入れてあるのだけど
それを延長して、どこか郊外にしばらく滞在して
今回仕入れた石の写真を撮ったり、アクセサリーを作ったり、、、、
1週間くらい、そんなゆっくりした時間を過ごすつもりでいた。
で、この友達が「いいところがあるよ」と連絡をくれたわけだ。

でも、なんだか無理そうである。ビールを飲んでも。
電池切れ・アドレナリンはもう放出されていない。

「やっぱり、明日の便で日本に戻るよ」そう言った次の瞬間、
教会の鐘が一斉に鳴り始める。なんとも美しい鐘の音だ。
この鐘の音が、吉兆の知らせでありますように。

私がこれから進む道への祝福の鐘でありますように。
―――― 旅・おしまい ―――――
旅の始まり・成田空港
ミュンヘン 1 到着
ミュンヘン 2 石の祭典
ミュンヘン 3 旧友との再会
ミュンヘン 4 石の祭典と石友達
ミュンヘン 5 道に迷う。まっすぐ進め
ミュンヘン 6 現地で美味しかったもの
ミュンヘン 7 あれこれ
ミュンヘン 8 アンマのダルシャン、そしてベルリンへ
ベルリン 1  ベルリン天使の詩
ベルリン 2 街を歩く
ベルリン 3  ベルリンからミュンヘンへ。そして帰国

動く、揺れ動く季節

FullSizeRender

 

厳しい冬が終わり、色鮮やかな植物たちが芽吹く季節が待ち遠しい。
マラカイトの鮮やかなグリーンと共にそんな季節を心待ちにしている今日この頃。
秋から冬にかけて毎年、冬眠する熊のように食欲旺盛で、

冬がやってきても生命維持機能が働くせいか、過食ではないか?と自分でも心配になるほどの

食欲も収まり、嗚呼、本当に春がやってくるのだな、と胃袋が教えてくれる。

もう、厳しい冬が終わる、生命維持機能解除。

 

卒業、進学、人事移動など、環境が変わりやすい季節。

それはココロにも少なからず影響して、浮わついたり、穏やかになれないこともある。

もちろん、希望で胸が高まることもある。

そんな環境の変化がココロを揺れ動かすのも事実なのだけど、

卒業も進学も人事移動もない生活を送っている私でも、この季節は毎年どうも落ち着かない。

草木が芽吹くように、人間の脳内でも何かが芽吹くからではないか?と

密かに思っている。

ケアレスミスを起こしたり、約束を忘れたり

「なんか、ちょっと、歯車がかみ合っていないな」と注意が必要な季節だと認識している。

いつもより丁寧に瞑想をする。

そんな瞑想中、浮かび上がる言葉。
石のように冷静であれ。静であれ。

変化が訪れても新境地に到達しても心の何処かに静をキープしろ。

それがキープできるなら、どんな変化の波に乗ろうと恐ることはない。
できることなら、変化を楽しんでいたけど、

そんな余裕がないことだってある。

だから。

心の片隅でもいいから、静を維持する。

一見、役に立たなそうなことかもしれないけど

結構、こういうことが大事だったりする。

瞑想から戻って静の石を眺めながら

静をキープできてるか?と自分自身に問いかける。