オーダー作品より:あともう少し

  

ブルーのグラデーションに差し色のイエロー。

小粒ながらも力強いラブラドライト 。

「青い石を身につけたくなった」

、、、と、言うことで、何種類もの「青い石」から

チョイスされたのが、このラブラドライト。
この作品のあと次のお客様のブレスレットのオーダー作品に取り掛かります。

そのブレスレットに選ばれたのも、ラブラドライト。
なにか、時代の石なのかな??

私自身もここ数ヶ月の間、

ほぼ毎日ラブラドライトを身につけています。

心がしっかりと落ち着いていられるから。

、、、、多分、そんな理由からなんだと思う。

2015年、女神の石

9夜の女神の祭典 ナヴァラトリーが今年も始まりました。

今年は、セルフヒールドクリスタルとホワイトラブラドライト(通称:ムーンストーン)のカボションのセット。

http://tigressyogi.com/?pid=94481235

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ホワイトラブラドライトは、コードの色をチョイスして頂き、ペンダント仕様にしてお届けします。

金木犀の香りが濃厚に漂い、それが終わりを告げるころ

ナヴァラトリーがやってくるのだな、、、と毎年とても楽しみにしている私。

何かとシフトチェンジの起こるナヴァラトリーの季節が私は大好き。

もちろん、気候もよく、食べ物がおいしい季節でもあるけれど。

9月のスーパームーンを前後して、私の周囲では何かと騒がしく

そし精神的にも肉体的にも辛い思いをしている人、続出。

なにかしら、あの満月が影響しているのだと思う。

そんな私も少なからず影響を受けた。

それは「何かを」通り抜ける過程なのだと思う、好転反応のような。

多分、私の周囲だけではなく、その「外側」でも影響を受けている人、

それが継続している人も結構いるのではないか?と感じる。

今年のナヴァラトリー、女神の恩寵と共に

うまく「何か」を通り抜けられますように、、、そんな願いも込めて

このふたつの石をチョイス。

ガネーシュヒマール産のクリスタルは底辺にも先端を持つ

セルフ・ヒールド(self healed 自己を癒す)クリスタル。

このクリスタルを見るたびに、どんな障害が待ち受けても

成長を続けるクリスタルの力強さにいつも勇気を貰っています。

そしてもう一つは、ホワイトラブラドライト。

この石は神経の高ぶりをクールダウンさせるのに適した石。

そして精神的ダメージを受けたときに、人はなぜかこの石を選ぶ。

私自身も、弱りすぎてクリアクォーツさえ持つのが辛いとき

このホワイトラブラドライトだけはなぜか身に付けることができる。

 

九夜の、女神の夜に。jay durga jay.

アグラーそしてバラナシ2010/01/29 17:32:57

妹子を連れての旅も後半に来ています。
27日の早朝にアグラーに着いてタジマハールを見て
その日の夜行列車でバラナシに到着。

タジマハール、インドで一番高い入場料なんですって!1500円。
妹子はもちろんのこと、私も始めてのタジマハールなんだけど、
ふたりして白亜の墓を見てもなんだかテンションあがらず。
1時間もしない間に、もういいか、タジマハール、、、、と言う感じ。

「タジマハール観ているよりも、そこらへんのインド人見てるほうが
よぽど面白いよねっ」

この旅一番の名言を吐く妹子。

、、、あんたが見たいって言ったんじゃん、タジマハール。
だから、来たんじゃん、タジマハール。

イン:ドで一番の名所にちっとも感動しない姉妹。私の感想:写真で見るとと、まったく一緒だねっ。
  インドで一番の名所にちっとも感動しない姉妹。私の感想:写真で見るとと、まったく一緒だねっ。15分もいれば充分。(注:個人的な感想です)

 

 
アグラで時間があまりすぎたので、マトゥラーに行く。
クリシュナ生誕の地。聖地です。
ここで今回初のインド人と喧嘩となる。
有名なババだかなんだか知らないけど、お金の話ばかりでプッツリ切れる私。

日本でもどこの国でもスピリチュアルビジネスって盛んだけど、
本家本元って、インドなんじゃないか??とこのババとの喧嘩で思った。
スピリチュアルビジネスが悪いわけではない。
ただ、聖者や僧侶のふりして「結局はビジネスマン」ってのがどうなのよ??と思う。

マトゥラー、ブリターバン自体はとてもいい土地でした。
外国人相手のお店もなく、バラナシのような迷路の入り組んだ町。
細い路地から幼いクリシュナがひょっこり飛び出してきてもおかしくない、
そんな特別な(聖地だから当たり前か)が空気が流れている空間でした。

この街、インドでも有数の磁場がおかしい土地だよ。

インド自体の磁場もおかしいけど、ここ、背筋がゾクゾクするほどおかしい。

 

 

プシュカルの続き2010/01/23 20:32:24

どうもインドを旅するとなると、話題がどうしても牛の糞か自分の糞の話になりがち。

そんなわけで今回も下痢話となりますので、気分を害さない人だけ読んでください。

妹子が今朝から再び腸内洗浄という名の下りっ腹。
私も少々、下ってマス。、、、、なんだかこれって究極デトックスなのでは?と思えてしまうほど、腸内洗浄に励んでおります。

でも、日本の病院に入ったら間違いなくカルテに
細菌性大腸炎って書かれるでしょう、、、、

妹子、額が痛いらしく「なんかここにオデキでもできてない?」と指差す箇所は、
あら、いやだわ、そこって第三の眼じゃない。
腫れてもいないし、赤くもなっていないけど、痛むらしい、、、、、、

そのうち、そこからもウンコ噴出すんじゃないの????

マーライオンみたいにさ。

ここはインドなんだから、そのくらいのミラクルが起きてもおかしくない。
誰も、素敵とか、うらやましい、とか言ってくれないと思うけど。

糞話終了

聖地プシュカルはたくさんのババが路上で寝ております。
夜になると、焚き火なんてたいちゃって、できることならその灯に当たってみたいな、、、、といつもそばを通り過ぎるときに思う。
牛も。犬も。サルも路上に寝ています。
ラクダがゆっくりと歩いています。

聖地プシュカル。沈没地プシュカル。

明日はぐるっと湖の周りのガートをふらふら歩いてみようと思います。

プシュカル、プシュカル2010/01/22 19:35:46

何で今まで来なかったんだろう?プシュカル。
バラナシが混沌とした聖地なら、ここはさわやかな風が吹く聖地。
今は乾季で湖が干上がっているのは残念だけど、それにしても
穏やかな聖地。

この土地は聖なる湖から半径数キロの範囲では、肉魚卵を食べることのできない聖地。
リシュケシュと同じですね。

メインの通りはネパールのタメルと良く似ている。
きっと昔はこんなに外国人が来てなくて、もっともっと
質素なインド人のためだけの聖地だったんだろうな、、、、

上ること30分の山の上のお寺に行ってきました。
ご本尊をお参りして降りようとしたら、端っこにドゥルガーが祭られていた。

昨日この地に来て初めてみたこの山、「ああ、私、この山に会いにきたんだ!」と感じたのだけど、
まさかドゥルガーも祭られているとはね。

シャンティーな聖地です。
しばらくこの風に吹かれます。

旅の連れ2010/01/20 17:14:50

基本的には人と一緒に旅するのが苦手な私。旅するときくらいは勝手気ままに、予定を決めずに旅したい、、、、そんな私が
今回最初の3週間だけ、一緒に旅することになったのは、妹。(妹子と呼ぶことにします。)
年末に仕事をやめた妹子。私のインド行きを知ると、いいなぁ、、、、行きたいなぁ、、、と、暗に連れて行ってよ!という独り言を言い始めた。
昨年から何かと恩着ることがあったので、じゃぁいいよ、全行程はだめだけど、最初の数週間なら、、、、、と、妹子と旅をすることに。
初インド、英語はなぜず、個人旅行は未経験、、、、彼女はどんな反応を示すのだろうか?このインドで。
それが、ちょっと楽しみだった私。

お約束通り飛行機が1時間遅れてデリーに夜の9時に到着。
空港から宿までのタクシー移動、宿周辺をプラプラと散歩、、、、
到着してほんの数時間の間で、街を闊歩する牛、象、野良犬、、、、
すべてがなんなんだ、これはっ!の世界に、えらく興奮したよう。
長時間のフライトで疲れているはずなのに、能みそからはアドレナリンらしき分泌物が放出しているらしく、眠れない妹子。
最初のデリーの晩は、睡眠薬を飲んで就寝。

デリー到着2日で、二人して、インド洗礼水下痢にかかる。
私は発熱下痢で済んだけど、妹子は嘔吐を伴う三重苦。
原因は昨晩食べたターリー(定食)。

原因と思われるターリー。 おいしかったんだけどね。
原因と思われるターリー。
おいしかったんだけどね。

 

地元民も並んで食べている店だったので、大丈夫かと思ったのだけど、どうやらインド2日目の人間には無理だったのかも。

丸々24時間で症状も収まり、その日の晩はウダイプルに移動。
病み上がりで夜行列車も大変だと思うけど、
すべてのことが初めての体験らしく、現在1週間目で、
きっと体疲れているのだろうけど、楽しさのほうが上回るらしく
文句もなく、旅を続けてます。

そんなわけで明日は聖地プシュカルに移動します。

そんなわけでただいまデリー。2010/01/16 16:31:07

昨日、南インドでは皆既日食でテレビとニュースではその話題で持ちきりでした。

■ニューデリープチ情報■

デリーの最難関、インデラガンジー空港のプリペイドタクシーカウンターが変更になってます。
今までは出口を出て右手にあったカウンターは閉鎖しており、
右手に行くと、小さな箱店がいくつかあり、一番最後の箱店のようなのが、プリペイドタクシーのカウンターです。
魔のインデラガンジー空港なので、”タクシーカウンターは変更になった’と言われても信じられないでしょうが、
本当に変更になってます。ガイドブックの空港見取り図と異なりますので、パニックに陥らないでね。プリペイドタクシー代250ルピーは同じです。

大した用事もないのに、3日間もデリーに滞在していまった、、、
2日目にしてインドの洗礼、水下痢発熱に遭遇。
まる1日、ベットとトイレの往復なり。

ニューデリー駅で、ババ(遊行者?)に声をかけられる。
ヒンディー語わからないのに、話かけてくる。
どうやら、クンブメーラに行きたいけどお金がないので、100ルピーちょうだい、、、、ってことらしい。
10ルピーだけあげた。
あとになって考えれば、100ルピー(200円ちょっと)あげても良かったかな、、、、と思った。
クンブメーラに行きたいってのが、ちょっとだけ心に響いたぞ。
バクシーシとしては高額だけど。
本当にクンブメーラに行くのかなぁ、、、、携帯のパケット代とかの支払いに使っちゃうんじゃないかなぁ、、、
今となっては本当はどうなのよ??って感じだけど。

それにしてもあれだけ広大なニューデリー駅で、なぜ私に声をかける?ババよ。
少々やみあがりで、乱文となってますが、こんな感じで少しずつ書いて行きます。

犬のいない生活2009/11/27 17:52:27

我が家の老犬がこの世を去り、(当たり前だけど)犬のいない生活が始まりました。

14年前、うろうろ世界を旅して1年後に帰国したら、
実家にぬいぐるみのような仔犬が家族に愛想を振りまき私より立派な「家族の一員」になっていた。

数年前から痴呆が始まり徐々に、徐々に進行していった。
いつまでたっても子供っぽいしぐさが抜けない、5キロも満たない小型犬。
それが「痴呆症」だなんて、理屈ではわかっていても「納得」できなかった。

とにかく私の母がひとり息子を育てるかのように可愛がり、愛情を掛けていたタロウ。

昨年末、母が病に倒れ、余命宣告されたとき母は言った言葉は
「タロウより、私が先に逝っちゃうわけ?」だった。

母がこの世を去り、今度は老犬の介護が始まった。
本当に、、、、誰もが、そして母本人も、タロウを看取るのは母だと思っていたのに、
タロウの介護と看取りは、私に引き継がれた。

人間の介護と同様に犬の介護も大変な仕事。
この先、何年この生活が続くのだろうか?時が経つにつれて外出さえもままならなくなってきた。

体調のいいときはお散歩に出て介護用のハーネスを付けてヨタヨタと歩いていたタロウ。

亡くなる一週間ほど前からは、お散歩に出ても必ず一軒の家のドアの前で
しゃがみ込んで動かない。まっすぐドアに顔を向けて、人が出てくるのを待っている。
仔犬のころから、ずっと可愛がってくれてたご近所さんのドアの前に。
今から思うと、タロウ本人もわかっていたのかな。
最後の挨拶をしていたのかもしれない。

わかりきったことだけど、介護生活はいつかは終わる。
この先、何年も続くことではないことも、徐々に衰弱していくその身体をみていて、わかっていたはず。

それでも、「そのとき」がやってきた時は、頭が真っ白になった。
数日間の記憶がいまいち、思い出せない。
頭にくるほど臭かった(そして、卑怯な)「すかしっぺ」のにおいさえも今となっては愛おしい。
手間隙掛かった食事や投薬さえも「もうすることはない」と思うと寂しい。
「明日から、私はなにをしたらいいのだろう??」
老犬に対してなにもすることがなくなってしまって、腑抜けな私。

すべてが終わってしまってからわかる、愛情を掛けることのできる、命が傍らにいてくれたことの有難さ。

ひとつの時代が終わってしまったのだな、、、と感じる今日この頃。

次に、動物と生活をするのはいつになるのだろう?
しっかりと地に足を着け、本当の意味での我が家、「帰る場所」を手に入れたときかな。
、、、、と、言いつつ、来年1月から数ヶ月ほどインド・ネパールに向かいます。
もちろん、ステキなクリスタルたちとの出会いを楽しみにしているのですが、
個人的な「新しい時代」に突入した今、どうしても行きたかった聖地巡礼に
1ヶ月ほど時間を頂こうかと思っています。

老犬タロウのはなし2009/11/01 00:57:05

以前ブログに記した要介護犬タロウ

心配していた夏もなんとか無事に過ごして穏やかな老後を送ってます。

少しづつ、衰えてきているけど、まぁなんとか安定している、、、と思っていたら

昨晩から具合が悪くなって、夜通しの看病。

口の利けない動物はこんなとき「どこが苦しいのか?」と聞くことができない。

ただただ、抱っこして大好きなカロリーメイトを飲ませてあげるしかない。

「朝になったら、病院に行こうね、頑張ろうね。」と声掛けしながら。
三度の食事の世話、投薬、排出物の処理、夜中の徘徊、、、、、、

この生活が半年以上続き、正直私も疲れてきていた。

「この生活、いつまで続くのだろうか?」と。
両手にその小さな老犬の重みを感じながら、ふと「命って暖かいな」と思ったら、

なんだかホロホロと泣けてきた。

半年ほど前に肉親を亡くしそれと前後してタロウの介護が始まって

「犬の介護は大変!今年は介護の年だ!」と思っていたのだけど

「タロウを世話する」というお仕事がなかったら、私どうなっていたのだろう?

肉親を看取り、その後がっくりと「ふぬけ」になってしまっていたかもしれない、、、、

人間の介護だって、犬の介護だって、確かに大変で疲れも出てくるけれど「ふぬけ」にならなかったのは

この老犬がいてくれたからなんだろうな、、、、と今更ながら理解した。
朝方、少し様態が落ち着き、ふたり(犬と私)で少しウトウトと眠る。

午前中に動物病院に行って、点滴をしてもらい帰宅。

寝顔も穏やかなので一安心。

夕方になってむっくりと起き出しドッグフードを勢いよく食べ、その後勢いよく放尿。

「いったい何が起こったのでしょうか?」と言いたげなほど

しっかりとした表情に戻った老犬タロウ。

「介護してあげている」なんて思っていた自分の器の狭さにただただ反省。

暖かな命が、傍らに存在することの有難さをかみ締める10月最後の日。