クリスタルと共に時を過ごしてきたこと

初めて出会ったクリスタルについては以前、ブログにも記した。(クリスタルとの出会い)
随分と昔のことだけど、昨日のことのように覚えている。
でも、なんでそのクリスタルを飽きずに、ずっと共に時を過ごしてくることができたんだろう?
もちろん、美しい。
それは私の心を離さなかったのは事実。
そしてネパールという国でヒマラヤクリスタルと出会って
それをめぐる様々な人たちとの出会いが私をここまで運んでくれた。
そして、今こうやってお仕事にまでしている。

でもそれだけかな?

「なんで、こんなにも飽きずにクリスタルと一緒にいるのだろう?」

そばにいるのが当たり前の時間が過ぎて行き、今頃になってそんな素朴な疑問が沸いてくる。

実は、帰国してからずっとそのことを考えていた。
ある日、ふと心に沸いて来た言葉。それは

「美しくもあり、変化をしないこと」というシンプルなものだった。

厳密に言えばクリスタルだって割れてしまえば形が変化する。
ものによっては変色をするアメジストのような石だってある。
そしてあるとき今まで「見えなかった」光や形を認識することもある。

それでも大事に扱っていれば、孫の代までそれを受け継ぐことだって可能。
私が死んでしまっても、、、、そのクリスタルは「そこにある」。

変化しないもの、変わらないもの。

人間は成長、老化という形で変化を遂げる。
その内側にある思いや感情さえも、一瞬のうちに変わることがある。
そして世の中の流行や世論だって時と共に変化する。
常識だって時代とともに変化する。

その変化というものをエキサイティングで楽しむこともできる。
なんにも変化のない人生なんて、つまらないではないか?と。

そんな変化を成し遂げていく世界で、
私はなにか「絶対的に変わらないもの」を求めていたのだと思う。
これだけいろいろな場所を旅して変化を自ら求めている自分が
言うのはなんだかヘンなことなんだけど。

いつ、顔を合わせても変わらないもの。
クリスタルがそれに一番近かったのだと思う。
それは私に安心と安らぎを与えてくれる。ついでに美しい。
その光で、闇を、私の心の闇を映し出してくれるもの。
その光で、闇を、光の世界に変容させてくれるもの。
地中深くで育った「それ」が、地上に現れた。
そんな役割を持ってるのではないか?と。

そして
多分、恐らく、私自身、そして人々の内側にも
クリスタルのように「絶対に変わらないもの」が存在するのだと思う。
多分、それはクリスタルより更に不変なもの。
でも、私を含めて多くの人はそれに触れることができないでいる。
触れなくてもいいものなのかもしれない。
「存在する」ことさえ意識していれば。
飽きることなくクリスタルと共に過ごしてこれたこと。
一時的に依存しそうになって一線を引いて接していた時期もある。
このまま飽きて、他の趣味に移ってしまうのかなぁ、、、なんて
感じたりもしたのだけど、依存しそうな自分を建て直し
真正面からクリスタルと向き合ったとき、やっぱり私はこの存在とともに
過ごしていきたい、と痛感した。

おい、クリスタル。
私の内側にもうひとつのクリスタルがあるのか??
もしあるならば、それに触れてみたい。いつかは。

投稿者:

tigressyogi

1969年冬・東京に生まれる 世界放浪中にクリスタルの美しさに心を奪われ クリスタルショップ Tigress Yogi を立ち上げる 筋金入りの偏頭痛持ちだか、日本を離れるとなぜか頭痛は消える 米国クリスタルアカデミーIntermediateコース終了 出没地:インド、ネパールその他山岳地帯

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