猫を保護してもらう、話。

「家猫になる気、満々」で、家猫ガッツと友達が呼んでいたので保護の当日、急遽「ガッツ」と命名

昨年の秋口に排水管の金具が首から抜けず、金具首輪をしていた野良猫をレスキューするために(参照:猫のこと。)猫の捕獲をお手伝いさせていただいていた。その野良猫たちの中で、一際、人懐っこい猫がいた。餌で釣って捕獲器に誘導するのだけど、あっという間にスリスリしてくるようになり、家の中にも入り込むようになった。もちろん、抱っこもさせてくれる。寒い日の朝、窓を開けると、餌を求めるわけではなく一目散に部屋に上がり込み、ホットカーペットの上から一歩たりとも動かない。ちゃおチュールで誘き寄せても動かない。じっと程よい距離を保ちながら、私のパソコン仕事や制作過程をじっと見つめている、猫。

「ごめんよ、ウチでは動物が飼えないんだよ」そう言いながら抱っこして外に放つ。心が痛かった。凍えるほど寒い冬の夜、一晩だけでも家の中で暖を取らせてあげたい、何度も思った。でも私に出来ることは、捕獲し、去勢し、地域猫として見守ってあげることしかできなかった。

先日、動物保護団体の方からこの猫を保護猫として預かることができる、というお話があった。私は即座にOKする。家猫になって安全な場所で生活できるのなら、この子にとってそれが一番幸せなことだろう。威嚇もしないし、人懐っこい。幸せな家猫になれるはず。

保護の数日前に蚤取りの薬をドロップし、保護の前日一晩だけ身柄を確保する。翌日、病院で血液検査とワクチンを打ち、保護家に連れていく、、、という計画。猫トイレも貸して頂き、確保の準備は万全。おい、猫よ、家猫になれるんだぞ。その日の夕方、いつものように窓を開け、いつものように猫は家に入り込む。そっと窓を閉める。確保。

一筋縄ではいかなかった。数時間、部屋の中で大人しくしていたが夜中過ぎ、大運動会が始まった。「外に出してくれ!」と。窓を一枚隔てた外には、「いつもの」居場所があり、仲間たちがいる。ふと気づく。あの、窓を閉めた瞬間、私はこの子の人生を変え、仲間と引き離してしまったことを。たった一枚のガラス窓で。その鳴き声が切なかった。いつもの「餌ちょうだい」の声ではなかった。一時間間隔の大運動会。その度に抱き上げ、添い寝し、言い聞かせる。

「お前は幸せな家猫になるんだよ、絶対に大丈夫だから」

私自身、「できる限り」自由な生き方を選択して生きていきた。自分の意思で住む場所を移動し、行きたいところに行き、生活様式を確立してきた。社会的には全くゼロに等しい地位で、ロクな死に方しないだろうな、とわかっているけど。人生、野良猫。「できる限りの自由」が私の人生での最重要課題だ。そして今も「更なる自由」を求めてもがいている。自分自身の姿が重なった「今までのように自由でいたい」ともがいている猫と。この子はこの先、自分の意思で外に出て、風の匂いを嗅ぎ、太陽の光の眩しさに目を細める、そんな自由で当たり前のこと、が不可能になるんだ、と。それを思うと大鳴きする猫の傍で、私も大泣き。「勝手に”私の幸せ”を決めるな」かつて大人に向かって叫んでいた自分が、ここにいるような気がした。「あなたの為なのよ」その言葉がいかにタチが悪いか、わかっていたはずなのに。窓を開け「いつもの生活」に戻してしまおうか。一晩中、何度も何度も考え思いとどまった。今までの生活がこの子にとっていいのではないか?野良は野良の一生で良いのではないか?牛も猿も猫もそして人間さえも野良的生活が日常に存在する国に通いすぎたせいかもしれない。

翌日、私も恐らく猫も睡眠不足。猫はハンガーストライキを起こしてベッドの下から出てこない。夕方になって、猫を迎えに行く、という連絡がくる。ちゃおチュールで猫を誘き出し、最後の抱擁。「幸せになるんだよ」と。暴れる猫を無理やりキャリーの中へ。嗚呼、こんなことして、この子に嫌われるだろうな、私。嫌われても構わない。そして全て忘れてほしい。私のこと、意味わからず軟禁されたことも、仲間のことも、この猫村のことも。全て忘れて、幸せな家猫になってください。

「安全で敵もない、ご飯もたっぷりもらえる環境の中で、飼い主に思いっきり甘えられるようになるんだから」と友達に慰められる。お手伝いをさせていただいている猫ボランティアの方にも「仲間から引き離すのは本当に辛いけど、新しい家に引き取られ、幸せに暮らしているって報告を受けると保護してよかった、って思えるから」と言われる。そう、元々私がホットカーペットの上から離れなかったこの子を無理やり外に放っていたんだ、寒い屋外に。このほうがいかに残酷だったか。

「何が幸せなんだろう」猫を通じて考えさせられた数日間。きっと、生き方次第のような気がする。何を選択して、どう生きるか。ただ、猫にはその選択権はない。その選択ができるのは、人間の特権なのかもしれない。だからこそ、選択を与えられなかったこの猫には幸せになってほしい。

生きとし生けるもの、幸せになる権利がある

私も幸せでいることを選択した。「幸せになる」のではなく、「幸せでいる」ことを。

この本、面白かったよ

久しぶりに最近読んだ本のご紹介。

旅好きにとってはどこにもいくことができないこの時期、せめて気持ち的に旅を、インドを感じたくて最近読んだインド系の本のご紹介です。注:リンクはamazon に飛びます。

☆ 日本がアジアを目覚めさせた 

プロビール・ビカシュ・シャーカー (著)

著書は現在のバングラディッシュ出身。今では国が違うけれどバングラデッシュは元々、インドの一部でイギリス植民地時代の首都はコルカタ。このコルカタを中心としたバングラディッシュを含む地域がベンガル地方。このベンガル地方に焦点を当てて、イギリス直民地時代からインド独立、バングラディッシュ独立までの歴史を日本との関係を軸に書かれた本です。この本には東京裁判で判事を務めたパール判事(この方もベンガル出身)についても書かれています。第二次世界大戦と東京裁判については私たちが学んだ、または刷り込まれた認識とは随分違う見方で書かれている。詳しくは本書で。ただ一つ、パール判事は「日本の味方」ではなく、「勝者が敗者を裁く」こと自体に疑問を投げかけたと言うこと。これだけはちゃんと認識していないと、思想が変な方向に向かっていくので要注意。読み応えのある本です。

☆  ナチュロパシー マハトマガンディーの自然治療  松本恭 (著)

インドにある自然治療センターに滞在した著者の本。私もいつか機会があったらこのアシュラムに滞在して治療を受けたい。日本にも湯治という文化があるけれど、インドのこのようなアシュラムは施術はもちろんのこと、食事療法もあり日々の生活全般を通して治療をしていく。なので滞在型。(日々の食事がインド食でもオッケー!という人でないと辛いかな。)もちろん、外国人向けのリゾート系アシュラムもインドにはあるのだけど、「ガチな治療」を受けたい私は、いつの日にか!と思ってる。読み進めていると、いかに自分が不自然な生活様式を送っているかを認識。

Hare Krishna!  

こちらはアマゾンプライムで見つけたドキュメンタリー映画。1965年、一人の僧侶スワミス・ラブパード(この方もベンガル出身)が後ろ盾もお金もなく70歳の時にニューヨークに単身で渡り布教活動を始めるドキュメンタリー映画。今では世界中に彼の立ち上げたISKCON(クリシュナ意識国際協会)がある。20年以上も昔、渋谷の交差点の近くで、ISKCONの信者たちがマントラを唱えながら歌い、踊っていたのを何度か見かけたことがある。悪意も偏見もなく、どう見ても「奇妙」だった。「インドの宗教なんだな」それしか感想はなかった。そののち、インドのある村で一人の信者の方と出会った。特に入信を進めるわけでもなく、「お寺の前でサンキールタン(楽器を鳴らしながらマントラを唱えること)しているから、気が向いたらおいで」ってな感じで私も暇だったので、参加していた。お寺の敷地内、太陽で温まった大理石の床の上に座りヒマラヤ山脈を見ながらマントラを唱える。私はとても幸せな気分だった。正確に言えば、喜びのようなものが湧き上がってくる感覚。これがマントラの威力なんだな、と実感した。今でも時々、ふとマントラが口に出ることがある。瞬時に私をあのヒマラヤの村に運んでくれる。このドキュメンタリー映画を見て、あのインドの村で声をかけてくれた人はアメリカ人で年代的にもスワミが存命の頃で、彼が「私の師匠に出会ってその目を見た時、この人は”本物だ”と確信した」と言っていたのは、スワミご本人のことで直接、教えを学んだ人だったんだな、と今更ながら理解する。

さて、最近購入する書物は可能な限り電子書籍を購入している。これ以上、本を増やしたくない、というのがその理由。便利な世の中になったな、と思う反面、友達とかに「この本、貸してあげる」ということができなくなった。あと、これは感覚なだけだと思うけど、紙の本の方が頭に入ってきやすい気がする。「大事に」なりそうな本は、紙の本で、それ以外は、電子書籍を購入。本当は全部、紙の本を購入して必要となくなった時、必要な人に渡す、、、、そうしていきたいのが本音なのだけど。

ベジタリアン食材

ソイミートを使ったコンビニ飯やインスタントラーメンが色々出ているので試してみました。ノン・ベジの友達と一緒に試食会。

まずはIKEAで販売しているインスタントカップラーメン。IKEAは家具以外に食品も扱っているんだ。ただし通販では買えない。実店舗で購入。ベジタリアンも食べられるインスタントラーメン。健康的なのか不健康なのかわからないけど、私は健康のためにベジタリアンなわけではないので、こんなのがあって嬉しい。カレー味なのだか、辛いのが苦手な私には、ちょっと辛いほど辛い!ここまで辛さに気合いを入れなくてもいいのに。辛いのが大好きな人にはおすすめです。麺がイマイチ。ノンベジ友達の感想は「海外の日清カップヌードルよりはマシ」とのこと。コクがなく物足りない模様。日本のカップヌードルに慣れていると、海外モノは「なんで?」と言うほど不味い。それよりはマシ、だそう。

続いては無印良品のミートボール。無印良品も販売しているんだ!ソイミート。

うっすら下味がついているので、トマトソースと煮込んでトマトミートボールでもいいかも。今回は、カレーと煮込んで見た。今まで半端なく不味いソイミートボールに当たってきた。この無印のミートボールが一番美味しい。ただし原材料に粉末卵白が入っているのでベーガン仕様ではない。友達の感想は「子供の頃に食べたイシイのミートボールの味がする」とのこと。ハンバーグバージョンも販売してました。

ファミリーマートの「大豆ミートと野菜のあんかけどん」

どうしたのだろう?コンビニまでソイミート。ファミリーマートで大豆ミート使用のお弁当が販売されている。詳しくはここ

我が家から徒歩圏内に唯一あるコンビニはファミリーマート。何度足を運んでも大豆ミートシリーズに出会うことはできなくて、隣町のファミリーマートで購入。とても幸せな気分で帰宅して、念のためにプレート底に記載してある原材料を確認してみると、チキンエキス。なんで?隣町まで行って、チキンエキス入りの大豆ミート、、、、、外国人のベジタリアンが「日本の食べ物、何が入っているかわからないから怖い」と言っていたのを思い出す。日本語読めないから原材料が確認できないし。申し訳ないけど、これはノンベジの友達に食べてもらうことに。「、、、、本物の肉が食べたくなる、、、、」とのこと。そうか、そうなのか、、、、、、。しつこいようだけど、なぜチキンエキスを入れるのだろう?しばらくして、理解する。

別にベジタリアンのために商品開発してないし!  これに尽きるのかも。

環境問題やヘルシー嗜好の風潮に乗っての商品であって、マイノリティーのベジタリアンのために商品開発するはずないよね。私、勘違いしてました、横柄でした、ごめんなさい。

さて、ソイミート。結局肉が食べたいんでしょ!ベジタリアンでも!と言われることが多々ある。人によってソイミートを食す理由がそれぞれだろうけど、私がソイミートを料理する理由は、肉が食べたいと言うより肉食の名残りで「噛みごたえ」のあるものがたべたい、から。美味しい食事というのは味や香りや適切な温度ももちろん大事だけど、歯応え、噛みごたえと言うのも大事な要素。それをソイミートに求めている。

これに懲りずに、ソイミート商品に出会ったらご紹介を続けていきます。

立春

朝起きたらどこからともなく甘いほのかな香りがする。

昨日までなんでもなかったグリーンネックレスが開花していた。

暦の上では「春」と言うけど、植物たちはにはそんなこと、通用するはずもない。

でも、ちゃんと春のやってきたこの日に開花する。「暦の上」ではなく植物はちゃんと「春」がわかっているんだろうな。自然界ってすごい。人間も自然界の一部のはずなんだけど、人間より植物や動物の方が賢いような気がする。

今年に入ってから、より一層外出を控えひたすら自宅で作業の日々。先月、何人の人と会話をしただろう?と振り返ると定期的通院している病院以外は本当に数人としか会話をしていないような気がする。「引きこもり生活万歳!」な私だけど、流石に1年近くこの状態が続くと飽きてくる。スマートフォンがあれば気軽に友達と画面を通して会話ができる時代だけど、実際に顔を合わせてコミュニケーションを取ると言うのは本当に大切なことなんだな、と痛感する。そろそろ、どこかに行きたい。でも状況がそれを許さない。

「風の時代がやって来る」と色々なところで言われているけれど、正直私はあまり信じていない。同じところにじっとしていられない私にとって「変化の時代」は大歓迎なんだけど、大きな変化にはある種の「痛み」のようなものが伴うこと、経験上知っている。本当に大きな変化の時代の幕開けなら、ある種の覚悟が必要な気がする。

「覚悟はできている?」信じていないと言いつつ、日々、自分に問いかける。

仕事上の仕入れや材料の調達は主に海外から輸入・取り寄せになるのだけど、荷物が本当に届かない。相手からも税関をいつ通過できるかわからない、という返事が来たり、通常1週間もあれば届くものが到着が1ヶ月後の予定と回答が来たり。コロナの影響、人間の行き来だけでなく、物の行き来にも影響が出ているんだな、、、、

今まで通りにコトが進まないこと、たくさん。目の前にあること、今、できることをひたすらコツコツと進めていくしかない。

立春にあたって。 変化が来ようとどうなろうと。自分の小さな世界だけは平穏を維持していこう。この小さな世界だけが、私自身がコントロールできるのだから。

新商品のお知らせ、フラワーブレス

今年最初の新商品は、フラワーブレスレット。

ビースは小粒のメタルビーズのみで、ひたすら編み込んで仕上げたブレスです。

とても軽い着け心地で、パソコン作業中でも邪魔にならない軽さです。

ただいま、カメラの調整にてこずっていまして、商品ご紹介ページの写真の色合いが

上手く出すことができませんでした。こちらの写真が一番現物に近い色合いです。

上から:

ネイビー https://tigressyogi.com/?pid=156897126

ピスタチオグリーン https://tigressyogi.com/?pid=156899494

レッド https://tigressyogi.com/?pid=156763008

ブルーグレイ https://tigressyogi.com/?pid=156897126

マスタードイエロー https://tigressyogi.com/?pid=156863098

2021年、突入

元日から風邪を引いて寝込む、という幸先良いスタートの2021年。

無症状で終わるはずのない歳なので、きっとただの風邪。

なんとか回復したら非常事態宣言は出るし、アメリカも、議事堂での映画撮影だと思ってたら、いや、現実だよ!これがカラードの人々だったらガンガン撃たれるんだろうな。あの人が核のボタンを押せちゃうっていう現実が怖い。なんとかに刃物。刃物はすぐにでも取り上げちゃいましょう。

気がついたら成人の日。今年もきっと色々アレコレであっという間に一年が終わりそうな予感。せめて自分だけの小さな世界だけは平安を保つこと。コントロールできるのは自分の小さな世界だけ。そしてそこは聖域。

人類が疫病をコントロール可能となるまでまだ時間が必要だろうけれど、どうやら自分の身は自分で守るしかない模様。

私の今年の目標は

生き抜いて時代の生き証人になる、こと。

疫病がコントロールされたその後の世界を見てみたい、それまで生きていたい。と、強く思う。

何が変わって何が変わらなくて。

何が正義とされ、何が悪とされるのか。

それをこの目で見てみたい。しばらくはそっと、石と共に小さな世界で生きていこう。

今年もよろしくお願いいたします。

9月にPCR検査を受けたこと。

9月の初旬にPCR検査を受けた。陰性だったけど。

熱が出た。37度ちょっとの熱を出すことは年に数回ある。

パッと発熱してゆっくり休んで、はい、おしまい。その時もこのパターンだと思っていた。が、2日経っても熱が引かない。頭痛、関節痛、発熱。味覚はある。

夕方、38.5度まで上がった時流石に覚悟した。役所のHPに番号振られて「女性・感染経路不明」って数日後には載るんだろうな、、、、と。とりあえずリュックに入院セットを詰めて玄関先にセットする。そして市の感染なんとかセンターに電話をする。どのような手順を踏めばいいのかを確認するため。

随分辛そうな声だったのか、夜間救急センターに行くように言われる。我が家から徒歩で15分ほどの距離だ。「タクシーを使ってもいいのか?」と聞くと「まだ感染が確認されてた訳ではないので大丈夫です」とのこと。38度を超えて徒歩は辛すぎる。でもタクシーの運転手さんに申し訳なさすぎる、、、と徒歩で向かうことにする。

全くもって足取りが重い。後ろから来る人にどんどん抜かされていく。途中休憩を入れながら30分かけてセンターに到着。熱測って、聴診器当てておしまい。胸部レントゲンも血液検査もなし。ここでもPCR検査はできるが、病院の紹介状が必要とのこと。明日一番近い内科を受診すること。そして1日分の抗生剤と解熱剤をもらう。

真夜中になると、熱は40度を超える。解熱剤で一旦楽になるが、朝にはまた40度。

熱出過ぎて震えが止まらない。思考力なし。ただ、病院に行かなくては死んでしまう。とにかく病院に行かなくては。実はこの春に知人がコロナで亡くなっている。毎日のように感染者数や死亡数がネットに流れてくる。その数字は私の知らない人、どこか遠くの人。でもいざ「知っている人」がその数の中に含まれている現実を突きつけれると「本当に、怖い」と初めて実感する。

近くのクリニックに行くと、高熱過ぎてここでは対処できないとのことで大きな病院に紹介状を持って行くように、と言われる。私は甲状腺の病気を持っていて、専門の病院に定期的に通っている。本来ならその掛り付けの病院に行って紹介状を書いてもらうべきらしいが、そうも言っていられない40度超えの発熱。すぐに紹介状をもらい、タクシーで総合病院に行く。

総合病院の普段の入り口の脇に、「紹介状をお持ちの発熱のある方専用」の入り口が新設されている。要するにコロナ専用入り口。保険証を渡すのは、手渡しでなくビニール袋に入れて渡す。カルテを作ってもらい、防護服を着た職員の方に案内され裏階段を通り、やっつけで新設された発熱外来へ。看護師さんが3人、防護服を着て待機している。テレビとかで見る、あの防護服。実際に見ると、迫力がある。足元は何重にも靴カバーを装着している。なんだか着ぐるみみたいだな。実際に防護服姿を見ると、これを着て仕事に当たるって、相当なストレスだと思う。途中トイレとか行きたくなったらどうするんだろう?お昼時間になったら全て脱いで、食事して、またあの防護服を着るのか、、、、医療従事者には本当に頭が下がる。

問診と血液検査と胸部レントゲン、鼻の粘膜採取が始まる。両鼻に綿棒をそれぞれ突っ込まれたから、コロナ用とインフル用なのかな?「やっと検査をして貰える」安堵で泣きたくなった。救急センターも、朝イチで行ったクリニックでも検査はしてなかったから。PCR検査の結果は1時間で出るとのことで、待合室(と言う名の廊下)で待つ。

途中、追加の検査とのことで、いつもと違う血液検査と中間尿の検査をする。両腕からの採血。採血の前にイソジンで念入りに消毒をする。結構な量の採血だった。

しばらくして診察室に通され、初めてドクターとご対面。コロナ、陰性。でも100パーセント陰性とは言い切れないとのこと。抗生剤と解熱剤をもらい、血液検査の結果が出る4日後に再診に来てください、とのこと。お会計は再診の後でよいとの事。

流石に帰りはタクシーを使う。「運転手さん!コロナ検査陰性でしたけど、念のため窓全開にしてください!」朝飲んだ解熱剤が切れて、この時既に40度の熱があるのに、そんなこと言えた自分がすごいと思う。

帰宅し、抗生剤を飲んで、とにかく寝る。2回ほど抗生剤を飲んだ後、熱が少しずつ下がってきた。「抗生剤が効いている。本当にコロナは陰性だったんだな」安堵の眠りにつく。

再診時にドクターが「何かに感染した。感染経路は不明。だけど抗生剤が効いたからオッケー」再診時の血液検査、胸部レントゲンも「歳の割には」全く問題なし、完治。

春からずっと自宅にいる。都会にだって出かけていない。それでも「何か」に感染した。その「何か」はたまたまコロナでなかっただけ。こうやってコロナに感染するんだな、と擬似体験をした感じだった。

私は今、神奈川の横須賀市に住んでいる。同じ神奈川でもなかなかPCR検査を受けることができない、と言う話も聞く。私の住んでいる市が「町医者で紹介状をもらって指定の病院に行く」というシンプルなシステムなのかもしれない。でも検査の受けにくさはやはり人口の多さに比例するのではないか、と思う。

私の身内には医療従事者が数名いて、現場の大変さは本当によくわかる。輪をかけてこのコロナ禍の時代。普通の人だって、コロナ、怖い。でも医療従事者は知識がある故、その怖さを本当に知っていると思う。そして職場は最前線。使命感が恐怖を押し除け、毎日現場に立つんだろうか?最大級の敬意を医療従事者に。そして国は最前線に立つ人たちに特別な給付金をあげなきゃいけないと思う。オリンピック開催なんて、寝ぼけたこと言ってないで。

結局コロナではなかった9月のお話。これからの季節、身近に感じてしまうことも出てくると思う。罹らないに越したことはないし、こんな時代に発熱なんてしたくない、普通の風邪でも。

「あの時代を生き抜いた」

いつか、そんな風に振り返る時がくるのかな。多分、くると思う。だから、皆さん、生き抜こうね、この時代を。生き抜いた後に多分、違う時代に突入しているんだと思う。時代が変わり、世界も変わる。だから、生き抜こう。

習慣を変えること

芽キャベツのスパイス炒めを翌朝、    スープに投入。ピリッとしたスープの完成。

軌道修正モードに入ったな、、、と感じる2020年もあと2週間。

今年、私は何をしてきたのだろう?と振り返ると色々な習慣を自分の意思で変えて行った。環境を変えずに習慣を変えることってできるんだ、この私に。新しい発見だった。加えて習慣を変え、新しい習慣を追加していくことで「心の在り方」のようなものが少しづつ変化していく。世界中を巻き込んだ激動の年に小さな私の世界が変わったことを忘れないようにここに記していこうと思う。(長文になりそう)

  • 朝型の生活

一番大きな習慣の変化は、朝型の生活に変えたこと。自分は夜型の人間だと思っていた。人が寝静まる頃に集中力が高まり、物作りをするタイプだった。視力の低下とともに夜、どんなに立派なLEDライトを付けても細かい作業が困難になり、特にマクラメで濃い色のコードで編むのが辛くなってきた。パソコン作業も然り。思い切って朝の6時起床、自然光のもとで作業をするという生活にシフトした。深夜遅くまで(時には夜明けまで)作業をし、寝る。予定があってもギリギリまで寝ている、、、それがいつもの生活パターンだった。 この朝型の生活にシフトしたことで、芋づる式に私の小さな世界が変化していった。

  • とにかく朝が暇なので瞑想をしよう

外出の予定もないのに朝早起きをする。朝の時間帯が暇になった。丁寧に朝食を作りキッチンの窓から見える水平線を眺める。幸せだな、と感じる、、、、これは休日のパターンだった。が、春からこれが休日ではなく、日常となった。ゆっくりと流れる時間なのだけど「なんか、暇だな」と思ってしまう自分がいて、暇なら瞑想でもしようか、ということになった。

もう10年ほど、どんなにギリギリまで寝ていて時間がなくとも1日の始まりにマントラを唱える、という行為だけは継続していた。10分も掛からない朝の儀式だ。これくらいは私にだってできる。が、瞑想となると「期間限定」の行為だった。決して日常的なことでなかった。

例えばインドでアシュラムに滞在している「期間」、スケジュールに沿って瞑想をする。日本の生活においても感情の乱れが生じた時に「一定の期間」瞑想をする。じっくりと考え事をする時、何かを決断しなければならない時に瞑想をする、と言ったように。

瞑想は深くなるに従って時間の感覚がなくなる。時間って伸びたり縮んだりするんだな、と思えるほどに。試しにタイマーをかけてみる。(本当に暇なんだな、私)実験的でもありまた、その日に予定が入っていた場合、遅刻をしないように。なんと言っても時間は伸び縮みするものだから。

少しづつ、瞑想時間を伸ばしていく。足が痺れてくるのは20分経過したとき。絶対的集中力は30分続く。以前知り合った僧侶の方は、「瞑想がノッてくるのは1時間を過ぎたあたり」と言っていたのにはびっくりした。

瞑想をしたことがある人にはわかると思うけど、とにかく人というのは、無意識の中で様々なことを考えている。その「考え」や「気持ち」というものが「やってきた」ことを認識できるのが瞑想。たいしたことない頭でこれだけたくさんのこと考えていたら、そりゃ疲れるよな、心も病むよな、と思う。

効果があるかどうかわからないけど、日常的に瞑想。朝が暇だから。

数ヶ月過ぎた頃にふと気づく。不安や悩み、恐怖、苦しい思いが心の表面で留まって、心の奥底まで到達せず私を支配をしていないことを。悩み癖のある私には信じられなかった。逆にもう少し真剣に悩んだ方がいいのではないか?と思ってしまうほどだ。

  • 先延ばしにしていた「やる事リスト」を実行する

不安で行動を取れないことって誰しもあると思う。いや、それにさえ気づかず、「面倒だな」と言う言葉で片付けていた私。行動に移せないことのほとんどが恐怖や不安からだったことに気づく。

怖がっている自分を認める。でもその恐怖は私の心の表面に漂っているだけで、本当の私自身は恐怖を感じていない。そんなある日、お客様からの依頼である石の撮影をしていた時のこと。「怖くない。また前に進める」そんな言葉がふと湧き上がる。その日から片っ端からここ数年間「時間がある時にやろう(面倒だから)」と心の隅に置いていたものをリストアップし行動に移した。本当に些細なことも含めて。これをこなし始めた時から何故だかしばらくぶりの友人から連絡が来るようになる。そして「ちょっとした行動」を取った縁で、新しい人間関係も生まれてきた。半年が過ぎて今、はっきりとわかる。

「面倒くさい」は捨て台詞。この言葉を発した時点で道が閉ざされ何処へも行けなくなる

  • 私の生活にやってきた猫

猫たちについては以前のブログ「猫のことで記したのだけど、猫いうご近所さんとのコミュニケーションが始まった。朝起きて、窓を開けると顔なじみの猫たちがやってくる。「おはよう」猫たちに挨拶をする(これがその日の中で唯一、発した言葉だった日もある)仕事をしていて煮詰まると、窓を開ける。猫たちがまたやってくる、、、、毎日がその繰り返し。人間から虐められたことがないのか、ご近所さん猫たちは全く威嚇をしない。車も入ってこれないちょっとした山道を上り切った高台のため、交通事故の心配もないし、空き家もあるし野良が生活しやすい環境であることは間違いなし。

正確に言えば「餌ちょうだい」で、毎朝私の家前に来ることはわかっているんだけどね。

「おねだりするけどお触りダメよ。猫はキャバ嬢と一緒」 そうだよね、わかっているけど猫にはやっぱり魔力がある。犬派だったはずの私がいつの間にか猫たちとの間にちょっとしたコミュニケーションが生まれた。捕獲をして手術をして戻ってきても翌朝、ちゃんと「餌ちょうだい」とやってくる。今しばらくこの関係が続くといいな、と思う。

  • 基礎から学び直す
フラワーブレス。パーツを取り寄せ中でサイトにまだ掲載できませんが、完成次第ご案内予定です。

マクラメ作業も「いつかしっかり基礎を学び直したい」とは思っていた。そして時間がかかりそうな作品は、「いつか時間のある時に」と先送りしていた。写真の作品がその一つ。誰しも、どんな事でも人は「基礎」から始める。ある程度作品が作れるようになって再び基礎に戻ると、その奥深さを思い知る。現在、「思い知る」の日々を過ごしている。

指の怪我と後遺症もあって、しばらく編み込む作業が疎かになっていたけれど、また「この世界」に戻ってくることができた。ものを作り出す集中力と動く指先。そのことが何よりも嬉しい。

以上が春ごろから私がの小さな世界で起こった習慣の変化。コロナの影響もあって変わらざる得ないこともいくつかあった。自分自身の事柄に対しては「コロナのせいで」と言う言葉をあまり使いたくない。多くの人と同じように経済面でも打撃を受けたのは確かなんだけど、私の経済は停滞した代わりに「時間」と言うものを沢山手にすることができた。不安がない、と言えば嘘になる。だけど今はこの与えられた時間を自分のために使うことに集中しようと思っている。

新商品のご紹介

ラリマーペンダント1

https://tigressyogi.com/?pid=155703927

ラリマーペンダント2
https://tigressyogi.com/?pid=155714633

水面に漂う紋様。ラリマー特有の美しさです。今回は穴あきカボションにバチカン部分に繊細な装飾を施しました。フレームのないナチュラルな仕上がりです。

夜空で見つけた星

https://tigressyogi.com/?pid=155714697

ゴールドのように輝くイエローラブラドライトのペンダント。美しい星たちが輝く冬の夜空。夜空の色、ネイビーカラーのコードで仕上げました。

余談になりますが、ある瞑想法で「頭上に黄金の光が降り注ぎ全身がその光に包まれる」を、イメージするものがあります。このイエローラブラドライトはまさに黄金の光。このペンダントを作成している期間、毎朝の瞑想でこのイエローラブラドライトを思い描いていました。

猫のこと。

今の家に引っ越してきた時、放し飼いの猫たちがいるんだな、とは思っていた。

春からの外出自粛の中で昼間に在宅している時間が大幅に増えてきて、猫観察の日々が始まる。朝、窓を開けると、猫たちがやってくる。

「おはよう」

猫に向かって挨拶したその一言がその日唯一発した言葉だった、なんて日も多々あった。やってくる猫たちを観察し(もしかしたら私が観察されているのかもしれない)ふと猫たちに癒されてている自分を発見。マスコミがコロナの恐怖を煽っている中、テレビを持っていない私でもやはり「目に見えないもの」への恐怖に押しつぶされそうになってくる。猫にとってはコロナも失業率も倒産も全く無縁のこと。

私も、猫になりたい。本気でそう思った。

しかし。日々の食糧にありつけるかもわからない野良猫たち。一見優雅に日向ぼっこしているけれど、生きると言う意味では日々サバイバルだ。猫たちからしてみれば、「呑気に羨ましかってるんじゃないよ!」だ。

何匹もいる猫たちの中でなぜか首輪をしている子が一匹混じっている。飼い猫が野良たちと共存しているのだな、と思っていたら。少しづつお互いの距離が縮まり、その猫は首輪をしているのではなくパイプの金具のようなものを被っていて、抜けなくなっていたことを知る。

「慣らしてどうにか金具を取ってあげることはできないか?」まだ若い猫でこれから体はもっと大きくなる。首に食い込んでしまったら大変。

友人を通し動物愛護団体に連絡。この通称「首輪ちゃん」のレスキューのためにボランティアの方々が動き始めてくれた。私の認識よりはるかに多い不妊・去勢手術をしてない野良猫が、私の近所にいることを知る。知らなかった、私、猫の村に住んでいるだ、、、、

猫たちをレスキューしてくれる愛護団体の方達に少しでもお役に立てれば、と首輪ちゃん捕獲を私も手伝うことになった。「ボランティア」と言うものに無縁だった私だけど、これはささくれ立った私を癒してくれた猫たちへの恩返し、だ。

今も首輪ちゃん捕獲作戦は継続中だけど、その中で知り合ったレスキューボランティアの方々、そして「野良猫のために」と通常より安い料金で手術を引き受けてくださる動物病院の医師たちには、本当に頭が下がる思いだ。

善意。時間に追われる日々を過ごしていると、なかなか気がつかない。想像する以上に無償の善意が私たちの生活を支えてくれているのではないか?と思えてくる。

共存できたらいいな、と思う。

インドのように野良の牛も猿も犬も猫も、自分たちの生活の一部となるような、共存。お互いに、迷惑被ることがあっても共存。排除することなく、共に生きること。嫌いな上司や同僚と日々一緒に仕事して共存しているんだから、動物たちと共存できないはずがないし、ごく自然なことではないか?と私は思う

■追記■

首輪の猫は、11月5日に捕獲され、首輪も外され、去勢手術も無事完了しました。男の子でした。