「デリー北方のヒマラヤ山地の谷間にある町。(省略)この谷に住んでいる人たちは、
平地に住む人々とは異なる風俗を守り続けている山地民。
その暮らしぶりも興味深く、女は手織りのウール地をピンで留めて
ワンピースのように着つけ、頭をスカーフで覆う。
男は前縁をビロード地で飾った平らな丸帽子を愛用している。(略)
標高1900M。ここの山腹から硫黄泉が湧いている、、、、」 地球の歩き方より
このマナリの町から4キロほど上った村が、私が22時間も掛けてたどり着いたバシスト。
小さなヒンドゥ寺院があって、その境内に硫黄温泉が湧いていて、誰でも無料で入れる。
以前、ブログでこの村での出来事を書いたな。(参照:クリスタルとの出会い)
どうしても、この場所に戻ってきたくて、今回無理やり時間を作ってやってきた。
ヒマラヤにすっぽりと囲まれて、静寂の時間を過ごす。
、、、、温泉に入りながら。
このお寺の敷地内に温泉があります。朝の5時から夜9時までオープン。
温泉浴場内はさすがに撮影できなかったけど、
モヘンジョ・ダロ遺跡とかローマ遺跡の浴場跡みたいな感じで、
日本のきっちり作られた露天風呂より、かえって趣があります。
前回訪れた時は、24時間オープンしていて、
夜中の2時になるとお湯の入れ替え。
一番キレイなお湯に浸かりたくて、ロウソク一本持って真夜中の露天風呂。
ヒマラヤの中の静寂。
たった一つの灯火の中で温泉に浸かる。
、、、、それはまったくの、異次元の世界。、、、どこの惑星?
11年前の6月、私はこの村である「声」を聞いた。
今でもその情景は、はっきりと覚えている。
この村で知り合った日本人カップルの旅人と一緒にレストランにいた。
屋上の、ローソク1本だけが灯りのテーブル席で、
30分経ったもやってこない、料理を待ちながら、おしゃべりをしていた。
「世界は、愛で満ち溢れている」
「えっ?今、なんか言った?」
「いや、なにも、、、、」
絶対に、聞こえた。
それまでも感覚的な何かが私の中から湧き出てきて、それを言葉に置き換えて、会話をする、、、
ということは何度もあった。
それを「自分の中に住んでいるもう1人との会話」と呼んでいた。
でもその声は、絶対に私の「外側」から入ってきた。「世界は、愛で満ち溢れている」、と。
この言葉、今にして思えばとても重い言葉だな、、、と思えるけど、
当時の私は、「そんなこと、私にはどうでもいいことなんだけど」と受け流した。
今、この瞬間にも世界中で、大義名分の下、戦争という殺人が行われるのに、
「愛で満ち溢れている」なんて、よくそんなこと、言えたもんだよ、
、、、、誰が、私に囁いたのか、知らないけど。
、、、、、でも、心のメモ帳にちょっと書いておくよ、、、、
この言葉を聞いてからの11年間、もちろん私は「愛の宣教師」になることもなく、
旅をし、日本に出稼ぎに帰る生活をしていた。
平穏な日々だったわけでもなく、「七転び八起き」どころか
「七転び・もう起き上がれません、、、、」そんな11年間だった。
今だからわかることだけど、11年前の、6月、雨季で肌寒いこのヒマラヤの村で、
人生が動き始めたのだと思う。
決して真っ直ぐ、楽に、歩んでいたわけではないし、
「破滅への道を進んでいるのでは、、、、?」と思うこともしばしばだったけど、
まぁ、「何かが」動き始めた場所・バシスト。
で、その地に、戻ってきた私。
これから10日間、何をして過ごそうか?
ひたすら山を歩くのもよし、
瞑想するのもよし、
ヨガレッスンを集中的にするのもよし
他の旅人と遊ぶのもよし
ネパールで一生懸命仕入れをした自分へのご褒美。
「静寂の、山に抱かれて時を過ごす」
さて、どんなことが起こるんだろう、、、、、、、
バシストの野良犬
初日に宿泊した宿にいた野良犬。
チェック・インして、ドアを開けたら、この野良犬もチェック・イン。
美味しいクッキーで釣っても部屋から出ていく意思がなさそうなので、
仕方がなしに、一晩、ルームシェアすることに。
もちろん、宿代は私持ち。