5年前のこと

もう、5年も経ってしまったのか、という気持ちと
まだ、5年しか経っていないのか、という気持ちが混在する3月11日。

あれから何が変わって、何が変わらなく、どっちに向かっているのか?
(それは、自分自身のことも含めて)ふと考える。

戦争以外で、あれだけの多くの命が瞬時に奪われることなんて、あるのだろうか?
自然の脅威、、、なのだけど、あの日はその脅威と共に原発という脅威にも襲われた。
刻一刻と変化していく状況。それも決して状況は良い方向には向かわない。
私の生まれ育った母国は、どうなってしまうのだろう?
次の瞬間にも、本当にどうなってしまうのだろう?
人生において、初めて、そんなことを考えた。

数週間が過ぎて、私は、自分の立ち位置がわからなくなった。
「死ぬその瞬間まで、生きていかなければならない」
それは、わかる。
仕事もして、石を売って、アクセサリーを作って、日々生活していく。
それも、わかる。

でも、私は、「今、何処にいるのだろう??」
今生においての、自分の立ち位置が、本当にわからなくなった。

後々、周囲の人と話をすると、「自分の立ち位置」がわからなくなった、と
言った人が、結構な数、いた。
その過程で、生活を、生活環境を変えた人も、たくさんいた。

混乱していた、、、と言い切ってしまうには、何かが足りない。
もっと、私の根底にある何かが、揺らいだ。大地が揺れたように。

半年以上が過ぎたころ、ふと「友達に会いたい」と痛切に感じた。
「友達という名の、ただの知り合い」でなく、友達。
それも、この悲しみや脅威に遭遇していない、
日本という国に直接関係のない、友達。
痛みの共有ではなく、第三者的に、この惨事を知っている「外側の友達」と会って話がしたくなった。

「インドに行く」そのことも、考えた。
多分、あの大地は私を大いに癒してくれ、前進するためのヒントを与えてくれるだろう。
(今までの人生で、実際この国には随分救われてきた)
さりげなく、インド行きのチケットを探しているときに、
秋のドイツで、ミネラルショーが開かれ、かつての旅友達がミュンヘンにやってくると言う。
一度、海外の展示会にも行ってみたい、と思っていた私。
そして、夏ごろにヨーロッパの友人と郵送やメールでやり取りをしていたのに、
その一連のやり取りががどうもすれ違いなどでうまくいかなくなっていて、
それだったら、直接会って用事を済ますほうが早い。

「ドイツに行こう」

地震のない、もちろん余震のない、ドイツへ。そして、友達に会おう。

結果的にドイツ滞在中、私は周囲の人々に、そしてヨーロッパ特有の持つ落ち着きに
随分癒された。そしてなかなかきつい説教も受け、泣き、自分を見つめた。
インド以外の国で、そんなことが起こるなんて、意外だった。

「ドイツに行こう」そう思った私は、「正解」だった。
私が、人生の節目に立ったとき、私が死ぬ夢を必ず見る人がいる。
とてもリアルに私が死ぬ夢。死臭まで臭ってくる夢。
もちろん、夢を見ている本人は私がそんな節目に立っていることは、毎回、知らない。
数日続けて私が死ぬ夢を見るので、私本人に、毎回、報告してくれる。
案の定、ドイツから帰国した後、その友達から
いつもの「私が死んだ夢を見た」報告を受ける。
そう、やっぱりね。ドイツで、再生した、私。

生きていればこそ、そんな再生を繰り返すことができる。
あの日、一瞬にして、自分でもわからないうちになくなってしまった人々には、
それができない。
私は、死ぬその瞬間まで、生きていく。
5年前のあの日から、その言葉が私の中で深く刻まれた。

あれから5年。
住む場所を変え、人間関係が変化し、そしてなぜか偏頭痛がなくなった。
心休まる場所を、日本で見つけた。
振り返ってみると、大きな変化だったと思う。

あれから5年。
改めて、死ぬその瞬間まで生きていこうと、心に誓う。
失われた人々のためにも。
癒されぬ痛みを抱えながらも生きていく人のためにも。

魂の救済を
Om Namah Shivaya
◆以下、2011年ドイツの旅記事
旅の始まり・成田空港
ミュンヘン 1 到着
ミュンヘン 2 石の祭典
ミュンヘン 3 旧友との再会
ミュンヘン 4 石の祭典と石友達
ミュンヘン 5 道に迷う。まっすぐ進め
ミュンヘン 6 現地で美味しかったもの
ミュンヘン 7 あれこれ
ミュンヘン 8 アンマのダルシャン、そしてベルリンへ
ベルリン 1  ベルリン天使の詩
ベルリン 2 街を歩く

動く、揺れ動く季節

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厳しい冬が終わり、色鮮やかな植物たちが芽吹く季節が待ち遠しい。
マラカイトの鮮やかなグリーンと共にそんな季節を心待ちにしている今日この頃。
秋から冬にかけて毎年、冬眠する熊のように食欲旺盛で、

冬がやってきても生命維持機能が働くせいか、過食ではないか?と自分でも心配になるほどの

食欲も収まり、嗚呼、本当に春がやってくるのだな、と胃袋が教えてくれる。

もう、厳しい冬が終わる、生命維持機能解除。

 

卒業、進学、人事移動など、環境が変わりやすい季節。

それはココロにも少なからず影響して、浮わついたり、穏やかになれないこともある。

もちろん、希望で胸が高まることもある。

そんな環境の変化がココロを揺れ動かすのも事実なのだけど、

卒業も進学も人事移動もない生活を送っている私でも、この季節は毎年どうも落ち着かない。

草木が芽吹くように、人間の脳内でも何かが芽吹くからではないか?と

密かに思っている。

ケアレスミスを起こしたり、約束を忘れたり

「なんか、ちょっと、歯車がかみ合っていないな」と注意が必要な季節だと認識している。

いつもより丁寧に瞑想をする。

そんな瞑想中、浮かび上がる言葉。
石のように冷静であれ。静であれ。

変化が訪れても新境地に到達しても心の何処かに静をキープしろ。

それがキープできるなら、どんな変化の波に乗ろうと恐ることはない。
できることなら、変化を楽しんでいたけど、

そんな余裕がないことだってある。

だから。

心の片隅でもいいから、静を維持する。

一見、役に立たなそうなことかもしれないけど

結構、こういうことが大事だったりする。

瞑想から戻って静の石を眺めながら

静をキープできてるか?と自分自身に問いかける。

AWAKE : The Life of Yogananda

パラマハンサ・ヨガナンダのドキュメンタリー映画、日本公開が決まりました。

公式ページ

日本語タイトルは「永遠のヨギー」だそうです。

アメリカでは既に公開されたのだけど、日本公開になるとは、少々びっくり。

ヨガナンダもアーアンダモイマーもヴィヴェーカーナンダもラーマクリシュナパラマハンサもベンガル人。

これらの「どこかの時代」に私も、ベンガルに生れ落ちたかったな、と思う。

その反面、同じ時代に同じ土地に生まれても魂が進化していなかったら

出会うこともなかっただろうし、出会いに行こうともしなかったのかも。

今、日本に生まれて、彼らを知ることができている。

それだけで充分ではないか、とも思う。

 

今年。

  

ずいぶん、前に年が明けたような気がしますが、(小さな声で)あけましておめでとうございます。

ぎっくり腰の影響で、今も年末に頂いたオーダーを絶賛製作中の日々です。

水面下で色々と活動していまして表には現れないことが多々ありますが

今年もよろしく宜しくお願い致します。
年が明けてデビットボーイ、そしてグレンフライがこの世を去り、

軽い喪失感を味わいました。

人生って無限でなく、いつか終わりがくるのだな、と再確認。

限りある命の中で、私はなにができるのか?と自問。

無駄にはできない、ティーンエイジャーではないのだから

鼻くそほじってぼんやりしている間に、人生終わってしまうぞ、と自分に喝を入れる。

特にデビットボーイは、浮世離れしたというか、違う惑星から降り立ったのではないか?という

オーラというか美しさを感じることがあり、元の惑星に戻っちゃったのかな、、、

そんな気がしてならない。
人生もあっという間だけど、一月もあっという間だ。

今年も石と共に過ごせるこの環境に感謝。

大きな世界、小さな世界

  

蚊の攻撃をかわしながら世界(大きな世界)と小さな世界(私だけの世界)で

起こっていること、変わろうとしていることを、ボーと考える。
パリで起こったこと、シリアでは毎日起きているんだよな。

私がもし、その地で生まれ育ったなら、

危険な海を渡ってでも、厳しい寒さのヨーロッパを徒歩であっても国境を越えると思う。

迎え入れてくれるであろう異国の、国境に向かってひたすら歩くと思う。

雨季の雨のような爆弾投下に日々さらされるくらいなら。
海を眺めながら、ふと、すでに大戦は始まっているのではないか?思いがよぎる。

極東の、小さな島国にいると実感できないだけであって。

誰か、復讐をしないという勇気を持つ、リーダーっていないんだろうか?

 

ホワイトラブラドライト
 
私の、ささやかな小さな世界では、ひたすら指先を動かす日々。

このささやかな世界があるから、私は日々生きていけるのだと思う。
いつの日か。

戦争と差別がなくなって、『戦争』『差別』という言葉さえもなくなって

『昔の本を読んでたら、「センソウ」「サベツ」って言葉が出てきたの。
辞書に載っていないんだけど、お母さん、どういう意味?』

子供が、親にそんな質問ができる日が来て欲しいと思う。

そんなの、現実的に不可能だ、と鼻で笑われるかもしれないけど、

理想は高く掲げておいたほうがいい。
憎しみのスパイラルのために命を落としていった魂のために

祈りを捧げる日々。

犬のいない生活2009/11/27 17:52:27

我が家の老犬がこの世を去り、(当たり前だけど)犬のいない生活が始まりました。

14年前、うろうろ世界を旅して1年後に帰国したら、
実家にぬいぐるみのような仔犬が家族に愛想を振りまき私より立派な「家族の一員」になっていた。

数年前から痴呆が始まり徐々に、徐々に進行していった。
いつまでたっても子供っぽいしぐさが抜けない、5キロも満たない小型犬。
それが「痴呆症」だなんて、理屈ではわかっていても「納得」できなかった。

とにかく私の母がひとり息子を育てるかのように可愛がり、愛情を掛けていたタロウ。

昨年末、母が病に倒れ、余命宣告されたとき母は言った言葉は
「タロウより、私が先に逝っちゃうわけ?」だった。

母がこの世を去り、今度は老犬の介護が始まった。
本当に、、、、誰もが、そして母本人も、タロウを看取るのは母だと思っていたのに、
タロウの介護と看取りは、私に引き継がれた。

人間の介護と同様に犬の介護も大変な仕事。
この先、何年この生活が続くのだろうか?時が経つにつれて外出さえもままならなくなってきた。

体調のいいときはお散歩に出て介護用のハーネスを付けてヨタヨタと歩いていたタロウ。

亡くなる一週間ほど前からは、お散歩に出ても必ず一軒の家のドアの前で
しゃがみ込んで動かない。まっすぐドアに顔を向けて、人が出てくるのを待っている。
仔犬のころから、ずっと可愛がってくれてたご近所さんのドアの前に。
今から思うと、タロウ本人もわかっていたのかな。
最後の挨拶をしていたのかもしれない。

わかりきったことだけど、介護生活はいつかは終わる。
この先、何年も続くことではないことも、徐々に衰弱していくその身体をみていて、わかっていたはず。

それでも、「そのとき」がやってきた時は、頭が真っ白になった。
数日間の記憶がいまいち、思い出せない。
頭にくるほど臭かった(そして、卑怯な)「すかしっぺ」のにおいさえも今となっては愛おしい。
手間隙掛かった食事や投薬さえも「もうすることはない」と思うと寂しい。
「明日から、私はなにをしたらいいのだろう??」
老犬に対してなにもすることがなくなってしまって、腑抜けな私。

すべてが終わってしまってからわかる、愛情を掛けることのできる、命が傍らにいてくれたことの有難さ。

ひとつの時代が終わってしまったのだな、、、と感じる今日この頃。

次に、動物と生活をするのはいつになるのだろう?
しっかりと地に足を着け、本当の意味での我が家、「帰る場所」を手に入れたときかな。
、、、、と、言いつつ、来年1月から数ヶ月ほどインド・ネパールに向かいます。
もちろん、ステキなクリスタルたちとの出会いを楽しみにしているのですが、
個人的な「新しい時代」に突入した今、どうしても行きたかった聖地巡礼に
1ヶ月ほど時間を頂こうかと思っています。

老犬タロウのはなし2009/11/01 00:57:05

以前ブログに記した要介護犬タロウ

心配していた夏もなんとか無事に過ごして穏やかな老後を送ってます。

少しづつ、衰えてきているけど、まぁなんとか安定している、、、と思っていたら

昨晩から具合が悪くなって、夜通しの看病。

口の利けない動物はこんなとき「どこが苦しいのか?」と聞くことができない。

ただただ、抱っこして大好きなカロリーメイトを飲ませてあげるしかない。

「朝になったら、病院に行こうね、頑張ろうね。」と声掛けしながら。
三度の食事の世話、投薬、排出物の処理、夜中の徘徊、、、、、、

この生活が半年以上続き、正直私も疲れてきていた。

「この生活、いつまで続くのだろうか?」と。
両手にその小さな老犬の重みを感じながら、ふと「命って暖かいな」と思ったら、

なんだかホロホロと泣けてきた。

半年ほど前に肉親を亡くしそれと前後してタロウの介護が始まって

「犬の介護は大変!今年は介護の年だ!」と思っていたのだけど

「タロウを世話する」というお仕事がなかったら、私どうなっていたのだろう?

肉親を看取り、その後がっくりと「ふぬけ」になってしまっていたかもしれない、、、、

人間の介護だって、犬の介護だって、確かに大変で疲れも出てくるけれど「ふぬけ」にならなかったのは

この老犬がいてくれたからなんだろうな、、、、と今更ながら理解した。
朝方、少し様態が落ち着き、ふたり(犬と私)で少しウトウトと眠る。

午前中に動物病院に行って、点滴をしてもらい帰宅。

寝顔も穏やかなので一安心。

夕方になってむっくりと起き出しドッグフードを勢いよく食べ、その後勢いよく放尿。

「いったい何が起こったのでしょうか?」と言いたげなほど

しっかりとした表情に戻った老犬タロウ。

「介護してあげている」なんて思っていた自分の器の狭さにただただ反省。

暖かな命が、傍らに存在することの有難さをかみ締める10月最後の日。

祭のあと

 金沢文庫芸術祭 1DAYイベントが終了しました。

いつもブースにお越しくださる方々、

初めてお会いする方々、ありがとうございました。
   

黙々と自分の世界へ降りて、創造の泉の岸辺で指先を動かしていたこの1週間。

祭の始まりとともに外の世界への扉が開き、私に声を掛けてくださる方々が

いるなんて、私、ちょっとした幸せ者なのではないか?と

しみじみ感じた1日でした。
  
久々に見る青空と暖かな日差し。そんな日に終日屋外で過ごす1日は

あっという間に過ぎていきました。
  
広場のキャンドルが点灯する時刻、パレードが始まります。

太鼓のリズムに合わせて人々が色鮮やかな衣装に身を包み、踊り、広場に集まります。
その衣装は決して「社会」に身を置くための衣装ではなく、

自由で、ある意味奇抜で、多くの人たちにとって

「ここだけで着る事のできる」そんな衣装。

そんな衣装を身につけられる場所を毎年提供してくれる

金沢文庫芸術祭、万歳。そして実行委員会の方々に感謝。

私自身はそんな衣装を身につなかったけれど、

自分自身を花で飾ってみました。

 
小鼻についているのは、鼻クソではなく、ノーズピアス。

自分を花で飾るなんてこと、したことなかったな。

これも 「ここだけで」できることかもしれない。
シルバーウィーク。

残りの休日は蓄積された疲労回復に努め、祭の余韻を楽しみたいと思っています。

頂いたオーダーはエネルギー回復の後、ひとつづつ制作を開始する予定です。

  
皆さま、良き連休をお過ごしください。

オーダー作品より

2015-09-03

 

鮮やかなグリーンが美しいターコイズ。

コードの色と石だけをチョイスして、あとは完全お任せのオーダーです。

グリーンが大好きで、このターコイズに一目ぼれしてしまったそう。

オーダー主は3ヶ月ほど日本滞在予定のスペインの方。

情熱の国、そして太陽の光が日本と異なる土地で

胸元を飾る装飾ってどんな感じ?

イメージを膨らませ、少し大胆な装飾にする予定。

 

肌の色、瞳の色、髪の色。

この組み合わせがたくさんあって、それが個となる人種の人たちは

自分に似合う色を本当に良く知っているな、といつも思う。

 

今年のトゥルシー

実は今年、久々にトゥルシーの苗を買って、育てています。

小さな苗を買ったのだけれど日当たりのよいテラスであっという間に成長した。

  
鉢植えのが苗から育てたトゥルシー。

もうひとつ。
2年前、インドのクンブメーラで一緒だったMちゃんが、サドゥーからトゥルシーの種を貰って、

そのトゥルシーから収穫した種を送ってくれて、庭に直播きしたら、びっくりするほど繁殖

トゥルシーも幾つか種類があるようで、香りも葉っぱの形も違う。

毎朝、お水をあげるついでに、葉っぱを一枚食べるのが習慣。

1日1枚の葉っぱを食べると長生きする、、、ってインドでは言われている。

家にトゥルシーを植えると邪気を払ってくれるそうで。
トゥルシーとともに、マリーゴールドの苗も植える。
 
私の大好きな花、マリーゴールド。

インドのサドゥーたちもこの花で身を飾る。

 
庭にトゥルシーとマリーゴールド。

密かに我が家、インド化進行中。