2時間で、バスは大きなバスターミナルに到着。でもここはマナリではない。
ドライバーはここで降りて、あっちのバスに乗れ、という。
またバスの乗り換えですか???私たち、「マナリ」までのチケット買ったよね????
チベット人お姉さんもドライバーに抗議。
でも、「このバスはここでお終い。あっちのバスに乗れ」
ここ、何処なのよ?バスステーションのサインボードを見る。
そして忘れていたヒンディ語がここでも読めてしまう。
「クッル」って書いてある。
そう、クルに到着、、、、でもマナリまで3,4時間の街、、、、、
「あっちのバスに乗れ」と言われたバスに乗り込む。
チベット人お姉さんが運転手になにやら説明。
「さっきのバス内で、マナリまでの通しのチケットを買った。」と言っている模様。
その間に、私のところにチケット売りのおじさんがやってくる。
「何処まで行くの?」と。
すかさずお姉さんが叫ぶ
「チケットは通しで買ったんだから、お金は払わなくていいよの!」
きっと私ひとりなら、「さっきのバスの運転手に騙されたな」と勝手に納得して、
このバスのチケット代も払っていたと思う。
、、、、払って、、、と言っても、もう1枚たりともチケットを買うお金はないんだけどね。
クルは以前、来たことのある街。
3時間でマナリに到着することも知っている。
自分が、今何処にいて、あとどのくらい時間が掛るのか、、、、
それをわかっているって、こんなにも安心するものなのね、、、、、
バスに揺られて3時間。時刻は夕方5時。
マナリにとうとう到着する。所要時間22時間なり。予定が12時間のところ、22時間なり、、、、、、、
バスを降りると、私の女神であるお姉さんが
「で、あたなこの後、どこに行くの?」と聞いてくる。
私のために、オートリキシャの交渉までしてくれる。
でも、まずは両替、、、、である。
街の中心地で両替してから、バシスト(というのが私の最終目的地)に行くから、、、、と言うと、
お姉さんは更に、リキシャマンと交渉をする。
交渉成立。
「まず、街の中心地まで行ってくれるって。そこでリキシャマン、1時間待ってくれるって。
両替だけでなく、お腹も空いているでしょ?
ご飯食べて買い物して1時間後、バシストまで行ってくれるって。
70ルピー(200円弱)、、、少し高いけど、いいかな?この値段で」
チベットの女神は、最後の最後まで親切だ。
本当の本当に、チベットに自由を!!!
「いろいろ、たくさん、ありがとう。あなたのお陰でマナリまでたどり着くことができました。」感謝を述べる私。
「大変だったよね、私だってこんな目にあったの初めてよ、ハハハ。ところで、あなた、日本人?」
「YES」と答える私に、女神はニッコリ微笑む。
「have a nice trip !!」
困難な目にあうと、必ず待ち受けていたように
手を差しのばしてくれる人が現れるのが、インドの七不思議のひとつ。
捨てる神あれば、拾う神あり。
22時間の、トラブル尽くしの旅路。拾ってくれた神様はチベット人。
===================== 余談 ===============================
今年(注:2008年)に入ってからのチベットの惨劇で心を痛め、
「チベットに、自由を!」と、心底思い、ちっとも行動派ではなかった私が
デモに参加したり、聖火リレーのときに捕まったチベット青年に手紙を出したりと行動した理由は、
「チベットという国」への憧れや、ダライラマ法王を崇拝しているから、、、、、
それが根本的な理由ではなかった。
確かにダライラマ法王は私の中で尊敬に値する人物。
、、、、でも、、、正直言って「そこまで」チベット仏教を崇拝しているわけではない。
私の心を揺り動かしたもの、、、、
それは旅先で、困ったときに、手を差し伸べてくれた何人かのチベット人の、親切心、やさしさ、、、、
言い換えれば、愛 が私の中にずっと住み続けていたから。
遠い昔に、与えてくれた愛。
その人たちが命を懸けて、叫ぶ「祖国に自由を」という言葉。
、、、、私だって一緒に叫びたくなる。
今回の旅でも、チベット人に救われた私。
マナリのチベット人街にあるお寺で、ありがとう、と手を合わせる。
そして「チベットで、チベット人が自由に暮らせますように。」と祈る。