オーダー作品より

お持込で水晶原石のペンダントオーダーを頂きました。

コードの色を指定していただきデザインはお任せ。「闘病中の知人へのプレゼント」とのこと。

体に不調があると、全てのことーーーー肉体的にも精神的にも敏感になります。例えば私はぎっくり腰をよく起こしてしまうのだけど、痛みが続くときは、紙のコーヒーカップを一つ持つだけで腰に、背中に負担がかかる。よく言えば「紙コップの重さを実感できる」という感じ。

そんなわけで出来るだけ身につけて負担にならないように。そしてデザインをシャープなものより柔らかめのデザインを意識して作成しました。

作成の過程で、このコードの色からとある宗教画を思い出していました。聖母マリアの宗教画。群青色(ラピスラズリ)の衣を纏うマリア像が多い中、その絵は水色の衣を纏っていた。群青色の顔料は今も昔も大変高価で高貴な人々の肖像画やエジプトのファラオの棺や壁画に用いられることが多い。柔らかな水色を纏うマリア像も素敵だな、そんなことを思っていた自分を思い出す。

作品が完成に近づく頃に写真を送って最終確認をして頂く。依頼主から「旅先で見たマリア像を思い出した」という返信。

シンクロはどこまでもシンクロを導く。そしてそれは全く不思議なことではなくなってくる。何を意味するのか?意味づけしても無意味なように感じて、ただ「シンクロした」ことだけを受け止める。

ふと「魂の救済」という言葉が湧いてくる。

誰の魂何だろう?依頼主なのか、闘病中の方なのか、それとも私の魂なのか?このペンダントが私から依頼主へ、そして持ち主へ。その過程で誰かが癒されるのであれば、とても嬉しい。クリスタルは旅をする。旅先で様々な気持ちを受け止めながら。

ひたすら編む、ある日のこと。

騒がしい世間に背を向けて日々、コツコツと作業をする日々。

毎朝、窓を開けると地域猫がやってくる。

「おはよう」猫に挨拶をして、これが1日で最初で最後の会話だったりする。

新緑も美しく、鮮やかなドレスをまとったように美しい花々。

ウグイスもさえずる。

「幸せだな」 

今までの生活と比べると、非日常なのかもしれないけど、こんな生活も1年。

孤独かもしれないけど、穏やかな日々を過ごしてきたと思う。人生の休日。

それでも心の奥底の片隅で、思う。

「何処か、知らない・遠い場所に行きたい」と。

随分と幸せな日々を送っているのに、「遠い場所に行きたい」

そろそろ「私の外」に目を向けないといけないタイミングかもしれない。

もしくは「更なる人生の休日」を渇望しているのかもしれない。

どっちみち、今の状況ではここにとどまることしかできないのに。

指先をコツコツと動かす。

石に向かい合い、同時に自分と向かい合う。

幸せを感じつつ、それでも不安が全くないわけではない。

不幸にはいつでもなれる。

テーブルに不安なこと、手にできないものをいっぱい並べるだけでいい。

幸せは、その一瞬一瞬を噛み締める連続なのかもしれない。

噛み締める幸せが今、ここになるなら、自分は幸せでいよう。不幸はいつでも

10年目の春

今でも、いや、時が経つにつれて当時の映像を見ることができない。10年以上テレビのない生活をしていて本当によかったと、この季節になると思う。インターネットも余計な記事を見ないでここ1週間を過ごしてきた。

あの日の朝のこと、鮮明に覚えている。写真の仏陀像に朝日が差し込んで信じられないくらいに美しいお顔をしていて、うっとり眺めていたことを。いつもと表情が違うんだよな、美しいな、、、その半日後に、大地が揺れた。「神も仏もないじゃないか!」本気でそう思った。朝、あんなに美しい表情をしていたのに。どうしてなんだ?と。1週間、2週間と緊張の続く日々を過ごしていたと思う。桜が咲き始めた。こんなに悲惨な状況なのに、なんで桜は美しく咲くことができるんだろう。美しいから、余計に悲しかった。

記憶は10年経つと色々と曖昧になってくる。10年前のあのときの記憶。鮮明に、昨日のことのように思い出せるのは、朝日が差した美しい仏陀の表情だ。そして悲しいくらいに美しい桜。

毎年、この日になるとこの仏陀像に向かってつぶやく。

「死ぬまで、生き続けよう」 と。

ルドラクシャの紐を作り直す

あまりにもボロボロになったルドラクシャのコードを新調する。毎朝起きて、マントラを唱え、瞑想し、そしてこのルドラクシャを首に掛ける。それが私の日課。今風に言えばモーニング・ルーティーン。たかが木の実、と思う人はそう思うだろうな。でも私にとっては来るべきして手元にやってきた一粒のルドラクシャ。ペンダント仕様にしているけれど服の外には出さず、(人に見せるものではないので)お守りのようにまさに「肌身離さず」身につけている大事な木の実。久しぶりにコードを作り直したので、このルドラクシャの思い出話を書いてみようと思う。

シヴァの涙、と訳される金剛菩提樹の実、ルドラクシャ。溝の数によって対応する神様(もちろん、インドの神様)が異なり、インド占星術で「あなたに対応する」溝の数のルドラクシャを調べてもらうことができる。このルドラクシャが私の元になってきたのは8年前のネパール。

インド・ネパール行きのちょっと前にインド占星術の鑑定を受けた。そこで対応する宝石とルドラクシャを教えてもらった。私の生年月日から導き出されたルドラクシャはとてもレアなもので、本の中でしか見たことがない。(インド・ネパールでは数珠としてルドラクシャは当たり前のように売っている。そしてサドゥや信仰深い人々も身につけている)

「それって見つけるの難しいですよね、現地でも」

「う〜ん、そうですね、、、でもこのルドラクシャ、と星では出てきるんですよね、、、」鑑定師の方もそう言う。

現地で一生懸命探しても見つからないだろうな(そしてぼったくられるだろうな)、もし機会があったら入手しよう。そんな感じで「絶対に手に入れてやる!」という意気込みはほぼゼロだった。

インドに滞在し、その後、ネパールへ。十数年付き合いのあるネパール人宅を訪れたときのこと。何気なくこのルドラクシャの話をした。現地でも見つけるの難しいよね、、、ってな感じで。(ルドラクシャはネパール産が高品質と言われている)

その場でどこかに電話を掛ける知人。「友達が探してくれるって。自分もレアなルドラクシャを欲しいと思っていたところだったからちょうどいい機会だ。明日、またうちに来て。」本当に見つかるの??電話一本で!

翌日、知人宅を訪れるとそこに私が探していてルドラクシャがあった。私は知らなかったのだけど、このネパール知人は、ルドラクシャのコレクターでめずらしいルドラクシャをたくさん持っていた。「身につけるのは、月曜日だよ、シヴァ(インドの神様)の日だ」

さりげない会話の翌日に、探していたルドラクシャが手に入るなんて。なんだかキツネにつままれてたような気持ちだった。次の月曜日が待ち遠しいなぁ、、、、

ルドラクシャを身につけるその日はなかなかやってこなかった。

数日後、私はインドで引いていいた風邪を悪化させてしまい、血痰を吐くほどの肺炎になり2週間も入院生活を送る羽目に。「肺炎ってこうやって急変し、そして死んじゃうんだな、、、」酸素マスクを付け、点滴やモニターに繋がれて横たわる病室でそんなことを思ったのを今でも覚えている。

今思えば、これって命懸けのルドラクシャによる浄化だったのかも。

退院し、ホテルで休養をしていたが、とても月曜日を待ってルドラクシャを身につける元気なんて、なかった。と、いうかそんな「ルドラクシャの日」のことも忘れていた。なくしちゃいけないので、パスポートとともにマネーベルトの中に入れておく。

ある日の午後、旅人友達から電話がくる。「夜に食事会をするから、来ない?お醤油とお味噌が手に入ったから、”なんちゃって日本食”も作るよ」日本食もどきが食べられるなんて、嬉しい限りだ。病後は、NO!マサラ!だ。胃に染み渡る醤油。味噌味の料理を堪能し、久々に旅友達との会話(それも日本語!)。楽しいひとときを過ごす。

ふと、窓の外に目をやると、美しいお月さま。

「今日は満月だね、月が綺麗だ」 友達がつぶやく。そして気づく。今日は月曜日。

満月の月曜日にルドラクシャ。マネーベルトからルドラクシャを取り出し、そっと首に掛ける。満月が、綺麗だな。

翌日から私の心肺機能は格段に良くなる。3歩歩いて息切れしていたのに、ホテルの2階の部屋から1階に一人で降りれるようになった。全ては絶妙なタイミング。ルドラクシャマジックだ。

レシピの話。

今まで、作品のレシピというものを持っていなく、作ったこともなかった。フリーハンドで思いのまま編み込む。「なんとなく」完成図は頭の中にあるんだけれど、あくまでも「なんとなく」の、全体のフォルムのみを決めて編み始める。

最近「同じデザインのものを」とリクエストされることが増え、そして今、ピアスを作っている最中。ピアスというのは当たり前だけどペアなもの。1個作って完成!というわけにいかず、複雑なコードの編み方だと「ペアを完成させるため」どうしてもレシピを作っておかなければ、、、ということになった。要するに、一個仕上げると編み方を忘れてしまうからなんだけど。

編む → 次の行程に入る前にメモを取る → 編む → 次の行程に、、、、

全くもって時間のかかる作業。不具合が出てくると、解いて作り直す。ノートも消して書き直す。写真のピアス、レシピを作るだけで3日もかかってしまった。私にしか解読できないレシピだけど。

マクラメを編んだことのない人には全くどのような作りになっているのか?全くわからないと思う。(作ったことのある人なら大変さ、わかるよね)このピアスは最初は2本のコードから始まって、コードを足して、足して、合計で10本のコードが必要となる。この10本のコードを向きを変え、編み方を変え、合体させ一つの作品が出来上がる。

一つのレシピが完成すると、それに沿って、大体10個くらいの試作を作ることにしている。全体のバランスはもちろん、一つ一つのパーツ部分を確認して納得ができるものに仕上げるため。そして一番大事なのが、強度。コードが解けないか、変形しないか?要するに壊れやすくないか?をチェックする。すぐに壊れてしまうものなんて、誰も欲しくない。どんなに美しく作り上げたとしても。形が変形しやすい箇所を見つけると、レシピを改良しながら強度を上げていく。1個に掛かる時間は、このピアスの場合だと1時間ほど。マクラメは編んでおしまいではなく、焼き止めという作品を完成させる作業が必要。ウニョウニョと伸びた10本のコードの処置。私は新しい作品を作り始めるとき、まず最初に「最後の焼き止め(コードの処理)が可能な作品か?」を考えてから始める。焼き止めができて、初めて作品となる。これがうまくできないとただの「編み方のサンプルその1」になってしまうから。

今年に入ってから、このレシピ作りを続けている。「いつか、やならきゃなぁ」とずっと思っていて手をつけていなかった作業だ。

「いつか、やらなきゃ」は、どうしても「なかったことにしよう」になりがちな私。この悪習慣を変えるためにーーーーー生活全般もそうなんだけどーーーーー「なかったことにしょうリスト」を作り上げ(膨大なのよ!)それを一つ一つクリアしていく作業が去年の春から続いています。なんのために?と言われるとわからないのだけど。多分、これからの生き方、人生のため。些細な「なかったことにしよう」も無意識から意識に持ってきてひたすらコツコツとクリアしている最中です。

ベジタリアン食材

ソイミートを使ったコンビニ飯やインスタントラーメンが色々出ているので試してみました。ノン・ベジの友達と一緒に試食会。

まずはIKEAで販売しているインスタントカップラーメン。IKEAは家具以外に食品も扱っているんだ。ただし通販では買えない。実店舗で購入。ベジタリアンも食べられるインスタントラーメン。健康的なのか不健康なのかわからないけど、私は健康のためにベジタリアンなわけではないので、こんなのがあって嬉しい。カレー味なのだか、辛いのが苦手な私には、ちょっと辛いほど辛い!ここまで辛さに気合いを入れなくてもいいのに。辛いのが大好きな人にはおすすめです。麺がイマイチ。ノンベジ友達の感想は「海外の日清カップヌードルよりはマシ」とのこと。コクがなく物足りない模様。日本のカップヌードルに慣れていると、海外モノは「なんで?」と言うほど不味い。それよりはマシ、だそう。

続いては無印良品のミートボール。無印良品も販売しているんだ!ソイミート。

うっすら下味がついているので、トマトソースと煮込んでトマトミートボールでもいいかも。今回は、カレーと煮込んで見た。今まで半端なく不味いソイミートボールに当たってきた。この無印のミートボールが一番美味しい。ただし原材料に粉末卵白が入っているのでベーガン仕様ではない。友達の感想は「子供の頃に食べたイシイのミートボールの味がする」とのこと。ハンバーグバージョンも販売してました。

ファミリーマートの「大豆ミートと野菜のあんかけどん」

どうしたのだろう?コンビニまでソイミート。ファミリーマートで大豆ミート使用のお弁当が販売されている。詳しくはここ

我が家から徒歩圏内に唯一あるコンビニはファミリーマート。何度足を運んでも大豆ミートシリーズに出会うことはできなくて、隣町のファミリーマートで購入。とても幸せな気分で帰宅して、念のためにプレート底に記載してある原材料を確認してみると、チキンエキス。なんで?隣町まで行って、チキンエキス入りの大豆ミート、、、、、外国人のベジタリアンが「日本の食べ物、何が入っているかわからないから怖い」と言っていたのを思い出す。日本語読めないから原材料が確認できないし。申し訳ないけど、これはノンベジの友達に食べてもらうことに。「、、、、本物の肉が食べたくなる、、、、」とのこと。そうか、そうなのか、、、、、、。しつこいようだけど、なぜチキンエキスを入れるのだろう?しばらくして、理解する。

別にベジタリアンのために商品開発してないし!  これに尽きるのかも。

環境問題やヘルシー嗜好の風潮に乗っての商品であって、マイノリティーのベジタリアンのために商品開発するはずないよね。私、勘違いしてました、横柄でした、ごめんなさい。

さて、ソイミート。結局肉が食べたいんでしょ!ベジタリアンでも!と言われることが多々ある。人によってソイミートを食す理由がそれぞれだろうけど、私がソイミートを料理する理由は、肉が食べたいと言うより肉食の名残りで「噛みごたえ」のあるものがたべたい、から。美味しい食事というのは味や香りや適切な温度ももちろん大事だけど、歯応え、噛みごたえと言うのも大事な要素。それをソイミートに求めている。

これに懲りずに、ソイミート商品に出会ったらご紹介を続けていきます。

立春

朝起きたらどこからともなく甘いほのかな香りがする。

昨日までなんでもなかったグリーンネックレスが開花していた。

暦の上では「春」と言うけど、植物たちはにはそんなこと、通用するはずもない。

でも、ちゃんと春のやってきたこの日に開花する。「暦の上」ではなく植物はちゃんと「春」がわかっているんだろうな。自然界ってすごい。人間も自然界の一部のはずなんだけど、人間より植物や動物の方が賢いような気がする。

今年に入ってから、より一層外出を控えひたすら自宅で作業の日々。先月、何人の人と会話をしただろう?と振り返ると定期的通院している病院以外は本当に数人としか会話をしていないような気がする。「引きこもり生活万歳!」な私だけど、流石に1年近くこの状態が続くと飽きてくる。スマートフォンがあれば気軽に友達と画面を通して会話ができる時代だけど、実際に顔を合わせてコミュニケーションを取ると言うのは本当に大切なことなんだな、と痛感する。そろそろ、どこかに行きたい。でも状況がそれを許さない。

「風の時代がやって来る」と色々なところで言われているけれど、正直私はあまり信じていない。同じところにじっとしていられない私にとって「変化の時代」は大歓迎なんだけど、大きな変化にはある種の「痛み」のようなものが伴うこと、経験上知っている。本当に大きな変化の時代の幕開けなら、ある種の覚悟が必要な気がする。

「覚悟はできている?」信じていないと言いつつ、日々、自分に問いかける。

仕事上の仕入れや材料の調達は主に海外から輸入・取り寄せになるのだけど、荷物が本当に届かない。相手からも税関をいつ通過できるかわからない、という返事が来たり、通常1週間もあれば届くものが到着が1ヶ月後の予定と回答が来たり。コロナの影響、人間の行き来だけでなく、物の行き来にも影響が出ているんだな、、、、

今まで通りにコトが進まないこと、たくさん。目の前にあること、今、できることをひたすらコツコツと進めていくしかない。

立春にあたって。 変化が来ようとどうなろうと。自分の小さな世界だけは平穏を維持していこう。この小さな世界だけが、私自身がコントロールできるのだから。

2021年、突入

元日から風邪を引いて寝込む、という幸先良いスタートの2021年。

無症状で終わるはずのない歳なので、きっとただの風邪。

なんとか回復したら非常事態宣言は出るし、アメリカも、議事堂での映画撮影だと思ってたら、いや、現実だよ!これがカラードの人々だったらガンガン撃たれるんだろうな。あの人が核のボタンを押せちゃうっていう現実が怖い。なんとかに刃物。刃物はすぐにでも取り上げちゃいましょう。

気がついたら成人の日。今年もきっと色々アレコレであっという間に一年が終わりそうな予感。せめて自分だけの小さな世界だけは平安を保つこと。コントロールできるのは自分の小さな世界だけ。そしてそこは聖域。

人類が疫病をコントロール可能となるまでまだ時間が必要だろうけれど、どうやら自分の身は自分で守るしかない模様。

私の今年の目標は

生き抜いて時代の生き証人になる、こと。

疫病がコントロールされたその後の世界を見てみたい、それまで生きていたい。と、強く思う。

何が変わって何が変わらなくて。

何が正義とされ、何が悪とされるのか。

それをこの目で見てみたい。しばらくはそっと、石と共に小さな世界で生きていこう。

今年もよろしくお願いいたします。

9月にPCR検査を受けたこと。

9月の初旬にPCR検査を受けた。陰性だったけど。

熱が出た。37度ちょっとの熱を出すことは年に数回ある。

パッと発熱してゆっくり休んで、はい、おしまい。その時もこのパターンだと思っていた。が、2日経っても熱が引かない。頭痛、関節痛、発熱。味覚はある。

夕方、38.5度まで上がった時流石に覚悟した。役所のHPに番号振られて「女性・感染経路不明」って数日後には載るんだろうな、、、、と。とりあえずリュックに入院セットを詰めて玄関先にセットする。そして市の感染なんとかセンターに電話をする。どのような手順を踏めばいいのかを確認するため。

随分辛そうな声だったのか、夜間救急センターに行くように言われる。我が家から徒歩で15分ほどの距離だ。「タクシーを使ってもいいのか?」と聞くと「まだ感染が確認されてた訳ではないので大丈夫です」とのこと。38度を超えて徒歩は辛すぎる。でもタクシーの運転手さんに申し訳なさすぎる、、、と徒歩で向かうことにする。

全くもって足取りが重い。後ろから来る人にどんどん抜かされていく。途中休憩を入れながら30分かけてセンターに到着。熱測って、聴診器当てておしまい。胸部レントゲンも血液検査もなし。ここでもPCR検査はできるが、病院の紹介状が必要とのこと。明日一番近い内科を受診すること。そして1日分の抗生剤と解熱剤をもらう。

真夜中になると、熱は40度を超える。解熱剤で一旦楽になるが、朝にはまた40度。

熱出過ぎて震えが止まらない。思考力なし。ただ、病院に行かなくては死んでしまう。とにかく病院に行かなくては。実はこの春に知人がコロナで亡くなっている。毎日のように感染者数や死亡数がネットに流れてくる。その数字は私の知らない人、どこか遠くの人。でもいざ「知っている人」がその数の中に含まれている現実を突きつけれると「本当に、怖い」と初めて実感する。

近くのクリニックに行くと、高熱過ぎてここでは対処できないとのことで大きな病院に紹介状を持って行くように、と言われる。私は甲状腺の病気を持っていて、専門の病院に定期的に通っている。本来ならその掛り付けの病院に行って紹介状を書いてもらうべきらしいが、そうも言っていられない40度超えの発熱。すぐに紹介状をもらい、タクシーで総合病院に行く。

総合病院の普段の入り口の脇に、「紹介状をお持ちの発熱のある方専用」の入り口が新設されている。要するにコロナ専用入り口。保険証を渡すのは、手渡しでなくビニール袋に入れて渡す。カルテを作ってもらい、防護服を着た職員の方に案内され裏階段を通り、やっつけで新設された発熱外来へ。看護師さんが3人、防護服を着て待機している。テレビとかで見る、あの防護服。実際に見ると、迫力がある。足元は何重にも靴カバーを装着している。なんだか着ぐるみみたいだな。実際に防護服姿を見ると、これを着て仕事に当たるって、相当なストレスだと思う。途中トイレとか行きたくなったらどうするんだろう?お昼時間になったら全て脱いで、食事して、またあの防護服を着るのか、、、、医療従事者には本当に頭が下がる。

問診と血液検査と胸部レントゲン、鼻の粘膜採取が始まる。両鼻に綿棒をそれぞれ突っ込まれたから、コロナ用とインフル用なのかな?「やっと検査をして貰える」安堵で泣きたくなった。救急センターも、朝イチで行ったクリニックでも検査はしてなかったから。PCR検査の結果は1時間で出るとのことで、待合室(と言う名の廊下)で待つ。

途中、追加の検査とのことで、いつもと違う血液検査と中間尿の検査をする。両腕からの採血。採血の前にイソジンで念入りに消毒をする。結構な量の採血だった。

しばらくして診察室に通され、初めてドクターとご対面。コロナ、陰性。でも100パーセント陰性とは言い切れないとのこと。抗生剤と解熱剤をもらい、血液検査の結果が出る4日後に再診に来てください、とのこと。お会計は再診の後でよいとの事。

流石に帰りはタクシーを使う。「運転手さん!コロナ検査陰性でしたけど、念のため窓全開にしてください!」朝飲んだ解熱剤が切れて、この時既に40度の熱があるのに、そんなこと言えた自分がすごいと思う。

帰宅し、抗生剤を飲んで、とにかく寝る。2回ほど抗生剤を飲んだ後、熱が少しずつ下がってきた。「抗生剤が効いている。本当にコロナは陰性だったんだな」安堵の眠りにつく。

再診時にドクターが「何かに感染した。感染経路は不明。だけど抗生剤が効いたからオッケー」再診時の血液検査、胸部レントゲンも「歳の割には」全く問題なし、完治。

春からずっと自宅にいる。都会にだって出かけていない。それでも「何か」に感染した。その「何か」はたまたまコロナでなかっただけ。こうやってコロナに感染するんだな、と擬似体験をした感じだった。

私は今、神奈川の横須賀市に住んでいる。同じ神奈川でもなかなかPCR検査を受けることができない、と言う話も聞く。私の住んでいる市が「町医者で紹介状をもらって指定の病院に行く」というシンプルなシステムなのかもしれない。でも検査の受けにくさはやはり人口の多さに比例するのではないか、と思う。

私の身内には医療従事者が数名いて、現場の大変さは本当によくわかる。輪をかけてこのコロナ禍の時代。普通の人だって、コロナ、怖い。でも医療従事者は知識がある故、その怖さを本当に知っていると思う。そして職場は最前線。使命感が恐怖を押し除け、毎日現場に立つんだろうか?最大級の敬意を医療従事者に。そして国は最前線に立つ人たちに特別な給付金をあげなきゃいけないと思う。オリンピック開催なんて、寝ぼけたこと言ってないで。

結局コロナではなかった9月のお話。これからの季節、身近に感じてしまうことも出てくると思う。罹らないに越したことはないし、こんな時代に発熱なんてしたくない、普通の風邪でも。

「あの時代を生き抜いた」

いつか、そんな風に振り返る時がくるのかな。多分、くると思う。だから、皆さん、生き抜こうね、この時代を。生き抜いた後に多分、違う時代に突入しているんだと思う。時代が変わり、世界も変わる。だから、生き抜こう。