蚊の攻撃をかわしながら世界(大きな世界)と小さな世界(私だけの世界)で
起こっていること、変わろうとしていることを、ボーと考える。
パリで起こったこと、シリアでは毎日起きているんだよな。
私がもし、その地で生まれ育ったなら、
危険な海を渡ってでも、厳しい寒さのヨーロッパを徒歩であっても国境を越えると思う。
迎え入れてくれるであろう異国の、国境に向かってひたすら歩くと思う。
雨季の雨のような爆弾投下に日々さらされるくらいなら。
海を眺めながら、ふと、すでに大戦は始まっているのではないか?思いがよぎる。
極東の、小さな島国にいると実感できないだけであって。
誰か、復讐をしないという勇気を持つ、リーダーっていないんだろうか?
私の、ささやかな小さな世界では、ひたすら指先を動かす日々。
このささやかな世界があるから、私は日々生きていけるのだと思う。
いつの日か。
戦争と差別がなくなって、『戦争』『差別』という言葉さえもなくなって
『昔の本を読んでたら、「センソウ」「サベツ」って言葉が出てきたの。
辞書に載っていないんだけど、お母さん、どういう意味?』
子供が、親にそんな質問ができる日が来て欲しいと思う。
そんなの、現実的に不可能だ、と鼻で笑われるかもしれないけど、
理想は高く掲げておいたほうがいい。
憎しみのスパイラルのために命を落としていった魂のために
祈りを捧げる日々。