バシスト生活・3つのキーワード2008/07/24 11:53:16

 

R0015150毎朝、私の部屋にやって来る野良犬。
朝の2度寝をしているど、ドアをカリカリ引っ掻いたり、
身体をぶつけて「開けろよ!」と主張する。

ドアを開けてあげると、部屋のゴミ箱をあさり、
なぜか私が鼻をかんだちり紙だけを食べて帰る。

この宿の出入り口は、非常階段のような裏階段しかないのに、
毎朝、この野良は部屋に登ってくる。
発熱・腰痛が始まって2日目の夜明け前、熱が最高潮に達する。

体育座りで睡眠を取るのもこれが2晩目。、、、もう限界です、、、、、

雨季で肌寒い夜明け前。部屋の中はなんだか蒸している。

そう、発熱者1名がお部屋を暖めているから。

「外の、冷たい空気に当たろう、、、、、」ベランダに出る。

ひんやりとした風が、心地いい。

夜明け前のヒマラヤもいいもんだ。

毎朝、このベランダで瞑想をしているのだけど、

少し時間は早いけど、いつものポジションに座り、瞑想を始める。

「腰痛がひどくて、座禅が組めるのか?」

答えは「YES」 腰を曲げなくて済む、座禅のほうが楽。

瞬時に、静寂の時の中に入り込む。

(以前、このブログで「瞑想を始めるとき、まず呼吸のリズムを掴む」と書いたけれど
自然の中で、自分に合った場所で瞑想をする場合、リズムを掴む必要は全然なくて、最初のひと呼吸からす~と、瞑想の呼吸に入ることができるのです。)

頬に当たる、ヒマラヤの風が心地いい。

どこくらいの時間が経ったのか?周りの空気が変わり始める。

野鳥が囀り、羽ばたく。

眼を開いてみると、、、、私は朝焼けに染まるヒマラヤの山と向き合っていた。

野鳥が、すずめが、空を舞う。

私の傍らには、毎日遊びに来る野良犬が、身体を丸めて眠っている。

調和。

なんて美しいんだろう、、、、、

あまりの美しさに涙が、熱のせいで鼻水が。

次の瞬間、私の奥深い、身体の底から3つの言葉は湧き上がってきた。
「これ以上、どんな命も奪わない」

「最後に、腰の解放」

「神様に仕える人」
◆どんな命も奪わない、、、、

今まで人は殺したことないよ、私。

ゴキブリとか、蚊とか、退治しちゃって当たり前、、、の命のことかな?

食べ物かな?肉、さかな。
でも、菜食主義になったからと言っても、「植物」の命は日々頂くことになるわけで、、、、
◆腰の解放、、、、、

この、腰痛のこと?これの、何が、「最後」なんだろう?
万年偏頭痛の私にとって、最後に来て欲しいのは「頭痛からの解放」なのではないかな?

◆神様に仕える人

これ、知っている!!(このことについては、後日ブログで書きます)
、、、、、なんだかよくわからないけど、どうも啓示のような言葉だな。

そのうち、わかるから
心地よい風が頬に当たった瞬間、そんな言葉が湧いてきて

インド滞在中の、最高の瞑想が終わる。

バシスト生活・再び、チベット医学 2008/07/23 13:07:17

再びお世話になったチベット医学。
チベット医学病院のことを、メン・ツィー・カン(men-tsee-khang)という。
今回お世話になったマナリのゴンパ・ロードにあるメン・ツィー・カン。
ヨガの先生から薬をもらって服用したけど、微熱はまだ続く。
相変わらず腰が痛い、、、、、
ヨガ教室に挨拶にいくと「う~ん、やっぱりちゃんと病院に行ってきなさい」とのこと。

以前、ネパールでお世話になったチベット医学
今回も、インドでお世話になるとにする。

、、、、バスが止まっても、病気になってもお世話になるのはチベット、、、、
普通の民家に診察室を作りました、、、といった感じの病院。
待合室には「脈診ですので、腕時計・貴金属は外してください」と注意書き。

若い女の先生です。

「どうしましたか?」

「急に、熱と腰痛に襲われました、、、、、ドラッグはやってません」
(ドラッグで有名な国や土地で具合が悪くなって病院に行くと
必ずドクターに”ドラッグはやってますか?”と聞かれるので、先に言っておく)

私の両腕と取って、じっくりと脈を診る先生。

「、、、、、衰弱している、、、、、、」

はい、弱っています、私。なのでここにたどり着きました。
ついでにあと1週間内にネパールに戻らなきゃいけないので、弱ってます。

「昼夜逆転してます。昼間はできるだけ起きていなさい」

その他、食欲、排出物の具合などなどを聞かれる。

「あと何日、ここに滞在しますか?」

「一週間以内にはネパールに戻る予定です。」

「出発の前日、ここにまた来ることができますか?」

来ます、来ます、この症状治るなら。12時間バスに乗る体力が回復するなら。

「それでは、出発の前日に必ず再診するということで薬を処方します。
そして、食べ物。酸味のあるもの、、、レモンやお酢・冷たい食べ物・卵・スパイスは控えてください。腰痛には、塗り薬を処方します。」

そんなことで、薬を数日分もらう。それがこれ。

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ここの病院はカルテつき。(緑のノートブックがそれ)

 

アレルギーの項目に、食べてはいけないものと説明されてたことが書いてある。

これに、腰痛の痛み止めバームとマッサージオイルをもらう。

飲み薬は1日3回。こんな大きさ。

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艶を失ったレッド・ジャスパーって感じでしょうか?
これでいくら払ったっけ???覚えてないけど、500円も払っていないような。

バシストに戻って行き付けのチベットレストランに顔を出す。
「チベットの薬はゆっくり効くから、西洋の薬飲んたほうがいいよ。
ジャパニーズ・メディスンは最高でしょ?」、、、とチベット人に言われてしまう。

前回のネパールの時といい、本当に私、やばいかも、、、という症状のとき、
なぜかそばにいる人に、チベットの病院を紹介されちゃう私。
今回もヨガの先生に「行ってこい」と勧められたわけで。

、、、、再び、この苦いお薬にお世話になります。

追記:漢方、アユルヴェーダ、そしてメンティーカンなどは穏やかに効く、、、が

通説なんだけど、実は私には結構即効性がある。

これ、どうやらその人の持っている体質に関係しているらしい。

 

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病院の帰りにマナリの町で購入したアンゴラのストール
この地方の伝統的デザインの織物が織り込まれてます。
購入予定になかったものだけど、
熱もあるし、体を冷やしちゃいけない、、、、、
、、、と自分に言い訳して購入。
軽くて、暖かい!!

バシスト生活・でも発熱と腰痛 2008/07/21 00:53:56

前日に泊まった宿があまりにもうるさかったので、、、、、
、、、と言っても、お寺から24時間流れている神様を称える歌なんだけど、、、
翌日、宿を変えることにする。

静かな村の中で、偶然にも見つけた宿は、看板なし、宿の名前なし、の
「知っている人だけ辿りついてね」的な宿だった。
3階のフロアーに、ダブル・ルームが3つ。共同トイレ。
そしてそのフロアーにはベランダとは呼べないくらい広ーいベランダつき。
(ベランダではなくて、ガーデンだな、あの広さは)
もちろんヒマラヤもばっちり見える。
宿代1泊100ルピー(約250円)。温泉まで徒歩5分。

毎朝、5時に起きて温泉に浸かる生活が始まった。

バシスト生活の基地も見つかった。
さて、次になにをしましょうか?

同じ宿に泊まっていた日本人の女性が、ヨガを習っていたので
私も集中的にヨガでもやろうか、、、とヨガ教室の門を叩く。
朝と夕方、各2時間づつのレッスンを1週間予約する。個人レッスン。
「今日の夕方から始めよう」とヨガの先生。

ちょっとハードなヨガになりそうなので、宿に戻って、夕方までお昼寝。

、、、、なんだかちょっと熱っぽいんですけど、、、気のせいでしょうか?

寝返りを打とうとすると、身体が動かない。あれれ???

起き上がろうとすると、腰に、背中に激痛。起き上がれない、、、あれれれ?ドウシチャッタノデショウカ?ワタシ。

やっとの思いで、起き上がってみると、やっぱり熱がある。

それより大変なのが、腰痛、、、、というか背中全体が痛い。

首も曲がらない。なんだか首から腰にかけて、コルセットを巻いたように動かない。
これじゃ、パンツも穿きかえられません、、、、、

ああ、ここまでたどり着くのに、22時間もバスに揺られたせいだ。
重いザックを背負って、座席確保のダッシュを何度もやったからだ。

ヨガのレッスンの時間がやってくる!!

とりあえず、教室に行って今日のレッスンをキャンセルしないと。イテテ。

、、、、なぜだか、歩いても痛くない。ただ腰が曲げられないだけ。あと熱。
歩いても、立っていても、座っていても「やたらと姿勢の良い人」な私。

「先生、、、ここ数時間でこんなになっちゃって、今日のレッスンキャンセルしたいんです。」

「とりあえず、座れ。ちょっと身体を動かしてみよう」

、、、、、座ることもできないんです、、、、、

なんとか床に座って、でも先生はレッスンを始めちゃう。

、、、、、無理です、、、、、

なんとか動かせる身体の部分だけを動かして1時間でレッスンは終わる。

「はい、次はうつぶせになって」

、、、、、それが、一番できないことなんです、、、、、、

どうにか時間を掛けてうつぶせになると、アユルヴェーダマッサージが始まる。

このマッサージ、痛くも痒くもない。

なんだか鉄の鎧を着て、その上からマッサージをしてもらっているよう。

「ブロックが、、、、すごいな、、、、」先生がつぶやく。

マッサージの後、先生がなにやら紙の、小さな包みを持ってきた。

ああ、知ってるよ、これ。チベット医学の漢方薬でしょ?あの苦いの。
(この先生の奥さんはチベット医師の資格を持っている。ちなみにものすごーく、美人!!)

「これを2日間飲めば熱が下がるから。そしたらレッスンを再開しよう。
もし、症状が改善されないなら、マナリのメン・ツィー・カン(チベット医学の病院)に行きなさい。」

ありがとう、先生。それでは今日のレッスン代と薬代はいくらでしょうか?

「君は、ボクの生徒だから、お金は要らない。」

、、、、先生、ありがとう。熱のせいで、涙じゃなくて、鼻水が出ます、、、、
宿に戻って、横になる、、、ことができないので、ベットの上で背筋をピンと伸ばして、座る。

なにやってんだ?私。

病気になるために、インドに来たのか????

やっとたどり着いた、ヒマラヤの麓で、熱出して、腰が曲がらなくて、
半ケツ出して、マッサージ受けるって、どういうこと????
、、、、今回、インドにお呼ばれされてなかったのかな?私。

この後、2日間、熱と腰痛に苦しむ。

今では信じられないけど、2晩、ベッドに横になることができなかった。腰痛で。

ただ、ベッドの上で、体育座りをして、うとうと寝ていた私。

どうなっちゃうの?私。1週間後にはまたバスに乗って12時間掛けて

デリーに行って、それから飛行機に乗って、ネパールに戻らなきゃいけないんだから!!

絶対インドが、私を拒んでいる!!

 

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ヨガの先生から貰った、チベット医学の飲み薬。
「良薬、口に苦し」なら、これは世界で一番の薬。
、、、どんな病気だって治るはずだ!!

バシスト生活 2008/07/20 00:48:07

「デリー北方のヒマラヤ山地の谷間にある町。(省略)この谷に住んでいる人たちは、
平地に住む人々とは異なる風俗を守り続けている山地民。
その暮らしぶりも興味深く、女は手織りのウール地をピンで留めて
ワンピースのように着つけ、頭をスカーフで覆う。
男は前縁をビロード地で飾った平らな丸帽子を愛用している。(略)
標高1900M。ここの山腹から硫黄泉が湧いている、、、、」 地球の歩き方より

このマナリの町から4キロほど上った村が、私が22時間も掛けてたどり着いたバシスト。
小さなヒンドゥ寺院があって、その境内に硫黄温泉が湧いていて、誰でも無料で入れる。

以前、ブログでこの村での出来事を書いたな。(参照:クリスタルとの出会い)

どうしても、この場所に戻ってきたくて、今回無理やり時間を作ってやってきた。
ヒマラヤにすっぽりと囲まれて、静寂の時間を過ごす。
、、、、温泉に入りながら。
このお寺の敷地内に温泉があります。朝の5時から夜9時までオープン。
温泉浴場内はさすがに撮影できなかったけど、
モヘンジョ・ダロ遺跡とかローマ遺跡の浴場跡みたいな感じで、
日本のきっちり作られた露天風呂より、かえって趣があります。

前回訪れた時は、24時間オープンしていて、
夜中の2時になるとお湯の入れ替え。
一番キレイなお湯に浸かりたくて、ロウソク一本持って真夜中の露天風呂。

ヒマラヤの中の静寂。
たった一つの灯火の中で温泉に浸かる。
、、、、それはまったくの、異次元の世界。、、、どこの惑星?
11年前の6月、私はこの村である「声」を聞いた。

今でもその情景は、はっきりと覚えている。
この村で知り合った日本人カップルの旅人と一緒にレストランにいた。
屋上の、ローソク1本だけが灯りのテーブル席で、
30分経ったもやってこない、料理を待ちながら、おしゃべりをしていた。

「世界は、愛で満ち溢れている」

「えっ?今、なんか言った?」

「いや、なにも、、、、」

絶対に、聞こえた。

それまでも感覚的な何かが私の中から湧き出てきて、それを言葉に置き換えて、会話をする、、、
ということは何度もあった。
それを「自分の中に住んでいるもう1人との会話」と呼んでいた。

でもその声は、絶対に私の「外側」から入ってきた。「世界は、愛で満ち溢れている」、と。

この言葉、今にして思えばとても重い言葉だな、、、と思えるけど、
当時の私は、「そんなこと、私にはどうでもいいことなんだけど」と受け流した。

今、この瞬間にも世界中で、大義名分の下、戦争という殺人が行われるのに、
「愛で満ち溢れている」なんて、よくそんなこと、言えたもんだよ、
、、、、誰が、私に囁いたのか、知らないけど。

、、、、、でも、心のメモ帳にちょっと書いておくよ、、、、

この言葉を聞いてからの11年間、もちろん私は「愛の宣教師」になることもなく、
旅をし、日本に出稼ぎに帰る生活をしていた。
平穏な日々だったわけでもなく、「七転び八起き」どころか
「七転び・もう起き上がれません、、、、」そんな11年間だった。

今だからわかることだけど、11年前の、6月、雨季で肌寒いこのヒマラヤの村で、
人生が動き始めたのだと思う。
決して真っ直ぐ、楽に、歩んでいたわけではないし、
「破滅への道を進んでいるのでは、、、、?」と思うこともしばしばだったけど、
まぁ、「何かが」動き始めた場所・バシスト。

で、その地に、戻ってきた私。

これから10日間、何をして過ごそうか?

ひたすら山を歩くのもよし、
瞑想するのもよし、
ヨガレッスンを集中的にするのもよし
他の旅人と遊ぶのもよし
ネパールで一生懸命仕入れをした自分へのご褒美。

「静寂の、山に抱かれて時を過ごす」

さて、どんなことが起こるんだろう、、、、、、、

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バシストの野良犬

初日に宿泊した宿にいた野良犬。
チェック・インして、ドアを開けたら、この野良犬もチェック・イン。
美味しいクッキーで釣っても部屋から出ていく意思がなさそうなので、
仕方がなしに、一晩、ルームシェアすることに。
もちろん、宿代は私持ち。

怒涛のインド・マナリ行き 最終章 2008/07/19 00:16:29

2時間で、バスは大きなバスターミナルに到着。でもここはマナリではない。
ドライバーはここで降りて、あっちのバスに乗れ、という。

またバスの乗り換えですか???私たち、「マナリ」までのチケット買ったよね????

チベット人お姉さんもドライバーに抗議。

でも、「このバスはここでお終い。あっちのバスに乗れ」

ここ、何処なのよ?バスステーションのサインボードを見る。
そして忘れていたヒンディ語がここでも読めてしまう。
「クッル」って書いてある。

そう、クルに到着、、、、でもマナリまで3,4時間の街、、、、、

「あっちのバスに乗れ」と言われたバスに乗り込む。

チベット人お姉さんが運転手になにやら説明。
「さっきのバス内で、マナリまでの通しのチケットを買った。」と言っている模様。

その間に、私のところにチケット売りのおじさんがやってくる。
「何処まで行くの?」と。

すかさずお姉さんが叫ぶ
「チケットは通しで買ったんだから、お金は払わなくていいよの!」

きっと私ひとりなら、「さっきのバスの運転手に騙されたな」と勝手に納得して、
このバスのチケット代も払っていたと思う。
、、、、払って、、、と言っても、もう1枚たりともチケットを買うお金はないんだけどね。

クルは以前、来たことのある街。
3時間でマナリに到着することも知っている。
自分が、今何処にいて、あとどのくらい時間が掛るのか、、、、
それをわかっているって、こんなにも安心するものなのね、、、、、

バスに揺られて3時間。時刻は夕方5時。
マナリにとうとう到着する。所要時間22時間なり。予定が12時間のところ、22時間なり、、、、、、、

バスを降りると、私の女神であるお姉さんが
「で、あたなこの後、どこに行くの?」と聞いてくる。
私のために、オートリキシャの交渉までしてくれる。

でも、まずは両替、、、、である。
街の中心地で両替してから、バシスト(というのが私の最終目的地)に行くから、、、、と言うと、
お姉さんは更に、リキシャマンと交渉をする。

交渉成立。

「まず、街の中心地まで行ってくれるって。そこでリキシャマン、1時間待ってくれるって。
両替だけでなく、お腹も空いているでしょ?
ご飯食べて買い物して1時間後、バシストまで行ってくれるって。
70ルピー(200円弱)、、、少し高いけど、いいかな?この値段で」

チベットの女神は、最後の最後まで親切だ。

本当の本当に、チベットに自由を!!!

「いろいろ、たくさん、ありがとう。あなたのお陰でマナリまでたどり着くことができました。」感謝を述べる私。

「大変だったよね、私だってこんな目にあったの初めてよ、ハハハ。ところで、あなた、日本人?」

「YES」と答える私に、女神はニッコリ微笑む。

「have a nice trip !!」

困難な目にあうと、必ず待ち受けていたように
手を差しのばしてくれる人が現れるのが、インドの七不思議のひとつ。

捨てる神あれば、拾う神あり。

22時間の、トラブル尽くしの旅路。拾ってくれた神様はチベット人。
===================== 余談 ===============================
今年(注:2008年)に入ってからのチベットの惨劇で心を痛め、
「チベットに、自由を!」と、心底思い、ちっとも行動派ではなかった私が
デモに参加したり、聖火リレーのときに捕まったチベット青年に手紙を出したりと行動した理由は、
「チベットという国」への憧れや、ダライラマ法王を崇拝しているから、、、、、
それが根本的な理由ではなかった。

確かにダライラマ法王は私の中で尊敬に値する人物。
、、、、でも、、、正直言って「そこまで」チベット仏教を崇拝しているわけではない。

私の心を揺り動かしたもの、、、、
それは旅先で、困ったときに、手を差し伸べてくれた何人かのチベット人の、親切心、やさしさ、、、、
言い換えれば、愛 が私の中にずっと住み続けていたから。

遠い昔に、与えてくれた愛。
その人たちが命を懸けて、叫ぶ「祖国に自由を」という言葉。
、、、、私だって一緒に叫びたくなる。

今回の旅でも、チベット人に救われた私。

R0015102

マナリのチベット人街にあるお寺で、ありがとう、と手を合わせる。
そして「チベットで、チベット人が自由に暮らせますように。」と祈る。

怒涛のインド・マナリ行き 5 2008/07/18 00:09:56

数時間後、バスは小さな町の、バスステーションに到着。
ここでマナリ行きのバスに乗り換えるという。

でも、なかなかマナリ行きのバスは来ない。。。。。

バスのフロントに、大きく行き先が表示されているのだけど、英語でなくヒンディー語。
もう、私を拾ってくれたお姉さんだけがたより。

30分経過。

お姉さんが「あのバスが、マナリまで行ってくれることになった。
あのバスに乗って!!荷物は車内に持込むこと!!」
再び荷物を背負って猛ダッシュ。

時刻は既に9時。、、、もう時間なんてどうでもいい。
バスが、私を、マナリにまで運んでくれるのなら。

、、、でも、、、バスに乗り込んで30分経過してもバスは発車しない。
正確に言うと、一度動いて、バスステーションの出口で止まったまま。

なんとなく、このバス、マナリにいかないかも、、、、という気持ちになる。

「サモサをお一つ、いかが?」
隣りの席に坐ったカルカッタのお姉さんが私にサモサを勧めてくれる。
このお姉さんは、バスチケットの半券を失くした私に、
「同じバスに乗っていたのだから、払い戻ししてあげてよ!」と援護射撃をしてくれた人。
払い戻しにしても、このあとのタクシーとの交渉にも、だんなさんでなくて、
彼女が交渉する。、、、多分、だんなさんは英語を話せない人なのかも。

そういえば、朝からチャイ以外なにも口にしていない。
、、、ありがたくサモサを頂く。

そしてカルカッタのお姉さんと、チベット人のお姉さんの会話。

カルカッタ:「ねぇ、マナリまであとどのくらい掛るの?」
チベット: 「多分、このバスが直接マナリに行ってくれればあと6時間」
カルカッタ:「まぁ、、、、、」

この会話、同じインド人同士なのに英語。よって私にも理解できる。
カルカッタ出身のお姉さんのファーストランゲージはベンガル語。
チベット人お姉さんのファーストランゲージは、チベット語、
だけど北インド出身なので、ヒンディー語も同じくらいに操る。

ファーストランゲージが違うもの同士、、、のインド人の共通ランゲージは英語なのです、、、、、

順調に行ってあと、6時間か、、、、、おやつの時間に間に合うわけね。

でも私の内なる声は囁く「このバス、マナリまで行かないよ」と。

15分経過。車内も「なんとなく、おかしいぞ」という雰囲気が漂い始める。

一度車外に出たカルカッタのお姉さんが、バスに戻ってくる。

カルカッタ:「このバス、出発しないみたい。で、タクシーの運転手を二人捕まえて交渉したの。
ひとり400ルピーでマナリまで行ってくれるって、、、」
チベット:「400ルピー、、、、それは高すぎるわよ、、、、」
私:    「そうだ、そうだ、高すぎる!!」

実はこの時の私の所持金は、払い戻しをしてもらったお金を合わせても300ルピー。
昨日の朝、デリーに着いてからまだ両替をしていなかったのである。
空港からバスターミナルまでのタクシー代とナイトバスの代金は、
前回の旅で残ったルピーで支払った。残りは100ルピー。

どうせ、「夜出発して起きたらマナリ」なのでマナリで両替すればいい。
長距離移動中は、殆んどご飯を食べない私。車酔いするから。

全財産、300ルピー。このバスの中で一番所持金の少ないのはきっと、私。

困ったな、300ルピーしかないよ。タクシーは使えない。
、、、アメリカン・エキスプレスのトラベラーズチェックならあるよ、
あと、日本円も。クレジットカードなんて、海外で100万円まで使えるんだから、、、、、

ところで、カルカッタのお姉さん、なぜ「2台のタクシー」と交渉してきたか?
カルカッタのお姉さん、だんなさん、チベット人のお姉さんとその家族そして私。
あわせて8人なのである。
、、、、みんなで、マナリまで行こうよ、友よ!の親切心で交渉してくれたのです。

チベット人のお姉さんは決断した。

「このバスは、もう無理。■×△まで行って、そこからマナリ行きのバスに乗ろう!」
(私の読みだと、急にマナリ行きになったこのバスに対して、地元のタクシードライバーが、
俺たちの食いブチ横取りするな!と抗議したんだと思う。
バスドライバーの周りに地元のインド人が集って、ギャーギャー騒いていたもん。)

土地勘のある、このお姉さんに異議申し立てをする者はいない。

ちょうどタイミングよく■×△行きのバスが来た。(らしい)

「あのバスに乗るの!!荷物は車内に持込んで!」

乗客、大移動。猛ダッシュ。

先頭を切るチベット人お姉さん。
この人の特技は、目的のバスに乗り込み・座席を確保すること。
で、必ず二席、確保する。
なぜか?  私たちバス難民の中に足の不自由のチベット人のおばあさんがいる。
(お姉さんの家族ではない。)
このおばあさん、娘さんと思われる女性の肩を借りてやっと歩けるほど。
このおばあさんのために、お姉さんは毎回、バスを乗り換えるごとに席を取ってあげるのである。
で、余裕があると私に「あなた、あそこの席が空いている!」と教えてくれる。
たまにお姉さんから離れた席を確保している私に
「ちゃんと乗れた(坐れた)かしら?」と必ず車内で私を探してくれる。
眼が合うと、ニッコリ。

本当にいい人なのである。ああ、チベットに自由を。

、、、、このバスで、席を確保できなかったのは私だけ、、、とろい。

しょうがないので、荷物で埋る、通路に座り込む。
正面にいるインド人のおばさんと眼があう。
おばさんが後ろに向かって、なにかを叫ぶ「■×◎=-#ジャパニ!!。」
ジャパニ(日本人)それだけは聞き取れた私。
次ぎに私に向かって何かを叫ぶ。
「$$&△■!!」、、、、ヒンディ語、わかりません、、、私。
3度、おばさんは叫ぶ。乗客みんな私をじーと見つめる。
、、、私の荷物の上に坐るな!って怒っているのかな、、、、、、、
だって、しょうがないでしょう、、、、
4度めの叫びの後、どこからか英語が聞こえてきた。

「後ろの席、空いているから坐りな、って言ってるよ、この人。」
小さな、男の子の声。

怒っているように見えたこのおばさん、最後列に向かって
「この日本人が坐れないでいるから、坐らせてやってよ」と叫んでいたのです。
で、最高列に坐っていたふたりの子供を抱えたお母さんが、
子供ひとりを自分の膝の上に、もうひとりを前列に坐っていた女性に預けて
(いいよ、あなたの子供、私が膝の上に乗せてあげる、、、、全く他人の女性)
私のために一人分の席を作ってくれたのです、、、、、
ありがとう、ありがとう、と言いながら、席に坐らせてもらう私。

数時間後、知らないバスステーション着。で、次のバスを見つける。

「これが最後のバスだからね」とチベット人お姉さんに励まされる。

「マナリまで!!」と言ってチケットを買う。100ルピー。
既に私の所持金はローカルバスを乗り継いだために、100ルピーを切った。
只今の時刻、お昼。あと3時間で目的地に到着する、、、、はずだよね。

R0015083チベット風餃子、モモ

なぜバスは動かない?

ヒマラヤ眺めながら、温泉入って、

こーゆーの食べてまったりしたいんだよ!私。

 

 

 

怒涛のインド・マナリ行き 4 2008/07/17 11:41:19

、、、、さぁ、これからが本番。怒涛のインド・マナリ行き。

来るかどうか判らないローカルバスをひたすら待つ、それしか手段のない、
取り残された、元乗客。

チャイを飲んだり、その辺をぶらついたり、「今頃、目的地に着いている時刻だよな、、、、」
諦めの悪い私はそんなことを考えながら時間を過ごす。

チャイを飲んで、元乗客の場所に戻ると、
「拾う神」であるチベット人のお姉さんが「あなた、バス代返してもらった?」と聞いてくる。

なんでも、バスは途中で止まってしまったわけなので、200ルピーだけ、
ドライバーが、その場にいた元乗客にお金を返しているらしい。

「早く運転手のところに行って!!200ルピーだよ、200ルピーを返してもらうんだよ!!」

あ、白人のお兄さんたちにも教えてあげよう、、、、、
探してみたけど、姿が見えず。ヒッチハイクに成功した模様。

一度、手元を離れたお金、そんなもの、このインドで戻ってくるのでしょうか??

でも、バスの入り口で本当に運転手が払い戻しをしている!!

「はい、チケットの半券見せて」

ソンナモノ、トックニ、ナクシチャッタワヨ、ワタシ。

チケット、、、、本当によく失くす私。
飛行場で、搭乗券だってなくしたことあるし、
免税店でパスポートを置き忘れたことだってある私。

「半券ないと、払い戻しはできないよ」、、、はい、なにも言い返すことはできません。

そんなとき、後ろから援護射撃の声が。

「この人、同じバスに乗っていた。私の前の席だったからよーく覚えている!!
だから払い戻ししてあげてよ。」

声の主は、カルカッタからダンナさんとやってきたインド人のお姉さん。
(もしかしたら、新婚旅行だったかも)

このお姉さんの援護射撃のお陰で、半券失くした私も、200ルピー受け取ることができた。

「200ルピー、返してもらった?」戻ってきた私に、チベット人のお姉さんが確認。

「うん、ちゃんと返してもらえました」私のその言葉にお姉さんはニッコリ。

やっと一台のローカルバスがやってきた。

「このバスに乗って!!荷物は車内に持込むこと!、、、屋根の上に乗せらちゃうの、ローカルバスだと。雨も降っているし、荷物が落っこちることもあるから」
チベット人お姉さんの合図で、荷物を背負ってバスに向けて猛ダッシュ。

、、、やっと移動ができる、、、時刻は朝の6時。
目的地到着時間に、やっと移動開始。

怒涛のインド・マナリ行き 2 2008/07/15 08:43:53

バスターミナル到着。

巨大なバスターミナルでびっくり。

インドは鉄道が発達している国だけど、レールの引けない山岳地帯などは長距離バスで移動する。

荷物預かり所で、とにかく思いザックを預け(25円ほど)、トイレで顔を洗う。、、、、
ネパールと較べると暑い。38度くらい?汗ダラダラ。

本日最初のご飯を食べることにする。
広い構内にはたくさんの定食屋さんがあって、客引きが
「ターリー、ターリー!!」と叫んでいる。(ターリーはインドの定食。勿論カレー)
そのうちの1軒に入る、、、、入るといっても一軒一軒建物になっているわけではない。
良く言えばフードコート。ハエがぶんぶん飛び回って、野良犬がおこぼれを物色しているフードコート。

「アメリカン・ブレックファーストをお願い。タマゴはサニーサイドで」
、、、、、そんなのは存在しない。
メニューはターリーとサモサとチャイとジュースのみ。
、、、、本当に、インド市民のバスターミナル。
メニューは全てヒンディー語。

前日までお腹を壊していた私は、カレーなんて食べたくない。
でも、カレーしかないので、ターリーを注文、、、、するしかない。

本日初めてのお食事。、、、、、辛い!!
ネパール料理は比較的マイルドな味なので、余計に辛く感じる。
ああ、インドに来たんだな、と実感する。
余りの辛さにむせていると、隣りのチベット人のおじさんが大笑い。

「ハハハ、辛いか?ハハハハ。」

「今朝、ネパールから着いたばかりなんです。デリーのカレー、辛いです。」

「そうか、オレも今朝カトマンドゥから着いたばかりだ」

なんだ、同じフライトだったのか、このおじさん、、、と思っていたら、
なんとおじさんはバスでデリーまで来たそう。
所要時間、スムーズにいって35時間。バス代3200円。
35時間のバスの旅、、、、、、それも夕方街についてそれぞれ宿を取って
翌朝、集合して再出発、、、、とかではなくて、
35時間ノンストップのバスの旅なんだそうである。

今晩のナイトバスに乗って、ふるさとのダラムサラまで帰るそうである。

「ダラムサラまでって、、、13時間くらい掛るよね?まだバスに乗るの????」

「ハハハ、バスに乗らないと帰れないからね、乗るよ、ハハハハ」

チベット人の魅力はとにかく大人でも、子供のように無邪気に笑うところ。
大声で、くったくなく、笑う。

35時間もバスになんて乗るなんて、カトマンドゥからデリーまで、
陸路という選択枝があるなんて、想像もしなかった私。

110ドル(約12000円)で1時間20分のフライト(でも3時間遅れた)だった私。

3倍以上お金払っても私は楽な道を選ぶよ!!

、、、、でも結局私もこの後、22時間もバスに揺られることになる、、、、

お腹も満たしたことだし、とにかくマナリ行きのバス停留所を探す。

ひとつだけ、タクシーのオヤジは正しいことを言った。

バスターミナルには、英語表示はない。 you are right。

表示は全てヒンディ語。アルファベット一切なし。

不思議なことに必要に迫られると、大昔に忘れたヒンディー語が読めるようになっちゃうのである。

「マ・ナ・リ、、、ここだ!!」

バスチケットを下さいと言うと、チケットは2階のチケット売り場で。
出発は夜6時、、、とのこと。(英語は通じる)

二階に上ると、チケット売り場。広い構内に、人がいっぱい寝ている。
地べたに。ハエのぶんぶん飛び交う、地べたで。

ここでもヒンディ語の「マナリ」の文字を見つけブースに直行。
、、、、でも今はお昼休み。2時になったらおいで、とのこと。
ちなみにバスはエアコンつきで600ルピー。(1600円)所要時間12時間。
夜の6時に出発して、寝ていれば翌朝には目的地に着く。
2時まで時間があるので、私もまわりのインド人に見習って、地べたに横になる。しばし仮眠。

、、、、眠れない。ハエが私の鼻の穴やまぶたに、止まる、止まる。
ハエは水分を求めて、人の粘膜(鼻の穴、眼)に集る。
ちなみに蚊に刺された所がジュクジュクしているとそこにも止まる。
「どこででも眠れる」ことが自慢の私だったけど、さすがに無理。

周りのインド人を見てみると、鼻の穴からハエが出入りしていても寝ている。
、、、、私、まだまだ修行が足りないな、、、、、と痛感。

それでも結局眠いので寝てしまう。
暫らくすると、「マダム、チケットはもう買いましたか?」という声で眼が覚める。
旅行代理店の名刺を持ったインド人が立っていた。

「絶対信用するな、デリーの旅行代理店」なんだけど、なんとなく話を聞いてみる。
(、、、、これが大失敗の元であることは、翌朝早朝知ることとなる)

プライベートバスでマナリまでいかないか?という営業だった。
エアコンつきでガバメントバスより50ルピー安い550ルピー。
なんとスリーパーバス、、、、なんだそうである。
右半分は座席、左半分は寝台になっているバス、、、があるらしい。
ゆっくり横になって、翌朝起きたら目的地、、、なんて最高である。
この「スリーパー」に心を動かされ、旅行代理店でバスのチケットを買ってしまった私。
、、、、今ならわかるやっぱりデリーの旅行代理店なんて、信じちゃいけない。

でも、寝台という言葉に、ついつい乗ってしまった私だったのよ、、、、

 

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バスターミナルでの一杯のチャイ。

怒涛のインド・マナリ行き 3 2008/07/17 09:08:56

「インドの1時間遅れは、日本の5分遅れ。インドの1時間遅れは、、、、」

マントラのようにこの言葉は唱える私。
6時出発のはずのバスはまだこない。
西日のジリジリ当たる、道路の片隅でナイトバスを待つ私と多数のインド人。
時刻は7時を過ぎている。

決して辛抱強いとは言えない国民性のインドだけど、
「予定通りに進まない物事についてはひたすら待つしかない」
このことに関してはとても寛容で辛抱強い。

誰も文句は言わない。西日にジリジリ焼かれながら。

昔はいつ来るか判らないバスや列車を待って、夜を明かしたもんだよ、
プラットホームで、バスターミナルの地べたで。
知っている?地べたって、太陽の熱をいっぱい溜め込んでいるから直接寝っころがっても暖かいんだよ。
もちろん夜明け前は寒くなって眼が覚めてしまう。
そうすると、近くで焚き火を起こしているインド人が「焚き火にあたれて」って手招きしてくれるんだ。
こんなハプニングも、旅のいい思い出だな、、、、、、、
、、、、そんなことを思っていられたのも20代までの話。

私はすでに30代後半。

金は払っているんだ。バス、とっととこんかい!オラ!!!!

予定時刻1時間半を過ぎて、バス到着。

チケットを見せて乗り込むと、はい、あなたはこの席、、、と言われる。

席じゃないでしょ、スリーパーでしょ?私がお金を払ったのは!!

「マダム、あなたの払ったの550ルピーは座席の値段。スリーパーではない」

、、、、一本取られました、旅行代理店に。

チケットを購入するとき、念のため「スリーパーバスだよね?」と確認した私。

答えは「YES」。

でも、スリーパーつきバスのチケットだけど、あなたにスリーパーを確保したなんて、一言も言ってませんよ。僕たち。

、、、、ただちに、旅行代理店に怒鳴り込んでもそう言われるのがオチ。

ま、ガバメントバスより気持ち安いし、このバスに乗っていれば目的地まで運んでくれるんだし、
いいか、、、、騙されたけど、ボラれた訳ではないし、、、、、、
でもエアコンつきって言ったのに、エアコンちっとも効いてないけど。

そう、野宿するよりはマシ。バスが来て、乗れたし、席はあるのだから。

これから12時間の旅。さすがに朝からの移動で疲れた私は、爆睡。

、、、、真夜中の12時ころ、眼を覚ますとバスが止まっている。
「休憩時間なの?」と他の乗客に聞くと「道が渋滞しているらしい」とのこと。
ふ~ん、そうなんだ。再び眠りに就く。

明け方、もう一度眼を覚ます。、、、バスは「渋滞に巻きもまれた」場所から動いていない。

なんだかおかしいぞ。
ものすごい、田舎道でバスは停まったまま。
道沿いには、数軒のチャイ屋と、警察の詰め所。
とりあえずバスは動きそうにないので、青空トイレをしに外に出て
朝一番のチャイを飲む。
30分ほど外でフラフラしてからバスに戻る。

暫らくすると、知らないインド人がバスに乗り込んできてなにやら叫ぶ。
乗客が一斉に動き出す。荷物を持って、、、、、、、

ナニガオコッタノデショウカ???

ひとりのチベット人のおねぇさんを捕まえて、なにが起こったの?と聞いてみる。

「私たちの乗っているこのバス、バス会社は払うべき税金を払っていなくて、警察の検問で止められたの、
真夜中に。さっき男性が叫んでいたのは、
このバスは、これ以上先には進まないからみんな降りろって言っていたの」

バスは動かない。あとはそれぞれ頑張って自力で目的地に行ってください、健闘を祈る。

、、、、、こんな感じでしょうか????冗談じゃないよ!!!!!

乗客みんな、諦めてバスを降りる。バスの車体に書かれている電話番号をメモる人もいる。
そう、後でチケット代を返してもらうために。

、、、、で、私、どうすればいいわけよ。だいたい、ここ、どこなの???

目的地は標高2000メートルの場所。
でも現在地の景色は、、、、まだまだ山が低い。
夜中の12時から止まっていたということは、半分の距離を走ったかどうか、、、、ってところ。
、、、、、雨も降っています、、、、、、、、

このバスで、外国人乗客は私の他に白人のお兄さんふたり。
彼らは早速、トラックを止めてヒッチハイクの交渉をしている。
他の乗客インド人たちは一斉に携帯電話を使いだす。
目的地が近い人、知り合いが近くにいる人は、助けを求めているよう。
、、、、1時間もすると、乗用車が迎えにきて、「よう、よう、大変だったな」ってな感じで、
1組、2組と消えていく、、、、、

私、こんな場所に知り合いなんていません、携帯も持っていません、
ガイドブックだって持っていません。。。。

うーん、どうすればいいのかな?私。

すると先ほど、バスが止まった理由を教えてくれたチベット人のお姉さんが
「あなた、何処まで行くの?」と声を掛けてきた。
なんと、お姉さんたち家族もマナリに帰る途中だったらしい。

「じゃぁ、一緒についてきなさいよ!」

捨てる神あれば拾う神あり。

今回の神様はチベット人。

お姉さんの話によると、とりあえずここでローカルバスが通るのを待つ。
そして◎×*という街まで行って、そこからマナリ行きのバスに乗る、、、ということ。

◎×*までは歩いていけないの?と聞くと、余りにも遠すぎるとのこと。

ローカルバスを待ちましょう。
そして、このお姉さんについていきましょう。
それしか選択枝は残されていません。異邦人の私には。

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路頭に迷う乗客

「夜、出発して、朝になったら目的地に到着している、、、、、」
ヒンドゥの神様を信じるがごとく、ダライラマを信じるがごとく、
ブッダを、キリストを信じるがごとく、、、、、、、、
そう信じていた、路頭に迷う、元乗客たち。
撮影している私も路頭に迷う乗客のひとり。

怒涛のインド・マナリ行き 2008/07/14 11:12:33

あんなに辛かった水下痢・熱も正味2日間苦しんで、すっかりと治る。
あの苦しみが嘘のよう、、、、、

そんな訳で、10日間ほどインドに行くことにする。
朝一番のフライトでデリーに入り、そのままバスターミナルに直行して、
ナイトバスに乗り、翌日早朝にはインド側からヒマラヤを眺める、、、、
そんな予定でした。

そんな、予定でした、、、、、、

今回のインド行き、最初からつまづいた。
まず、カトマンドゥの空港で、飛行機が遅れ3時間も小さな、小さな、
とても一国の首都の空港とは思えない空港で、3時間待機する。
フライト時間はたったの1時間20分なのに、3時間待たされる。

なんとかお昼にニューデリーの空港に到着。
空港内のツーリストインフォメーションで、北部地域行きのバスターミナルの場所を確認する。

、、、ここまではよかったけど、乗ったタクシーが曲者だった。

インドを旅する人の間では有名な話なんだけど、
インドの最大の関門(洗礼)はこのデリーの空港。
正確に言うと、デリー空港から目的地(だいたいは安宿街)までのタクシー。
、、、、目的地までまっすぐ行かないタクシー。
なんだかわけのわからぬ旅行代理店に連れ込まれ、
「お前の泊ろうとしているホテルは閉鎖中」と言って他のホテルに宿泊させようとする。
もしくは、高額なツアーを組む羽目になる、、、、
この被害、10年以上前からちっとも減らない。

「そんなの、振り切ってしまえばいい、、、」そう思う人もいるかも知れない。
でもこのアクシデントが起こるのは日没後が多い。
デリー空港は24時間フライトがあるし、だいたい安いチケットは真夜中の到着。
真夜中に、土地勘のない外国人が旅行代理店に連れ込まれ、
イヤイヤ高額ツアーを組んでしまったりするのです。

お金だけ失うならまだまし。
数年前には真夜中のデリー空港の裏の空き地で、到着したばかりのヨーロッパ人女性が
タクシーの中で殺されちゃった、、、、洒落にならない事件が起こった。
それも、流しのタクシーでなくて、プリペイドタクシー――――
タクシーのナンバーと、乗客の名前とパスポートナンバーをちゃんと控えてから前払いで、
均一料金で目的地まで行ってくれる安全なはずのタクシーで起こってしまった事件。

「デリー空港には魔物が住んでいる」、、、、本当にそう思う。

そんな魔物に遭遇したくないために、夕方到着便でも構わなかった私は
わざわぜ早朝便でニューデリーに到着した。

幸運なことに今まで4回ほどニューデリー空港から入国しているけど
この魔物に遭遇したことはない私。

でも今回初めて「まっすぐ目的地に行ってくれないタクシー」に遭遇。

タクシーのドライバーがやたらと私の目的地のバスターミナルは良くない、を連発する。
インド人用のバスターミナルなので英語表示がないから
外国人である私は目的のバスのチケットを探すのに苦労する、
ガバメントバスは良くない、ツーリスト用のバスではないから良くない、、、などなど。

「あなたの話はよーくわかりました。でも目的地に行ってください。」
あとは、無言。おやじの話に相槌も打たず。

、、、でもタクシーは目的地に行かない。
細い路地を入って、なんだか知らない建物の前に到着。
ここは、◎■~=観光局。ここでバスのチケットが買えるから値段を聞いてこいと言う。

、、、無言。そして絶対にタクシーを降りない私。

「どうした?ツーリストバスはここから出発する。チケットもここで買えるから」

、、、、無言でオヤジをじっと見つめる。無表情で。

車中で見詰め合うふたり。
オヤジの眼が「あれ?おかしいな、、、」という表情に変わった瞬間、

「バスターミナル、プリーズ。」と、
少し強気の口調で一言。この間も絶対眼をそらさない。

「、、、、ティケ、、、(O.K)」 オヤジは諦めたらしく、タクシーは動き出す。

大体、朝から何も食べていない私はすこぶる機嫌が悪い。
ここで怒鳴り散らしてオヤジとケンカするエネルギーが勿体無い。
でも、もう一言、オヤジがプッシュしたら完全に切れていた私。(理由:お腹が空いているから)
「ガバメントバスは良くない、、、、」
「チケットを探すの困難、、、、」

100歩譲って、一人ぼっちの旅行者への親切心、、、、そんなものは今のところ、どうでもいい。

それよりインド国民、いや、デリー市民として
「魔物が住まうデリー空港」「デリーの人間の言うことは嘘ばっかり」
、、、、そんな汚名を返上する努力をしろ。
旅人への親切心はその後だ。
、、、、なんとか寄り道したけど、無事バスターミナルに到着。

でも怒涛のインドはこれから。