希望の舟

石に集中するのは、大まかに言うと3つのパターンがある。

まず、仕入れの際の石のチョイス。この時はほとんど頭空っぽになって何も考えず、恐らく何かの基準が自分にあるとは思うのだけれど、、、、石を選択する。

そして石の撮影時。どの角度からとるか?光の角度などなどを考える。そして思わぬ美しさやを発見する。「あれ?こんな表情もあるんだ」と。

マクラメで作品を作る時。コードの色を選んだりデザインを考えたり。

あと、石と瞑想するときもそうなんだけどこれはちょっと集中の仕方が違う。

この3パターンで集中するとき、石と、もしくは自分自身と会話が行われることがある。正直、何と会話をして、どこから言葉がやってくるのかわからないのだけど。

今日は、希望の舟、と名付けた石のお話。

手にした時からノアの方舟みたいだな、と思ってこの石のことはノアと呼んできた。

サイトに掲載するにあたって聖書に疎い私は躊躇いもあって希望の舟と名付けた。

月日が経って、現在、新しいサイトを作るにあたり撮影をし直している最中。

先週、この石の撮影をしている時、ふと浮かんできた言葉がこれ。

「生きて行く手段とその糧は既に持っている。あとはそれを自分の中から探し出すだけ。自分の外で探してはいけない、既に持っているのだから。発見するだけ」

激変していく今の時代、未来は正直予測不可能だし、この先年老いて行くわけだし

どうやって生きて行く(サバイブする)のだろう、、とぼんやりとした不安はいつも

心のどこかにはある。

どんな時代であってもサバイブは動物の本能なのかもしれないけど。

そうか、もう持っているのか。「何を持っている?」と考えてみてもうまく思い浮かばない。

ここまで生きてきたは良き人との出会いが大きいと思う。

石と旅が好きで、ここまでやってきた私だけど、まだ自分の中で発見できていない何かが

あると言うことなのかもしれない。

自信過剰にになりそう、、、と思った瞬間、

「安心してないで。自分で探さなきゃいけないんだよ、それがキーポイント」そんな声を聴く。

棚から落ちてくるものでなく、「発見すること」。それも外でなく、内にあるもの。

内なる何かを探し出すこと。それが希望の舟に乗り込むことなのかな。

寒空の下、太陽に照らされ輝くクリスタルを見つめながらふと思う。

しかし、寒いね。