元日に横須賀の空と海を眺めていた。
どんな1年になるんだろう?ささやかな希望を胸に。
1時間後大地が揺れて、その翌日には空港での大事故。
SNSが騒がしくなる。
テレビを持っていない私は最低限の情報だけ拾い、心が乱れないように頑張っていたけれど、やはり「そちらの」のほうへ引っ張られている自分がいた。これは先の大地震と同じパターンで自分の立ち位置がわからなくなり途方に暮れる。
もう、新年の抱負もなにもない。ただ、途方に暮れる。
これは大変よくない心のパターンでどうにか自分を前に、光の方向へ、アクティブな方向へ向かうように試行錯誤する。
だれしも心に闇を抱えていると思うけど、何かがきっかけでその闇というブラックホールの蓋が開いていまい、井戸のような穴を覗いてしまう自分がいる。
大変よろしくない連鎖反応。
そんな折、古くからの友人からとてもハッピーなお知らせが届く。
歳を重ねると。
自分に降りかかった悲しみには涙が出ない。でも人の悲しみには泣ける。自分のことに同情できなくなるし、悲劇のヒロインになれなくなる。涙を流すよりこの壁をどのように乗り越えるのか?にアタマがシフトするからなんだと思う。
そして、自分に降りてきた幸せには心の底から「感謝」をするようになるし、人の幸せにはどうしようもないほどに涙腺が崩壊する。
もちろん友人のハッピーなお知らせにもれなく涙腺崩壊する。
この世界は。
不幸だけで成り立ってはいないし、逆に幸せだけでも成り立っていないのだな。
大地が揺れて途方に暮れ、幸せな報告に涙する。
それが2024年が始まって10日の間に起こったこと。
もっと穏やかにスタートすると思っていた2024年。
兎にも角にも。ご挨拶が遅れましたが
今年もよろしくお願いいたします。