マスクホルダー

マスクは、インフルエンザと花粉症の季節に時と場合に応じて、自分の意思で付けるものだと思っていたのに!

否応なく新しい習慣に慣れていかなくてはならなくて、わかっていても夏の暑い日にマスクをする習慣なんてなかったから、すっかりマスクを忘れて外出し、周りの人の視線で初めて気づくこともしばしば。たまにハンカチを口に当てて足早に歩いている人を見かけると、マスクを忘れちゃったんだろうな、、わかるよ、わかる!

今回、メガネコードからヒントを得て、「マスクホルダー」をマクラメで編んでみました。

外食時にテーブルの上にマスクを置くのが躊躇われる

カフェでお茶している時。でも顎マスクは嫌! 、、、そんなときのマスクホルダー

人のあまりいない駅のホームで電車を待っている時、マスクなんてしたくない。ホルダーを使えば待ち時間だけマスクは胸元に。電車に乗り込むときにマスク装着。

普段、ペンダントやブレスレットを作るクオリティーで作成したマスクホルダー です。

贅沢な作りといえば、確かに贅沢。

淡水パールとレッドコーラルビーズを散りばめた マスクコード パール

葡萄色のガーネットビーズが綺麗な  マスクコード ガーネット

          

私自身も試作品をここ3ヶ月日々使用しています。

いつか、ここまで日常的にマスクを使わない日が来たら、ブレスレットかペンダントに作り替えたいな、と思っています。

再会とマクラメ合宿

旅友達でありマクラメ友達でもあるKさんが我が家に 

「マクラメ合宿」と名を打って遊びに来てくれた。

SNSで繋がっているので、長く会っていなかった感が全くないのだけど

振り返ると、最後に会ったのは7年前のインド。

クンブメーラというヒンドゥー教の祭で、私は12年ぶりのクンブメーラに行きたく、

仕入れの旅を兼ねてインドへ。Kさんは撮影のお仕事で現地入り。」

恐らく現地は広すぎて・カオスすぎて会うのは不可能。クンブメーラののち、バラナシで

会おう、そんな約束をしていたのに、何故が現地でばったり会う。

あの人混みの中、夜明け前のパレードの中で。

ニュー・ノーマルライフの中で、お互い時間だけはたっぷりある。

平時の際はお互い忙しすぎてこまめな連絡も取り合えなかった。

こんな時こそ、会おう!ということで我が家へご招待。

さて、私の合宿の課題はこれ。

溝付きルースにトライすること。

南米ではこの溝付きルースの方がポピュラーだそう。

以前、インドの石の仕入れでアルゼンチン出身のマクラメアーティストが

大量にこの溝入りの加工をオーダーしていた。

Kさんもこの溝付きの方が全然楽だよ、とのこと。

漆黒のレインボーオブシイリアン。このキリッとした漆黒が好き。

年齢を重ねた女性に似合う黒、だと密かに思っている。

コツを掴むまでにはしばし時間がかかるかな?という感じ。

出てくるコードの数がとても多くなるので大きな作品を作るのにはとても適していそう。

さて、どんな大作を作ろうか?構想中です。

ある日の一日。歩こう。

思いもよらず早起きをしたので、ゆっくりと朝食の準備をする。

春からほとんど外出せず、「朝が忙しい」ということがなくなったので毎朝具を変えながら作るサンドウィッチとコーヒーが朝食の定番。ベジタリアンゆえ、元々外食はほとんどしないのだけど、春から99パーセント近くが自炊。サラダにドレッシングを和え、焼きチーズと共に挟む。ハニーマスタードも忘れずに。

「口からモノが食べられる、まだまだ私は大丈夫」と残すことなく朝食を終えて頂いていたオーダーのアクセサリー製作に取り掛かる。体調不良が続いた数年だけどオーダー分はコツコツと指の調子を見ながらこなしてきました。

数時間後、少し集中力が切れてきたのでブレイク。ふと、少し散歩をしてみようと思い立つ。先日、知人から「方位」についてのアドバイスを頂き、その方向に足を伸ばしてみよう。

歩きながら、いろいろな思いが巡る。友達のみんな、どうしているかな?基本的に出不精で家にいるのが好きで、人とあわなくても苦痛でない私だけど、ここまで長期間だと流石に人恋しくなってくる。          人と関わること。                         SNSは発達しているけど、美味しいものを一緒に食べて、美しい風景を眺め、音楽を聞いて、アートを観る。一人でもできることなんだけど、同じ空間を共有するってこと、とても大切なことだったんだと改めて痛感する。 春から秋にかけて、毎年催事に出店をしていたけど、それも全てキャンセルになった。直接作品や石を手に取っていただいて言葉を交わして。毎回、楽しみにしていたのだけど、それも難しい時代に突入しちゃったのだな。

小一時間考えながら歩いていると、素敵に風景に出会う。横須賀・浦賀。 歴史の教科書にも載っている黒船来航の地、1853年。小高い山の上から撮影したのだけど、167年前の浦賀の住民もここから湾を眺め、黒船を目撃したんだろうな。当時の人にしてみればきっと、宇宙人を目撃しちゃったような衝撃だったと思う。相当怖かったと思う。いつの時代も「未知なるモノ」は恐怖でしかないのだから。コロナも、いろいろ解明されてワクチンや特効薬ができたら、こんなにも恐れなくて良くなる、そんな日が来るのな? 浦賀の景色を眺めなら、コロナを思う。 久しぶりによく歩いた1日。  

小さな神社があったので、浦賀上陸記念におみくじを引く。大吉。「病気」のところに「重いが全快」とあって苦笑。そうか、重症なのか、私。

前を向けそう、、、そう感じた時にこの石がそばに。いつもいつも、石には助けられてきた。一見地味だけど、法具のような貫禄。

転んで、立ち上がって、また前に進む。

色々なことが停滞してしまい、本来の居場所から遠く離れてしまったここ数年。

このブログも、そしてネットショップのも更新が止まっていました。

ここ2年ほど、病気と怪我が身に降りかかり長期体調不良の日々を過ごしていました。これほど健康保険証をフル活用したのは初めてのこと(日本の医療制度万歳)

病院行く→要精密検査→戒名の如く病名を頂く。(ちっともありがたくない) これが繰り返される日々。病院にいけば行くほと病名が付くもんだから、治療であっても病院なんか、行きたくない!と、本気で思った。

虫歯と偏頭痛以外、病名なんて要りません!粋がってみても血液検査は私自身のいろんなことを数値で教えてくれる。そして不愉快な症状や痛みというのは人から気力を奪う。もう、ひたすら耐えるしかないし、投薬その他でコントロールするしかない。私の人生の一部である石さえも触れるには気力がなさすぎる時期さえあった。これって相当重症。

自分は何処に向かっていくのだろう。体力というより気力が尽きてしまったような感覚。これってよくないよな、と思いながらも糸口は全く見つからず。

不愉快なほど長い梅雨が明けた今年の夏、撮影のために、とある石に触れる。「もう少し、頑張れるかも」そんな気持ちがどこからともなく湧いてきた。その日からまず、やり残してそのままにしてしまったもの、無意識のうちに「無かったことにしよう」と蓋をしてしまったもの、とにかく中途半端にしてしまったものを一つ一つリストアップしていく。同時にやりたかったけど、形にできていないものについても。途方もなく膨大なリストが完成した。(少々、ゲンナリした。)そのリストを一つ一つ片付けて行こう、どこに向かうのかはわからないが。とても地道な作業だけれど、コツコツとこなしていくうちに(現在進行形だけど)少しづつ、活力のようなものが腹の底から湧いてきた。忘れていた感覚・活力。

ふと、ここ数年を振り返る余裕ができた。

身体的にも辛かった数年間だったけど、一番辛かったのは、活力を失ってしまったこと。そしてそのダメ押しは、恐らく、昨年の指の怪我だったと思う。(これは今振り返って分かることであって、当時はちょっとしたアクシデントくらいの認識だった)facebook の方には少し記しましたが、昨年のゴールデンウィーク明けにざっくりと小指を損傷してしまい、それが当初の診断より深刻な神経を損傷するほどの傷で緊急手術となってしまいました。

手術直後の写真。全体的に腫れています。



「毎年のように手術台の上に乗ってる。嫌になっちゃうな」当時はそんな感じだった。結局半年近く通院し、完全に元のようには戻らなかったけど、指捌きを少し変えれば作品作りには支障はない、くらいに回復した。

回復した、はずだったのだけど、切れて繋がったのは指の神経で、私の気力はプッツリと切れたままだった。それから1年以上が経過した。切れた気力が再び繋がるのには、神経より時間が掛かった。

「どん底に落ちても人は這い上がれる。這い上がったとき、足元に素敵なギフトが置かれている」これ、私がこの人生で学んだことの大切な教訓の一つ。そのギフトはささやかすぎて這い上がって立ち上がったときには、よくわからない。でも時間が経って振り返ると、あれは大事なギフトだったんだ、と気がつく。

ここ数年の間で私、転んだ。で、やっと立ち上がって前を見ることができるようになった。忘れていた気力を思い出した。この先、体力が気力に追いついていかないこともあるかもしれない。もしかしたらまた気力を失うかもしれない。  一歩一歩、前に進むしかない。やっと自分にそんな言葉をかけられるようになった。

、、、、、、と、ここまでがこの数年間に起こった出来事。これ以上、具体的に深く語り出すと、ただの「不幸自慢ブログ」になっちゃうので、ここでおしまい。転んで呆然としている間にコロナという世界を巻き込む病が出現した。私も泣きっ面に蜂の若く、その影響をガッツリ受けた身でありますが、私自身、そして私の周辺の人々、そして多くの人がこの病をきっかけに変化せざるおえない状況にあるかと思われます。転んだどころじゃない、墓穴に放り込まれたよ、という方だっているはず。そんな厳しい状況下の人の、気持ちに寄り添うことはできても勇気付けする言葉は見つからない。言葉を発しても多分、虚しく響くだけだと思う。どんなに絶望しても心の隅で前を向ける時がやってくるということ、信じて欲しいと思う。もちろん、私も信じる。

2018年の夜明け

あけましておめでとうございます。

本日から少しずつではありますがサイトを再開いたいします。

 

昨年秋の台風ののち、家の裏山が崖崩れとなり

数週間に及ぶ避難・ジプシー生活を送って、その中での新居探しと引っ越し。

新居でのネット環境の整備に予想外に時間が掛かり2か月が過ぎてしまいました。

安全な、「自分の居場所」を見つけることができ

新年は、空襲警報レベルの船の汽笛を聞きながら

新しい新居で新しい年を迎えることができました。

ここは横須賀。

新居を見つける際、都心方面に戻ってはどうか?と人から

アドバイスをもらいました。

東京で生まれ育つとその特殊さがいまいちわからなかったのですが、

東京というのは、やはり便利な街です。

それは仕事に関しても、暮らすことに関してもとにかく「便利」。

横須賀生まれの人たちからも「わざわざこんなところ住まなくても。自分はここで

生まれ育った土地だから不便さは感じないんだけどね」と言われること、多々あり。

見知らぬ土地・横須賀に流れ着いて数年。

余儀なくされた引っ越しなら、「元居た場所」に近い土地に移るいい機会では?

そんな感じのアドバイスをもらっていたのですが。

 

なんの根拠もなく「東京から南下したい」という理由で住み始めた横須賀なのですが

海と山が見えて坂の景色が広がるこの街に、もう少し身を置きたい。

足腰が丈夫なうちはまだ坂の上に住んでみたい、美しい景色の広がる山中で。

そんなに「便利」でなくてもいいんだ、もう。

今しばらく、この土地で生活を続けます。

 

秋から冬にかけて。

土砂崩れという引き金が、実はいろんな物事の引き金だったらしく、

盆と暮れが一緒にやってきたごとく、様々な変化が押し寄せてくて

若いころだったら絶対に打ちのめされてたな、と思うのですが、

人間長く生きていると、肝が据わってくるというか・開き直りができるようになるというか・

何事も楽しまないと損をする、そんな長くないぞ、残りの人生。もったいない。

そう、「楽しまないともったいない」という気持ちのほうが

大変さより上回ってしまうようで、体力的にはきついんだけど、

歳取るって(開き直るってと同意語)悪くないな、、と認識した昨年下半期。

 

まだ未開封の段ボールと、パッキングしたままの石たちが

新居にどっさりとあるのですが、

2018年。

どんな年になるんだろう?

死なない程度に生きていくという、私のは宿命は

どんどん加速していきそうな予感がするのですが

立ち止まるなんて、もう許されない。

廻れ輪。流れろ河よ。

 

まったく予想のつかない1年となりそうな気配漂う新年。

今年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

避難

web shopを只今、お休みさせていただいています。

サイト内をご覧いただくことはできますが、お買い物ができない状態です。

 

五反田での催事が終わって、台風が去ったあと、

我が家の裏の崖が、静かに・穏やかに崩れた。

家が全壊や半壊なら、何かしらの公的助けを求められるんだろうけど、

今回の状況は「自主的避難」レベル。

ここに住んでいて安全なのか?大丈夫なのか?

自分で決断するしかなく、そして私は、ここで眠ることができない、と判断する。

「大丈夫?」と多くの人から尋ねられたのだけど、何が大丈夫なのか、大丈夫でないのか、

まったくわからない状態で、「なんか、わからない」と答えるのがやっとだった。

ただ、ここで眠ることはできない、そう判断した。

そんな私に手を差し伸べてくれる人や組織がそばにあり(正直、びっくり)

ただいま、そんな周囲の善意に甘え、避難生活中。

 

「旅をしていると思えばいい。数日ごとに宿を変え、フラフラ旅をしてきたし」

そう気持ちを切り替えようとしたけれど、

旅は安全で、私の帰りを待ってくれている(消滅しない)、戻る場所があるから

呑気にフラフラできるわけで、それを失うというのは、こんな気持ちになるのか、と痛感。

安全な、戻る場所があるというのは、こんなにも素晴らしいことだったんだ、

当たり前のことだと思っていたけど、ちっとも、当たり前ではないんだ。

、、、少なくとも、今の私には。

 

多くの自然災害が人々を襲う。一瞬にして家を失い

体育館や避難所で暮らす人を、私はテレビでしか見たことがない。

とりあえず、安全な場所にたどり着けてよかったね、

人はそう思う、私だってそう思っていた。

安全な場所にたどりついた、よかった、確かにそうだ。

でもそれでは話は済まない。

安全な場所にたどりついたのち、これからどうなっちゃうんだろう?という

漠然とした不安に襲われる。この「漠然とした」不安というのは、

ボディーブロウのようにじわじわと「効いて」くる。

避難生活で心身ともに疲れ、

鬱になったり自害してしまう人の気持ちが理解できる、今なら。

 

 

私はこの先、「死なない程度」に生きていくんだろうな、

そしてなんだか周囲に人々の善意が溢れていて、安全な我が家は今、ないけれど

心温まり、周囲にいてくれる人々が、実は人間じゃなくて

神様なのではないか?と思え、何かに守られている感を、ものすごく感じる、

帰る家、ないけど!!

 

望んでないのに、新しい場所での生活のために動き出す。

一生、定住なんてできないのかもしれないな、自分の意思は関係なく

放浪するかのように生きていくのかもしれない。

「それも、案外悪くない」

3か所目の善意の下で、ふとそんなことを思う2週間目の避難生活。

 

内なるマジック

2017-10-17_1093

ペンシル型の研磨済クリアクォーツ。

ペンダントヘッドを制作中。

内部は限りなくクリアで、先端付近には緑泥が含有されています。

 

角度を変えてみてみると、、、、

 

2017-10-17_1098

クラックの中から美しいレインボーが現れます。

ちなみに、対角の柱面からもレインボーが現れます。

 

ちょっと見るだけでは発見できない、様々な角度から眺めて。

そして光の当たる角度にも左右される。

様々な方向から眺め、観察したときに現れる内なるマジック。

これだからクリスタルはやめられない!と思う。

 

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先週からご紹介していますマクラメアクセサリーは、

今週末の催事「girl’s party」にて展示販売いたします。

催事のご案内 girls party@五反田

 

gotanda

 

う~ん。この一般家庭っぽい扉を開けるのには少し勇気がいるかもしれない。

間違えて本当の民家の扉を開けちゃったらどうしよう?とか。

扉を開けた方々の勇気を称え、チャイを振舞います!ので、ぜひ遊びきてください。

五反田の家Facebookページ

 

 

 

しっとりと、秋

こうやって撮影撮影しているときも掌がこそばゆくなる石

ホワイトラブラドライト。

高ぶっった感情を落ち着かせてくれる魔法の石。

夏から秋にかけての季節の変わり目に久々がっつり体調を崩し 自分このまま

ダメに なってしまうのではないか?と

ココロまで弱り切っていた2週間。

その間は、とても石なんて見る気力もなく。

復活して、最初に指先を動かし始めたときにチョイスしたのが、この石。

やっぱり、自分にも必要な石だ。

この作品が完成したら、自分用にホワイトラブラドライトでペンダントを作ろう。

そう心に決める(今年こそ!)

 

さて。

 

10月の後半に、都内で催事をします、ガールズ・パーティ。

石と占いとマッサージ。

3人の女性が、時が停まったかのような民家で2日間だけ、

パーティーを開催。

詳細は決まり次第、お知らせいたします。

 

 

今年の秋は、本当の本当に秋らしい秋。

金木犀の濃厚な香りが漂う、秋。

その反面、私も含めて体調を崩している人も多し。

いろいろな意味での季節の変わり目。

パーティーに集う人の、シフトチェンジをお手伝いできればな、と思っています。