2011/11/09 01:11:08
かれこれ10年ほど前、バングラディッシュのホテルで出会ったアンジェラ。
その後、インドで再会、日本でも再会。
いい意味でも悪い意味でも旅のアレコレを教えてくれた(そしてふたりして実践した)
私にとっては「旅の師匠」のような存在。
5年ほど日本に住んでいたはずなのに、日本語が壊滅的に話せない。
「読むのはできるんだけどね、会話はちょっと、、、、」
それって違うんじゃないか?話せても読めないってのが、普通だぞ。
スーパーハイテンションで、マシンガントークな彼女。
第六感を通り越して、この人、千力眼持ってんじゃない??なんだけど
本人曰く「なに?それ??ふん。持ってないわよ、そんなもの」と
至ってそれについては無関心。
若かりし頃は随分ぶっ飛んでいたけど、今では2児の母。
この子供たちが大きくなったら
「あんた達のママはね、若い頃○×◆△で、、、、、」と
昔の悪行(私も随分迷惑被った・でも楽しかった)を暴露してやろう、、、
と密かにたくらんでいる、私。
親類以外でわたしのことを「アヤちゃん」と呼んでくれる稀有な存在。
(40過ぎて”ちゃん”付けはイタイのだけど)
時折「気配を感じられません。元気ですか?」と連絡をくれるのは、この人。
今回、アンマのダルシャンのためにミュンヘン入りした。
きっと、誰かのためになる、彼女のマシンガン・トークをどうぞ。(一部だけなんだけど)
「アヤちゃん、久しぶり。あら、随分やせちゃったのね。あらあら、
眼が違う世界に逝っちゃってるわよ。日本、大変だったね。
私もずーと、テレビで見ていた。本当に、酷いことになっちゃったね。
石の買い付けは順調?ちょっと、アヤちゃん、大丈夫?ねぇ、ここに居る?」
あなたの目の前にいますわよ。はるばる日本から。ミュンヘンに。
「うん、そうなっちゃうのも無理はない。それはわかる。でもね。
ひとついいことを教えてあげる。色々な不安が付きまとうのはわかるけど、
それでも一番大事なことは、”今、ここに存在する”ことなのよ。
瞑想しているとき、色々なマインドがやってきて、過ぎ去ることはわかるよね。でもね、人間って、普通にご飯を食べたり、歩いていたりしているときでも
色々なマインドがやってくるものなの。そしてそのマインドはやって来ないかもしれない未来を妄想してしまうものなのよ。それが進んでしまうと
巨大な妄想王国を自分自身で作り出してしまうのよ。そして現実との境界線がわからないくなる。それって、とても危険なことなのよ。
ねぇ、今から試して欲しい。日常生活の中でマインドがやってきてそこから未来の妄想が浮んできたら、その場でstop it !って自分自身に言い聞かせるの。”トマレ”でも”No”でもいい。妄想拡大を停止させるの。
楽しい未来ならどんどん想像してもいい。
でも独りよがりの想像はだめ。それは妄想よ。その違い、わかるよね?アヤちゃんなら。
何度も何度も、マインドがやってきたら、その度に叫ぶの。stop it!っね。
そうすると”今・ここに”いることができるから。
明日からの石探しだって、きっと素敵なものにめぐり合えるはず。
日本がこんなことになっちゃって、先行き不安なのはよくわかる。
先々のこと、考えちゃうのもよくわかる。だけどね、こんなときだからこそ
試してみて欲しいの。stop it !って。ちょうど今は旅行中。
ドイツには地震もないし、日本の生活もここにはない。だから是非試してみて。」
ありがとう、アンジェラ。試してみるよ。
「タローちゃん(私の愛犬:親バカのごとくタローの写真を彼女に送っていた時期があった)
死んじゃったのね、、、、うん、でも本当にみんなに愛されていた犬だったね。
とてもピュアな魂だった。随分辛かったでしょうね。
でもね、アヤちゃん。タローが死んじゃったこと、教えてくれる前に
ママが亡くなっちゃこと、知らせるほうが先でしょ!順番が逆よ!!」
そうだったけ?タローのこと、先に伝えたんだっけか??
「アヤちゃんの母性本能がそうさせたのかもね。でもやっぱり順序は逆。
あらあら、もうこんな時間。私これからダルシャンなのよ。一緒に行く?
あ、そう。最終日に行くのね。わかった。それじゃまた明日会おうね。」
さよならの挨拶に、握手をしてハグをする。
彼女の、生き生きとしたエネルギーがその手から伝わってくる。
浸透圧のように。高いところから、低いところへ。
この人、本当に”持っている”。
「ねぇ、アヤちゃん。私はアンジェラよ。(イタリア語で”天使”の女性名詞)
あなたのアンジェラよ。だから色々とあなたに語りかけるの。
まっすぐ自分の道を歩いてほしいの。うるさいな、と思うかもしれないけど、
嗚呼、これは止めることが出来ないのよ!!それじゃまた明日ね。チャオ」
今回の再会に当たって旦那様から
「日本も色々大変だったんだから、一方的に喋り続けないで、
たまには聞き役に回ってあげたらどうだ?」と言われて来たらしい。
、、、、そんなの不可能だ。何年も夫婦やってたら、そんなことわかるだろう??
彼女と別れたあと、アドバイスに従い、stop it を試してみる。
驚いたことに私は、一日に何十回もstop itを言わなければならないことに気づく。
我ながら唖然とする。
stop it、stop it、stop it、stop it、、、、、、、、
これを繰り返していると、自分の中に新しい空間が存在することに気づく。
その空間をじっくり観察してみると、、、、それは”今”という存在だった。
心も軽い。
試しにstop itと命令せずにそのまま妄想へと流してみると、
心が重い。それは今までの自分だった。
さすがアンジェラ
今、日本に戻って日常生活の中でもstop itは続けている。
ドイツに居たときより、さらに多くのstop itを叫ばなければならない私。
でもそこにはなんとも言えない居心地のよさが生まれている。
それでも「新しい空間」の中に何も入っていないことに不安を覚えることもある。
自分がいかに不安と妄想で自分自身を満たしていたのか。
「次」を考えないことに「これでいいのか?」と
感じてしまう自分は相当重症だったんだと思う。
ありがとう、アンジェラ。