静かな村生活が続いています
知り合いのサドゥと再会する。
2月のクンブメーラ。バラナシの宿から、
一緒にイラハバードまでに行ったサドゥ。
「一緒に行った」というより「連れて行ってもらった」といったほうが正しいな。
連絡先も交換してなかったし、もうあうこともないだろうな、と
思っていたのだけど、このリシュケシュの橋の上で再会。
数日後にサドゥの宿泊先に遊びにいく。
チャイを飲みながら、しばし話しをする。
今となっては思い出せないのだけど −−−−− このサドゥの何気ない一言で、
私の、顔の、肩の、背中のこわばりが一瞬で消えていく。
「こわばっていた」自分にびっくりだ。
静かな風吹き抜ける村での生活。
こわばる「理由」なんて、ないはず、、、、、だった。
私の旅はすでにカウントダウンが始まっている。
旅が終わってしまうのは寂しいけれど、
帰国後、いろいろな楽しみが私を待っている。
「楽しみ」がある一方で、
再び、安全な水と食べ物を心配し、日本の世論の中で生きていくことに不安がある。
(*注:原発事故の後だったため、とにかく水と食べ物の心配をしていたようです)
日本で今、生活している人たちには申し訳ないのだけど、
現在私は、「セシウム・フリー」な生活環境にいる。
インドの食べ物も決して安全とは言えないところがあるけれど−−−−−
オーガニックを唄う飲食店がここインドでも急増している、
オーガニック=安全、今までが安全ではなかったってことだ。
インドにも原発がある。そしてこの国も地震国だ。
でも、壊れてやばいものを垂れ流しにしているわけではない。
「その心配」がわが身に降りかかってくることのない環境にいる。
もちろん、母国のことは心配だ。家族も友達も日本に住んでいる。
だけど。日本を離れた瞬間から「自分の身」に、それは降りかかってこない。
海外に在住している日本人のブログなどで、
原発、地震のことを好き勝手言っているのを、よく見かける。
今ではその人たちの言動が理解できる。ちっとも共感はできないけど。
「心配しながらも、自分は安全な場所にいる」
私のこわばりは、無意識のうちに「今」を生きていないで
もうすぐ戻る、近い未来を心配していることからきているものだった。
未来を想像することは決して悪いことではない。
その未来の不安要素にフォーカスしてしまうことがよくないのだろう。
こんな美しい環境、まさにシャンティな場所にいながら
無意識といえども近い未来に不安を覚える。
それに対して身体は「こわばり」反応を示す。素直だ。
サドゥのある一言で、その不安が無意識から意識へと浮かびあがり、
それを認識できたことで身体は反応し、こわばりは溶けていく。
サドゥ・マジックだな。
「これを、アヤにあげる」
サドゥ・マジックをかけてもらった上に、小さなルドラクシャをもらう。
すでに首には色々なものを身に付けているので、
このルドラクシャは手首に巻くことにする。
新しい12年の、日本での生活がもうすぐ始まる。
その前にしばしこの地で、集中的に瞑想生活をしようと思っています。
*「けっして安全ではないインドの食べ物」
昨晩食べたパスタが当たり、噴水のごとく嘔吐を繰り返す。
苦しいのだけど鼻からパスタが出てきたときには、吐きながら大笑いする自分。
「けっして」ではなく、「やっぱり」安全じゃないぞ、インドの食べ物。違う意味で。
2013年の旅 完