ネパールに戻る2008/08/10 12:49:29

カトマンドゥの朝食

毎朝通っていたチャイ屋での、私の朝食。
モチモチで、少し塩の効いたクロワッサンとチャイ。
この朝食セット(?)で14円。
インドから戻って5日間ネパール滞在で、帰国。

5日も必要ないよな、、、と思っていたけど、何事もスムーズに運ばないのがこちらのお国柄。

預けていたクリスタルをピックアップしてオーダーしていたアクセサリーのチェック。

仕入れ先の人とビジネスランチをしたり、そうそう、

クリスタルの梱包だってしなきゃならない。
、、、忙しいといいながら、ノーズピアスをあけてきた。

20年近く、ノーズピアスをあけたい、、、と思ってきた私。

もうちゃんとした会社勤めはするつもりはないし、思い切ってあけてみた。

4年前のインド滞在中にあけたいな、、、と思っていたのだけど、

友達がジュエリー屋であけているのを見て、ひるんだ。

銀の針金の先っぽをヤスリで研いで、尖がらして、

「ブスッ!!グイグイグイッ。グリッ」、、、こんな感じで鼻ピアス完成。

あまりにも原始的。バラナシのピアス。

それはちょっと私には無理、、、なわけで、ピアス・ガンで、バチンとあけてもらった。

耳にピアスするほうが痛かったです。鼻のほうが楽です。

穴開け代金はたったの80円なり。

経験者によると、鼻は粘膜なので、ちゃんとピアスを通してないと

耳なんかより、早く穴がふさがっちゃうよ、とのこと。
ただ後悔したこと、ひとつ。

この空気の悪いカトマンドゥでピアスをしちゃったもんだから、

鼻くそが思いっきりホレない、、、、、ということ。これ、とても不快。
朝一番でピアスをあけて、街を歩いていたら

連続してネパール人からネパール語で道を聞かれる。この日3人。

ピアスひとつで、こんなにも現地化してしまうのか???
ネパール語で道を聞かれる、、、この話を仕入先で話していたら

居合わせたネパール人に、

「あなたはネパール人というより、ビルマ顔だね。ほら、誰だっけ?

フリダムーファイターの娘、、、、、、」
「ああ、アウン・サン・スー・チー?」
ああ、旅してきて何度言われたことか。この言葉。

新宿で、ビルマ(注:今のミャンマーです)人に、ビルマ語で道を聞かれたときは

本当に、私、ビルマ系の顔立ちなのかも、、、、と思った。

数年後、ビルマに行ってみたら、

「たしかに、遺伝子的に近いかも、、、、」と確信した。

ビルマ顔と言われながらも

「おっ、鼻ピアスか。似合うぞ、似合うぞ」と褒められまくり。

帰国前日までになんとか荷造りを終えて、久々のネパール滞在も終わり。

お寺に行って、たくさんの素敵なクリスタルに出会えたことをにお礼を述べる。

「ありがとう、また戻ってきます。」
帰国当日、朝早いフライトだったのにも関わらず、ホテルのオーナーふたりが出勤してくれていた。

ありがとう、忙しいのにわざわざ。またすぐに戻ってくるから。

少しだけ、後ろ髪を引かれる思いをしつつも「また戻ってくるから」と自分に言い聞かせ、空港に向う。

出国カウンターで、係員のおじさんに

「おお、鼻ピアス。ネパール人みたいだね」と言われる。

「ネパールに住んでいるのか?」

「いいえ、ビジネスできました。」

「だんながネパール人なのか?」

「いいえ、断じてそんなことはありません」

「ネパールは好きか?」

「はい、大好きです。」、、、、ちっとも出国に関係ない質問ばかり。

パスポートにポンとスタンプを押し、ひとこと。
「また戻っておいで。いつでもウェルカムだ。 ハハハ」

ありがとう、おじさん。 また戻ってきます。

少しゆるめで、なにかと人懐っこいこの国。

インドのような刺激はないけれど、やっぱりこの国も捨てがたい。
たくさんのクリスタルと、新しい出会いに恵まれた今回の仕入れの旅。

今回はこれで終了。

ニューデリー24時間 2008/08/06 18:30:31

できれば12時間以上滞在したくないデリーの目的・その1
ドーサを食すこと!!
ドーサを発明したインド人にノーベル賞を。
チベットには自由を。

クレープをパリパリに焼いたような食べ物で、
サンバル(タマリンドウの入った酸味のあるソース)に
付けて、ちょっと「フニャ」としたところを食べる。
デリーに行くと、必ずこの店でドーサを食べる私。
今回はプレーン・ドーサ。
直径40センチくらいの大きさなので、
薄くてパリパリでも、結構 お腹いっぱい。

「ああ、デリーに行くのか、、、、」いつも憂鬱になるけれど、

行ってみると、結構楽しめちゃうのが不思議でしょうがない。

地球の歩き方のトラブル集とまったく同じ手口で、それも10年前と変わらぬ手口で

「列車のチケット売り場はクローズだ」

「ガバメント・ショップはこっちだ」

「シュリナガールへ行かないか?」

へ~、そうなんだ!!と騙されたふりをして、ノコノコとインド人に付いて行く。

チャイが飲み終わったところに「やっぱり、列車のチケット要らないや」

とか言って、無料のチャイを飲みに行くのもまた楽しい。

人間、どれだけの嘘八百を並べることができるのか?それを観察するのも楽しみのひとつ。

暇な人は試してみてね、でもチャイに睡眠薬が入っていても責任持てません。

旅のすべては自己責任。
そんなデリーに24時間滞在しようと決めた目的は、ドーサを食べることと、

ラーマ・クリシュナ・ミッション(お寺)に行くこと。

ラーマ・クリシュナ
インドの聖人のひとりで、日本では「聖人」と言えばサティア・サイババなんだけど、

インドでは、ラーマ・クリシュナのほうが有名。

1800年代に生きた聖人で、恐らく、私がこの世に生まれたことのある人で、

尊敬している、ふたりのうちのひとり。あと一人は仏陀。
今まで生きてきて「あの時代に生まれてくれば良かった、、、」と思うことは、2つ。

1つは、ビートルズ、オーティス・レディング、ジャニス・ジョップリンが生きていた時代に、

青春時代を迎えたかった。リアルタイムで彼らの歌を聴きたかった。

「今度の、ビートルズの新譜、いいよね」、、、なんて会話がしたかった。

そしてもうひとつは、1800年代のカルカッタに生まれてきたかった。

ラーマ・クリシュナの説法を、美しい歌声を聴いてみたかった。

、、、、そんなことを言っててもどうすることはできないのでせめてお寺に行ってみよう。

実は今回の仕入れの旅に出る直前に、ニューデリーにラーマ・クリシュナミッションがあることを知った。

それも、安宿街で有名なパハル・ガンジーの外れに。

これを知らなかったら、デリーには1泊たりともしなかったはず。

午後は4時から一般開放されていて、私が行ったときは既に10人くらいの

インド人がお堂の中で静寂のときを過ごしていた。

若いカップル、家族連れ、しっかりと瞑想している人、などなど。

安宿街の喧騒の外れに、こんな静寂な空間があるなんて。

インドの良いところは、こういう静寂の中に身を置く場所がたくさんあること。

そして日本みたいに拝観料とかとらないこと。

お寺で瞑想していてもヘンな眼で見られないこと。

「神様に遭うためにお金を払わなきゃいけないなんて信じられない!」

日本の拝観料システムに憤慨していたインド人がいたな、そういえば。

私も周りのインド人に習って、ラーマ・クリシュナ像の前で、額を床につける。

本の中でしか知ることのできなかった、そして感じることのできなかったラーマ・クリシュナ。

少しだけ、近づけたと思うと、、、、ああ、やっぱり号泣。

決して大きなお堂ではないけれど、そこで瞑想していると

なんだかお堂が宇宙に感じてくる。

私たちは宇宙の中の地球に住んでいるけど、宇宙には行ったこと、ない。
漆黒の宇宙の中に、ひっそりと自分がいる。

何万光年とか数字を並べられてもピンと来ないけど、

こうやってお堂の中で瞑想していると、「宇宙って、相当広いぞ」というのが

なんだか実感できてしまうから不思議。

お寺の敷地内に売店があるので入ってみることにする。

英語、ヒンディー語、タミル語、ベンガル語、、、などなどに訳された書物がいっぱい。

さすがに日本語はなし。まぁ、日本語訳はどうやら日本で入手できるようなので、今回はマントラCDを買うことに。

店員さん(、、、と言っても僧侶)にお薦めを聞いてみると、

全5巻のマントラCDを見せてくれてた。これが基本だからと。

1枚200円だし、日本に戻ったら入手できなそうなので、全部買っちゃう。

帰国してこのCDを聞いてみると、5巻目が、なんだか魂持っていかれそうなほど、
「聞きながらなにかをする」なんてこと、できないほど私の意識はそのマントラだけに集中してしまう。

とても「仕事をしながら」聞き流すマントラではないよう。

「日本から来たのか?日本に支部があるよ」と、店員さんが日本支部の住所を調べてくれる。

メモって行きなさい、と。親切な人です、本当に。
ニューデリーの喧騒に疲れたら、是非、ラーマ・クリシュナミッションへ。

場所は、ニューデリー駅を背にしてパハルガンジーをひたすら歩きます。

野菜市場も通り過ぎて、もうそろそろ、大きな通りに出るな、、、と思ったころ、

左手にちょっと奥まって、メトロの駅が見えます。

その斜め向かいがラーマ・クリシュナミッションです。

観光地ではないので、あくまでも静寂のときを過ごすために。

http://www.rkmissiondel.org/

ラーマクリシュナミッション・デリーブランチのサイト(英語)

翌朝6時に起き、空港に向う。(本当に、ジャスト24時間滞在)

タクシーの中で、流れる風景を見ながら「また、戻ってくるんだよな、この街」とつぶやく。

初めてインドを訪れた街もデリーだった。それも真夜中。

空港の外はオレンジの街灯が怪しい雰囲気を更に醸し出し、

地べたに人が寝ている、たくさん。「これ、映画の撮影中ですか?」

本当の本当に着たことを後悔した。この怪しげな街に飛び込まなきゃいけないの?と。

怖いものを知らないって、なんでもできちゃうんだよね、、、、、

「あなたが今日の最初のお客さんだよ」 タクシードライバーが話し掛ける。

「知っているか?その日一番のお客が女性だと一日商売がうまくいくんだ。
、、、なんだか女神を乗せているみたいだよ、ハハハ。」

ハハハ、相当口の悪い女神を乗せているね、おっちゃん。

ふと、フロントを見ると、そこにはドゥルガ女神の写真と小さな像が置いてあった。

普通、タクシーやリキシャにはガネーシャのステッカーや、像を置かれている。
そう、ガネーシャは商売繁盛の神様だから。

ドゥルガが置かれているタクシーなんて、北インドで初めて見たぞ。

、、、もしかしたらこのおっちゃんベンガル地方出身なのかも。

それにしても、インドの最後の最後にドゥルガ女神に会えるなんて、

偶然にしても、嬉しい。、、、、また、戻ってくるよ、この地に。

7時発の飛行機で、ネパールに戻る。

戻る予定だったけど、帰りも3時間、飛行機が遅れる。

早起きできないなら、無理して飛ばさなくていいよ、飛行機 !!

最初から最後まで予定通りに進まなかった今回のインド滞在。

「自分が試される北インドも捨てがたい」、、、というのは友人の言葉。

いや、本当に。試されてばかり。

でも、試されるたびに自分の意外な側面を発見できる、インド。

すべては、自分を知るため。

アクシデントに見舞われても、病気をしても、何度も何度も訪れてしまう国。

磁場が、思いっきり私をひきつける土地。

バシストの民家
バシストの民家

 

 

 

 

バシストの共同洗濯場。もちろん温泉水
バシストの共同洗濯場。もちろん温泉水

バシスト生活・最後の日

R0015194

バシストの牛

さすがにバシストには野良牛は存在せず。

今日までの宿代を払おうと、オーナーの家を訪ねたら
「仔牛の体調が悪くて病院に連れていかないといけないので後にして。」
、、、と言われてしまう、、、、、

今晩、ナイトバスに乗って、デリーに戻る。

この後、ダラムサラに行きます、、、と言うなら気分も軽いんだろうけど、

デリーに戻ると思うと気が重い、、、魔界都市・デリー。

こんな穏やかで静寂な山の中から、明日眼が覚めたらデリーにいるなんて。

「マントラを唱えろ。喧騒を遮断してくれるから」と、Mr.ハレクリシュナ。

いろいろありがとう。Mr.ハレクリシュナ。あなたに遭えて愉しかった。

で、最後にもう1冊、本を貰う。

彼のグル(師)の写真が載っている本で、「グルがきっと守ってくれるから」と。

ヒンディー語なので、なにが書いてあるのかは、わからないのだけど、

挿絵の輪廻転生の図、に心惹かれる。

今年に入ってまだ寒い冬のころ、とある瞑想中に

「喜びを味わい尽くす。悲しみを全て受け入れる。そして2度と生まれ変わらない」

そんな言葉がどこからかやってきて、決心する。

そう、私は2度と生まれ変わらない。

そのために私は何をすればいいのか?今生。

 
宿の支払いを済ませて、荷物をまとめて、まだまだ時間があるので、

最後にがっちりとヒマラヤのエナジーを感じつつ、瞑想に入る。
瞑想中、突然昔の恋人が私の心の中にやってきた。

山育ちで、とにかく山が大好きだった人。

ケンカするとよく「山猿め、とっとと山に帰れ!」と心の中で叫んだもんだ。

、、、、彼もこのヒマラヤの風景が気に入るだろうな、、、、、、

何年かぶりにこの人のことを思い出した。

今度は、本当の愛を教えてあげる
突然、なにかが私の耳元で囁く。

本当の愛か、、、凄い言葉だな、、、、どんな愛なんだろう????
今のあなたには想像もできない愛
そうか、今の時点では想像もできないのか、、、、その時が来るまで楽しみにしていよう。
で、結局、11年ぶりにこの地に戻ってきて私を待ち構えていたのは

Mr.ハレクリシュナとの出会いと、この愛についてのメッセージ。

ついでに、温泉に入るか瞑想するかマントラを唱えるか、、、、

ずーと、そんなことばかりしていたので、すっかり蓮華座が組めるようになりました。

あ、あと「なんちゃってベジタリアン」になりました、、、、、

以上が10日間の出来事。うん、充分だ。
さぁ、ネパールに戻ろう。

その前にデリーだ。

魔界都市・デリー。  でも、飛び込んでいっちゃうと結構楽しめちゃうんだよね。
さよなら、バシスト。またね。

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バシスト生活・再診 2008/08/03 18:47:38

R0015101
マナリのメンツィーカン

「デリーに戻る前日にまた診察に来てください」

、、、、メン・ツィー・カン(チベット医学病院)のドクターに言われたので、再診。

、、、、そうか、明日でこの地を離れなくてはいけないのか、寂しいな、、、

熱は既に下がっている。腰痛は、、、、ちょっとだけ突っ張ったような違和感あり。

早速ドクターが両腕の脈を取る。

ふん、ふん、ふん、

気管支系の弱さと、抵抗力のなさ、を指摘される。(ビンゴ!)

しばらくの間、薬を服用したほうがよさそうだけど、続けられる?と聞かれる。

あ、がんばります、ドクター。処方してください。

そんなわけで処方してもらった薬、45日分。

箱に入っているのはハーブティーで朝ごはんの前に飲むもの。

「ドクター、食べ物は?肉・魚・卵は食べてもいいですか?」

「うーん、いけない訳ではないけれど、、、、あなたの国にはトーフという食べ物があるわよね?」

畑のお肉・豆腐。あります、あります、日本に。

だったら、せめて服用している間はベジタリアンになっちゃおうか?ってことで。

どうせ、日本を出てから既に肉も魚も卵も食べてない。

最後に食べたのいつだっけ? 多分、機内食だな。バンコク・ネパール間の。

45日間ベジタリアン宣言。

でも、食べたくなったらどうするか?

食べちゃえ、食べちゃえ。我慢は禁物。

食べたいのに我慢して、肉食している人間を見下すベジタリアンになるくらいなら、食べちゃえ。

 

薬代、45日分で400ルピー(1000円ちょっと)

*帰国して8月現在、いまだにベジタリアンな私。
とくに肉魚が食べたい、、、、とも思わず。
ああ、明日はデリーに戻るのか、、、、、寂しいな。

 

追記(2015 8)

この記事から7年経ちましたが、いまだにベジタリアン生活は続いています。

どんな変化がある?とよく聞かれるのだけど、

まず、一、体のキレがよくなる。ヨガのポーズを取っていて

次のポーズに移るときの体のキレが依然とはまったく異なる。

二、感覚が鋭くなる。

鋭くなりすぎて、色々なものを感知してしまいとても疲れてしまった時期も。

他人がどんな波動を出しているのか、不幸なのか幸せなのか?

負の波動もクリアに感知できてしまい、しばらく人に会うのが嫌になった。

三、 瞬発力はあるけど、持続が難しい

これはきっと、体重の管理がうまくいかないからだんだと思う。

元々太れない体質だったけど更に体重を増やすのが困難になった。

で、スタミナがなくなっちゃったのかも。

四、いくら食べても胃もたれしない。

大食いで食いしん坊な私は、キャパオーバーな量を食べて

よく胃もたれを起し、後悔したこと、数知れず。

今は胃もたれってどんな感覚だったか忘れてしまったほど。

 

 

 

バシスト生活・ハレ・クリシュナ 2008/07/28 23:08:42

R0015146スパイス、卵、酸味のあるものはダメ、、、、、
と、お医者さんに言われた私の、バシストでのランチ。

スパイスの入っていない、シンプルで野菜の味が引き立つスープ。
素朴なチベタン・ブレッド(チベット風パン)
そしてチャイ。
3品で40ルピー。100円ちょっと。
熱もなんとか下がりました、しかし頑固な腰痛は消えず。

レストランで合い席になった日本人のお兄ちゃんに

「姿勢、いいっすね。ヨガでもやってるんですか?」と聞かれる。

いや、ヨガもできないほど背中が痛くて、こんな姿勢なんです、、、、、

朝5時に温泉に入る。病院でもらった薬を飲む。

歩くことはできるので、日中フラフラして、夕方にまた温泉、、、、、

湯治だよな、これ。インドで湯治。

バシストにきてから、道端で本を売っている白人の女性をよく見かけていた。

「クリシュナの本です、スピリチュアルブックです、、、、、」

クリシュナとはインドの神様。
男前でプレイ・ボーイな神様です

ふ~ん、でもなんで白人の女性が道端で売っているんだ?ハレ・クリシュナの信者さんかな?

ある日、その青空本屋さんで足を止めてみた。

「クリシュナの本は読んだこと、あるか?」

いつもの白人女性の隣に、今日は白人のおじさんが座っている。

「うん、本の名前は忘れちゃったけど、読んだことあるよ。」

2.3、このおじさんに質問をすると、

「よし、クリシュナについて教えてあげるよ、英語は話せるか?ま、いいや。

英語の勉強にもなる、アメリカ英語だけどね、ハハハ」

「ハハハ」

実は私、アメリカ人と英語で会話をしたことがない。

なぜかというと、アメリカに行ったことないし、

旅先で知り合いになったアメリカ人はなぜか日本語ペラペラだったから。

アメリカ人とはじめて英語で話す、、、、ハリウッド映画と同じ英語を話すんだな、本当に。
(このおじさん、西海岸出身)

(おじさん呼ばわりするのも失礼なので、Mr.ハレ・クリシュナと呼ぶことにしよう、、、、だって私もおばさん。。。。)

「今晩7時にお寺の境内においで。毎晩、境内でバジャンをしているんだ、、、、」

バジャンとは、神様への賛歌。

踊って歌って太鼓やベルを鳴らし、神様を称える。

で、今晩のバジャンの参加者は、Mr.ハレ・クリシュナと本を売っていた女性と私。

太鼓を鳴らし、ベルを鳴らし、 バジャンが始まる。

参拝客のインド人がいっぱいいる境内なんだけど、「外国人がなんかやっているよ」と

通りすぎる人もいるし、立ち止まって手拍子をする人もいる。一緒にバジャンに参加する人もいる。

インドって凄いな、と思うことは、神様を称える人、仕える人、ここはクリシュナ寺院ではないけど、

バジャンを始めても、それが外国人であっても、、、、すんなりと受け入れるところ。

神様が本当に生きているんだな、と思う。

ちなみに、バシストの後、デリーでカトマンドゥでベルを買おうと思って、

1つ1つ音を鳴らしてチェックする。

ついでだから、「ハレ・クリシュナ~」と歌ってみる。

そうするとお店の人もノッてくる。まわりのお客も一緒に歌い出す。

「おっ、ハレ・クリシュナだね!」ってな感じで。
約1時間でバジャンは終了。

「毎朝、自分は温泉の後にあそこのチャイ屋で朝食を取る。

気が向いたらおいで。クリシュナについて教えてあげるよ」

「そして毎晩7時にこの場所でバジャンだから」

うん、ありがとう。気が向いたら行くよ、、、、、、

そう言って別れる。

さぁ、私も夕ご飯を食べよう、、、、どこのレストランがいいかな????

「これから飯か?美味しいベジタリアン・レストランがあるから一緒にいかないか?」

振り向くと、先ほどのMr.ハレ・クリシュナ。
朝温泉に入って、チャイ屋でMr.ハレ・クリシュナの講義を聴き、

夜の7時にバジャンに参加して、一緒に夕ご飯を食べる、、、、、

この生活が、バシスト最後の日まで続くことになる。
「バスターミナルまでお願い」とリキシャに頼んだら
連れて来られた、マナリのプライベート・バスターミナル。
放牧中のロバ・牛、野良犬多数。
、、、「ターミナル」とは呼べないだろう、、、こんな場所。

バシスト生活・ハレ・クリシュナ 2 2008/07/31 17:24:23

朝起きて、温泉に浸かって、いつものチャイ屋で朝食を取る。

Mr.ハレ・クリシュナの朝の講義(?)は、毎回2時間近く続く。

特に入信を勧めるわけでなく、バガヴァッド・ギーター(という、ヒンドゥ教の聖典)の解釈などなど、、、、、

インドの宗教について素朴な疑問があっても周囲にそれを尋ねることのできる人がいなかったので、

Mr.ハレクリシュナが登場してくれて、本当に嬉しい。

、、、、でも英語で毎朝2時間の講義は、私の集中力が続かない、、、

だんだんと虚ろな眼になる私。そう、虚ろな人生を歩む人の、虚ろな眼のように。

「2時間も英語を聞くのは辛いだろう。理解できなくなっていると思う。

それでも構わない、今は自分が話しているエナジーだけを受け取っていればいいから。

この会話のデータは後で送るよ。(全てICレコーダーで録音している)

3ヵ月後、1年、いや、もっと時間は掛かるかもしれないけど、理解できるときが来るから。」

ときには、3時間でも4時間でも生徒さんの前で講義をするという。

だから話をするのはまったく苦ではないという。
、、、、、、、、苦があるのは、英語が理解できていない私のほう。

、、、こういう時に、毎回、もっと英語を勉強しておけば、、、と思う。

そしてバガヴァッド・ギーターという聖典、、、実は日本を出る直前までこの本を読んでいた私。

でも、日本に置いてきちゃった、、、、持ってくればよかったな、、、、

そうすればもっとMr.ハレクリシュナの講義が理解できたはず。

講義以外にもマントラの唱え方を教えてもらったり、本や数珠を頂いた。

夜になると、一緒に夕ご飯を食べて、「さて、講義の内容やマントラを唱えてどうだったかな?」

という話になる。

マントラは、瞑想をしている気分になる。

呼吸に集中して頭を空っぽの状態に持っていくのに似ている。

その日の昼間に、滝を見に入って岩場でマントラを唱えてみた。

お腹の中で何かがグルグルと回るのがよくわかる。

Mr.ハレクリシュナも「うん、わかる。自分も時々そうなるよ」と。

ある日の夕食のとき、「結婚はしているのか?」という話になる。

Mr.ハレクリシュナがプライベートのことを聞いてくるのは珍しいこと。

私:「いや、シングル(独身)だ」

ハレ:「そうか、離婚か」

私:「いや、離婚はしてない、独身だ」

ハレ:「まだ手続きが終わっていないということか?」

、、、、???どうやら私の英語に問題があるようだ。

私:「いや、生まれてきてから結婚したことはない。だから離婚もしたことがない。」

「それはどういうことだ????」

、、、、なぜこんなに驚かれなきゃならないのか、、、こっちがびっくり。

30後半で独身なんて、いっぱいいる、今の時代。

それに、アメリカ人に驚かれるってのが、びっくり。インド人ならわかるけど。
ハレ:「そうだ、わかった。お前、クリシュナと結婚しろ。」

私:「NO!!!!イヤだよ、そんなの!!」

神様と結婚しろって、、、、それはないだろう、、、、、

何処の役所に結婚届けを出すの?デリーの役所?寺院?

インド住民権はもらえちゃうの?????(、、、それならいいな、、、、)

大体、クリシュナは神様だけど、美しいプレイ・ボーイだ。イヤだよ、そんなの。

ぶっ飛んだこと、言う人だな、、、、と思ったのだけど、

このバシストの後、デリーに行って、オートリキシャの運転手と

「結婚しているのか?」「いや、していない」、、、このお決まりの会話のあと、

「、、、マダムは、今生では人間の夫を娶らないのですね、神様と結婚するんですね、、、、」

、、、、と言われてしまう。

どうやら、適齢期を過ぎた女性は、神様と結婚することになっているらしい、、、インドでは。
このMr.ハレクリシュナは、とにかく人の眼をしっかりと見て話すひと。

そう、私の人生で何人かこうやって眼をしっかりと見る人に出会ってきた。

それは恋人同志が蜜月に、「、、、愛しているよ、、、」という見つめ合いではなく

しっかりと眼を見ているうちに、その眼の更に奥にある何かを見ている、、、、

そんな感じの眼の見かた。

私もMr.ハレクリシュナの眼の奥をじっと見て話す。

今回インド行きを決めた時点では南インドに行く予定だった。

でも、ネパールから南インドへは飛行機を使っても、時間が掛かる。

10日間ではちょっときつい。それで北インド、マナリに行くことにした。

マナリにもう一度行こう、、、と決めたときから

ずっと、夢や瞑想の中で「神に仕える人と出会う」イメージが付きまとっていた。

出発直前まで。

夢の中では、色々なバージョンがあるのだけど、

基本的には、「神に仕える人」と出会って、give and take をする、、、というもの。

で、発熱・腰痛で苦しんでいたこのバシストでの瞑想でも「神に仕える人」

というキーワードが出てきた。

ああ、この人のことなんだ。Mr.ハレクリシュナ。

ちゃんと、出会えちゃったわけね。

バシスト生活・3つのキーワード2008/07/24 11:53:16

 

R0015150毎朝、私の部屋にやって来る野良犬。
朝の2度寝をしているど、ドアをカリカリ引っ掻いたり、
身体をぶつけて「開けろよ!」と主張する。

ドアを開けてあげると、部屋のゴミ箱をあさり、
なぜか私が鼻をかんだちり紙だけを食べて帰る。

この宿の出入り口は、非常階段のような裏階段しかないのに、
毎朝、この野良は部屋に登ってくる。
発熱・腰痛が始まって2日目の夜明け前、熱が最高潮に達する。

体育座りで睡眠を取るのもこれが2晩目。、、、もう限界です、、、、、

雨季で肌寒い夜明け前。部屋の中はなんだか蒸している。

そう、発熱者1名がお部屋を暖めているから。

「外の、冷たい空気に当たろう、、、、、」ベランダに出る。

ひんやりとした風が、心地いい。

夜明け前のヒマラヤもいいもんだ。

毎朝、このベランダで瞑想をしているのだけど、

少し時間は早いけど、いつものポジションに座り、瞑想を始める。

「腰痛がひどくて、座禅が組めるのか?」

答えは「YES」 腰を曲げなくて済む、座禅のほうが楽。

瞬時に、静寂の時の中に入り込む。

(以前、このブログで「瞑想を始めるとき、まず呼吸のリズムを掴む」と書いたけれど
自然の中で、自分に合った場所で瞑想をする場合、リズムを掴む必要は全然なくて、最初のひと呼吸からす~と、瞑想の呼吸に入ることができるのです。)

頬に当たる、ヒマラヤの風が心地いい。

どこくらいの時間が経ったのか?周りの空気が変わり始める。

野鳥が囀り、羽ばたく。

眼を開いてみると、、、、私は朝焼けに染まるヒマラヤの山と向き合っていた。

野鳥が、すずめが、空を舞う。

私の傍らには、毎日遊びに来る野良犬が、身体を丸めて眠っている。

調和。

なんて美しいんだろう、、、、、

あまりの美しさに涙が、熱のせいで鼻水が。

次の瞬間、私の奥深い、身体の底から3つの言葉は湧き上がってきた。
「これ以上、どんな命も奪わない」

「最後に、腰の解放」

「神様に仕える人」
◆どんな命も奪わない、、、、

今まで人は殺したことないよ、私。

ゴキブリとか、蚊とか、退治しちゃって当たり前、、、の命のことかな?

食べ物かな?肉、さかな。
でも、菜食主義になったからと言っても、「植物」の命は日々頂くことになるわけで、、、、
◆腰の解放、、、、、

この、腰痛のこと?これの、何が、「最後」なんだろう?
万年偏頭痛の私にとって、最後に来て欲しいのは「頭痛からの解放」なのではないかな?

◆神様に仕える人

これ、知っている!!(このことについては、後日ブログで書きます)
、、、、、なんだかよくわからないけど、どうも啓示のような言葉だな。

そのうち、わかるから
心地よい風が頬に当たった瞬間、そんな言葉が湧いてきて

インド滞在中の、最高の瞑想が終わる。

バシスト生活・再び、チベット医学 2008/07/23 13:07:17

再びお世話になったチベット医学。
チベット医学病院のことを、メン・ツィー・カン(men-tsee-khang)という。
今回お世話になったマナリのゴンパ・ロードにあるメン・ツィー・カン。
ヨガの先生から薬をもらって服用したけど、微熱はまだ続く。
相変わらず腰が痛い、、、、、
ヨガ教室に挨拶にいくと「う~ん、やっぱりちゃんと病院に行ってきなさい」とのこと。

以前、ネパールでお世話になったチベット医学
今回も、インドでお世話になるとにする。

、、、、バスが止まっても、病気になってもお世話になるのはチベット、、、、
普通の民家に診察室を作りました、、、といった感じの病院。
待合室には「脈診ですので、腕時計・貴金属は外してください」と注意書き。

若い女の先生です。

「どうしましたか?」

「急に、熱と腰痛に襲われました、、、、、ドラッグはやってません」
(ドラッグで有名な国や土地で具合が悪くなって病院に行くと
必ずドクターに”ドラッグはやってますか?”と聞かれるので、先に言っておく)

私の両腕と取って、じっくりと脈を診る先生。

「、、、、、衰弱している、、、、、、」

はい、弱っています、私。なのでここにたどり着きました。
ついでにあと1週間内にネパールに戻らなきゃいけないので、弱ってます。

「昼夜逆転してます。昼間はできるだけ起きていなさい」

その他、食欲、排出物の具合などなどを聞かれる。

「あと何日、ここに滞在しますか?」

「一週間以内にはネパールに戻る予定です。」

「出発の前日、ここにまた来ることができますか?」

来ます、来ます、この症状治るなら。12時間バスに乗る体力が回復するなら。

「それでは、出発の前日に必ず再診するということで薬を処方します。
そして、食べ物。酸味のあるもの、、、レモンやお酢・冷たい食べ物・卵・スパイスは控えてください。腰痛には、塗り薬を処方します。」

そんなことで、薬を数日分もらう。それがこれ。

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ここの病院はカルテつき。(緑のノートブックがそれ)

 

アレルギーの項目に、食べてはいけないものと説明されてたことが書いてある。

これに、腰痛の痛み止めバームとマッサージオイルをもらう。

飲み薬は1日3回。こんな大きさ。

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艶を失ったレッド・ジャスパーって感じでしょうか?
これでいくら払ったっけ???覚えてないけど、500円も払っていないような。

バシストに戻って行き付けのチベットレストランに顔を出す。
「チベットの薬はゆっくり効くから、西洋の薬飲んたほうがいいよ。
ジャパニーズ・メディスンは最高でしょ?」、、、とチベット人に言われてしまう。

前回のネパールの時といい、本当に私、やばいかも、、、という症状のとき、
なぜかそばにいる人に、チベットの病院を紹介されちゃう私。
今回もヨガの先生に「行ってこい」と勧められたわけで。

、、、、再び、この苦いお薬にお世話になります。

追記:漢方、アユルヴェーダ、そしてメンティーカンなどは穏やかに効く、、、が

通説なんだけど、実は私には結構即効性がある。

これ、どうやらその人の持っている体質に関係しているらしい。

 

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病院の帰りにマナリの町で購入したアンゴラのストール
この地方の伝統的デザインの織物が織り込まれてます。
購入予定になかったものだけど、
熱もあるし、体を冷やしちゃいけない、、、、、
、、、と自分に言い訳して購入。
軽くて、暖かい!!

バシスト生活・でも発熱と腰痛 2008/07/21 00:53:56

前日に泊まった宿があまりにもうるさかったので、、、、、
、、、と言っても、お寺から24時間流れている神様を称える歌なんだけど、、、
翌日、宿を変えることにする。

静かな村の中で、偶然にも見つけた宿は、看板なし、宿の名前なし、の
「知っている人だけ辿りついてね」的な宿だった。
3階のフロアーに、ダブル・ルームが3つ。共同トイレ。
そしてそのフロアーにはベランダとは呼べないくらい広ーいベランダつき。
(ベランダではなくて、ガーデンだな、あの広さは)
もちろんヒマラヤもばっちり見える。
宿代1泊100ルピー(約250円)。温泉まで徒歩5分。

毎朝、5時に起きて温泉に浸かる生活が始まった。

バシスト生活の基地も見つかった。
さて、次になにをしましょうか?

同じ宿に泊まっていた日本人の女性が、ヨガを習っていたので
私も集中的にヨガでもやろうか、、、とヨガ教室の門を叩く。
朝と夕方、各2時間づつのレッスンを1週間予約する。個人レッスン。
「今日の夕方から始めよう」とヨガの先生。

ちょっとハードなヨガになりそうなので、宿に戻って、夕方までお昼寝。

、、、、なんだかちょっと熱っぽいんですけど、、、気のせいでしょうか?

寝返りを打とうとすると、身体が動かない。あれれ???

起き上がろうとすると、腰に、背中に激痛。起き上がれない、、、あれれれ?ドウシチャッタノデショウカ?ワタシ。

やっとの思いで、起き上がってみると、やっぱり熱がある。

それより大変なのが、腰痛、、、、というか背中全体が痛い。

首も曲がらない。なんだか首から腰にかけて、コルセットを巻いたように動かない。
これじゃ、パンツも穿きかえられません、、、、、

ああ、ここまでたどり着くのに、22時間もバスに揺られたせいだ。
重いザックを背負って、座席確保のダッシュを何度もやったからだ。

ヨガのレッスンの時間がやってくる!!

とりあえず、教室に行って今日のレッスンをキャンセルしないと。イテテ。

、、、、なぜだか、歩いても痛くない。ただ腰が曲げられないだけ。あと熱。
歩いても、立っていても、座っていても「やたらと姿勢の良い人」な私。

「先生、、、ここ数時間でこんなになっちゃって、今日のレッスンキャンセルしたいんです。」

「とりあえず、座れ。ちょっと身体を動かしてみよう」

、、、、、座ることもできないんです、、、、、

なんとか床に座って、でも先生はレッスンを始めちゃう。

、、、、、無理です、、、、、

なんとか動かせる身体の部分だけを動かして1時間でレッスンは終わる。

「はい、次はうつぶせになって」

、、、、、それが、一番できないことなんです、、、、、、

どうにか時間を掛けてうつぶせになると、アユルヴェーダマッサージが始まる。

このマッサージ、痛くも痒くもない。

なんだか鉄の鎧を着て、その上からマッサージをしてもらっているよう。

「ブロックが、、、、すごいな、、、、」先生がつぶやく。

マッサージの後、先生がなにやら紙の、小さな包みを持ってきた。

ああ、知ってるよ、これ。チベット医学の漢方薬でしょ?あの苦いの。
(この先生の奥さんはチベット医師の資格を持っている。ちなみにものすごーく、美人!!)

「これを2日間飲めば熱が下がるから。そしたらレッスンを再開しよう。
もし、症状が改善されないなら、マナリのメン・ツィー・カン(チベット医学の病院)に行きなさい。」

ありがとう、先生。それでは今日のレッスン代と薬代はいくらでしょうか?

「君は、ボクの生徒だから、お金は要らない。」

、、、、先生、ありがとう。熱のせいで、涙じゃなくて、鼻水が出ます、、、、
宿に戻って、横になる、、、ことができないので、ベットの上で背筋をピンと伸ばして、座る。

なにやってんだ?私。

病気になるために、インドに来たのか????

やっとたどり着いた、ヒマラヤの麓で、熱出して、腰が曲がらなくて、
半ケツ出して、マッサージ受けるって、どういうこと????
、、、、今回、インドにお呼ばれされてなかったのかな?私。

この後、2日間、熱と腰痛に苦しむ。

今では信じられないけど、2晩、ベッドに横になることができなかった。腰痛で。

ただ、ベッドの上で、体育座りをして、うとうと寝ていた私。

どうなっちゃうの?私。1週間後にはまたバスに乗って12時間掛けて

デリーに行って、それから飛行機に乗って、ネパールに戻らなきゃいけないんだから!!

絶対インドが、私を拒んでいる!!

 

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ヨガの先生から貰った、チベット医学の飲み薬。
「良薬、口に苦し」なら、これは世界で一番の薬。
、、、どんな病気だって治るはずだ!!

バシスト生活 2008/07/20 00:48:07

「デリー北方のヒマラヤ山地の谷間にある町。(省略)この谷に住んでいる人たちは、
平地に住む人々とは異なる風俗を守り続けている山地民。
その暮らしぶりも興味深く、女は手織りのウール地をピンで留めて
ワンピースのように着つけ、頭をスカーフで覆う。
男は前縁をビロード地で飾った平らな丸帽子を愛用している。(略)
標高1900M。ここの山腹から硫黄泉が湧いている、、、、」 地球の歩き方より

このマナリの町から4キロほど上った村が、私が22時間も掛けてたどり着いたバシスト。
小さなヒンドゥ寺院があって、その境内に硫黄温泉が湧いていて、誰でも無料で入れる。

以前、ブログでこの村での出来事を書いたな。(参照:クリスタルとの出会い)

どうしても、この場所に戻ってきたくて、今回無理やり時間を作ってやってきた。
ヒマラヤにすっぽりと囲まれて、静寂の時間を過ごす。
、、、、温泉に入りながら。
このお寺の敷地内に温泉があります。朝の5時から夜9時までオープン。
温泉浴場内はさすがに撮影できなかったけど、
モヘンジョ・ダロ遺跡とかローマ遺跡の浴場跡みたいな感じで、
日本のきっちり作られた露天風呂より、かえって趣があります。

前回訪れた時は、24時間オープンしていて、
夜中の2時になるとお湯の入れ替え。
一番キレイなお湯に浸かりたくて、ロウソク一本持って真夜中の露天風呂。

ヒマラヤの中の静寂。
たった一つの灯火の中で温泉に浸かる。
、、、、それはまったくの、異次元の世界。、、、どこの惑星?
11年前の6月、私はこの村である「声」を聞いた。

今でもその情景は、はっきりと覚えている。
この村で知り合った日本人カップルの旅人と一緒にレストランにいた。
屋上の、ローソク1本だけが灯りのテーブル席で、
30分経ったもやってこない、料理を待ちながら、おしゃべりをしていた。

「世界は、愛で満ち溢れている」

「えっ?今、なんか言った?」

「いや、なにも、、、、」

絶対に、聞こえた。

それまでも感覚的な何かが私の中から湧き出てきて、それを言葉に置き換えて、会話をする、、、
ということは何度もあった。
それを「自分の中に住んでいるもう1人との会話」と呼んでいた。

でもその声は、絶対に私の「外側」から入ってきた。「世界は、愛で満ち溢れている」、と。

この言葉、今にして思えばとても重い言葉だな、、、と思えるけど、
当時の私は、「そんなこと、私にはどうでもいいことなんだけど」と受け流した。

今、この瞬間にも世界中で、大義名分の下、戦争という殺人が行われるのに、
「愛で満ち溢れている」なんて、よくそんなこと、言えたもんだよ、
、、、、誰が、私に囁いたのか、知らないけど。

、、、、、でも、心のメモ帳にちょっと書いておくよ、、、、

この言葉を聞いてからの11年間、もちろん私は「愛の宣教師」になることもなく、
旅をし、日本に出稼ぎに帰る生活をしていた。
平穏な日々だったわけでもなく、「七転び八起き」どころか
「七転び・もう起き上がれません、、、、」そんな11年間だった。

今だからわかることだけど、11年前の、6月、雨季で肌寒いこのヒマラヤの村で、
人生が動き始めたのだと思う。
決して真っ直ぐ、楽に、歩んでいたわけではないし、
「破滅への道を進んでいるのでは、、、、?」と思うこともしばしばだったけど、
まぁ、「何かが」動き始めた場所・バシスト。

で、その地に、戻ってきた私。

これから10日間、何をして過ごそうか?

ひたすら山を歩くのもよし、
瞑想するのもよし、
ヨガレッスンを集中的にするのもよし
他の旅人と遊ぶのもよし
ネパールで一生懸命仕入れをした自分へのご褒美。

「静寂の、山に抱かれて時を過ごす」

さて、どんなことが起こるんだろう、、、、、、、

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バシストの野良犬

初日に宿泊した宿にいた野良犬。
チェック・インして、ドアを開けたら、この野良犬もチェック・イン。
美味しいクッキーで釣っても部屋から出ていく意思がなさそうなので、
仕方がなしに、一晩、ルームシェアすることに。
もちろん、宿代は私持ち。