10 バラナシ生活 その2

今回の旅の、最大の教訓

日本を離れて間もないのに、ガンジス河下流で沐浴はしてはいけない。

沐浴は、上流で。これ、リスクマネージメント。

そんなこと、わかっちゃいたが、理解と納得は別物だった。

もう、熱出すの、飽きました。
咳のしすぎで、あばら骨、疲労骨折しそうです。。。。。。

「今はクンブメーラで、サドゥたちもみんなバラナシに集まって、
今日は満月。体が一生懸命浄化しているのよ。みんな生まれ変わるのよ」
あらゆる人にそう言われる。きっと私もそう言っただろう、他人事なら。

いや、こんなにつらいなら、浄化なんてどうでもいい。
普通の風邪引いて、普通に薬飲んで、治したい。

バラナシの、満月。

ここ1年くらいでやっとわかったのだけど、
どこにいても、満月の前日から、ゆっくり眠ることができなくなる。
どこででも眠れる私が、おかしいな、と思うと、大体満月が近づいている。

熱の合間に、ひとつマクラメを作ってみる。
小さいけれど、キリッとした仏陀がそこに座る。
ここバラナシから1時間ほどの場所、サルナート。
仏陀が悟りを開き、その話を一緒に修行していた行者たち初めて語った場所。

ヒンドゥ教では、仏陀はヴィシュヌ神の化身とされている。
最初にこの話を聞いたときは、「なんて横柄な、、、、
仏陀は仏陀であって、ヒンドゥの神様ではないだろう!」
そう思っていたのだけど、今となっては、ヴィシュヌと仏陀。
確かに漂うムードは似ている。
一応「私、仏教徒です」とサドゥに言うと、「ああ、ビシュヌ派ね」と納得される。
、、、、、私はちっとも納得してないけど。

この仏陀は仏教徒である旅人にプレゼント。

ここ何年も、どうしても視点をはずすことができなかったひとつの執着。
その視点をふっと別方向に向けてくれたこの旅人には本当に感謝している。

人の何気ない一言で「あ、そうだったんだ」と180度視点が変わり
視野が広がり、思いもしなかったことがクリアになる。
ある、ある、そういうこと。本当に、いろんな人が旅している。この地球上で。

勿論、本人はそんな作用をもたらしたなんて、想像もしていないので
「ありがとう」なんて言って説明しても
理解できないだろうし、私も表現できそうにないから、感謝を形にして贈る。

このバラナシ療養中に、身内の訃報が届く。

あっけなく、ある日突然人は去ってしまうものなのだな。
いまさらなんだけど、そんなの、わかっていることなんだけど、
ある種の喪失感がやってくる。

「カーシーで死ぬことができたら解脱できる」

ヒンドゥ教徒の憧れの地であり、「死ぬために」やってくるバラナシ。
そんな聖地で、亡き身内を思い手を合わせる。

しばし、バラナシ生活が続きそうです。
ひたすら熱が出ているだけで、痛くも痒くもないので、きっと大丈夫。
次に進めるはず。


ひとの少ない夜のガートもなかなか素敵です。

トランプゲームを嗜むサドゥたち。

クンブメーラで知り合ったサドゥたちに再会する。
サドゥたちはイラハバードからバラナシに移り、
ガート沿いにテントを張り始める。

11 バラナシを去ること。

おまわりさんも牛も一緒に暖を取る

いい加減病人ごっこも飽きたので移動すること、決意する。
でも、いざチケットを買ってこの地を去るとなると、
一種の寂しさがこみ上げてくる。
今回のバラナシ生活は、熱の合間に出掛けたのみ。
熱もなんとか平熱に戻り「いつもの自分」に戻ったとき、
ひょっとしてこの「病人ごっこ」はクンブメーラ後遺症だけでなく、
この土地が持つ磁場と満月とサドゥたちのパワーにやられたのではないか?とふと思う。
半分、病人。でも半分はエネルギー負け。

いつもいつも、ひとつの土地を離れるときに寂しさがこみ上げてきて、
それは何回経験しようと、何年経験しようと慣れることではなく、
次の場所、次の磁場へシフトする流れの中で
ちょっとだけ、混乱している自分がいることに気づく。

「大丈夫、次の磁場にもちゃんとシフトできるはず」
自分自身にそう言い聞かせる。

しばし、知り合いのサドゥテントにて、チャイを飲みながらボーっと過ごす。

子供のように、いや子供以上に無邪気で屈託なく、遠慮のないサドゥたち。
彼らのリズムに合わせると、時に too much !なこともあるけれど、
あんな風に無邪気に、生きていきていけたら、
それが許される場所があるならば、、、、、そんなことをふっと思ってしまう。

12 ネパール滞在(後日談)

クンブメーラ、バラナシでの熱もさがり石の仕入れのためやってきたネパール。

石の仕入れで町中を動き回り、日本への輸出も終了。

が、インド熱がぶり返し、病状は急変。血痰を吐くまでになり

入院生活を送ることになってしまいました。

なので、この期間のブログは記事はなし。(記憶さえ定かではない)

入院生活の中、とても印象に残る出来事がふたつ。

入院初日、真夜中に息苦しく目を覚ます。

目を覚ましているつもりだけど、高熱で意識は朦朧としている。

その時、ふと傍に亡くなった母親を感じる。

生前の、母と接している時の雰囲気、、、、とでも言えばいいのか?

とにかく近くに母がいる。 とても懐かしかった。

迎えにきたのか、心配で様子を見にきたのか、わからないけど、

こんなことって、あるんだな。

そして入院2日目の朝。

目を覚ますと、酸素マスクと点滴が効いているせいか、「苦しくない」。

苦しくない、息ができる。そう思った瞬間、嬉しくて涙が溢れる。

そして天井から光の柱(そう表現するしかない)が降りてきて、私の体を貫く。

呼吸ができることが嬉しくて、とにかく涙が止まらない、、、、

退院後、しばらくして石の仕入れを再開するのだけど、その時この石に出会う。

ああ、光の柱だ。私の体を貫いた。出会った瞬間、理解する。

このシンクロは何を意味していたのかは全くわからない。

ただ、「こう言うこともあるのだな」と受け止めるしかない。

懲りない私は、ネパールでしばし療養したのち、インドへ戻る。

旅の後半が始まります。

13 移動・移動・移動

間抜けな表情の犬。デリーにて。

いつも定位置で居眠りこいているのだけど、

思わず噴出しちゃうような表情をしている。

後ろ姿もやっぱり間抜け。

友達と待ち合わせのため、デリーに2泊。

本当になんにも用事のない街なのに、なぜか今回

デリーに1泊、2泊を繰り返す羽目に。

街の洗濯屋さんは、こんな感じの炭火アイロンを使ってます。

電気を消費しないエコなアイロンです。

数日後、ハルドワード到着。

3年前のクンブメーラはこの街で開催された。

外国人はこの街を素通りしてリシュケシュに行ってしまうのだけど、

私はさりげなくこの街が大好きだ。

ハルドワードにあるアーナンダマイ・マーのサマディは工事中だった。

ミュージアムにあったマイ・マーの手形。

こんなにも小さな手をしていたのか。

ベンガルの聖女。多くの人をひきつけた人。

そっと自分の手を手形に合わせる。

ガンガージャルを汲みに来た老夫婦サドゥ。だんなさんがそっと妻に腕を貸す

14 風が吹き抜ける村

空気と水と景色がきれいな村に滞在しています。

畑仕事をする村の人々、ゆっくりと流れる時間、そして静寂。

孔雀の鳴く声が聞こえてきます。

4部屋しかない、小さなゲストハウス。

2013-04-09-1

日中の山の日差しは強いけれど、朝と晩はひんやりとした空気に覆われています。

風が吹き抜ける村。

建設中の建物があちらこちらにあって、

あと数年もすればこの静寂も失われそうで、

いいタイミングで、この村にやってきたな、という感じ。

ここでしばし、私はアクセサリーつくりに没頭する予定。

今回、一緒にこの村にやってきた旅友達は、仏画のスケッチに没頭中。

実は、ここ、ヨガの聖地・リシュケシュ。

滞在している多くの外国人はアシュラムなどでヨガのトレーニングを受けていて、

数ヶ月単位で滞在する人も多くいる。

なので、ゲストハウスの部屋は自炊用の小さなキッチン完備のところが多い。

ここまできて、なぜヨガをしない?

なんか、流れに反しているような気がしないでもないけど、

クンブメーラではじけて、入院して、石の仕入れをして、その他諸々と

なにかとエキサイティングだった今回の旅。

少しぐらい、「自分の流れ」を作って穏やかに過ごすのも悪くはない、、、はず。

渦の中に、飛び込んで、身を任せるのではなくて、

自分の「場所」や「時間の流れ」をキープする。

鳥の鳴き声と共に目が覚め、吹き抜ける風が身体を貫き、

しばし朝の瞑想、そして朝ごはん。

一緒にやってきた旅友達は、腹を壊していて、

「マサラは毒だ」とまで、言い放つ状態。

なので、しばし、マサラ抜き生活を送ることを決める。

、、、、でも、なかなか難しいのよ、インドの村で、マサラ抜き生活。

ヤギのチーズと、トマトと、パンと、ヒマラヤソルトと、トゥルシー・ティー。

なぜかここではいろんなチーズが手に入り、チーズ選びは旅友達の役目。

真剣にチーズを選ぶ。そんな真剣な顔、見たことないぞ、ってくらいに。

卵くらいの大きさのトマトが5つ5ルピー(10円)

その美味しさは、日本のフルーツトマトなんて比べ物にならない美味しさ。

そこにちょっとだけヒマラヤソルトで、甘さをさらに引き立たせる。

もう、ほんとうに、エクセレント!!な朝食。

そして幸せな1日が今日も始まる。

部屋には小さなキッチン。

自炊したい人は、ガスコンロや調理機材を持参してお好きなように。

ここから15分ほどのメインストリートの店には、

自炊用のパスタやお米、そしてインドの豆で作った醤油や味噌まで売られている。

日中、他の滞在者はヨガに行ってしまうので、バルコニーもほとんど貸切状態。

15 サドゥと再会、ギフト

静かな村生活が続いています

知り合いのサドゥと再会する。
2月のクンブメーラ。バラナシの宿から、
一緒にイラハバードまでに行ったサドゥ。
「一緒に行った」というより「連れて行ってもらった」といったほうが正しいな。
連絡先も交換してなかったし、もうあうこともないだろうな、と
思っていたのだけど、このリシュケシュの橋の上で再会。
数日後にサドゥの宿泊先に遊びにいく。

チャイを飲みながら、しばし話しをする。

今となっては思い出せないのだけど −−−−− このサドゥの何気ない一言で、
私の、顔の、肩の、背中のこわばりが一瞬で消えていく。
「こわばっていた」自分にびっくりだ。

静かな風吹き抜ける村での生活。
こわばる「理由」なんて、ないはず、、、、、だった。

私の旅はすでにカウントダウンが始まっている。

旅が終わってしまうのは寂しいけれど、
帰国後、いろいろな楽しみが私を待っている。
「楽しみ」がある一方で、
再び、安全な水と食べ物を心配し、日本の世論の中で生きていくことに不安がある。
(*注:原発事故の後だったため、とにかく水と食べ物の心配をしていたようです)

日本で今、生活している人たちには申し訳ないのだけど、
現在私は、「セシウム・フリー」な生活環境にいる。
インドの食べ物も決して安全とは言えないところがあるけれど−−−−−
オーガニックを唄う飲食店がここインドでも急増している、
オーガニック=安全、今までが安全ではなかったってことだ。

インドにも原発がある。そしてこの国も地震国だ。
でも、壊れてやばいものを垂れ流しにしているわけではない。

「その心配」がわが身に降りかかってくることのない環境にいる。
もちろん、母国のことは心配だ。家族も友達も日本に住んでいる。

だけど。日本を離れた瞬間から「自分の身」に、それは降りかかってこない。

海外に在住している日本人のブログなどで、
原発、地震のことを好き勝手言っているのを、よく見かける。
今ではその人たちの言動が理解できる。ちっとも共感はできないけど。

「心配しながらも、自分は安全な場所にいる」

私のこわばりは、無意識のうちに「今」を生きていないで
もうすぐ戻る、近い未来を心配していることからきているものだった。

未来を想像することは決して悪いことではない。
その未来の不安要素にフォーカスしてしまうことがよくないのだろう。

こんな美しい環境、まさにシャンティな場所にいながら
無意識といえども近い未来に不安を覚える。
それに対して身体は「こわばり」反応を示す。素直だ。

サドゥのある一言で、その不安が無意識から意識へと浮かびあがり、
それを認識できたことで身体は反応し、こわばりは溶けていく。

サドゥ・マジックだな。

「これを、アヤにあげる」

サドゥ・マジックをかけてもらった上に、小さなルドラクシャをもらう。
すでに首には色々なものを身に付けているので、
このルドラクシャは手首に巻くことにする。

新しい12年の、日本での生活がもうすぐ始まる。

その前にしばしこの地で、集中的に瞑想生活をしようと思っています。

*「けっして安全ではないインドの食べ物」
昨晩食べたパスタが当たり、噴水のごとく嘔吐を繰り返す。
苦しいのだけど鼻からパスタが出てきたときには、吐きながら大笑いする自分。
「けっして」ではなく、「やっぱり」安全じゃないぞ、インドの食べ物。違う意味で。

2013年の旅 完