アクアマリンに思うこと

久しぶりにアクアマリンでのオーダーを頂く7月。チャクラケアをされている方がアクアマリンを身につけたいとのことで、頂いたオーダー。

私も一時、喉のチャクラに違和感を持っていて、そのときはネパールで随分たくさんのアクアマリンと出会って仕入れてきた。多分、無意識に。今回はアクアマリンとチャクラのお話。

カトリーナラファエル主催のクリスタルヒーリングコースを受講したのはもう20年以上前の話。とにかく喉のチャクラに違和感があったのと言いたいことが言えない、、、のようなコミュニケーション力のなさを実感していたのもちょうどこのころ。喉のチャクラはコミュニケーションを司り、アクアマリンがそれに対応する石、と学んだ私は聞き分けのよい素直な子のように日々、この喉のチャクラにフォーカスし、アクアマリンを喉に当て瞑想をする日々が続いた。まったく効果なんて感じられなかったのだけれど、でもルーティーンになっていたチャクラの瞑想。半年くらいそれを続けていたと思う。そしてある日の瞑想中のこと。

最初、喉のど真ん中に針で開けたような小さな黒い穴が開く。(見えないけど黒いという認識)なんだろう?この黒い穴。その黒い穴が段々と大きくなっていくのがわかる。まるで喉にブラックホールが出現したよう。

最終的には子供の拳の大きさくらいまで穴が開く。そのころにはもう第三者に喉の穴を無理やり両手でこじ開けられているような感覚。この暴力的な感覚が恐ろしくなり、瞑想を中断。それ以降、この喉のチャクラの瞑想はしていない。

喉に開いた大きな穴の感覚はその後数ヶ月継続した。気分は気管支切開。なんとなく不安でしばらくの間はスカーフをいつも首に巻いていたような気がする。なんだか間違った瞑想をしてしまったのかな?と不安にもなった。

一体あれはなんだったのだろう?1年もすればそんな穴のことを忘れ、日常生活に戻り、今に至る。

今回、アクアマリンのオーダーを頂いてふとその時のことを思い出した。

振り返ってみれば。

あれだけコミュニケーション力の不足を感じ、瞑想まで取り入れた私だけど、今では「どこででも生きていけそうなコミュニケーション力がある」と人に言われるようになっている。ちょっとしたトランフォーム。まぁ、実際にはコミュニケーション取りにくい「人種」もいるわけだけど。そうね、確か知らない人に声を掛け、話をするのには全く抵抗はないタイプに変身したかもしれない。でもそれは歳を取って「厚かましさ」が増して、開き直るということを習得したからかもしれない。そう思いつつも、もしかしたらあの時の、喉に開いた大きな穴が何かしらの作用をもたらしかのかもしれない。

どちらにしろ。

大きな変化というのは、徐々にスライドして気がついたらあれ?違う場所に来ちゃったよ!ってものかもしれないな。

即効性のある変化はそんなにも大きな変化とはいえないのかもしれない。

アクアマリンの瞑想を思い出し、今の世の中を見渡して、なんとなくそんな感じがしている。

オーダー作品より

7月はオーダーではじまりオーダーで終わる、日々。

7月のオーダー作品、の一部

お持ち込みの水晶をペンダントに、というご依頼。

原石をマクラメ装飾にするときは石の形の制限が色々とあって、毎回悪戦苦労する。その分、完成した時の嬉しさはひとしお。

6月頭の出店が終わってからの作品作りだったので随分お時間を頂いてしまいました。

さぁ、作るぞ、と気合いを入れて、集中する。日々の集中作業の中、日本中に激震走るような事件。悲しい気持ちより激震。どこの国にすんでいるんだ?私。

本当にテレビのない生活をしていてよかった、と思った。『知ること』は大切なことだけど、心を平安に保つのには、テレビをつけないのが一番。

ウクライナの空の下では、こんなふうに日々、人が死んでいるんだな、愛する人が殺されているんだな、と改めて心が痛む。「だって戦争している国なんだからしょうがいないでしょ」と思ってしまう人もいるかもしれない。でもついこの間まで、様々な問題を抱えながらも日本と変わらない日常という名の幸せが続いていたはず、この先も、続いていたはずなのに。

巷で期待していた風の時代ってこんな感じの幕開けか。なんとなく予想はしていたけど。

テレビを持たず、集中できる作品作りがあって本当に救われた7月。

、、、、まだオーダー作品作りは続きます。