10 バラナシ生活 その2

今回の旅の、最大の教訓

日本を離れて間もないのに、ガンジス河下流で沐浴はしてはいけない。

沐浴は、上流で。これ、リスクマネージメント。

そんなこと、わかっちゃいたが、理解と納得は別物だった。

もう、熱出すの、飽きました。
咳のしすぎで、あばら骨、疲労骨折しそうです。。。。。。

「今はクンブメーラで、サドゥたちもみんなバラナシに集まって、
今日は満月。体が一生懸命浄化しているのよ。みんな生まれ変わるのよ」
あらゆる人にそう言われる。きっと私もそう言っただろう、他人事なら。

いや、こんなにつらいなら、浄化なんてどうでもいい。
普通の風邪引いて、普通に薬飲んで、治したい。

バラナシの、満月。

ここ1年くらいでやっとわかったのだけど、
どこにいても、満月の前日から、ゆっくり眠ることができなくなる。
どこででも眠れる私が、おかしいな、と思うと、大体満月が近づいている。

熱の合間に、ひとつマクラメを作ってみる。
小さいけれど、キリッとした仏陀がそこに座る。
ここバラナシから1時間ほどの場所、サルナート。
仏陀が悟りを開き、その話を一緒に修行していた行者たち初めて語った場所。

ヒンドゥ教では、仏陀はヴィシュヌ神の化身とされている。
最初にこの話を聞いたときは、「なんて横柄な、、、、
仏陀は仏陀であって、ヒンドゥの神様ではないだろう!」
そう思っていたのだけど、今となっては、ヴィシュヌと仏陀。
確かに漂うムードは似ている。
一応「私、仏教徒です」とサドゥに言うと、「ああ、ビシュヌ派ね」と納得される。
、、、、、私はちっとも納得してないけど。

この仏陀は仏教徒である旅人にプレゼント。

ここ何年も、どうしても視点をはずすことができなかったひとつの執着。
その視点をふっと別方向に向けてくれたこの旅人には本当に感謝している。

人の何気ない一言で「あ、そうだったんだ」と180度視点が変わり
視野が広がり、思いもしなかったことがクリアになる。
ある、ある、そういうこと。本当に、いろんな人が旅している。この地球上で。

勿論、本人はそんな作用をもたらしたなんて、想像もしていないので
「ありがとう」なんて言って説明しても
理解できないだろうし、私も表現できそうにないから、感謝を形にして贈る。

このバラナシ療養中に、身内の訃報が届く。

あっけなく、ある日突然人は去ってしまうものなのだな。
いまさらなんだけど、そんなの、わかっていることなんだけど、
ある種の喪失感がやってくる。

「カーシーで死ぬことができたら解脱できる」

ヒンドゥ教徒の憧れの地であり、「死ぬために」やってくるバラナシ。
そんな聖地で、亡き身内を思い手を合わせる。

しばし、バラナシ生活が続きそうです。
ひたすら熱が出ているだけで、痛くも痒くもないので、きっと大丈夫。
次に進めるはず。


ひとの少ない夜のガートもなかなか素敵です。

トランプゲームを嗜むサドゥたち。

クンブメーラで知り合ったサドゥたちに再会する。
サドゥたちはイラハバードからバラナシに移り、
ガート沿いにテントを張り始める。

11 バラナシを去ること。

おまわりさんも牛も一緒に暖を取る

いい加減病人ごっこも飽きたので移動すること、決意する。
でも、いざチケットを買ってこの地を去るとなると、
一種の寂しさがこみ上げてくる。
今回のバラナシ生活は、熱の合間に出掛けたのみ。
熱もなんとか平熱に戻り「いつもの自分」に戻ったとき、
ひょっとしてこの「病人ごっこ」はクンブメーラ後遺症だけでなく、
この土地が持つ磁場と満月とサドゥたちのパワーにやられたのではないか?とふと思う。
半分、病人。でも半分はエネルギー負け。

いつもいつも、ひとつの土地を離れるときに寂しさがこみ上げてきて、
それは何回経験しようと、何年経験しようと慣れることではなく、
次の場所、次の磁場へシフトする流れの中で
ちょっとだけ、混乱している自分がいることに気づく。

「大丈夫、次の磁場にもちゃんとシフトできるはず」
自分自身にそう言い聞かせる。

しばし、知り合いのサドゥテントにて、チャイを飲みながらボーっと過ごす。

子供のように、いや子供以上に無邪気で屈託なく、遠慮のないサドゥたち。
彼らのリズムに合わせると、時に too much !なこともあるけれど、
あんな風に無邪気に、生きていきていけたら、
それが許される場所があるならば、、、、、そんなことをふっと思ってしまう。

12 ネパール滞在(後日談)

クンブメーラ、バラナシでの熱もさがり石の仕入れのためやってきたネパール。

石の仕入れで町中を動き回り、日本への輸出も終了。

が、インド熱がぶり返し、病状は急変。血痰を吐くまでになり

入院生活を送ることになってしまいました。

なので、この期間のブログは記事はなし。(記憶さえ定かではない)

入院生活の中、とても印象に残る出来事がふたつ。

入院初日、真夜中に息苦しく目を覚ます。

目を覚ましているつもりだけど、高熱で意識は朦朧としている。

その時、ふと傍に亡くなった母親を感じる。

生前の、母と接している時の雰囲気、、、、とでも言えばいいのか?

とにかく近くに母がいる。 とても懐かしかった。

迎えにきたのか、心配で様子を見にきたのか、わからないけど、

こんなことって、あるんだな。

そして入院2日目の朝。

目を覚ますと、酸素マスクと点滴が効いているせいか、「苦しくない」。

苦しくない、息ができる。そう思った瞬間、嬉しくて涙が溢れる。

そして天井から光の柱(そう表現するしかない)が降りてきて、私の体を貫く。

呼吸ができることが嬉しくて、とにかく涙が止まらない、、、、

退院後、しばらくして石の仕入れを再開するのだけど、その時この石に出会う。

ああ、光の柱だ。私の体を貫いた。出会った瞬間、理解する。

このシンクロは何を意味していたのかは全くわからない。

ただ、「こう言うこともあるのだな」と受け止めるしかない。

懲りない私は、ネパールでしばし療養したのち、インドへ戻る。

旅の後半が始まります。

13 移動・移動・移動

間抜けな表情の犬。デリーにて。

いつも定位置で居眠りこいているのだけど、

思わず噴出しちゃうような表情をしている。

後ろ姿もやっぱり間抜け。

友達と待ち合わせのため、デリーに2泊。

本当になんにも用事のない街なのに、なぜか今回

デリーに1泊、2泊を繰り返す羽目に。

街の洗濯屋さんは、こんな感じの炭火アイロンを使ってます。

電気を消費しないエコなアイロンです。

数日後、ハルドワード到着。

3年前のクンブメーラはこの街で開催された。

外国人はこの街を素通りしてリシュケシュに行ってしまうのだけど、

私はさりげなくこの街が大好きだ。

ハルドワードにあるアーナンダマイ・マーのサマディは工事中だった。

ミュージアムにあったマイ・マーの手形。

こんなにも小さな手をしていたのか。

ベンガルの聖女。多くの人をひきつけた人。

そっと自分の手を手形に合わせる。

ガンガージャルを汲みに来た老夫婦サドゥ。だんなさんがそっと妻に腕を貸す

14 風が吹き抜ける村

空気と水と景色がきれいな村に滞在しています。

畑仕事をする村の人々、ゆっくりと流れる時間、そして静寂。

孔雀の鳴く声が聞こえてきます。

4部屋しかない、小さなゲストハウス。

2013-04-09-1

日中の山の日差しは強いけれど、朝と晩はひんやりとした空気に覆われています。

風が吹き抜ける村。

建設中の建物があちらこちらにあって、

あと数年もすればこの静寂も失われそうで、

いいタイミングで、この村にやってきたな、という感じ。

ここでしばし、私はアクセサリーつくりに没頭する予定。

今回、一緒にこの村にやってきた旅友達は、仏画のスケッチに没頭中。

実は、ここ、ヨガの聖地・リシュケシュ。

滞在している多くの外国人はアシュラムなどでヨガのトレーニングを受けていて、

数ヶ月単位で滞在する人も多くいる。

なので、ゲストハウスの部屋は自炊用の小さなキッチン完備のところが多い。

ここまできて、なぜヨガをしない?

なんか、流れに反しているような気がしないでもないけど、

クンブメーラではじけて、入院して、石の仕入れをして、その他諸々と

なにかとエキサイティングだった今回の旅。

少しぐらい、「自分の流れ」を作って穏やかに過ごすのも悪くはない、、、はず。

渦の中に、飛び込んで、身を任せるのではなくて、

自分の「場所」や「時間の流れ」をキープする。

鳥の鳴き声と共に目が覚め、吹き抜ける風が身体を貫き、

しばし朝の瞑想、そして朝ごはん。

一緒にやってきた旅友達は、腹を壊していて、

「マサラは毒だ」とまで、言い放つ状態。

なので、しばし、マサラ抜き生活を送ることを決める。

、、、、でも、なかなか難しいのよ、インドの村で、マサラ抜き生活。

ヤギのチーズと、トマトと、パンと、ヒマラヤソルトと、トゥルシー・ティー。

なぜかここではいろんなチーズが手に入り、チーズ選びは旅友達の役目。

真剣にチーズを選ぶ。そんな真剣な顔、見たことないぞ、ってくらいに。

卵くらいの大きさのトマトが5つ5ルピー(10円)

その美味しさは、日本のフルーツトマトなんて比べ物にならない美味しさ。

そこにちょっとだけヒマラヤソルトで、甘さをさらに引き立たせる。

もう、ほんとうに、エクセレント!!な朝食。

そして幸せな1日が今日も始まる。

部屋には小さなキッチン。

自炊したい人は、ガスコンロや調理機材を持参してお好きなように。

ここから15分ほどのメインストリートの店には、

自炊用のパスタやお米、そしてインドの豆で作った醤油や味噌まで売られている。

日中、他の滞在者はヨガに行ってしまうので、バルコニーもほとんど貸切状態。

15 サドゥと再会、ギフト

静かな村生活が続いています

知り合いのサドゥと再会する。
2月のクンブメーラ。バラナシの宿から、
一緒にイラハバードまでに行ったサドゥ。
「一緒に行った」というより「連れて行ってもらった」といったほうが正しいな。
連絡先も交換してなかったし、もうあうこともないだろうな、と
思っていたのだけど、このリシュケシュの橋の上で再会。
数日後にサドゥの宿泊先に遊びにいく。

チャイを飲みながら、しばし話しをする。

今となっては思い出せないのだけど −−−−− このサドゥの何気ない一言で、
私の、顔の、肩の、背中のこわばりが一瞬で消えていく。
「こわばっていた」自分にびっくりだ。

静かな風吹き抜ける村での生活。
こわばる「理由」なんて、ないはず、、、、、だった。

私の旅はすでにカウントダウンが始まっている。

旅が終わってしまうのは寂しいけれど、
帰国後、いろいろな楽しみが私を待っている。
「楽しみ」がある一方で、
再び、安全な水と食べ物を心配し、日本の世論の中で生きていくことに不安がある。
(*注:原発事故の後だったため、とにかく水と食べ物の心配をしていたようです)

日本で今、生活している人たちには申し訳ないのだけど、
現在私は、「セシウム・フリー」な生活環境にいる。
インドの食べ物も決して安全とは言えないところがあるけれど−−−−−
オーガニックを唄う飲食店がここインドでも急増している、
オーガニック=安全、今までが安全ではなかったってことだ。

インドにも原発がある。そしてこの国も地震国だ。
でも、壊れてやばいものを垂れ流しにしているわけではない。

「その心配」がわが身に降りかかってくることのない環境にいる。
もちろん、母国のことは心配だ。家族も友達も日本に住んでいる。

だけど。日本を離れた瞬間から「自分の身」に、それは降りかかってこない。

海外に在住している日本人のブログなどで、
原発、地震のことを好き勝手言っているのを、よく見かける。
今ではその人たちの言動が理解できる。ちっとも共感はできないけど。

「心配しながらも、自分は安全な場所にいる」

私のこわばりは、無意識のうちに「今」を生きていないで
もうすぐ戻る、近い未来を心配していることからきているものだった。

未来を想像することは決して悪いことではない。
その未来の不安要素にフォーカスしてしまうことがよくないのだろう。

こんな美しい環境、まさにシャンティな場所にいながら
無意識といえども近い未来に不安を覚える。
それに対して身体は「こわばり」反応を示す。素直だ。

サドゥのある一言で、その不安が無意識から意識へと浮かびあがり、
それを認識できたことで身体は反応し、こわばりは溶けていく。

サドゥ・マジックだな。

「これを、アヤにあげる」

サドゥ・マジックをかけてもらった上に、小さなルドラクシャをもらう。
すでに首には色々なものを身に付けているので、
このルドラクシャは手首に巻くことにする。

新しい12年の、日本での生活がもうすぐ始まる。

その前にしばしこの地で、集中的に瞑想生活をしようと思っています。

*「けっして安全ではないインドの食べ物」
昨晩食べたパスタが当たり、噴水のごとく嘔吐を繰り返す。
苦しいのだけど鼻からパスタが出てきたときには、吐きながら大笑いする自分。
「けっして」ではなく、「やっぱり」安全じゃないぞ、インドの食べ物。違う意味で。

2013年の旅 完

旅の始まり・成田空港

2011/11/05 17:30:09

厳しかった夏の、夏バテ。

そして秋の台風と雨による爆発的偏頭痛。

体調が回復しないまま、ドイツ行き。

大丈夫か?自分。今までで一番不安な旅の始まり。

12時間のフライトなので、絶対に通路側の席を確保したい私は、

きっかり2時間前にチェックイン。

こんなに早く空港についたこと、なかったので、暇を持てあましどうしても足は喫煙室へ。

「ああ、12時間ニコチン抜きか、、、」プハーッと一服していたら

煙る部屋には、私と白人のおじさんふたりきり。それも仲良く隣。

眼が合ってしまったので、なんか話しかけないと場が持たないなってことで、

「これからお国に帰るんですか?」と、どーでもいい話を振ってみる。

広島に仕事と観光を兼ねて1週間。これからミュンヘンに帰るドイツ人。

あらあら、同じフライトですね。
「原爆ドームに行ってきたよ。世界的に有名だからね。」

うん、私も行ったことがある。修学旅行で。

「ああ、まったく酷いものだよ。ヒロシマ滞在中、毎日通ったよ、原爆ドーム。

日本とドイツは先の戦争で一緒に戦ったよね。

もしかしたら、僕達の身に同じことが起こったかもしれないんだ。

ほら、ドイツは○×◆がいたからね」

この○×◆が聞き取れない。多分、今思えばdictator(独裁者)と言ったのだと思う。

何度か聞き返して、おじさんはためらいがちに、「ヒットラー」と言った。

そうか、名前さえも口に出すことをためらうものなのか。
「本当に、僕達の身に起きてもおかしくないことだったんだ」

会話中、何度も何度も心の底からこのセリフを言う。

多分、白人の国には投下しなかったと思うよ。

ドイツ周辺には陸続きで米国の同盟国があるし、

どんな影響が長期間あるかわからないような、とんでもない爆弾、

ドイツに落とすわけがない。たとえあと1年、戦争が長引いても。

アジア・島国日本、、、、だから落としたんだよ。モルモット。

、、、、そんなこと、おじさんに言ってもちっとも慰めにならない。

彼は、本当に自分の身に置き換えて、あのドームを見てきたんだ。

その気持ちが痛いほど伝わってくる。
突然、ある老婦人のことを思い出す。

23,4歳のころ、仕事で知り合った一人暮らしの老婦人。

彼女は私に広島での原爆体験を、ある日突然語り始めた。

亡くなったご主人にも、子供たちにも、自分が被爆者であることを知らせていないそうだ。

私にとって、初めて経験者から聞く戦争話だった。

家族に聞いたことがなかったのか?と思う人もいるかもしれない。

両親は終戦時小学校1年生。両祖父は年齢制限のためか徴兵を免れている。

父方は、当時本家の横浜にはおらず、疎開していたため、東京大空襲を経験していない。

とにかく、食べ物がなくて辛かったこと。お米がなくてサツマイモばかり食べていたこと。

そして母がサツマイモの煮物を食卓に出すと、

「そんなもの、見たくない!」とよく怒っていた。

母方は群馬の山奥の農家だったので、戦争と言われても、よくわからなかったらしい。

ただ、疎開者に比べればまだまだ食料事情はよかったらしい。

東京大空襲のときは、夜になっても数日間、東の空が明るかったそうだ。
23,4歳ばかりの小娘にとって、老婦人が語る体験は衝撃的だった。

このとき初めて「ホワイト・アウト」というものを経験した。

頭が本当に真っ白になっちゃうのである。悲惨だな、、、、とか思う前に

突然頭が真っ白になって、なにがなんだかわからなくなっちゃうのである。

今だったら、多分、「大変でしたね、、、」とか会話の途中で言葉を

かけることができるのかもしれない。一緒になって泣けるかもしれない。

でも、当時の私は恐らく相槌さえも打っていなかったと思う。ホワイトアウト。

老婦人が淡々と感情抜きにして語るその言葉は、本当にリアルだった。
数ヵ月後、老婦人は亡くなった。

「最後に、誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない」当時はそう考えていた。
このドイツ人との会話中、忘れていた老婦人のことを思い出し、

そして彼女は私に―――ーこれからの世界を生きる若者に、人生の最後に

肉親にさえも語れなかった「大事なこと」を託したんだ、と言うことに気づく。

なぜ、彼女は私を選んだんだろう。

それを思うと突然胸を締め付けられるように痛む。泣けてきそうだ。

「ノー・モア・ヒロシマ」

「ya,thats right(その通り)」

そして、ノー・モア・フクシマ、だ。

「たくさんの学生さんたちが見学していたよ。

でも、あれは日本人だけでなく世界中の人が訪れるべき場所だ」

私は泣けてきそうなほど、あの老婦人を思い出し、

ドイツ人おじさんは、自分たちの身に起こったかもしれないこととして

広島滞在を振り返る。
成田空港・喫煙室。

なんでこんなところで、知らない人と心震わせているんだ????

旅は、既に始まっている。

ミュンヘン 1 到着

2011/11/08 00:13:24

今回の仕入れの旅、体調不良もあってか直前になってもテンション上がらず。
ビールとソーセージと黒パンの国でベジタリアンは何を食べればいいのだ?
そしてヨーロッパなもんで、今回初めて宿を日本から予約した。
旅友達が、「多分、ミュンヘン中心地で一番安い宿だよ。
ま、普通の人にはあまり勧めないけど、インド体験者ならまったく問題なし」と、
勧めてくれたホテル。
予約してクレジット払いしたのはいいけどそのホテルは何処の書き込みを見ても
「ヨーロッパ旅行で最悪の宿」
「隣はセックスショップ。環境が悪い」、、、散々な書き込みだった。

出発直前、旅友に会って旅テンションをあげてもらおうと思ったのだけど、
ヨーロッパにあまり興味のない旅友は、

「ま、インド人の石屋だっていっぱい出展しているはずだし、
きっとその人たちが助けてくれるよ、ヨーロッパでインドコネクション」

う~ん、やっぱりイマイチテンション上がらず。

12時間のフライトの後、ミュンヘン到着。
秋の終りの、澄んだ空気が気持ちいい。
時間は夜の8時前だけど、時差があるので、日本時間では夜中の12時過ぎ。
結構な疲労感で取り合えず外のベンチで一服して
さて、中央駅までどうやって行くのかな?とバックからガイドブックを取り出そうとしたら。

ガイドブック、忘れてきちゃったことに気づく。

「一度、来たことのある街だから」
「一度しか来たことのない街だから」

さぁ、どっちを選ぶ?自分。

子供じゃないんだから、大丈夫。自分。まだ時間は夜8時だ。
ホテルの場所は大体把握してある。

取り合えず駅のホームに行って、券売機で切符を買うことに。
タッチパネルで駅名を入力すれば、切符が買えるようだ。
行き先は、ミュンヘン中央駅(セントラル・ステーション)。
一生懸命 c/e/n/t/r/a/l、、と入力しても、「該当なし」と出てしまう。
何度目かのトライで、やっと気づく。centralは英語だ。ここはドイツ。
ドイツ語でセントラルステーションって何て言うんだ??嗚呼、ガイドブック。

「may I help you ?」

振り向くと、

あ、インド人。

ミュンヘン中央駅まで行きたいと伝えると、親切丁寧にタッチパネルを操作してくれる。

「はい、ここにお金を入れて。はい、チケットが出てきたら、隣の機械でパンチングして。
おっと、お釣りが出てくるからね、忘れずに取って。
この電車だから、40分くらいで到着だよ。」

インドの駅だったらmay I help you ?なんていわれても
「いいえ、全然困っていません」って言うところだけど、
ここはヨーロッパ。本当に素敵。

ヨーロッパでインドコネクション。友達の予言は初めの一歩で的中。
悪評しか聞こえなかった、ミュンヘンのホテル。
これから約1週間、ここが私の基地

7階の最上階。ベランダ付き。朝食込みで44ユーロ。
フロントの人たちもとてもフレンドリー。
大通りの裏側の部屋なので、とっても静か。(うるさくても何処ででも眠れるのだが)
小躍りしてしまいそうなくらい、申し分なしだ。
確かにソファーは染みだらけだったけど、ケツの穴から病気が感染するわけではないし。

ちなみにこのホテルの隣は本当にセックスショップだった。
私はいつもホテルに戻ってくると、このセックスショップのドアを開いちゃう。
バスタブはなし。シャワーだけ。
ヨーロッパのホテルや一般家庭って、この透明のシャワーボックスが多い。
私は落ち着かない。

10年ほど前、上司だった建築士が自宅を新築したのだが、
シャワーブースが、こんな風な、透明だった。
「なんか、ラブホテルみたいですよね」と大変失礼なことを申し上げた。
今考えれば「ヨーロピアンな」シャワーブースだった訳だ。
ベランダからの風景。

これでも朝7時。ヨーロッパの冬の朝は遅い。
一般家庭の生活が垣間見れる。ヒッチコックの「裏窓」のようなシチュエーション。
確かに、通りにはストリップ劇場やセックスショップがいくつもある。
でもひな壇があるわけでも、お姉さんが呼び込みしているわけでもない。
私はてっきり、川崎・堀の内を想像していた。
真夜中に歩いても、まったく危険は感じなかった。
どうやら一種のアラブ人街、、、のよう。アラブ系の人がいっぱい。
水タバコの置いてあるカフェもある。

ドイツ人の友達は、「なんでそんな場所に宿泊しているの?」と言っていた。
外国人は平気で近寄るけど、地元の人間は足を踏み入れない場所って、
世界各国どこにでもある訳よ。

 

ミュンヘン 2 石の祭典

2011/11/08 18:34:22

一度は現地仕入れではなく、ミネラルショーに仕入れに行ってみたいな、
と、思っていた私。

石好きの人はご存知かもしれないけど、
ツーストン・デンバー・ミュンヘン・フランスこれが世界的に大きなミネラルショー。
一番大きいのがツーストンのショーなのだけど
車が運転できない私。(交通の便悪し)
今生では、アメリカ大陸、行かなくていいかも、、、、のココロもありアメリカは却下。

で、ミュンヘン。

ミュンヘン中心地から電車で30分で会場に到着できるし
この街はドイツの中でも治安のよろしい街だそうで。

ショーでの仕入れをしたことがない私は
インド仕入れ・ショー仕入れの両方を知っている知人に話しを聞いて
「たくさんの種類の石が見られるから行ってみたほうがいいよ」とアドバスを頂き、
うん、やっぱり一度は行ってみよう!と決行。
想像以上に大きな会場。
パブリック・デイは2日間で、その前日は業者の日(入場料がちと高い)。
3日間では短すぎるな、、、と感じた。
私も朝から夕方まで、会場で石三昧だったけど、
多分、全部のホールは回れなかったのではないか?と思う。
犬の入場オッケー
「特別なブース」にはハイクオリティーな鉱物のお店。
それは、ハイクオリティーを超えて博物館級の鉱物たち。
ヨーロッパ貴族のリビングに鎮座してそうな石たち。
パキスタンのアクアマリン。
なぜか値段がついてなかったので、客寄せ石だったのかも。

さて、この日を境に、脳内分泌物が放出されてしまい
一日数時間しか眠れない。ご飯もほとんど食べれない。そして発熱。
体には大変よろしくないのだが、気分は最高潮。
アドレナリンの作用って凄い。

、、、、ヤク中って、こんな感じか???
会場内にはちょっとした食事もできて、
お決まりのようにビール、みんなして飲んでいる。午前中から。
出展者さえも、自分のブースにビール持ち込んで飲みながら商売。

ドイツにおいてビールはアルコールのうちに入らない。

2度目のドイツで心底それを理解した。まさしく文化の違いだ。
仕入れたものの一部がこれ

形のきれいなウルグアイ産アメジスト。
大きいのもは瞑想用にぴったり。
小さいのはサードアイに置ける大きさをチョイス。
試しに私もサードアイに置いたり、手に取って瞑想してみたのだけれど、
原石の形通りに、放射状にエネルギーが拡散されて、気持ちいい。
新たなゲートを開いてくれるような、そんな石。
ルースもたくさん仕入れて、現在製作中です。
◆ いつか行ってみたい人のための、情報 ◆

ほぼ全ての店でクレジットカードは使えない。ユーロキャッシュのみ。
会場内にはATM機があるけれど、長蛇の列です。
「レシートを下さい」と言うと、インボイスを発行してくれるのだけど、
インボイス発行になると、私達ユーロ圏外の人間は、
19%のVATタックスが掛かることを忘れずに。

チケットは当日会場でも購入可。
時前にHPにて購入も出来る。
業者の日はちと入場料高し。
1デイチケット・イブニングチケット(少し安い)・2デイズチケットもある。

交通の便がよく、中央駅から乗り換えなし。終点の駅です。

ミュンヘン3 ・旧友との再会

2011/11/09 01:11:08

かれこれ10年ほど前、バングラディッシュのホテルで出会ったアンジェラ。
その後、インドで再会、日本でも再会。
いい意味でも悪い意味でも旅のアレコレを教えてくれた(そしてふたりして実践した)
私にとっては「旅の師匠」のような存在。
5年ほど日本に住んでいたはずなのに、日本語が壊滅的に話せない。

「読むのはできるんだけどね、会話はちょっと、、、、」

それって違うんじゃないか?話せても読めないってのが、普通だぞ。

スーパーハイテンションで、マシンガントークな彼女。
第六感を通り越して、この人、千力眼持ってんじゃない??なんだけど
本人曰く「なに?それ??ふん。持ってないわよ、そんなもの」と
至ってそれについては無関心。

若かりし頃は随分ぶっ飛んでいたけど、今では2児の母。
この子供たちが大きくなったら
「あんた達のママはね、若い頃○×◆△で、、、、、」と
昔の悪行(私も随分迷惑被った・でも楽しかった)を暴露してやろう、、、
と密かにたくらんでいる、私。

親類以外でわたしのことを「アヤちゃん」と呼んでくれる稀有な存在。
(40過ぎて”ちゃん”付けはイタイのだけど)

時折「気配を感じられません。元気ですか?」と連絡をくれるのは、この人。

今回、アンマのダルシャンのためにミュンヘン入りした。
きっと、誰かのためになる、彼女のマシンガン・トークをどうぞ。(一部だけなんだけど)
「アヤちゃん、久しぶり。あら、随分やせちゃったのね。あらあら、
眼が違う世界に逝っちゃってるわよ。日本、大変だったね。
私もずーと、テレビで見ていた。本当に、酷いことになっちゃったね。
石の買い付けは順調?ちょっと、アヤちゃん、大丈夫?ねぇ、ここに居る?」

あなたの目の前にいますわよ。はるばる日本から。ミュンヘンに。

「うん、そうなっちゃうのも無理はない。それはわかる。でもね。
ひとついいことを教えてあげる。色々な不安が付きまとうのはわかるけど、
それでも一番大事なことは、”今、ここに存在する”ことなのよ。
瞑想しているとき、色々なマインドがやってきて、過ぎ去ることはわかるよね。でもね、人間って、普通にご飯を食べたり、歩いていたりしているときでも
色々なマインドがやってくるものなの。そしてそのマインドはやって来ないかもしれない未来を妄想してしまうものなのよ。それが進んでしまうと
巨大な妄想王国を自分自身で作り出してしまうのよ。そして現実との境界線がわからないくなる。それって、とても危険なことなのよ。
ねぇ、今から試して欲しい。日常生活の中でマインドがやってきてそこから未来の妄想が浮んできたら、その場でstop it !って自分自身に言い聞かせるの。”トマレ”でも”No”でもいい。妄想拡大を停止させるの。
楽しい未来ならどんどん想像してもいい。
でも独りよがりの想像はだめ。それは妄想よ。その違い、わかるよね?アヤちゃんなら。
何度も何度も、マインドがやってきたら、その度に叫ぶの。stop it!っね。
そうすると”今・ここに”いることができるから。
明日からの石探しだって、きっと素敵なものにめぐり合えるはず。
日本がこんなことになっちゃって、先行き不安なのはよくわかる。
先々のこと、考えちゃうのもよくわかる。だけどね、こんなときだからこそ
試してみて欲しいの。stop it !って。ちょうど今は旅行中。
ドイツには地震もないし、日本の生活もここにはない。だから是非試してみて。」

ありがとう、アンジェラ。試してみるよ。

「タローちゃん(私の愛犬:親バカのごとくタローの写真を彼女に送っていた時期があった)
死んじゃったのね、、、、うん、でも本当にみんなに愛されていた犬だったね。
とてもピュアな魂だった。随分辛かったでしょうね。
でもね、アヤちゃん。タローが死んじゃったこと、教えてくれる前に
ママが亡くなっちゃこと、知らせるほうが先でしょ!順番が逆よ!!」

そうだったけ?タローのこと、先に伝えたんだっけか??

「アヤちゃんの母性本能がそうさせたのかもね。でもやっぱり順序は逆。
あらあら、もうこんな時間。私これからダルシャンなのよ。一緒に行く?
あ、そう。最終日に行くのね。わかった。それじゃまた明日会おうね。」

さよならの挨拶に、握手をしてハグをする。
彼女の、生き生きとしたエネルギーがその手から伝わってくる。
浸透圧のように。高いところから、低いところへ。
この人、本当に”持っている”。

「ねぇ、アヤちゃん。私はアンジェラよ。(イタリア語で”天使”の女性名詞)
あなたのアンジェラよ。だから色々とあなたに語りかけるの。
まっすぐ自分の道を歩いてほしいの。うるさいな、と思うかもしれないけど、
嗚呼、これは止めることが出来ないのよ!!それじゃまた明日ね。チャオ」

今回の再会に当たって旦那様から
「日本も色々大変だったんだから、一方的に喋り続けないで、
たまには聞き役に回ってあげたらどうだ?」と言われて来たらしい。

、、、、そんなの不可能だ。何年も夫婦やってたら、そんなことわかるだろう??
彼女と別れたあと、アドバイスに従い、stop it を試してみる。
驚いたことに私は、一日に何十回もstop itを言わなければならないことに気づく。
我ながら唖然とする。
stop it、stop it、stop it、stop it、、、、、、、、
これを繰り返していると、自分の中に新しい空間が存在することに気づく。
その空間をじっくり観察してみると、、、、それは”今”という存在だった。
心も軽い。
試しにstop itと命令せずにそのまま妄想へと流してみると、
心が重い。それは今までの自分だった。

さすがアンジェラ

今、日本に戻って日常生活の中でもstop itは続けている。
ドイツに居たときより、さらに多くのstop itを叫ばなければならない私。
でもそこにはなんとも言えない居心地のよさが生まれている。

それでも「新しい空間」の中に何も入っていないことに不安を覚えることもある。
自分がいかに不安と妄想で自分自身を満たしていたのか。
「次」を考えないことに「これでいいのか?」と
感じてしまう自分は相当重症だったんだと思う。

ありがとう、アンジェラ。