ネパールの洗礼・下痢 2008/07/13 11:17:47

ここで私がネパールの首都・カトマンドゥでの常宿のご紹介。

タメルという、外国人旅行者の集る特別地区(?)にあるホテルに毎回宿泊。
最初にネパールを訪れたときに泊まったホテルの従業員ふたり(ネパール人)が
独立して始めたホテル。
ホテルの隣りは、銀行で両替をするのにとても便利。
(街の両替屋さんよりレートもいいし、バンクレシートも発行してくれるし)

特に仕入れの場合は10万円単位で両替するので、銀行を出て10秒でホテルに戻れるのは
安全面においてもとてもいい環境。

銀行の隣りはインターネットカフェ。ホテルから15秒。
ホテルの斜向かいは、ミネラルウォーターやタバコを売っている雑貨屋さん。
ホテルの立地条件も本当に中心部にあり、取引先へ行ったり、また
取引先の人が訪ねてくるのにとても便利です。

小さなホテルだけど、レストランもあります。
疲れて帰ってきて、外のレストランに行く元気がないとき、
病気をして、とても外食なんてできそうにないとき、
レストランがホテル内にあるって本当にありがたいことです。

そう、病気をして外食なんてできそうにないとき
ほぼ仕入れが完了して気が抜けたのか、その晩から激しい水下痢と発熱。
お腹がしぶってイタイ、、、ピーーーなのではなく、
トイレに腰掛けたら、自動的にシャーーーー、、、キバル必要なし。
水を飲んだら、5秒後にシャーーーー、、、なのです。

まいったね、、、到着して間もないし、食べ物にはとても気をつけていたはず。
バナナラッシーだってまだ我慢して、チャイしか飲んでいない。
何がこんなに激しい下痢を誘発したんだろう、、、、、

とにかく、水を飲めば飲むほど、出口から出ていく体内水分。
こんな時は、サトウキビジュース、、、、ジュース屋までたどり着く元気なし。
そうだ、あれだ。アジアのどこの薬局でも売っているパウダー。
水に溶かして飲む、ポカリスエットみたいなの。
抗生剤は日本から持ってきているので、それを服用。
でも脱水症状に陥らないためには体内の電解質バランスを整えないといけない。
あのパウダー、なんていう名前だっけ?オーラルなんとかだったはず、、、、
とりあえず朝だし、フロントまで降りよう。
薬を飲むのに、お腹の中になにか入れておかないと。
それに「日本人女性旅行者A、この日まで生存確認」って証拠にもなる。

4階の部屋から、階段で降りるのが辛い、、、、
ここまで弱っちゃうのか?たった一晩で。

「グッドモーニング、元気?」
ホテルのオーナーのひとりを発見。
「昨日から下痢と熱がひどくて、、、こあたりに薬局ってあったっけ?」
「5分くらいのところにあるよ。それより、大丈夫か?」
「ちっとも大丈夫ではありません、、、、、」

彼曰く
「アヤは忙しく動きすぎ。仕事できたのはわかるけど、
たった4日前に、日本を出て、バンコクに一泊してここまで来たんでしょ?
カラダは疲れているのに、ほとんとホテルの部屋にいないじゃないか。
僕たちと殆んどお喋りしていないし」

、、、確かにそうかも。
思っている以上にカラダは疲れているのかも。
それなのに、日本と同じペースで気候の違う国で走り回っていた私はバカかも。

「ま、とりあえず朝食を食べて。それから従業員をひとり、薬局まで案内させるからさ。」

、、、、ありがたい申し出ありがとう。

食欲はないけど、とりあえずヨーグルトを食べる。

食べ物を食べるって、こんなに体力を使うものなのね、、、、
たった茶碗1杯のヨーグルトを食べただけで、ドカンと疲れがでる。

フロント脇の傍でしばし、休憩、、、、

「具合、悪そうね。薬局行くんでしょ?薬を買いに?」
フロントの女性が声を掛けてくる。

「イヤ、薬は日本から持ってきた。ほら、なんだっけ?水で溶かして飲むパウダー。
下痢の時に飲むの、、、、、」

「ああ、◎×■&のこと?それだったら、今買いに行かすから待ってて!」

本当にありがたい、、、、、1袋8ルピー(約12円)

それが、これ

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文字の読めない人(私もネワーリー語が読めないので、そのうちの一人)のために、
イラスト付きの説明も。

1、まずよく手を洗います。
2、コップ5杯分の水を鍋に入れます。
3、その中に1袋のパウダーを投入。
4、幼児にはスプーンで飲ませる。
5、乳児には、、、、なんだ?おっぱい飲ませているイラストなんだけど、、、
お母さんが最初に飲んで、母乳経由で摂取か?違うよね。

早速、水に溶かして一杯飲む。
しょっぱ甘い、健康だったら絶対飲みたくない味。
でも、飲み干してみるとカラダにじんわり水分が吸収されるのがよくわかる。
5秒でトイレ直行、、、、ってことはない。
干からびていたカラダにエネルギーが戻ってきました、、、と言う感じ。

ネパール旅行中にお腹をくだしたら、絶対これ、です。
もちろん、日本からポカリスエット持参もナイス アイディア。
(味はポカリスエットのほうが断然美味しいし)

一杯飲み干して、ベッドで休息。

「トゥルルルルル、、、、」部屋の電話が鳴る。

「ハロー、、、、、」
「体調悪いって聞いたんだけど、大丈夫?」

もうひとりの、ホテルのオーナーからの電話。

「この時期は急に暑くなったり冷えたり、するからネパール人でも体調を崩しやすいんだ。
それに衛生面でも、、、、ほら、日本と全然違うでしょ?
ところで、インド行きのフライト、どうする?明日のフライトなら席を取れるけど、、、、、」

そうだ、仕入れもひと段落したので10日間、インドに行こうと思って
チケットを頼んでいたんだ!!

「明日は、とてもじゃないけど無理。3日後のフライトにして、、、、」

、、、、本当に3日後に治っているのか?この下痢と発熱。

ネパールでの仕入れ 3 2008/07/10 15:15:37

翌日、暴動もなく約束していたお店に行ってクリスタルを見せてもらう。

籠に、箱にいっぱい詰め込まれたクリスタルを選別、、、、
、、、それでも選んだクリスタルはたいした数にはならなかった。

「家においで。もっとたくさんのクリスタルを見せてあげるから。
今からお店を閉めて、ウチに行こう!!」

本当に「もっとたくさんの」クリスタルがあるなら、やっぱり見せてもらいたい。
うん、それじゃ、お言葉に甘えて見せてもらおう。

お兄さんはお店の鍵を閉めてバイクを持ってきた。
あれ?家までは徒歩圏内じゃないの????

「家はここから5キロくらいの場所。さぁ、後ろに乗って!!」

いざ、出発。

タメル(という、外国人観光客の集る地域)を抜けて、どんどんローカル色の強い地域に入っていく。
今まで、まったく足を踏み入れたことのない地域です、、、、

「知らない人に付いて行ってはいけません」

子供のころから親に何度も何度も言われた言葉。そしてちゃんと言いつけを守ってきた私。

私、今、知らない人のバイクの後ろに乗って、知らない人の家に行こうとしているんだけど、、、、
いい歳をして、外国で。

う~ん、大丈夫なんだろうか?私。

15分後に到着した場所は、絶対一人ではたどり着くこのはできない一般ネパール人の住宅街。

「さぁ、さぁ、2階に行って早速クリスタルを見せてあげる」

お姫様が降りてくるような階段を上り、一室に通される。
ダブルベッドだけがポツンとある、棚に少しだけクリスタルのあるお部屋。

、、、、この部屋、ベッドだけしかないんですけど、、、、、
、、、、ドアは開けたままにしておいてほしいなぁ、、、、、

こんな部屋に通されてどうするの?と素朴な疑問が浮ぶ。

「さぁ、さぁ、ゆっくりクリスタルを見てね」と、ベッドカバーをどけてみると、、、、

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本当にクリスタル出現

、、、思わず、「oh! crystal bed !!!」 と叫んでしまった私。
すごい、、、、実はこの部屋だけでなく、隣りの部屋もクリスタルで埋め尽くされていた。

「ねぇ、あなた、この家にあなたのプライベートなお部屋はあるの?」思わず聞いてしまう。
、、、、愚問です。なんたってお屋敷ですから。お部屋はたくさんあります。
これだけの量のクリスタルを持っている商人は普通、卸売りといって
アソート(いろんな質のクリスタル混ぜこぜで1つ1つ選ぶことはできない)で、1キロいくら、、、
それも10キロ以上、、、、そういう売り方をする。(もちろん、1キロ当たりの値段は安くなる)

でも、今回は「好きな石を選んで構わない、最低重量制限なし」という
弱小クリスタル屋である私にはとてもありがたいお言葉を頂く。
そして値段も良心的。

選べ、、、と言ってもこの膨大なクリスタルからチョイスするのは相当な時間が掛りそう
(結局4時間掛った)
隣りの部屋に行ったりきたり、お兄さんにも手伝ってもらってクリスタルの選択を始める。
もちろん、私の心に響く石を、、、、、
今回、小さな、質の良いクリスタルを選んでペンダントトップをオーダーしようと思っていた。
昨日まで、他のクリスタル屋さんで「小さくて、質のよい」ものを探していたけど
なかなか数が揃わなくて困っていた。
が、ここにはいっぱいある。

4時間経過してやっとクリスタルの選別終了。
軽く梱包をして、再びバイクでお店に戻り、梱包を再び解いて目方を量り、
支払いをして、再び、今度は厳重に梱包、、、、我、よく働く。です。

さすがに4時間集中してのクリスタル選びは、疲れる。
でもそれに付き合ってくれたお兄さんには本当に感謝。
普通に卸売りをすれば、こんなに時間を掛けずに商売成立するはずなのに。

私を拾ってくれた神様、本当にありがとう。
たまには「知らない人」に付いていくのもいいかも。

このあと他の店で小さなクリスタルのペンダントトップ加工のオーダーをして、
ついでにジェムストーンを選んで指輪やペンダントトップをオーダーする。

これで今回の仕入れはほぼ終了ってところです。

この日はホテルに戻り、シャワーも浴びず、夕食も取らず、ベッドに倒れこむ。
なんとか予定通りに仕入れが終了して気が抜けたのか、
翌朝から激しい水下痢と発熱に襲われる。

きついぞ、この症状。

でも仕入れが終了してからの発病でよかった、、、と安心する私。

ネパールでの仕入れ 2 2008/07/09 18:54:54

さて、次なる仕入れ先に向おう。

次ぎの仕入れ先はきれいな石もジャンクな石も、混ぜこぜ・宝探しをするように
石をチョイスする(しなければならない)お店。

普通、外国人用にキレイな、グレードの高い石を店主が前もって選別して見せてくれる、、、、
このパターンなんだけど、このお店はそんなプロセス一切なし。
、、、でも時々石コロに混ざって素晴らしい石を発見できる、、、
クリスタル・ハンター冥利につきるお店。

そしてここの店主はネパール人に珍しく、口数の少ない人。
「どこの出身だ」「ネパールは何度目だ?」とかの質問をされたことない。
かと言って、無愛想なわけではない。真剣に石を選んでいる私の傍で
ニコニコしながら「好きなのがあったら持っていってね、、」てな感じで、
ひたすらじーっと、選別作業を眺めている。
交わす会話は
「クリスタル、ある?」「YES」
「これ、いくら?」「◎◎△ルピー」
「ありがとう」、、、、、、こんなもの。
このお店と取引のあるインド人に「とにかく安いから」と連れていってもらったのが最初の来店だけど、
名前すら尋ねられたことがない。

ここで1時間ほどクリスタル選び。
私:「これ、いくら?」
店主:「◎◎△ルピー」
「名刺を渡すね、HPも持っているからさ、、、、」

あ、お兄さん、喋った!!「YES」と「◎◎△ルピー」以外に初めて喋った!
、、、、長年通い詰めるとこんなこともあるのか。
さてさて、まだまだ資金的に余裕があるので次のお店へ、、、、

なんと、つぶれていた、、、そのお店、、、、、
ちゃんと事前にアポイントメントを取らなかった私が悪い。

気を取り直して次ぎのお店、、、、、なぜかシャッターが閉まっている。
2日続けて、午前・午後と訪ねてもシャッターは閉まっている。
とうとう3日目に隣りのお店の人に「このクリスタル屋さん、お休みなの?」と聞いてみる。
「ああ、なんだかよく知らんけど、ずっとシャッターは閉まっているなぁ」

!!!!これにはちょっと困った。
本当に事前にアポイントメントを取るべきだった。
お店が移転したなら新しいお店の住所を教えてもらえるはずだし、
お店を閉めて自宅で卸だけやってます、、、ってパターンだってありうる。
最悪なことに、つぶれたお店も、シャッター閉まりっぱなしのお店も、
店主からもらった名刺を日本に置いてきてしまった。

う~ん、困った、仕入れ予定の半分くらいしか石を集めていない。
どうしよう、、、これでは「仕入れ」にならない、、、、、、

確か、遠い昔に、1度だけ行ったことのあるお店を思い出した。

そこはクリスタル専門店ではないけれど、ショーウィンドウに少しだけ
クリスタルが置いてあって、ふらっと入ったお店。
でも、心に響くクリスタルがなくて、「他にクリスタルある?」と聞いたら
「家に在庫がある。持ってくるから明日またおいで」と言われたお店。
、、、でも翌日からカトマンドゥでバイオレンス・ストライキ----新聞にはそう書いてあったけど
私の視点で見れば、単なる暴動、、、が起きて、結局行かなかったお店。
よし、あのお店に行ってみよう!あまり期待はできないけど、、、、、

「ハロー、クリスタルはあるかな?」
陽気なお兄さんが色々とクリスタルを見せてくれる。
でも正味1時間で選んだクリスタルは数えるほど。

「明日、家から持って来るから明日おいで。でもそれより家に来い。
そうすればたくさんのクリスタルを見せてあげるから、、、、」

いくらなんでも知らない人の家にいきなり行くのはなにかと問題。
その問いかけはさらりとスルーして、明日、再来店すると約束する。
、、、、今回は暴動なんて起こりませんように、、、、、、

捨てる神あれば救う神あり

結局ここのお兄さんが私にとっての「ネパールでの救う神」となってくれた。

 

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野良犬だけど、番犬

近所のいろんなお店でエサを恵んでもらっているけど、
定位置はいつも、このお店の入り口。
一度、お店に早く着すぎてシャッターが開いていなかったので
一緒にお店の人が出社するのを待つことに。

ネパールでの仕入れ 1 2008/07/08 12:23:02

6月12日に久々にネパールにたどり着いた。

早速昔からの付き合いのクリスタル屋さんの家にご挨拶に行く。
このクリスタル屋さんとは10年近くの付き合いで、
初めてネパールに訪れたときに知り合った。
知り合ったと言っても彼のお店を自力で見つけた訳ではなく、
たまたま入り浸っていてインド人経営の宝石屋さんの、ネパール人従業員に連れて行ってもらった。
「そうか、アヤは宝石よりクリスタルの原石が好きなのか。じゃぁ友達を紹介してあげるよ」と。
親の代からネパールクリスタル一筋で商売していること、
「商売としてクリスタルを扱っているけれど、それ以上にクリスタルが大好きでとてもいい奴なんだ、、、、あ、別にうちの店(宝石屋)でお金なんて落とさなくてもいいよ、どうせ、僕がいくら売り上げても歩合制の給料じゃないからさ、ハハハ」、、、、本当にいい人である。本当の本当に親切心丸出し。
辿りついた場所は「お店」とは呼べない作りのお店で、絶対に一人じゃたどり着けなかったような場所。
このクリスタル屋さんにめぐり合わせてくれたネパール人(ゴビンダ、元気にしている?)には今でも本当に感謝をしている。

私はまず、ネパールに来るとまず最初にこのクリスタル屋さんでクリスタルを購入する。
そして足りない分を他のクリスタル屋さんで購入。
、、、そのくらい私の心に響くクリスタルを扱っている。
それにも増して、彼の人柄というかクリスタルに対する姿勢に共感できる数少ないクリスタル仲間のひとりでもある。

早速クリスタルを見せていただく
相変わらず美しいクリスタルを扱っている。
奥の丸いカーペットに置かれているのは10キロ以上の大物クリスタル。
ここでひたすらクリスタル選びに没頭する。
かれこれ2時間で、クリスタル選びは終了。

ネパールで一番美味しいネパール料理を作ってくれる奥さん。
ティーンエイジャーになった息子さん。
、、、時が流れるのは速い。
この息子さん、最初に会ったときはまだまだ子供で、
クリスタルで「兵隊さんごっこ」をしていた。
もうこんなに大きくなっちゃったんだ、、、、数年後、恐らく親の仕事を継いで
立派なクリスタル屋さんになっているんだろうな。

お互い歳を重ねてきたけれど、クリスタルを通しての心の繋がりは変わらない。
商売が成功して豊かになると、人が変わってしまう、、、そんな例をいっぱい見てきた。
でもこの人は昔とちっとも変わらない。、、、白髪が増えただけ。
彼は昨年、古くからのお客さんから招待を受け、ヨーロッパに行ったそう。
ヨーロッパの写真をいっぱい見せてもらう。

「ホラ、こんなに道がきれいなんだ!どうしてなんだ??」

答え:ちゃんとした工事をして、ちゃんとしたメンテナンスを定期的にするから。

「ホラ、道にゴミひとつ落ちていないんだよ、どうしたらこんな状態が保てるんだ!」

答え:決められた日に、決められた場所にゴミを捨てて、決められた日時にゴミを回収するから。
間違っても2階の窓からゴミ箱の中身を、道路に捨てないから。
そして運悪くその下を通る人が、そのゴミを浴びてしまうなんてこと、ないから。

例えば、ヨーロッパではこんなことしないから、、、、、

毎回「なんとかならんかね、この状況」と思う。
美観的な問題もあるけど、とにかく臭いがすごい。ネパール人だってこの前を通るとき、ハンカチとかで口をふさぐ。
、、、、でもこれがないと、野良牛・野良犬(ときに猿)は生きていけない、、、
クリスタル選びも終了して、美味しいネパールご飯を御馳走になって、
ベランダに出てしばし休息。

雨季でどんより曇ったカトマンドゥの空に、一瞬太陽が顔を出す。

 

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オーム・シャンティ・シャンティ・オーム

彼がさりげなくつぶやく。

「やっと戻ってきましたね、あなたの場所に」

再びヒマラヤの地に戻ってきた私への、祝福のような一筋の太陽の光。

オーム・シャンティ・シャンティ・オーム

私もつぶやく。

身体の中で、ものすごいエネルギーが周り始める。
ヒマラヤの地で、浄化が始まることをこのとき、理解する。

Give and Take

先日書いた「不法入国に成功した人」に遭遇した後
ずっと自分の初めてのインド旅行を思い出していた。

初めての一人旅がインド
まったく英語が話せない
情報もインターネットのなかった時代、たよるは某旅行ガイドのみ
まったく無知で、故に怖いもの知らずの勢いだけはあった。
持ち合わせていたのは、ただ「インドに行きたい」という気持ちだけ。
一番やってはいけない「真夜中のデリー空港到着」もした。
お約束通り(?)空港でひと悶着あったが、
金品・命を失うことなし、旅行代理店に連れていかれて高いツアーを組まされる訳でもなく
デリーのホテルで朝を迎えることができた。
翌朝、周りの旅行者に「エライ、よく無事にここまで辿りつけた!」と握手をされた。
何故、そんなに褒められて握手をされるのかがわからない。
無知だったからだ。
日本の安全な世界しか知らなかった私はなにが「あぶない」のかがわからなかった。

道中、随分色々な人に助けられた。
様々な人が手を差し伸べてくれた。
日本人旅行者だけでなく、他国の旅行者、もちろんインドの人々にも。
赤痢で倒れ、入院し動けなくなった私をイギリス人の姉妹がなにかと世話をしてくれた。
限られた時間の旅で、自分達の旅行計画を変更してまで。
心苦しくなった。
与えられっぱなしで、自分はその人達になにも与えることができなかったから。
Give and take ではなくて、ひたすら take take take だった。
勿論、なにかを与えたくとも私にはなにも与えるものなんてなかった。
周りは旅慣れた人ばかりだったし、私の旅情報なんてとっくにみんな知っている。
私が流暢な英語でも話せるなら、言葉で困っている人を助けられるかもしれないが、
見事なほど英語を話せない。
随分と落ち込んだ。「これも人徳ってヤツ?」と開き直れるほど根性も座ってなかった。
落ち込むたびに私の手元にやってきたクリスタルに話かけていた。

そして、ある日、、、というよりある瞬間に閃いた。
「私は手を差し伸べてくれた相手に対して、なにも与えることができなかった。
でも、もしこの先、誰かの助けを必要としている人が目の前に現れたら、
進んで手を差し伸べよう、それで「チャラ」にできるのでなないか?」と。
自己流のgive and take。

今でも道中、まだ旅のコツをつかめなくてオドオドしている人や、
パニックに陥っている旅人に遭うと、
どれだけ心細いのか、どれだけ緊張しているのかが手に取るようにわかる。
怖いもの知らずで、勢いで飛び出してきた昔の自分がそこにいる。
とても素通りすることはできない。

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今読んでいる本にこんな一文がある
「恐れは自分が恐れているものを引き寄せる。泥棒を恐れれば、泥棒はやってくるだろう。
火事を恐れれば、火事の被害者になるだろう。(中略)
悪魔を恐れるなら、悪魔はあなたの中に姿を現すだろう。(中略)
あなたが悪魔から逃げている間中、それはあなたの影のようにあなたについて回るだろう」
Luc Bourgault著「american Indian secrets of crystal healing」 page47 “aquamarine”

無知で怖いもの知らずだった私。
それ故に良き出会いに恵まれ、旅をすることができたのかもしれない。もしかすると。

今現在はどうか?
道中、様々なトラブルを見聞きしてきた。
親しい人間がトラブルに遭遇し、その痛ましい現状を目の当たりにもした。
旅慣れた分「恐れ」が私の中に蓄積された。
正直、昔より構えて旅をすることが増えたような気がする。
それをどのように打ち破っていくかがこれからの課題のような気がする。

旅先でのハプニング

色々な国を旅していると様々なハプニングがつきものです。
それを旅人同士「こんな目にあった」「あんな目にあった」と
酒の肴に笑い飛ばすひと時もまた楽しいもの。
また、日本ではなかなかお会いできないような人格者に出会えるのも旅ならでは。
私も10年近くインドに通わせていただいているので、多少のネタは持ち合わせている。
インドで出会った「久々の大ヒット」のお話。

それはインド・デリー空港での出国時のこと。
出国手続きの為に長い列に並んでやっと私の番がきた。
無事スタンプを押してもらい、ブースを離れようとしたら、
係員に、「英語は喋れるか?前にいる英語の話せない日本人の通訳をしてくれ」と言われた。
その場に行ってみると、初老の日本人男性がひとり。
どうなさったのですか?と聞くと、
「スタンプがないから、、、、飛行機に、、、、係の人がパスポートを持って行った、、、わしにはようわからん」
私にもようわからん。
彼のパスポートを見ながら話合っている係員達を掴まえ、話を聞いてみると、
彼のパスポートにはインドの入国スタンプが押されていない、どうしてなんだ?これでは出国はできない、と言う。入国スタンプがない?なんのことだ?
その男性に聞いてみる。「えーと、4日前にインドに来ましたよね?空港に着いて、荷物を取る前に、こんな感じのパスポートを見せるところがありましたよね?そこで、パスポートを見せた時にスタンプを押してもらいませんでしたか?」
すると、その男性は、「あぁ、確かあった。でも早く荷物を取らなければいけないと思って素通りした。誰にも止められなかったですよ。」!!!!!!

少し説明すると、成田空港の出入国審査場はブースが横一列に並んでいるので、
素通りなんて基本的には不可能ですが、
デリー空港では、ブースが縦二列、それが五つくらい並んでいる。
よって素通りしようと思えば「前のブースで審査を終えた人」のふりをすれば
それも可能と言えば可能。そして係員のほうだってまさか身なりのいい日本人が
入国審査を素通りするとは思わない、、、、だろう。
でもこの方はそれをやってのけた。すごい!

感心してばかりいられない。それって、不法入国?密入国?その由を係員に伝えると、
「彼の入国履歴は我政府に残されていないのだ!このままでは出国できない!」
慌ててどこかに消え去る係員。まさにインド人もびっくり。私だってびっくりだ。
ちっとも慌てていないのは本人だけ。
「明日には所要があって、、、、今日中に日本に帰れますかね?」
そこを動くな、待っていなさい、と言われてしまっては私も一緒になってまっているしかない。しばらくお話の伺っていると、
その男性は仏教遺跡を見たくて、一人で来印。初めての海外旅行。
ツアーでの旅行が日程的に合わなかった為、
旅行会社にプランを作ってもらい、専属ガイド付き、車をチャーターし4日間の旅を終え、帰国するはずたった、、、とのこと。
「インドにもう一泊しないとだめでしょうかね?明日の便になってしまいますかね?」
一泊どこじゃないよ!不法入国者!とは言えず
「日本国籍ですから・・・大丈夫ではないかと・・・」と訳の分からぬことを言ってしまう私。

約30分後、係員が戻ってくる。
よくわからないが、普通の出国スタンプのほかに、
見たことのないスタンプと誰かエライ人のサインがされたパスポートを
男性に渡し、大丈夫、行ってよし、とのこと。よかったよかった。
「本当に助かりました」とお礼にマルボロを一箱いただく。70ルピーもする高級タバコ。
こちらこそありがとう。

チベット医学

チベット医学をご存知でしょうか?
インドのアユルヴェーダと中医学の影響を受けたと言われているチベット医学
これを説明し出すときりがない、、、
というより知識不足のため説明ができないだけなのですが
知識よりも体験、ということで、私が経験したチベット医学をご紹介します。

カトマンドゥで風邪をこじらせた。
ネパールの前に滞在していたインドで「少し風邪気味かな?」と思っていたが、
ネパールに到着して寒さと排気ガスによる空気の悪さで更に悪化した。

発熱はしていなかったが、とにかく咳がひどい。
咳のしすぎで腹筋背筋が筋肉痛だ。
ここ3日間、咳のせいでまともに寝ていない。
気管支の弱い私は慢性気管支炎になってしまうことを恐れていた。
インド製の咳止めシロップを飲んでみたがちっとも咳は止まらない。
いつも旅に出る時には日本製の薬を持っていくのだが
今回だけはなぜかそれを怠った。
弱ったな、じきに肺が破れるのではないか?
そこでネパール在住の知り合いにチベット医学の病院(というか診療所)を紹介してもらった。

チベット人医師の自宅(多分)にある小さな診療所だった。
午後一番の受診だったがチベット人の患者さんが数人受診待ちをしていた。
まずは問診。
症状は?食欲はあるか?下痢はしていなか?などなど一般的な問診のあとに脈をとる。
じーと、集中してひたすら脈を取る。
ふんふん、とうなずいた後、処方箋を書き始めるドクター。
「4日分の薬を出します。4日経っても良くならなければ、また来て下さい」とのこと。
正味5分もなかったと思う。

別棟の医局で処方箋を渡し、薬を貰う。
確か300ルピー(500円弱)支払ったような気がする。
薬代のみで診察料は無料。無料というか、診察代はドネーション(心づけ)ということで
ドネーション・ボックスが置いてある。
どの位心づけをすればいいのかわからず、とりあえず100ルピーほど箱に入れる。
「学生、チベットから着たばかりの方(難民という意味だろう)は無料です」と言う意味のことが書かれている。
勿論、この学生と言うのは外国人学生旅行者のことではない(多分)
現地の学生っていう意味のことだ。
この無料というのは診察代が無料なのか、薬代も無料なのかちょっとよくわからなかった。
(なにか書いてあったが、こっちも体調が悪いので英語を読むのが面倒だった。)
まぁそれにしても、気持ちの良いポリシーだ。

渡された薬は朝昼晩の一日三回服用。
大小様々なウサギのうんこのような丸球。色からしてもうんこだ。
それぞれ微妙に色も違うし、匂いも違う。
草原の香り、、、と表現すれば格好がつくが、ようは草の匂いである。
玉が大きすぎて飲み込めないようなら、砕いて白湯で溶かして飲んでくださいと言われた。
もちろん、こんな大きい玉は飲み込めない。
白湯に溶かしてまずは一回分を服用するが、
とにかくまずい!苦い!青汁以上である。
本当にウサギのうんこだったらどうしよう、もしかした牛かなぁ、と不安が過ぎる。
これを一日三回、4日間も飲み続けると思うと憂鬱だ。
まぁ、効かなかったら今度はちゃんとホスピタルに行けばいいのだし、、、、
さて効果はどうだったか?
これがバッチリ効いたのである。
昼、夜と服用し、床に就いたが、咳がぴったりと止んだ。
その代わり一気に熱がでた。
多分、38度は超えていたと思う。
平熱の低い私は38度を超えると思考能力が止まる。パーになるのである。
「ウサギのうんこってのも役に立つものだなぁ、日本でも試してみよう」と
イカれた頭にはそんなことしか浮かばない。
全身汗だくである。風邪を引いてしまうから着替えよう、(既に風邪は引いているのだか)と、
ズボンを頭から被ろうとする私。なにやっているのだ?
熱にも苦しい熱と心地良い熱がある。
後者の熱というのは「浄化のための熱」(だと自分では思っている)
毒素が体から放出される感覚が伴う発熱。まさに今、その発熱の中にいる。
「ウサギっていうのもは、、、、、すごいなぁ」イカれた頭でウサギに感謝しつつ
ベッドに沈むように、どこまでも深い井戸に落ちていくような感覚の中、深い眠りにつく。

しばらくしてドアのノックの音で目が覚める。
ホテルの従業員がスープを持って立っている。
心配したホテルのオーナーが部屋に届けるように指示したらしい。
真夜中に申し訳ないと思いつつありがたくスープを頂く。
いや、違う。真夜中の2時ではない。今は午後の2時だ。
昨晩は9時に寝た。私は17時間も寝ていたことになる。
既に熱はない。ちょっとフラフラするが体が軽くなっているし咳も出ない。
すごいぞウサギ、ではなくてチベット医学。

その後、めきめきと回復していく。
3日目には「もう苦い薬は飲みたくない」という余裕が出てきた。
アユルヴェーダ、漢方などは即効性はない、と聞く。
しかし、西洋医学の薬を服用してもこんな即効性は期待できない。
たまたま偶然その晩に浄化の熱が始まったのか?
その後もチベット医学にお世話になる機会がないので比較することもできないが、
少なくとも浄化の熱を誘発する作用があったと思う

ウサギのうんこ呼ばわりして申し訳なかったな、と反省。
しかし今でもウサギを見ると「あの時はありがとう」と無意識に感謝してしまう自分いる。

エナジーと繋がる

遠い昔のインドの旅の途中で知り合った、ある人。
移動中のバスの中、眠りに着く前、いつもいつもある一冊の本を読んでいた。

世界中を周り、様々な宗教に触れ、自分の内面を旅して学んできたこの人。
大地と、宇宙と、しっかり繋がっているこの人。

「なんでまだ本を読むの?もう、知識はいっぱい詰め込んでいるし、
自分の中に深く入って行くこともできている。もう、本なんて読む必要がないんじゃないかな?」
それとなく聞いてみる。

「そう、何度も何度もこの本を、暗記するくらいに読んだよ。
だから、新しい知識が欲しくて読んでいるわけではないんだ。わかるかな?
この作品を読んで、この作者のエナジー、思想というエナジーと繋がるために読み返しているんだ。」

それは美しい小説を何度読んでも感動する、っていうのと同じかな?

「う~ん、似ているけど、ちょっと違うかな。」

本の登場人物になりきってしまうこと?

「例えば、敬虔なクリスチャンはいつも聖書を読んでいるよね。
聖書を通して神と繋がるために、”繋がるから”読んでいるんだ。わかる?
ムスリムにとってのコーランだってそうだよね?人にはそれぞれ何かに繋がることができる”聖なる書”があるんじゃないかな。」

、、、、ごめんなさい、ますますわかりません、、、、、、

随分昔に交わした会話。
今、やっとその人が言っていたことが、わかる。

いくつかの本を読んでいると、、、、本の中で本人が直接私に語りかけてくれているような気配を感じる。
ある瞬間、背後にすっと、なにかの気配を感じる。
飛び出す絵本のように、本を開いて読んでいるとその出来事のエナジーが私に向かってくるような感覚。
それは励ましだったり、戒めであったりするのだけれど。

本は知識を得るだけのものではない。
しっかりと、作者の言わんとしている思いに繋がり
自分自身の中で再認識すること。
そんな読書のしかたを発見すると、やっぱり書物ってすごいな、
文字が読めるって便利なことだな。

持ち運んで、好きなときにそのエナジーと繋がることのできる魔法のツール。

新しい本の読み方を学んだ私でした。

山での出来事~ダージリン・シッキム 3~

お返しに、、、という訳ではないけど、今度は私がヤクさんの頭に手を載せてみる。
頭脳明晰な頭の持ち主――― きっと会社なんかではバリバリと仕事をこなすタイプなんだろうな。
ちゃんと地に足を着けることが出来る人なので、
どこにいても自分の心地よい居場所を見つけることができる。
外見も美しいし、なにもしなくとも人が寄ってくるタイプ。特に異性がウヨウヨよって来るタイプ。
旅をしていると、たまにこの手のタイプの人に会う。
別にドロップアウトしなくても実社会でちゃんとやっていけるのになんで?っていう人。
社会不適合者だけがドロップアウトしているわけではないという世の中。不思議。
手を胸の位置に置いてみる。
相当オープンな心の持ち主なので、ハートのチャクラだけは問題なさそうなんだけど、
かすかな「ひずみ」がある。なに?このひずみ?意識を集中してみるとなんだか苦しそうな表情になる。
どうしていいのか分からないので、ここで終了。
「癒しの手を持っているんだね、もっと人のために使わないともったいないよ」
私の手が癒しの手?確かに子供のころから肩揉みはうまいと親戚から褒められていた。
でもただの肩揉みである。
「私の手が癒しの手なら、世の中の人、みんな癒しの手の持ち主なんじゃないかな?」

こんな感じで数日間、ダージリンのドミトリーはヒーリングルームと化した。
不思議なことにやればやるほどお互い感覚が鋭くなっていく。
たとえば相手がほんの一瞬頭によぎった思いがなぜかキャッチできるようになる。
そう、急に「いや、その考えはおかしい!」と「うん、私も今それを考えていた」
言葉を使わない会話が成立してくるのが不思議。
そしてある日ヤクさんが言った言葉。
「ねぇ、あなたのカラダの奥深くに虎がいるんだよ。獰猛でものすごくエネルギッシュな虎。
でもね、今はまだ眠っている。そう、sleeping tiger。」
そんな感じで数日ダージリンで過ごし、もっと先のシッキムまで旅の連れとなる私達。
別々の宿を取っても、なんだか街角で再会したりして「じゃ、山登りにでもいきましょうか?」
「隣村まで行ってみよう」そんな感じで山登りやヒーリングを楽しんでいた。

そんなある日、朝起きた瞬間に「山を降りなさい、もう目的は達成されました。」という言葉が聞こえた。
、、、、確かに次の目的地があると言えばある。1ヵ月後にはネパールで友達と再会予定もある。
でも、、、こんな居心地の良い山の中、もう少し滞在したい。
この村にも慣れてきたし、他の旅人との楽しい出会いもあった。
もう少し滞在したい、、、、、でも、、、、
心の声にはちゃんと従わなくていけないことを経験から既に学んでいる。

旅の途中で知り合い、そして別れてそれぞれの旅路に進む。
何度も何度もそんな経験をしてきたけど、やっぱり楽しい時間を過ごしてきた人々とお別れするのは辛い。
「また、何処かで会おうね」さよならの代わりにそんな言葉を掛け合うのだけれど、
多分、再び会うこともない旅人たち。

ヤクさんにも挨拶していかなきゃな、でもやっぱり辛いな、、、黙って出発しちゃおうかな、、、、
ぼんやり考えながら村を歩いていると、前方からヤクさんがやってきた。
「あさって、山を降りることにしました。楽しかった、今までありがとうね」
「そうか、、、、だったら明日、ウチに泊まっていかない?美味しいレストランもみつけたんだ」
(そのころヤクさんは山の上で一軒家を借りて深い瞑想と山登りの修行の最中でした)
お呼ばれされて翌日山の中の一軒家を訪れた。
なんとも不思議な空間。周りの木々がものすごいエネルギーを発している。
「完全な調和」が取れている小さな空間。
、、、、こんなところを発見したヤクさんはやっぱりタダ者ではない。
水道も電気も通っていない山の中の家で長い時間語り合う。
「今度、生まれてくるなら私はこんな山の中に生まれてきたい。
都会や流行の遊びなんて知らなくていい。ただ山の自然に囲まれて穏やかに生きて死んでいきたい」
そんな来世への抱負?を語る私にヤクさんは
「自分は、、、、もう生まれ変わってこないような気がする。
今までたくさんの転生を重ねてきたことは分かっている。
でも、、、、自分には来世は来ないような気がしてならないんだ。
多分、これが最後の肉体の中の存在になるんだと思う。だから今、こうやって世界中を旅してたくさんの人との出会いを経験しているんじゃないかな?」

2度と会うことのない旅人同士。
ヤクさんには「また来世で会いましょう」とも言えない訳か。
私はまだまだカルマがいっぱいでまた生まれ変わってくるよ、きっと。
う~ん、この別れが益々辛くなってしまう。。。。。

横になってもほとんど眠れない時間が過ぎていった。
山を降りたら何処にいこうか?そこで何が私を待っているんだろうか?

ベットの正面に大きな窓がありそこから額縁に入ったかのように山が見える。
そろそろ朝が生まれる時刻だ。
ベットの中でぼーっと窓から見える山をみていると、、、、、、、、
その山から朝日が昇ってきた。
部屋に朝日が差し込む。部屋中が神々しいエネルギーに満ち溢れる。
なんて美しいのだろう。この世の景色ではない。私が今まで見たことのない美しい光景だった。
この美しさを独り占めするなんて勿体ない。
「ヤクさん、ちょっと起きてよ!」と隣のベットで眠っているその人の顔を見た瞬間、
全てを理解した。

遠い昔に、この隣で眠る人の魂に出逢ったことがあること。
何度も何度も出逢っていた、その当時の、相手に対して抱いていた
感情がいっきに私の中に流れ込んできた。
友人として、家族として時には人生の伴侶としてこの魂に対して私は様々な感情を抱いていた。
最初にヤクさんと会ったバスの中でどこかで会ったことあるけど思い出せなかった私。
なんで気づかなかったんだろう、もう何度も前世で会っていることに。

成田で、バングラディッシュで足止めを喰らったのも、
3日でカルカッタを脱出してしまったのも、
列車を直前になって変更したことも、
その列車で乗り過ごしたことも、
結局すべては山の中で「前世のお友達」と出会うためだったんだ。。
そしてヤクさんはどうやら最初から「前世でのお友達」であったこともわかっていたらしい、、、

そうだったんだ、、、、、、神々しい朝日を浴びながら身動きできない私の横で、
前世からのお友達は幸せそうにまだ眠りについている。

「おはよう、tigerさん」隣人がようやく目を覚ます。
何から話していいかわからない私は、
「ねぇ、日本人に生まれてきたことはある?」と聞いてみた。
「多分、生まれたことはあるとは思う。ブカブカのパンツを穿いて、髪の毛をきっちり結わいて、
、、、、サムライっていうのかな?そんな格好をしていたのを覚えているよ」
その時に出逢っていたのかな?
でも私自身はなんとなく日本に生まれてきたのは初めてのような気がする。
「1度、ヨーロッパに遊びにおいでよ。多分、tigerさんはヨーロッパに縁深い人だよ」
ヨーロッパ?私が?なんだか日本より縁遠い気がしてならない。
「いつか、招待するよ。ヨーロッパに」

出発の時間が近づいてきた。チャイを飲みながら車を待っている間も話を続ける。
お願い、まだ来ないで、車よ!!もう少し時間を頂戴!!
いくらインド時間の中にいてもいつかはその時が来てしまうものである。
「本当に、ヨーロッパにおいでよ。こんなこと、あんまり人に言わないんだけど。いつかおいでよ。」

「see you again(また会おうね)」なんだか白々しいような気がして言えなかった私。
もう会うことはないだろうけど、それが人生というもの、旅というもの。

「see you again, in this life」今生でまた会いましょう。
前世の友のこの言葉を最後に車は走り出した。

<終わり>