
正確にはまだ読み終わっていない。
ニューヨークに住むユダヤ系アメリカ人の筆者。自身も「いちおうユダヤ人」というくらい信仰的には熱心でない家庭にそだった人。
そんな筆者が「一年間、聖書の教え」を守って生活してみたドキュメント(日記形式)。 とにかく面白い。電車の中で読むと声出して笑いそうになるから家でじっくり読むべき本 洗練されていてウィットに富む笑い。決して人を貶めて得る笑いではない。
だいたい私は「世のため人のため」にまったくならないことに まい進してしまう人が大好きだ。応援したくなる。そんな私のツボに入る600ページ越えの読み応えのある本。
さて、筆者は「いちおうユダヤ人」と宣言している通り、聖書に疎い。そして読み手の私はキリスト教文化圏に生まれ育っていないから更に疎い。なので聖書を片手に調べながらこの本を読んでいる。聖書を辞書のように使っても益々わからないので、そのときはネットで調べる(なのでなかなか読み終わらない)
アメリカやヨーロッパの映画や小説なんかでよく聖書の一節がセリフで出てくるとき、私は一応、辞書を引くみたいに聖書を開く。キリスト教文化圏に生まれてきたらきっと阿吽の呼吸のごとく理解できるセリフなんだろうけれど。なので信仰に関係なく聖書を一冊持っていると何かと役に立ちますよー。
クリスマスの時期に毎年、聖書を開いて―――理解できるかどうかは別として―――読むことにしている私。だって世界で一番売れた本なんだよ。そこに何が書かれているか知りたくなるんだよね。
毎年読んでいるはずなのに知らないことが多すぎる。そして学びもある。
「主は与え、奪う」(ヨブ記)
311の震災の時、私は本気で「神様」を恨んだ。こんなのってないじゃなか?なんで?神も仏もないじゃないか?と。歴史上、悲惨な出来事はゲップが出るほど起こってきた。その悲惨な出来事が身近で起こったとき、初めて恨んだ。遠い国での戦争も悲惨な出来事もすべて「他人ごと」だった―――”悲惨だ” ”可哀そうだ”と口先で言っていても。
このヨブ記の一節に、そうか神様は与えるだけでなく、奪うこともする存在なんだ、ということを知った。そうだよな、ヒンドゥの神様だって、破壊と再生の神様がそれぞれ存在するんだから。なんで今まで気が付かなかったのかが不思議なくらい。でも仮にそれを知っていたとしても、たぶん、神様を恨んだと思う、私。
そして聖書に「ヨシュア記」というものがあることを初めて知った。10年ほど前、私は自分の寝言で目覚めてしまったことがある。何か夢を見ていたんだけど、まったく覚えていない。その時叫んだ言葉(寝言)は「ヨシュア」だった。
筆者は聖書の教えを忠実に守った1年間で変化があっという。私はこの本を聖書と共に読んでいるんだけど読み終えた後に私にもなにか変化があるかな?と楽しみ。














